「よし、右に行くか」
何となく、風に誘われた気がして右に行く。
襲いかかってきたモンスターを軽々とけちらしながら。
やがて、自分が切ったのとは違うモンスターの血臭が鼻孔をくすぐりだした。
最初はほんの少しだけ。だが、少しずつ強くなってくる。
その匂いを嗅いで、自然と口端が引き上がった。この先にフリックが居ることを確信して。
歩く速度を上げ、大股に突き進む。
すると、前方に人の影が見えてきた。
その影を目指して更に大股になって突き進むと、最初は黒い棒のように見えていたその影に色が付き始めた。
まず最初に色が付いて見えたのは、鮮やかな青色のマントだ。そのマントを吹き付ける風になびかせている様が、はっきりと見て取れるようになってきた。
次に色を識別出来たのは、色素の薄い髪の毛だ。落ちかけた太陽の光を浴びてキラキラと輝いているその髪の毛は、もの凄く綺麗だ。
しばしその姿を見つめる。一枚の絵画のように美しい情景に、目を奪われて。
随分と長い間付き合ってきたが、どれだけ付き合っても彼の綺麗さには目を奪われる。年がら年中見ている顔なのに。見飽きる事など決してない。
そんな自分に苦笑を漏らした。本当に自分は、心の底から彼に惚れているのだなと、実感して。
その音が聞こえたわけでもないだろうに、こちらに背を向けていたフリックがチラリと視線を向けてきた。
そして、軽く首を傾げられる。
何をしに来たと、言わんばかりに。
その無言の問いを寄越してくる青い双眸を目にして、ヒラリと右手を振る。
「おう。一人で何フラフラしてんだ?」
気軽な調子で声をかけると、フリックがほんの少しだけ口端を引き上げた。
「お前に言われる筋合いはないな」
軽い調子でそう答え、手にしていた剣を慣れた手つきで鞘に収めたフリックは、足元に転がっているモンスターの死体を軽々と跨ぎ、こちらに向かって歩み寄ってきた。
その彼の全身にチラリと視線を走らせてみる。朝からずっとモンスター相手に戦っていたようなので、どこか怪我でもしていないだろうかと、思って。
だが、その心配は杞憂に終わったらしい。フリックの身体には傷一つ無い。傷どころか、返り血一つ無い。
一匹のモンスターとも出会っていないのではと思うくらいに、欠片程の返り血も浴びていない。
「………なんで返り血すら浴びてねーんだよ」
胸の内に沸き上がった疑問を思わず口に上らせた。
その言葉に、フリックは当然の事だと言わんばかりに声と表情で言葉を返してくる。
「返り血なんて浴びたら、後で洗濯するときに苦労するだけだろ。血のシミはなかなか取れないものだからな。浴びずに済む状況にあるなら、浴びないに越したことはないだろ」
「………お前は主婦かよ」
思わず突っ込みを入れてしまったが、その突っ込みは聞かない事にしたらしい。フリックはコメントを返してこなかった。変わりに、違う言葉を口にする。
「それで、お前はなんでこんな所に来たんだ?」
「うん? せっかくの休みだからな。出来るだけ、お前と一緒に居たいなーと、思ってよ」
「よく言うよ。いつまでも冬眠中の熊みたいに寝てたくせに」
「それはそれ、コレはコレだ。んで、どうなんだ?」
「どう、とは?」
「もう満足なのか?」
一日遊んで、満足したのかと、瞳で問う。
その無言の言葉をしっかりと聞き取ったらしい。フリックがフワリと、柔らかい笑みを浮かべて返してきた。
「あぁ。良い運動が出来た」
僅かに弾んでいる声音から、その言葉にウソがない事が分かる。
ビクトールはコクリと頷いた。そしてゆっくりと、口端を引き上げた。
「んじゃ、戻ろうぜ。そろそろ陽が落ち始めそうだしよ」
「そうだな」
気軽な口調でそう提案を投げかければ、フリックはあっさりと肯定してきた。
珍しく従順な彼に驚き目を見張ったが、別に自分が言ったからそうしようと思ったわけではなく、元々そうしようと思って居ただけなのだろう。
「あ〜〜そういや、来る前に訓練場に行ったら、マイクロトフとカミューが手合わせしてたぜ。やっぱアイツ等はすげーな。動き一つ一つに華がある感じだ」
肩を並べて歩きながら、なんて事のない話題を一つ、口にする。
その言葉に、フリックはコクリと小さく頷いた。
「そうだな。きちんとした師に付いた綺麗な剣をしてる。お前の無茶苦茶な剣とは大違いだ」
「悪かったな。どうせ俺は我流だよ。でも、それで困ったことなんかねーから、良いじゃねーか」
「まぁな。荒削りで予測が付かないから、なかなか面白いものがあるし。悪くはないな」
からかうような口調にふて腐れながら言葉を返せば、フリックは楽しげに表情を緩めてそう返してきた。
一見褒めていなさそうな言葉だが、フリックからしてみたら十分に褒めている部類の言葉に入るだろう。自然と、ビクトールの頬は緩んだ。
「そうか? 俺は、お前から見ても強いと思うか?」
「あぁ、思うよ。じゃなかったら、ここまで付き合っては居ないだろうからな」
青い双眸がこちらを向き、ニッと意地の悪い笑みを浮かべる。
からかっているような表情ではあるが、それが本心から述べている言葉であることは分かった。勘違いでも思い違いでもなく。
フワリと、胸中に温かいモノが流れた。
抱き合っている時よりも幸せな気分になる。
「……フリック」
「なんだ?」
名を呼べば、警戒心など欠片も見えない真っ直ぐな瞳を寄越される。
昔は呼んだだけで斬り殺されかねない程の殺気を向けられたものだが。

