ザッと音をたてて風が吹き抜けていった。ハラハラと、ピンク色の花びらをまき上がらせながら。
 その花びらが舞う中を、一人の女子生徒が走り抜けてきた。愛らしい顔を、涙で濡らしながら。
 泣きながら傍らを通り過ぎていく少女の姿をチラリと流し見たビクトールは、彼女が走り去っていく後ろ姿を見送るために足を止めた。だが、すぐに目当ての人物の元へと向かうために、足を動かした。
 泣きながら去っていった少女が居たであろう、場所へと。
 その場所に行くと、目的の人物が立っていた。困惑の色が滲む表情を浮かべながら。
「……よぉ、色男。なに女を泣かせてんだよ」
 立ち尽くす、チラリと見ただけで視線が外せなくなりそうな程の美男子に向かって、からかうような口調でそう声をかけた。途端に、所在なげにしていた黒い学生服を身に纏ったその美男子がギロリと、鋭い眼差しを向けてきた。
「……別に、泣かせてない」
「泣いてたぜ? 俺はしっかり見たからな」
 キッパリと言い切ってやれば、美男子は困ったように表情を曇らせた。そんな男に苦笑を返しながら、ビクトールはチラリと、男が纏っている学生服のボタンへと、瞳を向けた。
 学年も男女も問わず人気がある男だ。もう既にボタンは一つも残っていないだろうと思ったのだが、それらは一つも損なわれることなく、存在している。
「……フリック」
「なんだ?」
「ボタンくれって、言われなかったのか?」
「言われた。さっきの子にもな。でも……」
「やらなかったのか」
 確認するように発した言葉に、フリックは小さく頷き返してくる。そんな彼に、どうしてと、瞳で問いかける。人の良い彼のことだ。くれと言われたら、言われた端から渡していきそうなものなのに。
 そう思ったビクトールの内心を読んだのだろう。彼は困ったように笑みを漏らした。だが、答えを返してくれる気配はない。
 こうなったら、彼は何がなんでも口を割ろうとしない。それは、そう短くない付き合いの中で分かっていることだ。
 ビクトールは小さく息を吐き出した。そして、ほんの少しだけ、話題を切り替える。
「さっきの子、告白してきたのか?」
「………あぁ」
 頷く彼は少しだけ、イヤそうに顔を歪めている。
 その表情を見て、ビクトールは苦笑を漏らした。
「そんなにイヤなら呼び出しに応じなきゃ良いだろうが」
「いや、凄い思い詰めた顔をしてたから、何か重大な悩み事がるのかなって、思って。俺に話して楽になるなら話だけでもきいてあげようって、思ってたんだよ。そしたら……」
「告白されたってか?」
 問いかけに、フリックは素直に頷き返してくる。そんな彼の言葉を聞き、ビクトールは再度深く息を吐き出した。
 冗談ではなく、本気でそう思っているからタチが悪いと、思って。
「……こんな。いかにも告白しますって場所に連れてこられてなんでそんな考えになるんだよ」
 呆れたと言わんばかりの声でそう発してやれば、フリックは不愉快だと言わんばかりにムッと顔を歪めた。
「しょうがないだろ。告白しそうだって、気付かなかったんだから」
「あ〜〜はいはい。そうだな。気付かなかったんだから、しょうがないよな〜〜」
「……なんだよ、その言い方」
「べっつにー? で、断ったのか」
「ああ」
「なんて言って断ったんだよ。口べたなお前が」
「好きな人が居るからって」
 言いながら胸元に右手を持っていき、軽く拳を握る。
 何かを掴み取ろうと、するように。
 そんなフリックの仕草を見て、ハッと息を飲み込んだ。
 そこにあるモノの存在を、思い出して。
 フリックの好きな人と言えば、一人しかいない。もう、この世に居ない人だけど。
 彼女のことを、オデッサの事を彼がどれだけ愛していたのか。知らないものはこの学校に居ない。事故で亡くなってしまったときの彼の憔悴振りは、見ていて胸が締め付けられるほどだったのだから。
 その事故から、まだ2年も経過していない、彼の心の傷も癒えてないだろうし、彼女への愛が冷めるなんてこと、あるわけ無いのだ。
 それを、フリックの仕草で思い出した。彼の胸元には、オデッサがつけていた、ベネチアングラス作られたイヤリングが下げられているのだ。
 フッと、深く息を吐いた。彼女と彼の間に入っていけない事に、苦しさを感じて。
 彼は何かあると、すぐにそこに縋り付く。答えを求めるように。背中を押して貰おうとするように。
 胸元のそれが彼女であるかのように、大切に扱っている。生きていて物言う自分ではなく、今は亡き女が残した、形見にばかり言葉をかける。
 それが、口惜しい。
 彼にとって、自分は物以下であるという、現実が。
 彼女が生きていたら、もっと違ったのに。正面から、自分の思いを伝えられたのに。
 いなくなってしまったから。未だに傷を癒せない彼を知っているから、自分は何も言えずにいる。
「……そうか」
 そう呟くのが。精一杯だった。それ以上言ったら、何かを言ってしまいそうで。だから視線を反らし、口を閉じた。
 そして、反らした視線を上向ける。
 ハラハラと、ピンク色の花びらが舞う空へと。



















本日雪が降りました。












《20070414》







 

ベネチアングラス