部活の帰り、辺りはすっかり暗くなっていた。
 それはそうだろう。体育館に残っていられる時間ギリギリ一杯まで居残っていたのだから。
 同じ時間まで残っていた流川はさっさと着替え、自転車で帰っていった。残された宮城と三井は並んで駅へと向かっていたのだが、途中で三井が腹が減ってもう動けないと騒ぎ出したため、たまたま視界に入ってきたラーメン屋に飛び込むことになった。
 そこで思う存分ラーメンを食べ、サイドメニューの餃子をつつきながら今日の練習の反省会をした二人が店を出たときには、時計の針が10時を余裕で回っていた。
 か弱い女子高生なら慌てて家に連絡をする時間帯かも知れないが、二人とも男だ。その上、三井は長身の部類に入る上にあからさまに柄が悪い。わざわざ襲いかかって来るような輩はそうそういないだろう。だから、宮城は時間が遅いことを少しも気にしていなかったのだが、三井はそうでは無いらしい。
 どうやらちょっと前までの素行の悪さから親に信用されていないらしく、帰宅時間が遅くなると色々五月蠅く言われるらしい。少しでも早く帰ろうと、妙な抜け道を使い出した。そんな三井の後を、宮城は文句も言わずについて歩いた。文句を言ったところでこちらの言い分を聞きれてくれる様な人間ではないことは、嫌と言うほど良く分かっていたので。
 先導される道を歩きながら、辺りに視線を飛ばした。そこは今まで一度も歩いた事のない裏道だったため、色々と興味深くて。
 一度通っただけでは覚えられなさそうな道を、三井は迷い無い足取りですいすいと進んでいく。もしかしたら、不良時代に使っていた抜け道なのかも知れない。だとしたら、コレはからかえるネタだろう。
 そう思い、ニヤニヤと口元を歪めながら三井に声をかけようとした宮城は、通りがかった工事現場の囲いに落書きがされているのを目にして、開きかけた口を閉ざした。そして、ゆっくりと足を止め、所狭しと書かれた落書きに視線を走らせた。
 漢字を組み合わせたアホみたいな単語や、誰かの名の後に書かれた見参やら惨状やらと言った文字に、自然と嘲笑が浮かび上がる。
「――――だせぇなぁ……」
「なんだ?」
 宮城の呟きが聞こえたのか。はたまた付いてこない宮城の存在に気付いたのか。少し先まで歩いていた三井が、問いかけながら宮城の元へと戻ってくる。
 その三井に、宮城は壁を指さしながら答えを返した。
「イヤ、スゲー落書きだと思って」
「あぁ」
 コレかと呟きながら、三井は宮城の隣に並んで壁を見つめる。
 そんな三井の顔を、見上げた。その胸の内を推し量ってみようと思って。だが、彼の瞳には、読み取れるほどの感情が浮かび上がってはいなかった。懐かしむような物も、恥ずかしがるような物も。
 軽く唇を突き出した。少々、期待はずれだったので。道を踏み外していた時代のことを悔やんでいる三井のことだ。この手の落書きを見たら、なにかしらの反応を見せると思ったのだが。
 いや、もしかしたら必死に押し隠しているのかも知れない。感情がすぐに表に出そうな男だが、案外ポーカーフェイスな所もあるので。ならばそのポーカーフェイスを崩してやろうと、宮城はもう少し押してみることにした。
「なに? 三井サンが書いたの?」
「ちげーよ」
 馬鹿にすんなと言いたげな瞳に、軽く肩をすくめて返す。別にそんなつもりは無かったんだがと、その仕草だけで告げる為に。
 三井のことだ。落書きの一つでもしていたら、怒鳴りながらそんなことするかと騒ぎ出すはずだ。だが、たいしたリアクションを示さない。示さないように努力している様子もない。と言うことは、落書きの類はしていなかったと言うことだろう。
 せっかく三井をからかうネタを手に入れたと思ったのに、空振りとは。大変残念だ。そう思いながら視線を流し、歩き出そうとした宮城は、その視界の端にスプレー缶が転がっているのを目にして足を止めた。
 ゆっくりと近づき手に取ってみると、それはかなり軽かった。どうやら使い切った後に捨てて帰ったらしい。
 自分で出したゴミくらい自分で片付けろよな、と内心で呟いた宮城だったが、そんな気遣いを見せられるなら不良なんぞやってないだろうし、こんな所に落書きをすることも無いかと思い直す。そして、手に持っていたスプレー缶を元の位置に戻した。
 真面目な奴にその姿を見られていたら、手にとったのだから捨てろと怒られるかも知れないが、どこの誰が放置したのか分からないゴミを、自分が捨ててやらねばならない義理はない。通っている高校がある地域ではあるが、自分の家が所属している町内会の中にある訳でもないのだから。