身体の関係があっても、二人の間に甘い雰囲気が流れることはさほど無い。
いつもいつも馬鹿をやって怒鳴り合って剣を振るって。
そんな事しかしていない。
だけど、それだけで充分に幸せだと思う。
傍らに彼が居て、自分の背中を彼が守り、彼の背中を自分が守っている。
その状況があるだけで、十分に幸せだと本気で思う。

「フリック」
「だから、なんだと言っている」
再度名前を呼んだら、僅かに眉間に皺を寄せられた。
そんなフリックにニカリと、一点の曇りも無い笑顔を返した。

「死ぬまで、付き合って貰うぜ?」

その言葉に、フリックはキョトンと目を丸めた。そしてすぐに嫌そうに顔を歪め何か言おうと口を開いた。
だがその胸の内に沸いた言葉を口には出さず、思い直したように意地の悪い笑みへと表情を変える。
「そうしたいなら、腕を磨き続けるんだな」
「おう」
気軽に応じ、ニカリと笑う。
弱くなるつもりなんて、欠片もないから。
だからその言葉は、一生共に居てくれるという言葉に等しいと、勝手に判断して。


「モンスター切って金が結構貯まったんだろ? 今日は奢れよ」
「なんでだよ」
「良いじゃねーか。とっとと帰って酒盛りしようぜ!」
「酒は飲むが、奢らないからな」
「フリックゥ〜〜〜ケチケチすんなよぉ〜〜!」
「気持ち悪い声を出すな」


いつもと変わらない会話を交わしながら傍らを歩く男の肩を抱き、同じ方向に向かって歩を進める。
住み慣れた一時の宿に向けて。
それだけのことに、何とも言えない幸せを感じながら。







帰り着いた後、酔っぱらうまで酒を飲んだ結果、ホウアンからの薬の存在は綺麗さっぱり忘れ去ってしまった。
一週間後にホウアンに尋ねられて思い出したビクトールだったが、薬を使わなくてもいい気分になれたので、薬を駄目にした事に後悔はしていなかった。

もう一度協力を頼まれたら、断らないかもしれないが。














《完》