「ままよっ!」
ドアが開いた瞬間、ビクトールは前を行くフリックを羽交い締めにした。
腕の中に納めたフリックの身体が、突然の行動にビクリと震える。
そして、訝しむように眉間に皺を寄せながらこちらに顔を向けてきた。
「おい。突然なんのつもり――――」
「すまん、フリックっ!」
言葉を最後まで告げさせないように、ビクトールはフリックに強烈な頭突きをお見舞いした。
その攻撃は全く予想していなかったのだろう。小さなうめき声を上げたフリックの身体から力が失われ、ビクトールの腕にその身を預けてきた。
だが、相手はフリックが。気を失っている振りをしているだけかもしれない。
ビクトールは拘束する力を緩めるどころか逆に強くしてフリックの身体をベッドへと運び、その身体を押し倒した。もちろん、拘束の力は少しも緩めずに。
俯せに倒したフリックの身体に、己の身体を覆い被せるようにして。
その状態でゴソゴソと腰に下げた袋の中から、ホウアンから受け取ってきた小瓶を取り出した。その瓶を目の高さまで持ち上げて暫し見つめ、小さく頷く。
「――――よし」
後はコレを飲ませるだけだ。
多少強引だったが、なんとかうまくいきそうな予感がする。どうやら自分は運が良いらしい。日頃の行いが良いからだろうか。
そんなことを考えながらほくそ笑んでいたビクトールだったが、その笑みはすぐに凍り付いた。
「――――何が良いんだ、このアホがっ!!!!」
と言う、低く押し殺した声が、身体の下から聞こえてきたために。
普段は気配が薄い身体からどす黒いオーラが目に見えるほど、強い殺気が放たれている。
どうやら本気で怒らせてしまったらしい。
怒っているフリックの姿は年中見ているが、ここまで激しく怒っている姿を見たことも、ここまで強烈な殺気を向けられたことも無かったので、正直ビビる。思わず押さえつけている身体の上から飛び退き、土下座して謝り倒したくなるくらいに。
だが、そんな事をしても彼の怒りを緩和することは出来ないだろう。彼を自由にした瞬間、自分の命がこの世から無くなる可能性も大いにある。むしろ、その可能性が極めて高い。
そう思うから、ビクトールはフリックの身体を押さえつける力を更に強くした。強くしながらも、気弱な声で言葉を返す。
「いや、あの、コレはだな」
「言い訳は聞きたくない。何を企んでいる?」
だが、発しかけた言葉は感情の色が見えない冷たい声によって遮られた。そして、その声がなおも言葉を発してくる。
「素直に答えれば、今回は死なない程度の報復で許してやる。答えないなら、紋章等という生ぬるい手を使わずに、確実にお前の息の根を止めてやるぞ。さぁ、どちらか選べ。5秒でな」
「5秒ってっ! 短すぎっ!」
「5・4・3…………」
「わわわわわっ!」
ビクトールの抗議の言葉などには一切耳を傾けずに、フリックはさっさと数字を読み上げ始めた。
しかもえらく早く。
コレは本気で殺されると覚ったビクトールは、慌ててフリックの身体から飛び退いた。そして、言い訳を口にする。
「すまんっ! ホウアンに頼まれたんだっ!」
「――――ホウアンに?」
手と首を振りながら発した言葉に、フリックはユラリと身体を起こしながら呟きを漏らした。そして、ビクトールの方へと瞳を向けてくる。
その瞳の冷たさに、ビクトールの身体に震えが走った。心の底から恐怖を感じて。返す言葉が口から出てこない程、恐怖を感じて。
それでも口をパクつかせるビクトールの行動に何を思ったのか、フリックがジワリと瞳を細めて見せた。
そして、言葉を続けてくる。
「ホウアンに、何を頼まれたんだ? お前が手に持っているモノと関係があるのか?」
問いかけに、言葉もなく頷き返した。言葉を発しようと思っても、音になる言葉が出てこなかったので。