 そんな宮城の行動の一部始終を見ていた三井だったが、特にとがめてくることもせず、さっさときびすを返して止めていた足を動かし出した。それに慌てて歩み寄り、傍らに並ぶ。そして、見慣れた男の横顔を見上げた。
 その顔にはなんの感情の色も見えない。流川ほどではないが、整った顔立ちをしているため、無表情で居られると冷たい感じがする。そんな三井の顔は、あまり好きではない。彼はガキ臭く騒いでいる方が、彼らしいと思うから。
 そう思った途端、無性に目の前にある無表情を崩したくなった。その気持ちに素直に従う為、口を開く。
「なぁ、三井サン」
「なんだ?」
「どうしてこういう人達って、こんな風に変に漢字を組み合わせるわけ?」
 からかうために発した言葉ではあったが、以前から気になっていた事でもある。
 見る度に不思議に思っていたのだ。何故この手の人達は、センスのない漢字の使い方をするのだろうかと。
 そんな宮城問いに、問われた三井は不思議そうに首を傾げてきた。
「そんなこと俺が知ってるわけねーだろ。書いた奴に聞けよ」
「だから、三井サンに聞いてるでしょうが」
「はぁ?」
「三井サンも書いたんでしょ、こういうの。昔は」
 言いながら壁を指させば、三井はキョトンと目を丸めてきた。その表情は思いがけない程あどけない物で、宮城はちょっとだけ心臓を跳ね上げた。
 なんで心臓が跳ね上がったのかは、自分でも良く分からなかったが。
 思いがけない自分の反応に動揺している宮城の目の前で、三井の表情がみるみるうちに変化していった。
 見慣れた、怒りの形相へと。
「宮城ッ! てめぇ、人を馬鹿にすんのもいい加減にしろよっ!」
「別に馬鹿になんてしてねぇよ。不良な人はこういう物を書くモンだと………」
「書くか、馬鹿っ!」
「痛っ!」
 頭の上に思い切り良く拳骨を叩き込まれた。とはいえ、赤木の拳骨よりも痛くない。それを口にしたら怒りに油を注ぐことになりかねないから、口にはしないけれど。
「ったぁ〜〜………乱暴っすね、三井サン………」
「うるせぇっ。てめぇがくだらねぇ事言うからだっ!」
 眉間に深い皺を刻んだ三井は、怒りも露わにズカズカとその場から歩み去ってしまった。これ以上不愉快な思いはしたくないと、言いたげに。
 そんな三井の行動に苦笑を浮かべながら、小走りに駆け寄る。
「んなに怒んないで下さいよ。疑ったことは、謝りますから」
「うるせぇっ。近寄んなっ! あんなくだらねぇ事を言う奴とは付き合ってられねぇんだよっ!」
「――――大人げないッすよ、三井サン」
「まだ言うか、この野郎っ!」
 拳を振るう三井の攻撃から軽く身をかわしながら、宮城は少し甘えるような口調で語りかける。
「すいませんって。許して下さいよ。明日の帰りに、ラーメン奢りますから」
「んなもんにつられるかよ」
「ギョウザもつけますよ」
「いらねぇ」
「三井サ〜〜〜ン」
 猫撫で声を出したら、頭を軽く叩かれた。そして、毎日セットに時間をかけている髪の毛に指を突っ込まれ、これでもかと言うくらいに掻き混ぜられる。
「ちょっ………三井サンっ! 止めてくださいよっ!」
「うるせぇっ!」
 嫌がる宮城の抵抗を交わし、思う存分宮城の髪の毛をかき乱して満足したらしい。三井は先程の怒りをすっかり解消したような顔で微笑み返してきた。
「さて。さっさと帰るか」
 その切り替えの速さに呆れつつも、下手に藪を突かないように宮城は素直に頷き返した。
 止めていた足を、ゆっくりと進ませる。
 特に会話もなく。だけど、気詰まりだと思うこともなく。
 と、少し前を歩いていた三井が唐突に名前を呼んできた。
「宮城〜〜」
「なんすか?」
「明日はマジに奢れよな?」
「――――ハイハイ」
 ニコリと微笑みながら言われたら、逆らえるはずがない。
 すぐに怒るしすぐに手や足が出る人だけど、一緒にいて苦痛はない。
 むしろ、楽しいくらいだ。
 初めて合ったときには、こんな関係になるとは、思えなかったけれど。
「三井サン」
「あん?」
「明日も、居残りしましょうね」
「おう」
 軽い返事に頬が緩む。
 もの凄く近い未来だけど、先の約束が貰えることが、嬉しくて。












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〈20090216UP〉






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