一緒に



 時間が空いたために立ち寄った図書室で、この場にあり得ないモノを見つけたパーシヴァルは、思わずビクリと身体を震わせた。
「・・・・・・・・・・ボルス・・・・・・・・・・・・・」
 そのあり得ない物体の名を意識しないうちに口から零す。だが、ボルスにはその声が聞えなかったらしい。振り向くことも言葉を返すこともなかった。彼は一心に机上にあるモノに視線を向けている。
 ゴクリと、生唾を飲み込む。そして、ゆっくりと足音を殺して彼の背後に近づいて行った。もしやコレはボルスに似た別人なのではないだろうか。そんなことを考えながら彼の手元を覗き込んだパーシヴァルは、自分の視界に飛び込んできたモノが信じられなくてギョッと目を見開いた。
 児童文学すら読まないボルスが、批評家達の間でも難解だと大評判な純文学の本を開いていたから。
 いったい何があったのだろうか。やはりコレはボルスではなく、良く似た他人なのだろうか。いや、そうに違いない。ボルスにこんな本を読めるわけも無ければ、読もうとも思わないだろうから。
 そう確信して小さく頷いたパーシヴァルだったが、そこでふと気が付いた。男の手元が、先程から一切動いていないことに。
 フッと息を吐く。緊張で強ばっていた全身から力を抜いた。そして、気を取り直すように深く深呼吸してから、ボルスの肩にそっと手を乗せる。
「・・・・・・・・・・・・・ボルス・・・・・・・・・・・・・・」
 軽く彼の肩を叩きながら名を呼んだ。しかし、彼はピクリとも反応を示さない。
 今度は少し強めに呼びかけ、彼の肩を軽く揺すった。
「おいっ!ボルスっ!」
「・・・・・・・・・・うっ・・・・・・・・・・・・」
 さすがにその刺激は感じたらしい。ボルスは、小さく呻き声を上げた。そして、紙面に落としていた顔をノロノロと上げる。
 そんなボルスに、パーシヴァルはニッコリと笑いかけた。
「おはよう、ボルス。良い夢を見られたか?」
 その言葉にボンヤリとしていた瞳がパーシヴァルの顔へと向けられる。そして、瞳と同じくらいボンヤリした声がその口から漏れた。
「パーシヴァル・・・・・・・・・・」
 その自分の声で覚醒したらしい。ボルスはハッと大きく目を見張った。そして、慌てたように椅子から立ち上がる。
「パッ・・・・・パーシヴァルっ!なんでここにっ!」
「俺が此処に居る事よりも、お前が此処に居る事の方が不思議だと思うぞ。・・・・・・・・いったい何がしたかったんだ?お前は。」
「いや、あー・・・・・その・・・・・・・・・・・」
 答えにくそうに言葉を濁したボルスは、殆ど読み進んでいないページを誤魔化すように無意味にページをめくってる。
 そんなボルスの姿を目にして、再度溜息を吐いた。
「本を読み慣れていないんだから、そんな難しい本を手にしないで、もっと簡単なモノから読め。文章を理解出来ないから眠くなるんだ。」
「別に、眠くなってなってないぞっ!」
「さっきまで熟睡していた奴が、良く言うな。」
「うっ・・・・・・・・・・・・・」
 鋭い突っ込みに言葉を無くしたボルスに意地の悪い笑みを浮かべたパーシヴァルは、自分の身体で本を隠すようにしていたボルスの身体を押しのけ、分厚い本を手に取った。
 そして、パラパラとページをめくる。
「とにかく。これはお前が読むようなものじゃない。面白くなかっただろう?」
「それは・・・・・・・・・まぁ・・・・・・・・・・・・」
「貴重な時間をつまらないモノに費やすのは無駄なことだぞ。仕事に必要だというなら仕方が無いが、そうではないんだからな。」
 言いながら、手にした本を元の位置に戻す。一度読んだ本なのでどこにあったモノかは分かっているので。そして、別の棚に回って背表紙を見つめ、しばし考えこむ。
 パーシヴァルの後を付いて歩いてきていたボルスは、そんなパーシヴァルの行動に不思議そうに瞬きながらも、次の言葉を待っていた。そんな彼に、口元に薄く笑みを浮かべながら語りかける。
「まぁ、本を読もうとしたのは良いことだけどな。軽い読み物からでも様々なことが学べる。本は厚さがあれば良いというモノではないんだからな。」
 今まで本を読もうともしなかったボルスを軽く褒めた後、彼に一冊の本を手渡した。
 先程ボルスが読んでいたホントは比べモノにならないくらい薄い本を。
 表紙の絵柄も可愛らしく、大人の読み物ではないと一見して分かるモノだ。その装丁に、ボルスはムッと顔を顰めてみせる、
「・・・・・・・・・・・おい。」
「確かに、コレは児童書だが、なかなか面白いぞ?俺も此処に来てから読んだんだがな。その世界には一気に引き込まれた。」
「・・・・・・・・・お前も?」
「ああ。」
 パーシヴァルも大人になってから読んだという言葉で馬鹿にされたわけではないと気付いたらしい。眉間に寄った皺をフッと解いたボルスは、改めて一度表紙に目を落としている。
 そんなボルスに、パーシヴァルは言葉を続けた。
「ページが短くて一冊で完結しているが、全二十巻ある。面白いと思ったら読み進めていけばいいし、面白くなければそこで止めればいい。験しに一度読んでみろ。」
 パーシヴァルの言葉を素直に聞いていたボルスは、しばし黙り込んだ。どうしようかと悩んでいるのだろう。そして、おもむろに頷いた。力強く。
「分かった。これを読もう。」
「そうか。」
 どうやら、その気になってくれたらしい。パーシヴァルはフッと息を吐いた。そして、胸の内で呟く。
「コレで少しは活字を好きになって、兵法の本を読めるくらいになって貰いたいモノだ」
 と。
 強い後ろ盾があるとは言え、勘と根性だけではそうそう世の中渡っていけないだろうから、ボルスにはもう少し所かもっと知識を増やして貰わねばならないのだ。本人は全然そうは思っていないようだが。
「いったいどんな育ち方をしたモノやら・・・・・・・・・・」
 良い所の出なのだから、上流階級の人間の腹黒さを自分よりも分かっていても良さそうなものなのだが。
 そんな事を考えながら借りる約束をしていた本をアイクから受け取ったパーシヴァルは、意気揚々と椅子に腰掛け、パーシヴァルが選んだ本を広げて目を落としているボルスの肩を軽く叩いた。
「なんだ?」
「部屋で読もう。一緒に。」
 その言葉に、ボルスの顔がパッと輝いた。その本を読むに相応しい子供っぽい笑顔を見せるボルスに苦笑を浮かべながら、パーシヴァルは彼の行動を促すようにその背を押した。
 尻尾があったら盛大に振っているだろうボルスは、気付いていないだろう。
 公衆の面前で児童書を読んだ上に居眠りをされたくないから、声をかけられた事に。
「・・・・・・・まぁ、知らない方が幸せだって事もあるしな。」
 胸の内でそっと囁きながら、ボルスに笑いかける。
 そんな彼に救われている自分を、自覚しながら。



























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