「ステージ前を通ってから、鍛冶屋に行ってみっかな」
その二カ所に居なかったら、その次に訓練場に行ってみよう。
歩く順路をそう決めたビクトールは、ゆっくりと足を踏み出した。
ステージ前に着くと、アンネリーの歌が終わり、入れ替わるようにカレンがステージ上に上がったところだった。
アンネリーの歌でしんみりしていた場が、男共の大声援によって騒がしくなる。
その声援に応えるように軽く手を振ったカレンが、流れ始めた音楽に合わせて華麗に舞い始めた。
柔らかい、女性特有の身体のラインを惜しげもなく晒しながら。
普段はあんなに着込んで、陰気な部類に入る位に引っ込み思案なのに。今はそんな影を欠片も見せずに笑顔を振りまいている。
この豹変ッぷりにはいつも驚かされる。何度かパーティを組んで遠征に出かけたので見慣れたはずなのに、未だに。
「二重人格ってヤツなのかねぇ…………」
というか、二重人格以外の何者でもないだろう。着込んでいるときと踊っている時では表情から何から、全てが違うのだから。
フリックもそんな所がある。自分と他の人間に対する態度が違いすぎる様を見るたびに、二重人格ではないかと本気で思う。
いや、別に人格が変わるわけではないから、その認識は誤りだろうか。彼の豹変っぷりは、板についた演技と言った方が良いような気がしないでもないから。
そんな事を考えて首を捻ったビクトールだったが、いくら考えてもフリックが考えている事が分かるわけがない。答えが出て来ない事を考えるのは時間の無駄だ。そう考え、意識を切り替えた。
そして、カレンの素晴らしい肉体に目もくれずに客席を見つめる。目的の人物は居ないだろうかと。
ゆっくりと視線を動かす。薄暗い店内は大層見えにくいので、慎重に。
しばらくの間、薄暗い中にある客の顔を慎重に眺めていたビクトールだったが、その視界に入ったモノを確認し、ニヤリと、口角を引き上げた。どうやら自分の読みは当たっていたらしい。
迷い無く見つけた男の元へと足を向けながら通りがかりに、劇場のサービスで配られているコーヒーを一杯貰って歩を進めていく。
「おう、こんな所で何やってんだ?」
ステージを見るでもなく、暗がりになっている端の席でどこかボンヤリとした様子で座していたフリックの傍らで足を止めて声をかけると、何もない宙を見つめていたフリックの瞳がビクトールへと当てられた。
そして、小さく息を吐き出すように言葉を零す。
「――――ニナから逃げてる」
どうやら彼女のしつこい追撃にかなり嫌気がさしているらしい。ニナに見せる以上にウンザリした顔で呻くように言葉を吐き出した。
そんなフリックの表情は珍しい。
どんなに強力なモンスターにも臆さない男が、小娘一人の対処に困っているのがおかしくて苦笑を浮かべたビクトールは、テーブルの上に手にしていたコーヒーを置き、フリックの真正面の席に腰を下ろした。
そして、今見てきた事を教えてやる。
「お前の部屋に居たぜ、アイツ。で、なんかゴソゴソと妖しげな動きを見せてたな」
「――――マジかよ。勘弁してくれ――――」
ビクトールの言葉に呻くように言葉を漏らしたフリックは、ガクリと首を落とした。
どうやら本気で彼女の存在に辟易しているらしい。その割にはあまり強く出ていないのは、何でだろうか。ガツンと一言きついことを言えば、いくらニナだってあそこまで傍若無人な振る舞いをしなくなると思うのだが。
その考えが顔と発する気配に出ていたのだろう。俯けていた顔をチラリと上げたフリックは、苦いモノを口にしたときのような表情を浮かべていた顔に苦笑を刻んだ。
そして、彼にしては力無い声で返してくる。
「どうせこの戦いが終わればここから出て行くんだ。無駄に波風立てなくても良いだろう?」
「――――十分に立っていると思うけどな。俺は」
「そうか? ガキの憧れだけで突っ走った思いなんて、下手に突かなければ波にもならないと俺は思うんだけどな」
「何言ってやがる。ガキの方が制御しないで突っ込んで来る分パワーがあってでかい波になるんだよ」
「そんなもんか?」
「そんなもんだ」
「………………ふぅん」
頷きながらも、フリックは納得できないと言いたげに顔を歪めている。
そして、ボソリと呟いた。
「肉欲の無い思いなんて、たいしたもんじゃ無いと思うんだけどな、俺は」
「ぶふーーーーーっ!」
話をしながら持ってきたコーヒーを飲んでいたビクトールは、フリックのその一言で口に含んでいたコーヒーを盛大に吐き出した。
