「あ。」
 なんの前触れもなく上がった声に視線を向けると、隣を歩いていたはずの相棒が立ち止まり、ジッと地面と見つめていた。
「どうした?」
「いや、別に大した事では無いんだが・・・・・・・・・・・」
 苦笑混じりにそう返してくるフリックが見つめる先に視線を向けると、そこには蝉が一匹、転がっていた。
「蝉?・・・・・・・・死んでんのか?これ。」
 思わず手にとって見たが、蝉はピクリとも動かない。間違いなく死んでいるのだろう。その事を確認するようなビクトールの呟きに、フリックが小さく頷き返してきた。
「そうだろうな。生きてりゃ、こんなところにヒックリ返って無いだろうし。」
「確かにそうだ。で、これがどうしたんだ?」
 手にしたモノを指先でつまんでフリックの眼前に差出しながら問いかける。
 そのビクトールの仕草に苦笑を浮かべたフリックは、蝉の死骸を己の手の平に乗せるように示してくる。その指示に素直に従い、脆そうな昆虫の亡骸をそっとフリックの手の平に乗せてやる。
「別にどうもしないんだが・・・・・・・・」
 乗せられたモノを眺めながらそう呟いたフリックは、小さく口元に笑みを浮かべてきた。
「そろそろ、夏が終わるのかなと、思ってさ。」
「あん?」
 言われた言葉の意味は分かったが、フリックが足を止めた理由とその事がどう繋がるのかは、分からなかった。
 訝しむような声を出す程度の反応に留めたのだが、ビクトールの胸の内の言葉を察したのだろう。フリックは、どこか照れくさそうにこう返してきた。
「蝉が死に始めたって事は、そう言う事だろう?で、夏が終わったらまた冬が来るんだなと、思ってさ。そう思ったら、ちょっとウンザリした。それだけだ。」
 未だに手の平に乗せたままの蝉の死骸を見つめながらそう答えたフリックの言葉は、まったく予想していなかっただけに、少し驚いた。
 しかし、何となく納得出来るモノがあったのも確かな事だ。
 だからビクトールは、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて見せた。
「そうだよなぁ。お前、メチャメチャ寒がりだもんなぁ・・・・・・」
「・・・・・・・・悪かったな。こっちの気候が肌に合わないんだよ。」
 からかうように言葉をかければ、途端に不機嫌を表すように顔を歪められた。
 そのどこか幼さの残る表情に、ビクトールの胸が沸き立つ。
「別に悪かねーよ。その分、冬には楽しみが出来るんだしな。」
「楽しみ?」
「ああ。添い寝しても怒られねぇだろ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・馬鹿熊が。」
 心底イヤそうに顔を歪めたフリックだったが、事実だけに反論する事が出来ないらしい。小さく舌打ちを返すだけで、それ以上何も言ってこない。
 その反応に、ビクトールはほんの少しだけ気分が良くなった。
 フリックはウンザリしたと言っていたが、ビクトールの心はウキウキしてくる。
 まるで、蝉の死骸が幸福のアイテムのように思える程に。
「なぁ、知ってるか?」
 押しとどめる事が出来ない程浮き立つ声で問いかけると、相棒は手の平に乗せている蝉の死骸から視線を上げ、問うようにビクトールの瞳を見つめ返してくる。
 その引き込まれるような青い瞳に目も心も奪われながら、ビクトールはこう語りかける。
「蝉って、何年の土の中で生活して、地上に出てくるのは夏のほんのちょっとの間だけなんだぜ?」
「それくらいしってるぞ。それがなんだって言うんだ?」
 馬鹿にするなと言いたげに眉を顰めて問い返してくるフリックに、ビクトールはその瞳に悪戯小僧の様な輝きを浮かべて見せた。
「なんかさ、すげーよな。」
「何が?」
「その我慢強さがさ。」
「我慢強さ?」
「そうさ。何年も外に出られる身体になるまで暗い土の中で耐えてるんだぜ?俺にはマネ出来ねーよ。死んでも良いから、外に出たいと思うだろうからな。」
 ニッと笑ってそう言えば、フリックは呆れたような瞳で見つめ返してきた。
 そして、クスリと笑みを漏らす。
「お前らしいな。」
「そうか?」
「ああ。」
 コクリと頷いたフリックは、再度手の中の蝉に死骸へと、視線を向けた。そして、その死骸を乗せた右手の紋章を発動させ始める。
