「イテテ・・・・・・・・・・・・」
 戦闘後、傍らで剣の血糊を払っていたビクトールが小さな声でそう呟いた。
 その声音にせっぱ詰まった様子は無かったが、一応声をかけてみる。
「どうした?」
「いや、ちょっと腕にかすり傷がな。」
 首を傾げながらの問いかけに、ビクトールはばつが悪そうに多少引きつった笑みを浮かべてながら自分の腕を軽く持ち上げて見せた。そして、視線でその箇所を指し示す。
 ビクトールに倣って視線を動かしてみると、確かにそこには赤い線が一本走っていた。
 どうやら弱い敵だと油断して攻撃を受けたらしい。かすり傷ではあるが、アノ程度の敵にこんな傷を与えられるなんて、アホも良い所だ。
 自然と、フリックの眉間に深い皺が刻み込まれる。
「馬鹿が。気を抜いているからだぞ。」
「わりぃわりぃ。気を付けるよ。」
 それなりに反省しているのだろう。返す言葉に覇気がない。笑ってはいるが、なんとなく落ち込んでいるようにも見える。
 確かに、アノ程度のモンスターの攻撃を受けるなんて愚の骨頂だ。傭兵として最低だ。あんなモンスター、ろくに訓練を受けていない奴でも仕留められるのだから。
 それはビクトールにも分かっている事だろう。だから、目に見えて分かるほど激しく落ち込んでいるのだ。そこにあえて塩を塗り込む事もない。珍しく自ら進んで反省していることだし、同じ失敗は繰り返す事は無いだろう。
 そう判断したフリックは、小さく息を吐き出した。
「・・・・・・・・・・ったく。」
 息を吐くのと同時に呆れの色を大いに含んだ声を漏らしたフリックは、ギロリとビクトールの顔を睨み付けながら彼の怪我した方の腕に手を伸ばした。チラリと傷の具合を確かめ、ゆっくりとその傷口に唇を寄せる。
 薄赤く滲む血をペロリと舐め取る。舐め取ったはしからジンワリと新たな血液が浮かび上がるので、何度か舌先を動かし、舌先で傷の具合を確かめた。傷は深くない。新しい傷だから血液が止ってはいないが、ちょっと空気に触れさせたらすぐに止るだろう。紋章を使うほどのものではない。
 舐め取ってみた感じでは毒も無いようだから、放って置いても大丈夫だろう。
「・・・・・・・・・・たいしたことは無さそうだな。」
 誰に告げるでもなく呟きを漏らした。そして伏せていた顔をサッと上げ、いまだにジンワリと薄赤い血液を滲ませている傷口をぱちりと軽い音が出るように叩いてやった。
 そんなフリックの仕草に、ビクトールが軽く笑みを返してくる。
「ああ。ただのかすり傷だからな。」
 そう告げたビクトールは、そこで何かに気付いたように軽く目を見張った。そして、ムッと顔を歪めてみせる。
「人のこととやかく言う前に、てめーのその面のはなんなんだよ。」
「俺?」
「ああ。コレだよ、コレ。」
 何のことだと首を傾げるフリックに軽く頷いたビクトールは、ゆっくりとフリックの頬に片手を添え、空いた方の頬に唇を寄せてきた。そして、ペロリと舐めてくる。犬が飼い主の顔を舐めるような、そんな感じで。
 頬を舐める舌の動きはすぐに止らず、頬の上を何度も何度も行き来する。
 何があるのか分からなかったのでビクトールの気が済むまでやらせておいたら、しばらく経った後にようやく舌の動きを止め、ゆっくりと顔を上げて自分が舐めた部分に強い視線を向けてきた。そしてホッと息を吐き出す。
「・・・・・・・・・傷ついているわけじゃ、ねーみてーだな。」
 その言葉に、フリックは二三度瞬きを繰り返した。そして、舐められた部分を己の手で擦ってみる。
「何か付いてたか?」
「ああ、血がな。返り血だったみたいだぜ。肌は綺麗なもんだ。」
「そういえば、一体思い切り動脈を切っちまったからな。避け損ねてたか。まだ付いてるか?」
「いや、もうついてねーよ。俺が綺麗に舐め取ったからな。」
 ニッと口端を引き上げるビクトールは、飼い主に褒めて貰いたがっている犬のようだと思った。どこか自慢げに笑いかけてくる様が。
 フリックは苦笑を漏らした。いい年をしてそんな態度を取れる彼の事がおかしくて。そして、ふと気付いた。彼の頬にも返り血が付いていることに。
 迷わず彼の頬に顔を寄せ、頬に付いている返り血をペロリと舐め取ってやる。そうすることが、日常の出来事だから。
 さして気にすることもなく。









 そんな二人の姿を見つめていたチッチは、呆然と呟いた。
「あの・・・・・・・・・・・・スイマセン。」
「なんですか?」
 チッチの言葉に、チッチを護衛するように傍らで剣を振るい、今もまた傍らで傭兵砦の隊長と副隊長のやり取りを見つめていた傭兵が、軽く首を傾げて問い返してきた。
 その傭兵にギクシャクとした動きで向き直りながら、恐る恐るといった様子でビクトールとフリックの二人へと指先を向ける。
「あの・・・・・・、あの二人って、いったい・・・・・・・・・・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・あぁ。」
 なんとなく言葉を濁してしまったが、チッチが言いたいことは傭兵に伝わったらしい。彼は軽く頷いた。そして、無表情に近い顔をほんの少しだけ綻ばせ、チッチの頭を叩いてくる。子供をあやすような手つきで。
「あの二人は動物なんです。ですから、傷は舐めれば治ると思っているんですよ。」
「・・・・・・・・・・・・・はぁ。」
 傭兵の言葉は良く分らなかった。何やら煙に巻かれているような気がする。
 そんなチッチに、傭兵は更に笑みを深くした。そして、柔らかな声で続けてくる。
「あれくらいで驚いていたら、この砦では生きていけませんよ。貴方も此処に留まる気があるのでしたら、少しは慣れて下さいね。」
 なんの迷いもない言葉でそう告げてきた傭兵の言葉に、チッチは頷くことしか出来なかった。今のところ、この傭兵砦以外に身を寄せる場所が無かったから。
 そして思う。
 あれ以上のどんな事を、二人は人前でやるのだろうかと。
 ソレがもの凄く、気になった。





















たまにはラブく。














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傷の舐めあい