そのしぶきは辛うじてフリックにかからなかったらしい。
彼は嫌そうに顔を歪めながらも、ビクトールの行いを怒鳴り付けてくることはなかった。
なので、ビクトールが怒鳴りつける。
「てめぇっ、いきなり何言って…………っ!」
「いや、だから、ニナは別に俺とセックスしたがっているわけじゃないから………」
「そう言う話題で個人名を出すなっ! 公共の場でっ! ってか、そいつに手を出したら犯罪だぞッ、フリックっ!」
「――――人を変態みたいに言うな。頼まれたって出す気は無い」
ビシリと指先を突きつけながら怒鳴りつければ、フリックはそんな言われ方をするのは心外だと言わんばかりの顔で言い返してきた。
その言葉にホッと息を吐き出す。底が見えない男だから幼女趣味があったとしても不思議は無いと一瞬思ってしまったのだが、そうじゃない事に安心して。
気を取り直すために一度大きく深呼吸したビクトールは、改めてギロリとフリックの端整な顔を睨み付けた。そして、真剣な声音で語りかける。
「思いの強さとか深さってヤツはな、肉欲があるなしで測るもんじゃねーんだよ。触れあうことが出来なくても、胸の内に渦巻く熱い思いってーのがあるもんなんだ」
「プラトニックってヤツか? そんなものになんの意味があるんだ? 好きだったら手を出したくなるものなんだろう? 手を出せ無いようなものを好きになっても意味があるとは思えないんだが」
「あのなぁ……………」
「なんとも思ってないヤツともやることはやれるから、思いが強いからやるってわけでもないだろうが……なんにしろ、俺にはお前の思考は理解出来ないな」
「――――俺には、お前の思考が理解できねーよ……………」
前々から思っていた事ではあるが、改めてそう思って深々と息を吐き出した。
そして、カップの中に残っていた残りのコーヒーを飲み干して気持ちを落ち着け、改めて語り出す。
「本当に好きなヤツとなら、触れ合えなくたって側に居るだけで心が満たされるモノなんだよ。身体の繋がりだって欲しいけど、それだけを求めて一緒に居たいと思っているわけじゃねーんだ。だから、身体を求めるよりも求めない方が気持ちが強かったりするんだぜ?」
「――――ふぅん」
頷いてはいるが、やはり自分の言葉を理解してはいないらしい。と言うよりも、理解しようと思ってもいないらしい。どうでも良さそうな気配が如実に表れている。
戦うことに関しては恐ろしいくらいに回転が良い頭も、恋愛事に関しては回りが鈍くなるらしい。鈍いどころか、回っていないのではないだろうかと思う。
こんなんで良くオデッサと恋仲になれたものだと、本気で思う。彼を落としたオデッサを尊敬してしまうほどに。
「こいつは、俺の気持ちなんて欠片もわかっちゃいねーんだろうなぁ…………」
男が恋愛対象にならない、という考えは無さそうだからハードルはそんなに高く無いのではと思わないでも無かったが、コレはかなり厳しい勝負になりそうだ。それはまぁ、分かっていた事ではあるのだが。
男とか女とかは関係なく、オデッサの事しか恋愛対象として見て無さそうなので。
彼女以外の人間と恋仲になるつもりは無いのだろうとあっさり思える程に、彼はオデッサの事を愛しているから。
とは言え、自分と彼の間には身体の関係はあるのだから、憎からず思ってくれていると思うので、先に進める余地はあると思うのだが。
いや、しかし、先程「なんとも思ってないヤツともやれる」と言ったばかりだ。自分の事も、なんとも思っていないのかもしれない。
というか、彼はどれだけの「なんとも思っていない」人間とそう言う行為をしたのだろうか。
気になる。
大いに気になる。
何よりもそれが一番気になる。
そんな事を神妙な表情を浮かべながら考えていたビクトールは、そこでハッと気がついた。
ここでフリックの身体を求めたら、自分の思いが薄いものの様に思えるのではないだろうかと。
フリック曰く「肉欲など無いのに追いかけ回してくるニナ」よりも、自分の思いの方が薄いもののように思われるのではないだろうかと。
「やべぇ…………………」
「何がやばいんだ?」
「いっ…………いやっ、なんでもねーよ?」
不思議そうに首を傾げたフリックに慌てて首を振り返し、誤魔化すようにニヘラと笑った。そして、胸の内でホウアンに謝る。
「すまん。俺の強い愛を証明するためにも、コレは使えねぇ………………」
そんなわけで、しばらくの間禁欲生活を送ろうと、固く決意したビクトールだった。
《完》