綺麗な夕日が海水を赤く染め上げている。海だけではなく、空も。
 その朱色を、何をするでもなくただただ静かに見つめていた。
 こんな時間に手が空く事は滅多にないことなので、思う存分己の瞳に焼き付けておこうと思って。
 いつもなら太陽が落ち始めるこの時間帯は、夕食の準備で忙しい。だから普段は丸窓の向こうにある夕日をチラリと眺め見る事しかできない。だが、今日はその夕食を作らなくても良いのだ。船が島に上陸しているために。
 サンジは明日の昼まで船番を言いつかっているのだが、サンジ以外のクルーは港町におり、どこかのレストランに集まって夕食を食べているはずだ。そして、夕食の後はそのまま宿に泊まる事になっていた。たまには揺れない所で眠るのも良いだろうと。
 だから、今日は夕食を作る必要がなく、夕日を眺めている時間がある。腐るほどに。
「――――綺麗なもんだな」
 何かを考える前に声が漏れた。その自分の呟きを耳にして、クスリと小さく笑う。幼き日に長い時間を過ごしていた小島にいたときには毎日のように夕日を見ていたのに、そんな事を思いもしなかったなと、思って。
 沈む夕日でその日の終わりを知り、食べ物を口にしていない日が加算れたのを知ったから、あの時は沈む夕日に憎しみすら覚えていた。やせ細っていくしかない自分の姿を冷たい光を発しながら見下ろす月も、大嫌いだったが。
 それなのに今は、月も夕日も嫌いではない。素直に綺麗だと思える。
「これが時の流れってモノなのか、大人になったって事なのか――――」
 どちらも同じ事かと苦笑を浮かべ、懐からタバコを一本取り出した。そしてゆっくりと火を付ける。
 煙を肺の奥まで充満させ、深く息を吐き出すように口から吐いた。
「――――で、どうしたんだ。てめーは」
 煙を吐ききったところで問いかける。
 背後を見もせずに。
 その言葉に応えるように、カチャリと三本の剣がぶつかり合って音を立てた。そして、聞き慣れた男の声が耳に届く。
「別に。どうもしねーよ」
 憮然とした声で答えた男の言葉に小さく口元に笑みを刻んで、チラリと背後に視線を向けたサンジは、そこにいる男の顔を確認してから態とらしく口端を引き上げる。
「なーにが『別に』、だよ。どうせ迷子になってナミさんが言ってたレストランにたどり着けなかったんだろ?」
 その問いに、ゾロはグッと口を噤んだ。
 どうやら図星だったらしい。
 サンジは気づかれないようにほくそ笑んだ。
 仲間相手だからだろうか、素直な反応を示すゾロの事が可愛らしく思えて。だが、そんな事を本人に言ったら三本の剣が一気に引き抜かれるだろうから、黙っておく。変わりに、嘲笑するような声音で言葉を続けた。
「またかよ。お前のそれはもう、病気の域だな。船を下りるときには迷子札をかけたらどうだ?今回はレストランにたどり着けないまでも船に戻ってこられたが、このままだといつか絶対に船に帰ってこられなくなるぜ?」
「うるせぇ。くだらねーこと言ってんじゃねーよ」
「あーん?この俺が親切に提案してやったってーのに、なんか文句あんのか、こらっ!」
「あるに決まってんだろっ!このクソ眉毛っ!」
「カッチ〜〜〜ン!んだと、この迷子剣士っ!」
「俺は迷子じゃねーっ!」
「だったらナミさん達の所に行ってみろっ!自力でなっ!」
「ぐっ……………」
 怒鳴りつけるようなサンジの言葉に、ゾロは再度口を噤んだ。どうやらたどり着けない自覚はあるらしい。もう随分と歩き回ってきたのだろう。
 彼はいったいいつから指定された場所を目指して歩いていたのだろうか。そんな事を考えながらゾロには気づかれないように僅かに首を傾げたサンジの耳に、ググーッと言う音が聞こえてきた。
 その音に軽く目を見張る。そして、目の前に立つ男の瞳に視線を当てた。その視線を真正面から受け取ったゾロは、一度小さく舌を打ち、気まずそうに視線を反らした。そんなゾロの態度から、その音が間違いなく彼の腹から鳴った事が知れる。
