青々と広がる空の下、ビクトールはのんびりと歩を進めていた。
 貰った休日を共に過ごす人間がいなかったので、一人でぶらぶらと。
 最近戦況が落ち着いている。ハイランドの動きは鈍く、仕掛けてくる気配がない。
 ならばこれを機にこちらから打って出れば良い物を、軍主のチッチはコレ幸いと交易に精を出していた。厳しい城の財政を救うべく。
「この交易で軍事費を倍にしてきますから!」
 と、自信満々に語って出かけていったリーダーの姿を頼もしいと言って良いのか、ビクトールには分からなかった。
「まっ、戦いに出る時よりも楽しそうだったから、良いんだけどな」
 状況が安定しているのなら、交易にかまけようがどうしようが良いだろうと、思う。
 一見遊び歩いているように見えても、裏ではちゃんとやるべき仕事をこなしている事だし。
 そんなチッチの姿を見て、フリックが冷ややかな眼差しを寄越しながら、「チッチの爪の垢でも飲んだらどうだ?」と言ってきたのは記憶に新しい。

「人間、息抜きは必要なんだよ」

 過去に寄越された言葉に対して言い返したが、その言葉にもまた、フリックは冷ややかな眼差しを寄越してくることだろう。
「お前は抜きすぎだ。抜きすぎてそのでかい身体の中は空っぽになっているんじゃないのか? とくに、頭が」
 位の事は言われそうだ。
「何でアイツは、人の心を抉るような事を平気で言ってくるのかなぁ………」
 最愛の相棒の瞳の色に似た、晴れ渡る青空を見上げながらボソリと呟く。そんなビクトールの背後から、通りの良い、柔らかい声が聞こえてきた。
「おや、ビクトールさん。今日はお休みですか?」
 かけられた言葉に視線を向けると、そこには見慣れた赤い衣装を纏った男が立っていた。
 その男の方へと身体事向き直ったビクトールは、ニカリと盛大に笑いかけた。
「おう、最近暇だろ? 体力馬鹿に回す仕事はねーって言われてよ」
「嘘を言わないで下さいよ。回された仕事を全部人に押しつけているだけでしょう?」
「――――あ〜〜………」
 軽い口調で返した言葉にクスクスと軽い笑いを返され、ビクトールは間の抜けた声を発しながらボリボリと後頭部を掻いた。
 そして、改めて意地の悪い笑みを浮かべて返す。
「まぁ、それはな。俺がやるよりアイツがやった方が早くて正確だからよ」
「そんなことを言って。突然フリックさんが居なくなったりしたら、どうするんですか?」「アイツが、居なくなる……?」
 問われた言葉にキョトンと目を丸めた。もの凄く思いも寄らなかったことを言われたので。

 彼が傍らから居ない時なんて、今まで沢山あった。同じ戦場に居ても率いる隊が違うのだから、二人で旅していたときのように、常に背を預けあって戦えるわけがない。だが、それでも、彼は自分の傍らに居ると思えた。
 しかし、カミューが言っているのはそう言うことではないのだろう。この先一生、フリックが自分の傍らから居なくなると言っているのだ。

 ソレを想像した途端、背中がブルリと振るえた。

 もの凄い寒気を感じて。

 一度、そんな事があった。
 フリックを伴って初めてミューズに入ったとき。
 待ち合わせの場所に、彼は来なかった。
 どれだけ待っても。
 探し歩いても、彼の姿は見つからなかった。

 あの時に感じた焦りと焦燥感を、鮮明に思い出す。
 彼が居なくなると言うことは、アレを再度味わうと言うことだ。
 それは、勘弁して欲しい。あんな思いをもう一度味わう事になったら、自分は死んでしまうだろう。寂しさのあまりに。あの時よりも彼と深い関係になっている今は、あの時よりももっと強く、彼が傍らから居なくなった事に衝撃を受けるだろう。もしかした、生き続ける気力が失せる程に衝撃を受けるかも知れない。
 そんな事を考えて口を噤み考え込んでしまったビクトールの心情に、気付いているのか居ないのか。カミューが明るい声をかけ続けてくる。
「まぁ、貴方なら上手く立ち回りそうですけどね。なんだかんだ言いつつも、出来ない人ではないんですから」
 かけられた言葉は褒め言葉なのだろう。だが、あの時の寂しさを思い出して固まってしまった思考では、それを嬉しいと思うことすら出来なかった。
 そんな自分に焦りながら何か言い返そうと思うのだが、言葉が出てこない。焦りすぎて何を言って良いのか分からなくなって。
 だが、ビクトールの表情にその焦りは浮かび上がっていないのだろう。カミューはいつも通りに柔和な笑みを浮かべている。慌てるビクトールを更にからかおうともしないで。

