目の前で茶色い髪がフワリと舞った。
その色が。質感が記憶にあるモノとダブり、無意識の内に目がそれを追っていった。
「・・・・・・・・・フリック・・・・・・・・・・」
傍らから聞えた少し辛そうなのその声に、遠ざかる髪の毛を見つめていた視線を見慣れた男の方へと、向け直す。
痛みを堪えた顔。
彼が時々自分に向ける表情が、そこにあった。
「・・・・・・・なんだ?」
彼が言いたいことなど少しも分からないという表情を浮かべて首を傾げてやれば、彼は何も言ってこない。
それを分かっていながら。いや、分かっているからこそ、惚けてみせる。
ビクトールには、自分が彼の言いたいことを理解していると思われていないだろうから。
「・・・・・・いや、なんでもねぇ・・・・・・・・・・・」
案の定、ビクトールはそう言っただけで言葉を続けてこなかった。
なんとも御しやすい男だと、内心でほくそ笑む。
でも油断は出来ない。
彼はかなり観察力があるから、小さな綻びから穴を見付け、中に有るモノを穿り返されかねない。
「そう簡単には、やらせねーけどな。」
そう内心で呟きながら、先程目にした髪が歩き去った方向へと視線を向けた。
クセの無い長い、優しい色合いの髪。
アレと似たような髪を持った女は、二度とフリックの前に現れることはない。
彼女の事は未だにその脳裏で思い描ける。
己の夢を語る強い眼差しも、甘えるような声音も、拗ねたようにふくれた顔も。そして、あのサラリとした流れるような髪の手触りも。
二度と手に出来ない事を悲しいとは思わない。守れなかったことを悔しいとも。
彼女は自分のやりたいようにやって、生きたいように生きていたのだから、悔いは無いだろう。死の間際に己の意思を託す事が出来たのだから。
今頃、先に逝った婚約者と仲良く笑い合っているだろう。そう思うから、その姿が鮮明に脳裏に思い浮かべることが出来るから、その死を嘆くことはない。
人の幸せを思うなど自分にはらしくない事だけど、彼女は今、幸せだろうと思うから。
そんなオデッサに対するフリックの思いを、ビクトールは知らない。
あの戦いは終わっているのに、未だに自分に対して負い目を感じているのだ。守ると言っておきながら、守れなかった事に。
だから時々、オデッサを連想させるモノを目にした時、耳にした時。痛ましがっているような目でフリックの事を見つめてくる。フリックはなんとも思っていないのに。
フリックは息を吐き出した。
過剰な哀れみの視線は彼を牽制するのには良い材料だが、時々無性に気分が悪くなる。「ビクトール。」
「なんだ?」
「とっとと宿を探して、次の仕事を探しに行こうぜ。手持ちが心許ないからな。」
それだけ言って、さっさと歩を進めていく。
ビクトールが付いてくるかなんて、気にもかけずに。
確認しなくても、彼が付いてくる事など分かり切っているから。
長い髪が脳裏で揺れた。
風を受けたように、ハラハラと。
そして、その髪の持ち主が優しい笑みで微笑みかけてくる。
その笑みが何を言っているモノなのか、言葉を聞かずとも分かった。
「・・・・・・・・・そうだな。」
軽く頷き、背後に視線を向ける。
突如向けられた青い双眸に、ビクトールは驚いたように目を見張っている。その瞳に向って、薄く笑みかけた。
「たまには誰かと歩くのも、良いかも知れないな。」
と、脳裏で微笑む『恋人』に語りかけながら。
1と2の間。
旅を始めたばかりの頃。まだ腐れて居ない位の時。
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髪の長い女