「合わせ鏡の奥に、自分の死に顔が見える。」
 深夜。いつものように酒を酌み交わしていたら、ビクトールがいきなりそんなことを呟いた。何事かと彼の顔を見やれば、彼は酒に濁った目でボンヤリと天井を見つめていた。
「・・・・・・・何を言い出すんだ、いきなり。」
 訳が分からないと一言で切り捨てたフリックは、酒を飲むことに集中する。
 そんなフリックの態度を少しも気にせず、ビクトールはボンヤリとしたまま言葉を漏らし続けた。
「小さい頃誰かに教わらなかったか?だから、鏡の奥を見ちゃ駄目だよ・・・・・・・って。」
「いいや。そんな迷信聞いたことも無いな。」
 そもそも、そんな話を自分に言って聞かせるような大人もいなかったが。
 全く興味の沸かない話題に耳を傾ける気にもならず、フリックは黙々と酒を傾け続けた。
 そんなフリックの返答に、ビクトールは眉間に皺を寄せたかと思うと腕を組み、真面目な顔で首を捻りだした。
「う〜〜〜〜ん。じゃあこれは、こっちの地方での迷信なのか・・・・・・?」
「さぁな。気になるなら明日の朝にでも他の奴らに聞いてみりゃいいだろ。」
「・・・・・・・・・・そうだな。そうしよう。」
「ああ、そうしろそうしろ。」
 この話を朝起きたときに覚えていたらな、と胸の中で付け加えたフリックは、口元に小さく笑みを刻みながらグラスに口を付けた。
 ビクトールはかなり酔っぱらっているようだ。そう短くない付き合いで彼の酒の限界を知り、どういう状態になったら翌日に記憶を無くしているのか把握しているフリックは、今日は自分がどれだけ飲んでもビクトールのせいに出来るだろうと胸の内で呟き、ほくそ笑む。
 自然とペースが速くなるフリックの様子にめざとく気付いたビクトールが、己が手にしていた瓶の口をフリックに突きつけるようにしながら叫びだした。
「おっ!やる気じゃねーかっ!よーーーーしっ、どんどん飲めぇーーーーーっ!今日は俺のおごりだぞーーーーーっ!」
「そうか。そりゃあ、ありがとうよ。」
 上機嫌なビクトールの様子にフリックの顔も自然と緩んでくる。
 騒がしいのにどこか穏やかな、身体に馴染んだ空気が心地良くて。
 そんな風に感じる自分の心に少し驚いたが、そう感じる己の心は不快ではない。
「自分の死に顔ねぇ・・・・・・・・・・・」
 そんな物を見られたからと言って、何があるというのだろうか。
 鏡の中に移る自分の死に顔が苦痛に歪んでいたら痛みを伴う行為を避け、悲しみに暮れた顔をしていたら幸せになれるよう努力しようと言うのだろうか。
 幸せそうに微笑んでいたら、自分の人生に悔いの残る物は無いのだと思い、安心するのだろうか。
「下らないな。」
 そんな迷信に踊らされるのは。
 自分の生き方に自信を持てないからそんな物に縋るのだ。苦しんでいようが悲しんでいようが笑っていようが。それが自分の選んだ道なのだから良いではないかと、フリックは思う。
「ま。どんな時でも俺は笑って死ぬけどな。」
 敵に敗れて死ぬのなら、己の力の無さを笑って。
 病気で死ぬのなら、そんな物に負ける己の体力の無さを笑って。
 老衰で死ぬのなら、干からびるまで生き続けた自分の命汚さを笑って。
 そう、決めている。
「自分の死に顔くらい、自分で決めるさ。」
 死に場所も、タイミングも。
 チラリと目の前の男を見やれば、彼は上機嫌で酒を飲み続けていた。
 そんな彼の顔を見ながら小さく笑う。
「そんな物見なくても、分かるぜ?」
 彼の死に顔も、笑みの形が象られている事が。
  








































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