 ボリボリと頭を掻く。
 なんとも言えない微妙な気分を誤魔化すために。
「あ〜〜………」
 とりあえず、何か言っておこうと口を開き、言葉にならない声を発した。

 その声が途中で変化する。
 いや、変化させられた。


 突然、なんの前触れもなく、脇腹をくすぐられた為に。


「――――あははははははっ!」


 身をよじって逃げようとしたのだが、長い腕が素早く腹に巻き付いてきたのでそうする事は出来なかった。
 一瞬、笑うのを我慢して相手が飽きるのを待とうかと考えたが、執拗にくすぐってくるその攻撃は巧みで、我慢してやり過ごす事など出来そうもない。
 ビクトールは、渾身の力を振り絞って身をよじった。
「やっ………止めろッ! てめぇっ………!」
 押さえきれない笑い声の合間にそう怒鳴りつけたが、笑みの色が混じっているせいか、どうにも迫力が足りない。
 だからなのか、はたまた最初から止める気などサラサラないのか、手は止まる事無く脇腹をくすぐり続ける。
 笑いすぎて腹筋が痛くなる。息も絶え絶えになり、身体から力が抜けていく。
「もうっ……止めっ……!」
 笑いすぎて掠れた声で懇願するように言葉を漏らす。その声を聞いてようやく解放する気になったらしい。腹に回されていた手がスルリと離れていった。

 ガクリと膝を付き、両手を床上に置いた。
 肩で大きく呼吸をする。
 その呼吸が少し落ち着いたところで、ギロリと、背後に立つ男を睨み付けた。
「てめっ、フリックっ! どういうつもりだっ!」
 笑いすぎて掠れた声で怒鳴りつけると、ビクトールをくすぐり倒していた犯人であるフリックは、なんの悪びれもなくシレッとした顔で答えを返してきた。
「別に深い意味は無いんだが。強いて言えば、脂肪が厚いその腹にはちゃんと触覚があるのかどうか、急に気になったから調べてみたくなったって感じか?」
「俺に聞くんじゃねーよっ! ンだそりゃあっ! 俺の腹に脂肪はねーっつってんだろうがっ、腹筋割れてンだろっ、どこ見てそんな事言いやがってんだっ!」
「世の中、上には上が居るんだよ。とりあえず、ハンフリーくらいになるまではお前に腹筋を語る資格は無いからな」
「んだと、このっ………!」
 ポンポンと調子よく返された言葉に怒鳴り返しかけ、ふと気付く。
「――――なんで、そこでハンフリーの名前が出てくるんだ?」
 沸き上がった疑問を口にする。だが、フリックはその言葉に耳を傾けた様子もなく、ビクトールの存在を無視するようにカミューへと向き直り、にこやかに言葉を交わし始めている。
「悪かったな。会話の邪魔をして」
「いいえ。なかなか面白いモノを見られましたから。構いませんよ。これからお仕事ですか?」
「これからと言うよりも、この後もって感じだな。ちょっと息抜きに来ただけだから」
「そうですか。お仕事、頑張って下さいね」
「あぁ、ありがとう」
 笑顔で見送るカミューに笑顔で返し、フリックはさっさとこの場から立ち去ってしまった。
 ビクトールの事など、見向きもしないで。
「――――弄ばれただけか、俺は――――」

 アイツの息抜きの道具として、弄ばれただけなのか。

 ガクリと、その場に崩れ落ちる。
 そんなビクトールを横目に、カミューは楽しげに呟いた。

「愛ですねぇ………」

 正直首を傾げたい言葉だった。
 愛があったらこんな仕打ちはするまいと。
 しかし、相手がフリックだけにそうとも言えないかも知れない。
「何にしろ――――」


 なんでハンフリーと比べるのだろうか。

 
 それだけが異様に引っかかりを覚えてどうしようもないビクトールだった。























なんて事の無い日常話。













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息抜き