最近、傭兵砦で流行っている事があった。
 肝試しだ。
 と言っても、夏の風物詩になっている、日が落ちてから墓場やら何やらといった妖しげで不気味な場所を探索するような「肝試し」とはちょっと違う。朝晩関係なく執務室、または隊長副隊長の私室の鍵穴を覗き込む、と言うのが傭兵砦の「肝試し」だ。
 覗くのは、必ず室内に人が居るとき。気配を殺して中に居る人間の動きを観察する。ばれたら隊長はともかく、副隊長がどんな仕置きをしてくるか分かったものではないが、そのスリルがたまらない。その上、運が良ければ普段は見られない副隊長の色々な表情を、姿を見ることが出来るのだ。止めようとするモノは現れず、やろうとするモノは日々増えていった。
 鍵穴を覗くことで見られるモノは、隊長と二人きりで談笑しているときの、自分達に見せるのとはまた違った笑顔。机に向かっているときの無表情にも見える隙の無い真剣な顔。着替え途中の剥き出しの白い肌。
 特に一番最後はかなり重要だ。ソレを見られる可能性に賭け、男達は日々「肝試し」に精を出していた。

 ちなみに、隊長だけをターゲットにして隊長の私室を覗き込むような物好きは、一人しか居ない。

 そんなわけで、そんな些細な眼福を求めて男達は日々気配を殺し、鍵穴を覗き込んでいる。未だに一度も怒られていないのを、良いことに。
 ばれていないのは、自分達の気配の殺し方が上手いからだと、そう思って。

