暗い道を、ビクトールは一人、馬を走らせていた。
 砦に帰り着く前に日が落ちる事は分かっていた。ミューズを出るときにも、それを予測した宿泊費をアナベルから貰っている。だがビクトールは、休憩もそこそこに馬を走らせた。早く帰らないといけない理由があるわけではない。最近は砦の周りも穏やかで、戦いの影は見当たらない。出がけにフリックにミューズで少し羽を伸ばしてきても良いぞと、言われた位だ。
 それでもビクトールは、馬を走らせていた。
 フリックのように上手く扱えないが、自分に出来る限り速く走らせて。
 月明かりだけが頼りの道を一人で進むのは心細いモノがある。いい大人になっても、それは変わらない。
 族やモンスターが怖いわけではない。その類のモノは、一人でも打ち倒せる自信がある。
 怖いのは、そんなモノではない。
怖いのは、この世に自分一人きりしかいないのではと、思ってしまう瞬間。
 暗い闇は、時々そんな思いをビクトールに抱かせる。
 そんな事があるわけ無いのに。
 頭では分かっていても、過去の出来事がビクトールをそんな思いに駆り立てる。
 情けない話だと思う。いい大人が、何をと。
 けれど、一度感じた強烈な孤独は、なかなか埋まらない。
 二度と失いたく無いから、二度と寂しい思いにかられたくないから、長い事心を向けるモノを作らないでいた。
 それなのに今、自分の傍らには一人の男が立っている。いや、立たせていると言った方が正しいだろう。それも、半ば強引に。
 そんなつもりは無かったのに、いつのまにか手放せなくなっていた男。
 彼の纏う、目の覚めるような『青』を思い出すと、自然と顔が綻んできた。
「・・・・・・・・・こんな時間に帰ったら、絶対何か言うんだろうな。」
 折角気を使ってゆっくりして来いと言ったのにと。速く戻れと言ったときにはダラダラといつまでたっても帰って来ないクセに、速く帰ってこなくて良いときに何故速く帰ってくるのだと。綺麗な青い瞳に呆れの色を浮かべて見せるのだろう。
 そんな気安い視線と言葉が、たまらなく嬉しい。
 出会ったばかりの頃は、その瞳に警戒の色しか浮かべて貰えなかったから。一歩も二歩も距離の縮まっている今の関係が、嬉しくてたまらない。
「・・・・・・・・・おっ!もう少しだぞ。」
 遠くに見えてきた明かりを目にして、ビクトールは馬の首を軽く叩いた。これまで走ってくれた馬を労るように。
 暗い中、自分の目指す場所に明かりがついている。
 仲間とも言える者達がそこにいる。
 青を纏う見目の良い男が、自分の帰りを待っている。
 そう思うと、手綱を握る手に自然と力が籠もった。早くあの場に帰りたくて。
 あと少しで門をくぐると言うところで、上空に目映い光が放たれた。
 何事かと天を仰ぐと、青白い雷が上空ではじけ飛んぶ。
 それは、見慣れた光。
 誰が放ったものなのか、すぐに分かった。
 門を潜り、馬を下りたビクトールは、荒い息を付く馬の首を優しく撫でながら、ゆっくりと建物に向って足を向ける。
 程なくして現れた暖かな光の漏れる建物の入り口に、一人の男の姿が浮かび上がっていた。
 青いマントが、夜風を受けて微かにはためいている。
 彼の表情は逆光になっているので見えない。見えないが、軽く腕を組んで仁王立ちをしているその様から、笑っていない事だけは窺えた。
 いや、むしろその全身からは怒りのオーラさえもが立ち上がっている様に見える。
 自分は何をしたのだろうか。彼を怒らせるような事を。
 小さく首を傾げて考えてみたが、これと言った原因が浮かばない。しかし、彼が怒りのオーラをその全身から迸らせながら自分の帰りを待っていたと言う事は、自分に対して何かあると言う事なのだ。
 だから、ビクトールはフリックの様子を窺うように声をかけた。
「・・・・・・・・随分と、盛大な出迎えだな。」
 その言葉に、フリック急いで戻ってきたビクトールの事などねぎらう気持ちが欠片も無い冷たい言葉を、冷たい声音で返してきた。
