休日の午後。フリックは自室で読書に勤しんでいた。今読んでいるのは、最新の紋章学の本だ。エミリアに頼んで仕入れて貰ったのが先日届いたので、ここ二三日は寸暇を惜しんで読み進めている。
 その横で、ビクトールがチビチビとグラスを傾けていた。別に酒が飲みたくて飲んでいるという訳ではなく、やることがないのでとりあえず飲んでいると言う感じだ。そんなビクトールの姿に、フリックは冷ややかな視線を向ける。
 時間を無駄に浪費するとは、愚かな男だと。
 時間は限りある資源だ。それを有効に使わないのは愚の骨頂だろうと思う。なんの目的もなくダラダラと時を過ごすなんて事、フリックには死んでも出来ないだろう。
 そんな事を考えながら視線を本に戻したフリックは、紙に書かれている文字を追いながら同じ室内に居る男の事をほんの少しだけ考える。
 多分彼は、自分に構って貰いたくてそこに居るのだろう。二人揃っての休日というのは、滅多にないものだから。一緒にどこかに行きたいとか何かをしたいとか考えているのだろう。
 だが、今の状態でフリックがビクトールを構う可能性は皆無に等しい。夜に酒を酌み交わすことすらしないだろう。だからさっさと諦めて、暇を持て余している愚か者共の所に行った方が良いものを、と思う。ビクトールもそれを分かっているだろうに、何故か未だに同じ空間に居続けている。
「――――まぁ、良いけどな」
 今のところ読書の邪魔はされていないし。居たいだけ居ればいい。邪魔になったらたたき出すのみだ。
 そう考え、彼の存在を無視して再度読書に集中し直したフリックの耳に、突如ビクトールの声が聞こえてきた。
「あぁっ!!!!」
 激しい驚きを示すその叫び声に、フリックは本から視線を反らしてチラリとビクトールの顔に視線を向ける。するとそこには、目と口を大きく開いたビクトールの姿があった。
 どうやら何か思い立ったらしい。何を思い立ったのか知らないが、静かにしていて貰いたいものだ。これ以上騒ぐようなら、強制排除しよう。
 そう考えたフリックは直ぐさまビクトールから視線を反らして読書に戻ろうとしたのだが、大口を開けたままの体勢で固まっているビクトールの姿を視界の端に捕らえて、深く息を吐き出した。どうやら自分が声をかけるまであのままで居るらしいと、感じ取って。
 なので、一応声をかけてやる。本を読み進めている体勢のままで、だったが。
「どうした?」
 気がないのが丸わかりの問いかけに、ビクトールは突如全身を小刻みに震わせながら、己の両手をゆっくりと持ち上げた。
 その奇妙な行動に眉間に皺を寄せながらも振り返ることなく本に書かれた文字を追っていたら、ビクトールは己の手のひらを見つめながらアワアワと唇を震わせ、震えた声で言葉を発してきた。
「やべーぞっ………俺っ……!今まで気づいてなかったが、こいつはやべーよっ………!!」
 本気で驚愕しているらしいビクトールが、己の手のひらをジッと見つめながら言葉を発している。身体の震えは、ますます大きくなってきた。
 尋常じゃないビクトールの様子がさすがにちょっと気に掛かったフリックは、それまで追っていた文字から視線を反らし、ビクトールの顔を見つめた。
「何がやばいんだ?」
 問いかけに、ビクトールは己の手のひらを見つめるために俯けていた顔をゆっくりと持ち上げた。その瞳には、僅かに涙が溜まっている。
 大の男が泣くほどの何があったというのだろうか。
 フリックは眉間に深い皺を刻み込んだ。そして、軽く首を傾げて先を促す。そんなフリックに、ビクトールはブルブルと身体を震わせながらフリックの元へと歩み寄り、右手の手のひらをフリックの方へと突き出してきた。
 どうやらそこに何かがあるらしい。
 なんだろうかと視線を落としたフリックの耳に、微妙に泣きの入っているビクトールの声が届いた。
「俺の………俺の生命線が、スゲー短いんだよーーーーーーーーーっ!」
 大きな左手の手のひらで顔面を覆い、そのまま天を仰いで叫び声を上げたビクトールの言葉に、フリックは彼の手のひらを見つめながら己のこめかみに太い血管を浮き上がらせた。
 だが、天井を仰いでいるビクトールはその事に気づかなかったらしい。サメザメと泣き崩れている。
「あぁっ!もう駄目だ〜〜〜っ!俺は、もう駄目なんだ〜〜〜っ!こんなに短けーんだから、早死にしちまうんだっ!フリックを置いて……………っ!すまねーっ!フリックーーーーっ!」
 芝居がかった動きでそう泣き叫ぶビクトールの様を、フリックは冷ややかな眼差しで見つめていた。そして、フッと小さく息を吐く。
「――――それは、残念だな。俺は、お前にもっと長生きして貰いたかったんだが………」
「え?」
 その言葉に、さっきまで泣いていたビクトールが笑顔を振りまいた。そして、嬉々としてフリックの顔をのぞき込んでくる。
「マジ?マジか?本当にそう思ってんのか?」
「あぁ。本気だぜ。だから――――」
 ニッコニッコと笑顔を振りまくビクトールに薄く微笑み返したフリックは、左手で自分の前に差し出された格好のまま止まっていたビクトールの右手首をつかみ取り、右手で足に巻いている青いバンドの中から仕込んであるモノをすっと引き抜いた。
 そして、フリックの行動にキョトンと目を丸めているビクトールに向かって婉然と笑いかける。
「だから、俺がお前の生命線を伸ばしてやろう」
 そう告げながら、引き抜いた細い小さなナイフをビクトールの手のひらに押しつける。
 途端に、ビクトールが顔から血の気を引かせて大声でわめきだした。
「わーーーーーっ!止めろっ!てめーっ、何しようとしてやがんだっ!」
「さっき言っただろうが。お前の生命線を引き延ばしてやるんだよ。景気よく、肘の辺りまで」
「ばっ………バカヤローーーーっ!」
 満面の笑みを浮かべながら告げた言葉に、ビクトールは捕まれた腕を取り返そうと暴れ出す。その手を渾身の力を込めてその場に引き留めた。
「遠慮するな。嫌って程長生き出来るようにしてやるから」
「嘘を付けっ!今すぐ殺すつもりだろうがっ!」
「――――失礼な奴だな。一生消えない位に深く斬りつけてやろうとしているだけだぞ?」
「サラリとひでー事言ってんじゃねーーーーっ!」
 怒鳴り、ビクトールはフリックの腕を振り払った。一瞬でその場から飛び退いて己の腕を背後に隠すように立ち、十分な距離を取ってからフリックを睨み付けてくる。
「――――てめぇ、今、かなり本気だっただろ」
 窺うように問われた言葉に、フリックはニッコリと笑いかけてやった。
「俺はいつでも本気だぜ?お前と違って。分かったら、下らない事で俺を煩わせるなよ」
 それだけ告げ、再度本へと視線を落とした。これだけ構ってやればしばらくの間だ静かにしているだろうと、思いながら。

























ビクトールがどうしようもない阿呆ですいません…………















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長く生きてて欲しいから