 しばし、視線を反らし続けるゾロの顔を見つめた、そして、少し気が抜けたような声で問いかける。
「――――なに、お前。腹減ってんのか?」
 その問いに、ゾロはグッと強く口を引き結んだ。絶対に答えるものかと言うように。頷いたら負けだというように。
 だが、意地を通せないほど空腹だったらしい。もう一度盛大な腹の音が甲板の上に響き渡った。その音で日に焼けた肌を少し朱色に染めたゾロは、大変不本意そうに頷いた。
「――――まぁな」
「んだよ。そう言うことは早く言えよな」
 チッと舌打ちして、サンジはフラリと足を動かした。ラウンジへと、向かって。
「残った食材はほとんどルフィに食わせたからろくなもんが残ってないし、手早く作るからたいしたもんが出来ねーけど、文句言うなよ?」
「問題ねー」
 歩きながら告げるサンジの言葉に、ゾロはどうでも良さそうな声を発して頷いた。
 そんなゾロの態度に、サンジは気づかれないように薄く笑みを浮かべる。
 彼は腹に入れば何でも良いのだろうなと、思って。
 今まで色々な料理を作って食べさせてきた。他のクルー達が「美味い」というのは、食事時には当たり前の出来事になっている。自分が手を尽くして作っているのだからその評価は当然の事だと思いつつ、それでも本気で言われるその言葉に毎回素直に嬉しくなる。その言葉を聞くと、また美味いモノを食わせてやろうと、もっと美味いモノを食わせてやろうと思い、料理への探求心が増していく。その言葉は、自分の原動力と言っても良い物だろう。
 だが、その言葉を彼の口から聞いたことが一度もない。今まで、一度も。三度の食事の時も、おやつの時も。彼のためだけに作った見張り番の為の夜食を食べるときも。一度も。
 とはいえ、今まで出したモノを残されたことは一度たりともないから、まずいと思われては居ないだろうと思う。いや、彼の場合は不味くても栄養さえあればなんでも食べそうな気はするのだが。だが、嫌なモノを無理矢理飲み込んでいるという様子はなく、箸の進みはいつも迷いがないモノだったから、それは無いだろうと確信している。
 だからまぁ良い。多くは望まないようにしなければ、傷つくことも無い。
そう胸の内で呟きながら、ゆっくりとラウンジに向けて歩を進めていく。そんなサンジの隣に、ゾロも並んで歩を進めだした。
 短い距離を、言葉もなくただただ足を動かした。
 普段よりも距離が近く、寄ると触ると喧嘩をしている自分達の間に、静かな空気が流れている。その柔らかささえも感じる静かな空気に小さく笑みを零したサンジは、そこであることに気がついた。
 自分とゾロの二人の影法師が、自分達の背後に細長くのびていることに。
 その影を見ながら、ふと閃いた。そして、何気なさを装って軽く手を横に伸ばす。
 何をするでもなく、ただ横に。
 その手の動きにあわせて、ゾロとサンジの影が一部分だけ重なった。
 まるで、手を繋いでいるかのように。
 影だけを見たら仲が良さそうに、手を繋いでいるように。
「――――馬鹿くせぇ」
 自分が取った行動に内心でそう呟きながら、小さく笑みを零す。自分も焼きが回ったモノだと思いながら。こんな筋肉男相手に、こんな乙女な事をしでかすのだから。
「でもまぁ、良いさ」
 それだけのことで、十分に心が潤うから。
 例え影だとしても、喧嘩以外の理由で彼に触れていられるのだから。
 小さな幸せを噛みしめながら、サンジはラウンジに向かう階段に足をかけた。
 ゾロのためだけに作る料理へと、思いを馳せながら。






























砂を吐くほどに甘い……………
だけどサンジはノット乙女ですからー












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影法師