ナニが何やら分からない内に罰ゲームだと騒ぎ立てられ、フリックはビクトールの髪を洗う事になってしまった。
「・・・・・・・・なんなんだ、いったい・・・・・・・・・・・」
 目の前にあるビクトールの広い背中を見つめながら、フリックは呆然としたような声音で呟いた。
 いつもは自分の生き方に少しも後悔しないフリックではあったが、この時ばかりは命の危険を感じる事以外には無頓着な自分を呪った。これからはもっと細かい事に気を配るべきだろうと、考え直す程に。
 だが、そんな事をしたら自分の神経が持たないであろう事は分かっている。気を抜く場所があるからこそ、必要な場所で気を張っていられるのだから。だから、改善しようと思っても改善する事は無いと思う。今更長い年月をかけて培ってきたものを変える事も出来ないし。
 とは言え、この状況はものすごくイヤだった。
「オラッ!さっさとしろよ、フリックっ!」
 全く作業に移ろうとしないフリックに焦れたビクトールが、背後を振り返りながら先の行為を要求してくるのに、フリックは深々と息を吐き出した。
 なんでこうなったのか分からないものの、自分がやらねばならないモノを放り出して逃げ出すのは性に合わなくて腹を括る。
「・・・・・・・・五月蠅いな。今やるから、前を見てろ。」
 不機嫌も露わな声でそう告げ、フリックは己のてのひらにシャンプーを取った。そして、目の前の黒い髪に指を入れる。
 ガシガシと頭皮をマッサージするように指先でビクトールの頭を掻き、泡を立てていく。彼が前に頭を洗ったのがいつか分からないが、かなり泡立ちが悪い。その事に腹が立ち、フリックはシャンプーのボトルを手にして頭に直接ぶちまけてやった。
「うわっ!冷てっ!」
「五月蠅い。黙ってろ。」
 乱暴なフリックのやりように抗議の声を上げるビクトールにピシャリと言い放てば、ビクトールは大人しく口を噤んだ。今のフリックに逆らうのは得策では無いと考えたのかも知れない。そんなビクトールの様子を窺うように、しばし手を止めていたフリックだったが、その手をすぐに動かし始める。乱暴なのと丁寧なのと、丁度中間位の微妙な手つきで。
 ビクトールは口を噤み、されるがままになっている。
 そのビクトールの頭に泡の山を築き上げたフリックは、一度ソレを流した。頭の上からお湯をぶっかけて。勿論、なんの宣言もせずに。
 それでも文句の言葉を発して来なかったビクトールの態度に少々機嫌を良くしたフリックは、再度シャンプーを手に取り、さっきよりも丁寧な手つきで頭皮を洗い上げる。
 他人の頭だから当たり前だが、いつもと勝手が違ってなんとも言えない奇妙な感じがする。それなりに触り慣れていると思っていた髪だったが、初めて触ったような気がするし。
 二度目のシャンプーの泡を綺麗に落としたフリックは、いつもの流れでリンスを手にした。が、すぐにハタと動きを止める。コイツにこんな物は必要ないのでは無いだろうかと、思って。
 だが、折角なので付ける事にする。いつもグチャグチャの彼の髪も少しはましになるかもしれないし。
 そんな事を考えながら丁寧な手つきでリンスを髪に塗り込めたフリックは、ザッとお湯で洗い流した。
「・・・・・・・・よし、良いぞ。」
 いつもより八割増しで綺麗に見えるビクトールの頭に満足し、そう声をかけながら目の前の頭を軽く叩く。
「おう、サンキューっ!今度は俺がお前の頭を洗ってやるよ。」
 嬉々としてそんな事を言ってきたビクトールの眼前に、フリックは己の掌をサッと差し出した。そして、左右に首を振る。
「遠慮しておく。」
「なんでだよっ!」
「俺はお前と違って綺麗好きなんだ。」 
 だから、まともに自分の頭を洗えないような男には任せたくないのだと、蔑むような瞳で告げる。直接口にしなくてもその言葉は十分に伝わったらしい。ビクトールはふてくされたような顔をしながらも渋々と頷いた。
「・・・・・・・分かったよ。でも、いつか絶対洗ってやるからな。」
「はいはい。」
 軽い口調でビクトールの決意をはねのけたフリックは、さっさと失せろと言わんばかりの態度で手を振った。そんなフリックの態度にイヤそうな顔をしつつも、ビクトールは大人しく身を引き、さっさと湯船に向かう。
 その大人しさに不気味なものを感じたが、取りあえず気にしないで置く。おかしな事をされたらされた時に報復すれば良いだけの事だから。
 さっさと気分を入れ変えたフリックは、椅子に座り直して頭から湯を被った。そして、先程ビクトールに使ったシャンプーを手にして、少し顔を顰める。
「・・・・・・・あいつと同じ香りがするのは、イヤだな・・・・・・・・・」
 しかし、使える物はコレしかない。フリックは小さく息を吐き出した。そして、己の頭を洗い上げていく。
 胸の内になんとも言えない不快感を抱きながら。