「当ててやろうかと思ったが、そうするとそいつにもとばっちりが行くからな。」
「そりゃあ、助かったな。」
 馬を顎で指しながらのフリックの言葉に苦笑を浮かべながら、茶化すようにそう言ったビクトールは、笑みをそのままに僅かに首を傾げて見せた。
「で?何を怒っているんだ?」
 その問いかけに小さく息を吸い込んだフリックは、怒りを内に秘めた声でこう答えた。
「・・・・・・・・・・・お前。出がけに俺の部屋に入っただろう。」
 言われた言葉に数日前の自分の行動を思い浮かべてみると、確かに彼の部屋に踏み込んでいた。
「ああ。入ったな。」
「その時、てめーは何を持ち出した?」
「手持ち無沙汰じゃぁアレだから、酒を一本。」
 そう答えた途端。足下に小さな雷が落ちた。
 その光と衝撃に驚き、馬が嘶きをあげて駆けだしていく。そんな馬の様子をチラリと見送りながら、ビクトールは落ちた雷の先へと、視線を向けた。
 雷はビクトールには当たっていない。だが、つま先付近の土に軽く10センチの深さがあるだろう穴が出来ていた。
 あの小さな稲光でこの威力。
 ビクトールは、フリックの本気を察して背中に冷や汗を流し始めた。
 そんなビクトールに向って、フリックが微かに微笑みかけてくる気配がした。
「そう。持ち主の俺に、なんの断りもなく、な。」
「・・・・・・・・別に、今更だろう?酒の一本や二本。細かい事を言うなよ。」
 彼の怒りを宥めようと、出来る限り下手に出ながらそう言葉をかけたのだが、その言葉にもフリックの全身から小さな雷がこぼれ落ち、足下の土を抉って見せる。
「・・・・・・あれはな。お前が普段飲んでいる安酒とは、わけが違うんだよ。」
 答えるフリックの声には、強烈な怒気が混ざり始めた。逆光のせいで表情は見えなくても、今彼が浮かべている顔が鮮明に脳裏に浮かび上がる。
 今の彼は、それは綺麗な微笑みを浮かべている事だろう。状況を忘れて、見惚れるくらいに。
 そんな事を考えていたビクトールに、フリックは語り続けてくる。
「いや。値段の問題じゃないな。アレは、俺が手に入れるのにえらい苦労をしたんだ。俺が、時間をかけて、手をかけて。やっと手に入れた代物だったんだ。そんな苦労をしてまで手に入れたモノなんだよ。この、俺がっ!!」
 フリックの叫びと共に、再びビクトールの足下に雷が落ちた。今度はその熱でブーツの端が焦げる程距離が近く、威力も上がっている。
 本当に本気だ。
 本気でフリックは自分を殺す気だ。
 ビクトールの背に、大量の冷や汗が流れ落ちる。
「わっ、悪かった!!今度、同じ物を探して返すからっ!!」
 慌ててそう返すと、フリックはとても楽しそうに喉の奥で笑い出した。
「・・・・・・・・出来もしない事をそう簡単に口にするなよ。」
「いやっ!絶対に手にしてやるから、だから許してくれっ!!」
「無理だって。あれは、この砦の年間経費と同じ位するんだぜ?」
「げっ・・・・・・・・!!」
 いくら何でもそれは高すぎだ。どんなに頑張っても、たかだか傭兵の自分にそんなモノを手に入れる事が出来るとは思えない。
 大体、そんなものは酒じゃない。下手な宝石なんかよりも高い酒なんか、酒じゃない。
 そう考えたところで、ハタと気が付いた。
 そんな高価な物を、フリックはどうやって手に入れたのだろうかと。
「おい、フリック・・・・・・・・・・・」
「で、お前はアレをどれくらいの時間をかけて飲んだんだ?」
 ビクトールの問いは、フリックの言葉でかき消された。その問いかけにフリックの様子を窺うと、先程まで痛いくらいにその細い身体から迸っていた怒気が、なりを潜めていた。
 もう怒りは冷めたのかと思いたい所だが、彼は本気になれば本気になっただけ気配が静かになるのだ。
 ビクトールは、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
 殺される。
 本当の事を言ったら、殺される。