「へぇ……………ホウアンに、それを飲ませろとでも言われたのか?」
「なっ………なんでソレをっ!」
「この状況で、それ以外にどんな考えがあるって言うんだ?」
心の底から馬鹿に仕切った顔と口調でそう言い返してきたフリックは、そこで一旦口を閉じ、ビクトールの手の中にある小瓶に瞳を向けた。
そしてゆっくりと口角を引き上げ、誰にともなく呟きを漏らす。
「――――性懲りもなく。少し、痛い目にあわせないといけないな…………」
使い物にならない程度にだが、と小さく呟いた後にクツクツと喉の奥で笑ったフリックは、そこで改めてビクトールへと瞳をあわせてきた。
向けられた青色の双眸には、濁りが一切無い。もの凄く澄んでいる。全身から突き刺さるような殺気を放っていると人間とは思えないくらい、汚れを知らない幼子のように澄んだ色だ。
その瞳を真っ直ぐにビクトールに向けながら、優雅な仕草で手をさしのべてくる。
その手の示す言葉が分からず、一度首を傾げたビクトールは、なんとなくその手に自分の手を重ねてみた。
だが、すぐにその手を力いっぱい叩き落とされる。
「誰がそんなことをしろと言った。さっさとホウアンから渡されたソレを渡せ」
「ぁ……………あぁ」
言われ、握りしめていた小瓶をフリックの手に渡す。速攻で床にたたきつけられたりするのだろうなと、思いながら。
しかし、その予想は外れた。フリックは受け取った小瓶の封を切り、その中身を煽ったのだ。
そして、空になった瓶をビクトールの手の中に放り込んでくる。
「ホウアンに伝えておけ」
何が起こったのか分からずに呆然としていたビクトールの耳に、冷え切った声が聞こえてきた。
その声に誘われるように顔を上げて青い双眸を見つめ返せば、フリックは、もの凄く妖艶で酷薄な笑みを浮かべ、言葉を続けてくる。
「何をどう頑張っても無駄なことだとな」
その言葉の意味は、さっぱり分からなかった。
だから意味を問おうと口を開いたのだが、すぐに口を閉ざしてビクリと、身体を震わせた。
凄まじい衝撃を感じて。
痺れるやら熱いやら痛いやらの衝撃を感じて。
手の平の上に乗せていた小瓶が跡形も無く消えていた事から、もの凄い熱がそこにぶつけられていたのだろう事が分かった。
そもそも、身体に感じた衝撃はいつも以上に激しいモノだったから、フリックが普段よりも手加減してくれなかったことは身体で感じ取っている。気を失わなかったことが奇跡に近い。
ゆらりと身体が傾げ、激しい音をたてて鍛え上げた身体を床上に打ち付ける。 
だが、そんな痛みは屁でも無かった。身体を突き抜けた衝撃と比べれば、頬を軽くつねられた程度の痛みでしかない。
「お前も、二度とこんな真似をするな。今度同じ事をやったら、確実に仕留めてやるからな」
冷ややかな声が身体に突き刺さる。そして、腹に重い衝撃を受けた。
ゴロリと、身体を回転する。
その一度だけではなく、何度も腹や背中に鈍い痛みを感じ、その度に抵抗出来ない身体がゴロリゴロリと転がり回った。
繰り返される衝撃に耐えるために全身に力を入れ、与えられる暴力を甘んじて受け入れていたら、頭の近くでドアの開く音がした。と思ったら、今まで以上に強い衝撃を感じ、ゴロゴロと床の上を転がり回った。
ドンと、強い力で背中に硬い感触を感じた途端、バタリと力任せにドアが閉められた音が耳に入った。
その音を聞いて、ようやく思い至る。
どうやら、部屋の外に蹴り出されたらしいと。
文字通り、蹴り出されたのだと。
自分が悪いとはいえ、人間扱いされていないとしか思えないこの仕打ちには涙があふれ出てきた。
「そこに愛はあるのか、フリック……………」
速攻で「無い」と返されそうな言葉を口にして、ビクトールはサメザメと泣き濡れたのだった。











《完》