 僅かな光を放った紋章は、その手の上に乗っているものへと極々小さな雷を落とし、その力を受けた蝉の死骸がチリと化した。
 そのチリが風に乗って空に上っていくのを見つめながら、フリックが小さく呟いた。
「俺は、嫌いじゃないけどな。」
「何が?」
「蝉の生き方が。」
 その言葉はちょっと意外で、ビクトールは僅かに首を傾げて問いかけた。
「なんでだ?」
「潔いだろ。」
 クスリと、小さく笑いながらそう返された。
 確かに、そう言われてみれば潔い生き方かも知れない。彼等が生を受けている時間の長さから考えると、一瞬とも言うべき短さでしか無い夏を過ごして死んでいく姿は。
 フリックの意見には頷いても良いが、彼の言葉にはちょっとイヤな予感を感じた。
「・・・・・・・まさかお前。そんな生き方がしたいとか、言わないだろうな?」
 眉間に皺を寄せながらそう問いかけると、フリックは驚いたように軽く目を見張り、二三度瞬きを繰り返した。
 そして、フッと、その端整な顔に苦笑を浮かべてみせる。
「まさか。そんな風に見えるか?」
「いや、見えないが・・・・・・・・・・」
「俺は、生きられるところまで生き続けようと思っているんだが?」
「そうか?なら、良いんだが・・・・・・・・・・・」
 何となく納得出来ない所もあって言葉を濁すと、フリックはニヤリと唇の端を引き上げながらビクトールの顔を覗き込んできた。
「なんだ?何か言いたそうだな。」
「・・・・・・・・・別に何もねーよ。」
「本当か?」
「しつこいな。なんもねーって言ったら、ねーんだよ。」
 追求を逃れるようにフリックの身体を押しやりながら言い返せば、フリックはクスクスと楽しげな笑みを浮かべてきた。
「ま、そう言う事にして置いてやるよ。」
 そう返してきたフリックは、話は終わりとばかりにビクトールから離れ、さっさと歩を進めていく。その後ろ姿を見つめながら軽く息を吐き出したビクトールも、ゆっくりと足を動かした。
 人気のない、木々に囲まれた道の回りには蝉の鳴き声で充満している。
 その声を聞くだけで体感温度が上がってきそうな位だ。
 とは言え、最近では朝晩の気温も下がり始めている。そろそろ夏が終わるという事を示すように。
 夏が終わると、彼等の一生も終わるのだろう。いや、彼等の一生が終わるから、夏が終わるのかも知れない。そんな事を、ボンヤリと考えた。
 ふと気付くと、フリックとの間に僅かな距離が出来ていた。置いて行かれる事は無いと思うが、一応ホンノ少しだけ歩を早めて、フリックの隣に並ぶ。
 チラリと窺った端整な横顔には、大した感情が表れてはいない。解放軍時代だったら、ホンノ少し距離を詰めただけで射殺さん勢いで睨み付けられていたのだが、今では隣を歩く事が当たり前だと言うようになんの反応も示してこない。
 それが、かなり嬉しい。
 その気持ちを伝えたくて相棒の頭に手を乗せ、軽く叩く。なんだと視線で問いかけてくるフリックに視線でなんでもないと返し、抜けるような青い空に視線を向けた。
「・・・・・・・・もうすぐ、夏も終わりだな。」
「そうだな。」
「来年の今頃は、どうなってるんだろうなぁ・・・・・・・・・」
 まだ見ぬ未来へと気持ちを飛ばす。
 また変な戦いに巻き込まれているのだろうか。
 まだ、隣にこの相棒がいてくれるのだろうか。そんな思いを、胸に抱く。
 そのビクトールの胸の内を読んだ様に、フリックが言葉を返してきた。
「さぁな。同じようにように蝉の死骸でも見てるんじゃ無いのか?」
 なんの気負いもなくサラリと言われた言葉に、ハッと目を見張る。
 それは、この先も自分と友に歩んでいくと、そう言っているのだろうか。
「・・・・・・・・フリック・・・・・・・・・・・」
「おい。ボサボサしてないで、さっさと歩けよ。日が暮れるまでに次の村まで行くんだろう?」
 思わず足の止まったビクトールにフリックがそう声をかけてくる。
「・・・・・・・・ああ。分かってるよ。」
 薄く微笑み、頷きを返す。
 どれだけ季節が移り変わろうと、隣にはこいつが居て欲しいなと、そう思いながら。
















旅の途中の一幕。









                      ブラウザのバックでお戻り下さい。









蝉の死骸