 そう思いながらも、ビクトールは本当の事を口にした。
 ウソをついたら、余計に怒りを買う事になりかねないから。
「10秒くらい。・・・・・・・・・・かな?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・死ね。」
 凍り付くような冷たい声音でそう呟いたと思ったら、ビクトールの身体に衝撃が走った。
「・・・・・・・・・・っっっ!!!!!!!!!!!」
 あまりの痛さに、悲鳴すら出ない。
 雷撃の影響なのか、身体が痙攣するように震えている。そして、震えを走らせたままドサリと、地面に倒れ伏す。受け身を取る事は出来なかった。ビクトールは、己の指一本、動かせない状況に陥っていたのだ。
 身体が動かないのは痺れているからかと思ったが、どうやらそれだけではないようだ。自分の全身から、肉の焦げるイヤな匂いが立ち上がっている事に気が付いた。そして、そう気付くのと時を同じくして、段々意識が遠のいていくのを感じる。
 いつもは、フリックの放つ雷を浴びてもこんなにダメージを負う事はない。
 今回は手加減をしてくれなかったと言う事なのだろう。それだけ本気で、彼は怒っているのだ。
 遠のく意識の端で、フリックの視線が突き刺さっているのを感じた。
 殺意は無い。だが、蔑みの色は色濃く出ている。その視線に、ビクトールは寂しさを覚えた。いままで色々な場面で彼に罵倒されたり馬鹿にされたりしてきたが、今程冷たい眼差しを向けられた事は無かったのだ。
 切なさにジンワリと涙を流していたら、フリックが憎々しげに言葉を吐き捨ててきた。
「・・・・・・・・・・朝まで生きてたら、忘れてやる。」
 そう吐き捨て、バサリとマントを翻したフリックは、なんの迷いもなく建物の中へと戻っていった。
 彼が建物の中に戻った後に誰かが外に出てくる気配はない。皆、とばっちりを恐れて救いの手を差し伸べようとしないのだろう。
「・・・・・・・・・・・冷たいぜ。」
 一言呟いただけで身体に激痛が走った。
 今回は本気でヤバイかも知れない。朝まで保つか、微妙なラインだ。
 それにしても、朝まで生きていても許してくれないのかと、心の中で呟く。
 ビクトールの行いは、よっぽど許せない事だったらしい。
 自分的には長いと思うフリックとの付き合いの中で、彼があそこまで怒ったのを見た事は無いから。ほんのちょっとだけ、罪悪感が沸き上がる。だからといって、同じ物を買って返す事は出来そうにないのだが。
 そう考えたビクトールは、フウッと、大きく息を吐き出した。そして、うつぶせだった身体をなんとか仰向けにひっくり返す。
 視線の先にある暗い闇の中に、無数の光が瞬いている。その光が、自分に頑張れと語りかけているようで、ほんのちょっとだけ気分が良くなった。
 気分を持ち直したビクトールは、チラリと砦へと視線を向ける。
 微かに漏れる、暖かい光。
 その光に誘われるように、心が吸い寄せられる。
 ビクトールの脳裏に、青白い雷と、それを放つ青年の顔が浮かび上がった。
 早く彼の元に行きたいと。体と心が訴える。
 彼そのものが、ビクトールが目指す明るい光なのだと、そう言うように。
 自分の帰る場所は、そこなのだと言うように。
 例え、この状態を引き起こしたのが彼だとしても、その思いが変わる事はない。
「・・・・・・・・・・早く帰りてーなぁ・・・・・・・・・」
 そのためにも、朝まで持ちこたえなければ。そんな事を考えながら、ビクトールはゆっくりを瞳を閉じた。
 今は、闇の中に一人で居ても、恐怖を感じない。欠片さえも。
 それは多分、待っている人が居ると、分かっているから。
























アイツは俺の光。俺も、アイツの光になりたい。
















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誘蛾灯