「馬鹿って、伝染するものなのかな。」
「はぁ?何を言ってるんですか、先輩。」
 突如傍らから上がった声に、彩子は素っ頓狂な声を上げてしまった。
 驚きに目を丸めて傍らに立つ一つ年上の男の顔を見上げれば、彼は真剣な眼差しでコートの一角を見つめている。
 その視線の先を追うようにそちらの方を見やれば、そこには程度の低い言い争いをしている桜木、宮城、そして三井の姿が。
「・・・・・・・確かにあの三人は部内どころか学校の中でも軍を抜いて馬鹿だと思いますけど、伝染って言うのはなんなんですか?」
 軽く首を倒して問いかければ、男、木暮は少しずり落ちたらしいメガネを指先で持ち上げながら言葉を返してきた。
「いや、昔の三井はあそこまで馬鹿な言動をしていなかった気がしてさ。」
「そうなんですか?」
「ああ。・・・・・・・とはいえ、俺も一年の時に顔をつき合わせていたのは一ヶ月位だから、三井の本質に触れてはいなかったんだろうけど・・・・・・・・・。それでもやはり、今の三井よりも落ち着いて居た気がしてね。」
「で、桜木花道の馬鹿が移ったと?」
「ああ。」
 頷く木暮の言葉に、彩子は深々と溜息を吐き出した。中学MVPの三井は木暮から見たら身近な憧れの存在だったのだろうから、木暮は三井の事をぐれる前からフィルターを通してしか見ていなかったのではないだろうかと彩子は思う。どんなにアホな言動をしていても、「三井がそんなことをするはずがない」と勝手に判断して記憶に残してはいないのではないだろうか、と。
 彩子にしてみれば、治ると言われている怪我を無茶な事をして治る時期を遅らせ、それで試合に出られなかったからと言ってグレてしまうその精神構造は十分に馬鹿だと思うのだが。
 彩子が聞いたのは木暮の話だけだから、もしかしたらそれ以外の理由もあるのかも知れないが。
 とは言え、やっぱり馬鹿だと思うし、甘ったれだとも思う。世の中にはもっと過酷な状況に追いやられている人もいるのだ。車椅子でバスケをしている人だっている。当時の三井に会うことが出来るのならば、治ると言われているのに贅沢なと、ハリセンをかましてやりたい位だ。
「・・・・・・・・・・まぁ、だからこそ、あっという間に溶けこめたのかも知れないけどな。」
 彩子の胸の内など察しもせずに、木暮は実に嬉しそうに微笑みながら呟いた。
 その前までの木暮の意見には頷けなかったが、その言葉には頷けるモノがあった。
 妙に先輩風を吹かせたりもするが、口で言う程上下関係を気にした様子もなく、部員達と接している。
 起こした事件が事件だけに初日はどうなることかと緊張していたのだが、最初に頭を下げた後はまるで一年生の頃からずっとこの場に居たように振る舞っている三井に心底驚いた。顔に張られているガーゼやらなんやらが無かったら、事件の事など気にもならなかっただろう。
 図々しいとも言える態度だったが、そのせいで素早く周りにとけ込めたのは確かな事だ。妙に萎縮することもなければ威張り散らすこともない。そして、桜木花道との漫才のようなどつきあい。子供のように騒ぐ三井の姿を目にして、いつまでも敵意を持っていられるような人間はバスケ部員にはいないのだ。
 一番心配していた宮城との関係も、まったく問題が無い。周りが驚く位に仲良くなったくらいだ。
 その驚きは、派手な殴り合いをした翌日に、肩を組んで登場した桜木と宮城の二人を見たときと同じくらいだった。
「・・・・・・・・・・変な人。」
「え?何か言ったか?」
「いえ。何も。」
 思わず漏れた呟きに言葉が返され、彩子は慌てて首を振った。
 そして、赤木に呼ばれて木暮が傍らから離れたところで三井の話は打ち切りになり、彩子も自分の仕事に戻る。
 やることは沢山ある。ボケッとしている暇はない。
「・・・・・・・・もう一人くらい欲しい所よね・・・・・・・・・・・」
 来年の事を考えると、一年生に。赤木の妹辺りがやってくれないだろうか。彼女ならバスケにも詳しいし、何よりも桜木のやる気に火が付いて良いと思うのだが。いや、本人は桜木の気持になんか全然気付かずに流川を一生懸命目で追っているから余計にややこしい事態になるかも知れない。
「・・・・・・まったく。問題児ばかりなんだから・・・・・・・・・・」
 呟き、その問題児軍団に何の気無しに視線を向けた彩子は、その視線の先に移ったモノに驚き、目を見張った。
 そこには、今まで見たことが無いくらいに優しい微笑みを浮かべた三井の姿があったのだ。子供を見守る父親のような、そんな大人の笑みを浮かべた。
 信じられないモノを見て固まった彩子の視線に気付いたのか、不意に三井と視線が合った。そして、しばし無言で見つめ合う。
 なんだかいけない物を見てしまったような気がして後ろめたい気分が胸の中に渦巻く。今更視線を外すのも態とらしくて、彩子はジッと三井の瞳を見つめ続けた。
 と、突然。三井の顔が綻んだ。
 先程まで桜木達を見つめていたのと同じような笑みの形に。
 その笑みに、ドキリと胸が高鳴った。整った顔をしているとは思っていたが、その馬鹿な言動のせいでまったく気にしていなかったその容姿の良さを、まざまざと見せられた気がした。
 先程とは違う理由で視線を反らせなくなった彩子の動揺に気付いているのか。クスリと、いつもの人をからかうような笑みを浮かべた三井が軽く手を振ってくる。
 思わず振り返してしまった彩子の動きをめざとく見付けた宮城の怒声が、体育館に響き渡る。
「ちょっとアンタっ!なにアヤちゃんにちょっかいかけてんだよっ!!!」
「別に良いだろ?手を振るくらい。」
「駄目っ!あんたは油断も隙も無さそうだから駄目ッ!!」
「・・・・・・・んだよ。てめーの彼女でもないのに。うるせーぞ。」
「いっ・・・・・・・・・・言ってはならないことをーーーーっ!」
 追いかけ回す宮城の攻撃をうひゃひゃと笑いながら軽く交わす三井の姿に、彩子は苦笑を浮かべた。
「・・・・・・何をやっているんだか・・・・・・・・・」
 飽きれはするが、憎めない。
 そして、思った。
彼は、自分達が思っているほど、馬鹿ではないのかもしれないと。
 それでも端から見たら馬鹿としか思えないような行動を取るのはどうしてだろうか。
 その方が周りにとけ込めると思ったのだろうか。だとしたら、態と馬鹿な行動をしているという事になる。
「・・・・・・・・態と、移ったのかしらね。」
 先程の木暮の言葉を思い出し、ひっそりと呟く。
 皆が言うほど単純では無さそうな遅れてやって来た先輩に、少し興味が沸いてきた。いつか、笑い話に出来る位時が流れたら聞いてみたい。空白の二年間を。その時、その間に何を思っていたのか。
 そう思うくらいには、彼の事が気にかかった。
「・・・・・・・・・私も、移ったのかしら。」
 木暮の三井への気にし具合が。
 馬鹿以外のものも移るらしい。
 そう思って、少し笑った。
































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伝染