 フリックが湯船から上がったとき、ビクトールはとっくのとうに風呂場から姿を消していた。
 そろそろ夕方に差し掛かる時間帯だ。多分酒場に居るだろう。そう考えたフリックは、風呂道具を自室に片付けてから酒場へと足を向けた。
 まだ早い時間だというのに既に出来上がった人間がたむろしている酒場に、予想通りビクトールの姿を発見出来た。こちらに背を向けるような形でテーブルに付いている彼の姿を。
 その彼に向かってフリックが声をかけるよりも早くビクトールがこちらに気づいたらしい。チラリと背後を振り返った彼は自分の姿に視線を合わせるなり、豪快に手を振って寄越した。
 やたらと機嫌の良さそうな彼の姿に苦笑を浮かべたフリックは、自分に向かって満面の笑みを浮かべているビクトールの元へと足を一歩踏み出した。
「いつから飲んでるんだ?」
「ついさっきだよ。」
「・・・・・・・・そうは見えないけどな。」
 テーブルの上にゴロゴロと転がる瓶を見つめながらそう返したフリックは、彼の向かいの席に座るために歩を進め、ビクトールの横を通り過ぎた。
 その瞬間、ビクトールの身体から発せられた柔らかな香りを嗅ぎ取り、歩を止める。
「・・・・・なんだ?」
 突然動きを止めたフリックに、上機嫌で酒を飲んでいたビクトールが訝しげに眉間に皺を寄せてきた。そんなビクトールの頭に無言で手を伸ばしたフリックは、黒く硬い感触の頭髪に己の細く長い指を滑り込ませてゆっくりと透いた。
 そんなフリックの行動に、ビクトールが驚きに目を見張った。周りに居た酔客達も。
 突き刺さるようなその視線を無視してもう一度ビクトールの髪を撫でたフリックは、ビクトールの後頭部に当てていた手を自分の方へと引き寄せ、硬い髪の中に己の鼻面を突っ込んだ。
 ピシリと、周りの空気が凍り付く音がした。ビクトールの身体も硬直している。その身体をゆっくりと引き離したフリックは、最後にもう一度ビクトールの頭を撫で、驚きのあまり頭が働いてないのか、呆然と自分を見上げる彼に向かってニコリと微笑んだ。
 そして、何事も無かったかのように席に着き、ビクトールが用意しておいたらしいグラスを手にして手近な位置にある酒瓶から酒を並々注ぎ入れ、一口体内に流しこんだ。
「・・・・・・・おい、フリック。今のは・・・・・・・・・」
 ようやく衝撃から脱出したのか、ビクトールがそう問いかけてきたが、フリックは無視して酒を飲み続けた。
 同じ物を使っても、自分とは微妙に違った匂いを発しているビクトールに満足しながら。



























                     ブラウザのバックでお戻り下さい。






髪を梳く《フリック》