声が聞えたような気がして、三井は俯けていた顔を上げ、振り返った。
だが、そこに声の主が居るわけがない。
フウッと音がするくらい大きく深く息を吐き出した。そして、ゆるりと右手を挙げてぐしゃりと己の短い前髪を掴む。高校生活最後の年から短くしているので、掴む所はそう無いのだが。

それまで長くしていた髪をすっぱり切った時。そうすることでケジメを付けられる気がした。中身はそう簡単に変われないから、外見だけでも変え、気持ちを切り替えようと思った。
後に、桜木が坊主頭になった時、自分もあれくらい短くすれば良かったかと一瞬思ったが、あの髪型は自分には似合わないだろうからやらなくて正解だとすぐに思い直した。まぁ、失敗してもすぐ伸びるから気にする事ではないのだが。ようは、自分の気持ちが切り替えられれば良いだけの事だし。

「そういや、アイツの前髪は長かったな・・・・・・・・・・・・」

どうでも良い過去の出来事を思い出していた三井は、鬱陶しいほどに伸びた髪のサラリとした感触を思い出し、口元に小さく笑みを刻み込んだ。
出会った時から、彼の髪型は変わらない。長くなったなと感じたら短く切るだけで、少しも洒落た髪型にしようとはしなかった。
見目が良いのだからもっと手をかければより一層格好良くなるだろうに。面倒くさいの一点張りで整髪料すら付けようとしなかった。

「でも、少しは洒落て帰ってくんのかねぇ・・・・・・・・・・」

自分でそう言いながらも、すぐに首を横に振る。周りから影響を受けるくらいなら、とっくのとうに洒落っ気を出しているだろうから。
そんな時間があればバスケをすると言って、ろくに買い物に付き合わなかった男なのだ。そのバスケをするために赴いた新天地で、お洒落に目覚めるわけがない。

「さて、どうなる事やら・・・・・・・・・・・・」

数年後が楽しみだと胸の内で呟きながら、三井は先程目にした光景を脳裏に思い浮かべた。そして、ゆっくりと空港の外へと歩を進めていく。
当てがあるわけでも、帰るためでもなく。ただ無性に、外の空気を吸いたくて。
知っている人間に会う可能性が少ない場所で。

 今日。

 今さっき。

 高校時代の後輩が、新天地に向けて旅立っていった。

 彼が一年の頃から口にしていた、アメリカへ。

 バスケをするために。

その見送りが、先程まで空港内でされていた。いや、今もまだされているかも知れないが、それは三井には分からないことだ。
全国に行った時のメンバー全員がその場に集まっていた。赤木も木暮も宮城も、桜木も。他の一二年生も勿論のこと、その後に入った後輩達も、ほぼ勢揃いしていたようだ。桜木軍団までもがその場に集まり、ワイワイと楽しげに騒いでいた。見送られる男は大層迷惑そうにしていたけれど。
その様子を遠くから眺め、輪に加わることなく。旅立つ男と視線一つ交わすことなく、三井はその場を後にした。
そして今、黙々と歩を進めている。

赤木や木暮から電話が入った時、見送りには行かないと告げた。何故と不思議がる彼等に、そんなに親しかったわけでもないし忙しいからと言って返した。凱旋帰国した折りには時間を割いてやるよと告げた自分に、電話の向こうで木暮が苦笑していた。「三井らしいな」と。
後に宮城にも「薄情だ」と言われたが、それでも無理矢理誘ってくることは無かった。それくらい、自分と彼との関係は希薄だと思われていたのだろう。

見送られる本人は随分ごねていた。そんなどうでも良い奴等よりも自分に来て欲しいのだと。何日も問答が繰り返され、結局彼が諦める事になった。三井が何があっても自分の考えを覆さない事を覚ったのだろう。それでも最後まで不服そうにしていた彼の顔を思い出して、三井は薄く笑んだ。
何年経っても、身体がでかくなっても、そんなときに見せる表情は昔と大差ないんだなと、思って。

「少しは、成長するのかねぇ・・・・・・・・・・・・」

バスケの腕だけではなく、人間的に。
沢山の人と出会い、ガラリと変わった環境の中で彼の考えも変わるのだろうか。

大切に思う人間と出会うのだろうか。

子供の頃に経験した、熱に浮かされたような思いを過去のモノにして。

「・・・・・・・・・まぁ、それはそれで良いけどよ・・・・・・・・・・・」

小さく呟き、空を仰いだ。その視界の先に、小さなおもちゃのような飛行機が映る。
ジッと見つめていると、それはドンドン小さくなっていった。
近くで見たらもの凄く大きな物なのに。握りつぶしたら簡単に砕けそうなほど、小さくなっていく。

彼はアレに乗っているのだろうか。
己の夢を乗せて。

胸の内で、そう呟いた。
そんな分けが無いと、直ぐに苦笑を浮かべたが。

白い雲が、真っ直ぐに空に引かれている。
出会った時から前だけを見据えていた彼の眼差しのように真っ直ぐな、汚れのない白い雲が。
ソレを見つめながら、柔らかく笑む。

「・・・・・・・・・・頑張れよ・・・・・・・・・・・・・」

お前が活躍することを、願っているから。
姿は見えなくても、声が聞えなくても。
お前の心が離れても。
それだけは変わらない。

小さく手を振り、ニヤリと口角を引き上げる。そして、再び足を動かした。
自分の道を歩くために。
前だけを見据えている彼を見習って、真っ直ぐに。
自分が信じる道を突き進むために。
ゆっくりと、一歩一歩踏み締めながら歩いていった。


























愛故に距離を取る。














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飛行機雲