「大丈夫か?!」
叫びながら、ビクトールは崩れ落ちたフリックの肩に手を伸ばした。そして、彼の表情を確認しようと覗き込む。
「フリック……………?」
心底心配して問いかけたビクトールは、青い双眸を真正面から捕らえてハッと小さく、息を飲み込んだ。
彼の瞳に、もの凄く剣呑な光が宿っているのを、確認して。
「フリッ…………………っ!!!」
名を呼びかけたビクトールだったが、その声は途中で遮られた。
側頭部に強烈なパンチを食らって。
勢いよく床上に倒れ込み、反対側の側頭部を固い床にしこたま打ち付ける。
その衝撃で、目の前に火花が散った。
頭がグラリと揺れる。
直ぐさま立ち上がれないくらいに、ダメージが強い。
視界も微妙に霞んでいる。
その霞む視界の端で、フリックがユラリと立ち上がったのを確認した。


「――――てめぇ、良い度胸してんじゃねーか」


静かな室内に響いた声は、聞き慣れない男のモノだった。
ざらついた印象のある、耳障りが良くない声。

その声を耳にして、いったいどこの誰がこの場に突如現れたのだろうかと大きく目を見張り、ぐらつく頭を起こして辺りを見回す。
けれども、そこにはこれ以上ないほど酷薄な笑みを浮かべているフリックが居るだけで、他に人影は見あたらない。
では、先程の声の主はどこに居るのだろうか。上手く動かない頭を動かして必死に辺りを見回す。
それでも、人影はどこにも見あたらなかった。
「え…………?」
何事だと首を捻るビクトールの目の前で、フリックは口端を引き上げた。
「この『俺』にアレを飲ませるとは……………余程死にたいらしいな、てめーは」
その口から発せられた声は、先程聞いた、聞き慣れない男の声だった。
フリックのモノとは全然違う、耳障りの悪い声だった。
いったい何が起きたのか分からず、ビクトールはポカンと目と口を開けたままその場に固まった。
そんなビクトールに、フリックはフリックではない者の声で続けてくる。
「まぁ、随分と長いこと接種していなかったからと言って、すぐに判別出来なかった俺が悪いんだけどな。とはいえ、『オレ』になっちまったからには、いくらお前でも生かしては置けねー。悪いが、さっくりと死んで貰うぜ」
そう告げるなり、フリックは未だにまともに動けないで居るビクトールの腹めがけて鋭い蹴りを寄越してきた。
「わわっ!」
間一髪の所で避けた次の瞬間にはもう、逆足の蹴りが飛んできた。慌てて避けてぐらつく頭と身体に鞭を打って立ち上がり、紙一重の所で攻撃を避けていく。反撃する隙など欠片もないから、タダひたすら逃げ回る。
どうやら剣を使うつもりは無いようだが、突き込まれる蹴りのスピードと重さには驚異的なものがあり、一度食らったらかなりのダメージを受けるだろう事が明らかだった。脳しんとうを起こすどころの騒ぎでは無くなるだろう。なので、全神経を集中させてフリックの攻撃から逃れる事に務める。
ビクトールの背中に、嫌な汗がしたたり落ちた。

僅かでも隙を見せたら、殺される。

確信を持って、胸中で呟いた。
だが、むざむざ殺されるわけにはいかない。
なんで殺されるのか、理由も分からないままに殺されたくはない。
「ちょっ…………と、待てッ! フリックっ! いったい、なんだってこんな――――」
その問いかけに、フリックはニヤリと笑み返してきた。
そして、楽しげに告げてくる。
「『オレ』は、『フリック』じゃねーよ」
「え………………?」
「『フリック』じゃないから、てめーを殺るんだよ」
「なっ……………何言ってンだっ、てめーっ!」 
「まぁ、理解しろとは言わないが。出来もしないだろうし?」
クツクツと楽しげに喉を鳴らして笑いながらも、鋭い蹴りは止まない。
それを避けながらも、怒鳴るように言い返した。
「じゃあ、てめーがフリックじゃないとしたら、フリックはどこに行ったんだよっ! 返しやがれっ!」
「『オレ』を『フリック』に戻したけりゃ、薬が抜けるまで、自分の命を守っておくんだなっ!」
楽しげに告げられた言葉は、訳が分からない。
元々よく分からない部分がある男ではあるが、今が一番分からない。
「ちゃんと、説明しやがれってんだよーーーーーーっ!」
夜中だと言う事も忘れて叫びながら、ビクトールは部屋を飛び出してた。
とにかく、時間を稼ごうと。
どうやら原因はあの薬らしいので、フリックが言うとおりに薬が抜けるまで逃げ切ろうと。
「ぜってー、二度と、変なモンは、あたえねーぞっ! アイツにはーーーーーーっ!」
 固く決意しながら、ビクトールは一晩中城内をかけずり回ったのだった。













《完》