 ソンなこと、あるわけが無いのだが。







 執務室で執務机に軽く腰をかけた状態で、横に並んで同じように机に寄りかかっているフリックと軽い打ち合わせをしていたビクトールは、チラリと視線を扉の方へと向けた。そして、目の前で手にしていた書類をパラパラと捲っているフリックへと小さく問いかける。
「――――おい、いつまでアレを放置しておく気だ?」
 微妙に嫌そうな気配をにじませたその声に、フリックは書類に落としていた視線をチラリと上げてきた。
「いつまで放置しておいて欲しい?」
「俺的には、今すぐにでも止めさせてーんだがな」
 ニヤリと唇を引き上げ、意地の悪そうな表情を浮かべながら問いかけられた言葉は全く予想して居なかったものだ。具体的な日数やら条件やらを告げられると思っていたので。
 なので、驚きの意味も込めて片眉を引き上げながら言葉を返すと、今度はフリックが片眉を引き上げてきた。
「へぇ? なんでだ?」
 意地悪そうに笑むフリックの表情は、これ以上ないくらい憎たらしい感じがする。だが、表情ほどに意地悪い事を考えている訳ではないことを察していたので、ビクトールは不愉快そうに顔を歪める事をせず、ニッと口端を引き上げて笑い返した。
「どこで誰に見られてるのかわかんねー状態じゃ、てめーにキス出来ねーだろ?」
 冗談めかして返した言葉に、フリックはクツクツと喉を鳴らしながら笑い声を零してくる。
「なんだ、お前。俺とのキスシーンを人に見られたく無いのか?」
「ちげーよ。キスしてる時のてめーの色っぽい顔を他の奴らに見せたくねーだけだ」
 フリックの整った面に己の顔を寄せながら、そっと囁く。その囁きに、フリックはクツクツと肩を揺らした。楽しげに。
「なんだ、お前。キスしてるときに目を開けて人の顔みてるのか?」
「たまにな」
「それはマナー違反だろうが」
「目を離したく無くなるくらいてめーの顔が綺麗なのが悪いんだろうが」
「散々見て見飽きてるだろうが」
「飽きねーな。美人は三日で飽きるってーのは、ありゃぁ嘘だぜ」
「嘘?」
「あぁ。飽きるどころか、日に日に目が離せなくなるからな」
「――――顔に似合わない事を言うなよ」
 いつもだったら嫌な顔をするか馬鹿にするように鼻で笑うかされる歯の浮くような台詞に、フリックは楽しげに笑みを零してきた。そして、手にしていた書類を机の上に投げ置き、手ぶらになった長い腕をゆっくりと持ち上げ、ビクトールの首に回してくる。
「その似合わない台詞で笑わせて貰った礼に、あのアホ共を片付けてやるか」
 ニッと口端を引き上げ、ジッタリと笑むその表情は、心の底から今の状況を楽しんでいた。
 そんな表情を浮かべているフリックは何を考えているのか分からないところがあるので怖いモノがあるのだが、惚れた相手が楽しそうにしている様は見ていて楽しいモノがある。だから、ビクトールも口端を引き上げて笑みを刻む。
「おう。頼むぜ、副隊長」
「任せておけ」
 クツクツと笑みを零したフリックは、笑みの色が滲む声で一人の男の名を呼んだ。
「ヨール」
「――――はいはい。…………あまり酷い事をしないで下さいよ?」
「保証は出来ないな」
「――――まぁ、自業自得ですからね」
 あっさりと言葉を返すフリックに、傭兵砦の文官であるヨールはため息の様な声を零しながらゆっくりと席を立ち、ゆっくりと静かに、ドアの方へと歩み寄っていく。鍵穴から見えない位置を選んで。
 ヨールがドアの傍らに立ち、ドアノブに手をかけた。それを確認してジッタリと笑んだフリックが、改めてビクトールへと視線を向けてくる。
 首に回された腕に力がこもる。その力に逆らうことなく、ビクトールはゆっくりと上半身を倒していった。
 自然と二人の顔が接近し、唇の距離が近くなる。
 その唇がもう少しで触れあいそうになったとき、ビクトールの首に回されていたフリックの右手がヒラリと、動いた。
 それを合図にするように、ヨールがノブを捻ってドアを大きく開け放つ。
「うわっ!!!」
「どわっ!!!」
「わわわわっ!!」
「いってーーーーっ!」
 ドアが開け放たれた途端に、十数人の傭兵達が部屋の中に転がり込んできた。
 ドアにへばり付いていて中の様子を窺っていたのだろう。こんなに大量の人数でドアの前に張り付いたところで、中を見られるのは一人だけだろうに。
「――――なにやってんだ、お前等」
 心の底からあきれかえって言葉を漏らすと、床にへばり付き、仲間の身体に押し潰されながらも、傭兵達はヘラリと力無い笑みを返してきた。何かを誤魔化すように。
「いやぁ…………それは、その、なんて言うか……………」
「あの…………えっと、まぁ…………なぁ?」
 何をどう言っても誤魔化し切れない状況に、傭兵達はただただ言葉を漏らしていた。
 そんな部下達の姿を笑顔で見つめていたフリックは、ビクトールの首に回していた腕をスルリと放し、傭兵達の方へと身体を向け直した、そして、声を出す。
「まぁ、なんにしろ――――」
 そこで一旦言葉を止めたフリックは、引きつりながらも青い双眸を見つめてくる傭兵達に、ニッコリと、もの凄く機嫌良さそうに笑いかけた。
「ふざけた真似をした奴らには、制裁を与えておかないとな」
 浮かべている笑顔にそぐわない、聞いただけで震え上がる程殺気の混じった声でフリックがそう告げた途端、辺りに目映い光が迸った。
 そして、数多の悲鳴が砦内に響き渡る。
「ぎゃーーーーーっ!」
「うがっ!」
「ぐはーーーーーっ!」
「うぎゃーーーっ!」
 上がった悲鳴に被さるように、慌てて立ち上がり、逃げの体勢を取った傭兵達がバタバタと床の上に倒れ込んでいった。狭い室内で目標物が多数あったからか、普段は壊れない室内に置かれた数少ない丁度品も景気よく割れていく。
 悲鳴とモノが壊れる音が治まり、室内がシンと静まり返った。
 その静かな部屋の中に木と肉が焦げる嫌な匂いが充満し、床の上に転がったモノから白い煙が立ち上がる。
「――――お前、やりすぎだろ、そりゃぁ」
 目の前で起こった出来事に呆然と呟けば、フリックはそこまでやって当たり前だと言わんばかりの口調でサラリと返してきた。
「そうか? これくらいやらないと、馬鹿共は学習しないと思うんだが」
「まぁ、そりゃあ、一理あるかも知れねぇが………」
「とにかく。コレで馬鹿な真似はしなくなるだろ。あぁ、壊れたモノと焦げた床の修理代はこいつ等の給料からさっ引くから。後でそう伝えて置けよ」
「――――分かったよ」
 それくらい自分で言えよ、と思ったが、反抗したら痛い目を見そうなので素直に頷いておく。
 そんなビクトールの言葉に満足そうに笑みを浮かべて返してきたフリックは、話はコレで終わりだと言わんばかりに紋章を発動させたばかりの右手をフラリと振り、迷い無い足取りで彼のモノと化している座り慣れたであろうイスの元へと向かい腰を下ろし、何事もなかったように仕事を始める。
 もう彼の瞳には床に転がっている部下達の姿が見えていないのだろう。ペンを動かす手に淀みはなく、様子を窺うために視線を上げることすらしない。
 そんな薄情とも言えるフリックの姿を暫し眺め見て、ビクトールは小さく息を吐き出した。
「まぁ、気持ちは分からないでも無いけどな」
 あの見た目に強く引かれてしまう気持ちは、分からないではない。その見た目に主焦がれ、中身にまで気持ちが行かなくなる気持ちも。
 だが、外見だけを見てフリックの事を「好き」だと言って欲しくないモノだと、胸の内で呟いた。
 彼の魅力は外見にもあるが、内面にもあるのだ。複雑怪奇で理解仕切れないモノがある内面に。その内面は、あんな小さな穴から覗き込む程度で推し量れるモノではない。傍らに居ても分からないのだから。
 そんな自分の考えに口端をゆるく引き上げたビクトールは、大股でフリックの傍らまで歩み寄った。そして、呼び慣れた名を口にする。
「フリック」
「なんだ…………っ!」
 なんの警戒心もなく上げられた顔に触れるだけの口づけを落とし、驚いたように目を丸めるフリックにニヤリと笑いかけた。
 そして、素早く身を翻して右手を振って見せる。
「んじゃぁ、俺はこいつ等を部屋に投げ込んでくるわ!」
 無駄に明るい口調でそう告げ、雷が落ちる前に手近な場所に転がっていた傭兵の身体を担ぎ上げて執務室から飛び出した。
 開け放たれたままだったドアを閉め、チラリとそのドアを眺め見たビクトールは、そのドアにある鍵穴を指先でそっと撫でる。
 この穴から眺め見た自分達の姿は、どんな風に見えるのだろうかと、なんとなく、思いながら。






















たまには報われ系??






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鍵穴