愛の言霊





「今日が何の日か、知ってますか?」
 カミューに誘われ赴いたレストランで朝食を食べている最中、何の前触れもなく突然、前の席に座していたカミューがそう問いかけてきた。
 その言葉に軽く首を傾げる。
「今日って……4月1日か?」
「えぇ、そうですよ」
 その日にちには記憶がない。会議があるわけでもないし、遠征の予定も入っていない。都市同盟やマチルダの祝日かなにかだろうか。しかし、そんな日だという記憶もない。一応、そこら辺の知識も頭に入っているのだが。
「――――何かある日だったか?」
 考えてみたけれども結局分からず、眉間に皺を寄せながら問いかける。その問いに、カミューは楽しそうに微笑み返してきた。
「ご存じなかったですか。今日は、嘘を付く日なんです」
「――――嘘を?」
「えぇ」
 にっこりと、もの凄く楽しそうに頷き返してきたカミューの顔をジッと見つめる。
 何故彼がそこまで楽しそうにしているのか、分からなくて。そもそも、嘘をつく日というのは何なのだろうか。何の意味があって、そんな日を制定したのだろうか。さっぱり分からない。
 その気持ちを表に出すために、眉間に深い皺を刻み込む。そして、素直に疑問を口に上らせた。
「なんなんだ、それは。そんな事をしてなんの意味があるんだ?」
「さぁ、それは他国人の私には分かりませんが。マチルダではそう言う日なんですよ。身近な人に一つだけ、絶対に本当ではないと分かる嘘を付かないといけないんです」
「――――絶対に本当ではない、嘘?」
「えぇ。嘘から出た誠、という言葉がありますよね。そう言うモノにならない嘘って事だと思いますよ」
「へぇ……」
 その国々で色々な習慣があるのは知っているが、そんな習慣があるとは初耳だ。
 しかし、そんな話を自分にするのは、何でだろうか。意味が分からず首を捻ると、フリックの内心を読んだのだろう。カミューがクスリと軽い笑みを零してきた。
「そう言う日だと言うことを、先に説明しておこうと、思いまして」
「先に?」
「えぇ。マイクが来る前に」
「カミュー」
 答えたカミューの言葉に被るように、レストランの入り口から聞き慣れた男の声が聞こえてきた。その声の方へと視線を向けると、そこには予想通りにマイクロトフの姿が。
 彼は真っ直ぐに、カミューの元へと歩み寄ってくる。そして、彼の目の前に立ち、真剣な顔で言葉をかけた。
「おはよう、カミュー。大嫌いだ」
「おはよう、マイク。大嫌いだ」
「――――は?」
 挨拶の後に続けられた言葉に、フリックは軽く目を見張った。そして、マジマジと二人の顔を見つめる。
「――――何を言って居るんだ、お前等」
 その言葉に、カミューはニコリと、柔らかな笑みを返してきた。
「さっき言ったでしょう? 今日は、身近な人に嘘を付く日なんですよ。絶対に、本当にならない嘘をね」
「あぁ、なる程……」
 だから、『大嫌い』なのか。確かに、二人の間でそれが誠になることは有り得ない気がする。
 とは言え、不思議な事はまだある。フリックは軽く首を傾げながら問いかけた。
「だからって、何も挨拶してすぐに嘘を付く必要はないんじゃないのか?」
「いいえ、すぐじゃないといけないんですよ」
「なんでだ?」
「嘘は、朝起きて最初に付かないといけないんです」
「――――なんだ、それは」
 理解不能な言葉のオンパレードに、眉間の皺は益々深くなる。そんなフリックの様子にカミューは苦笑を浮かべ、マイクロトフは困ったように眉尻を下げた。
「なんて言うんでしょうか。これは一種の、バレンタインのギフトの様なものなんです」
「それも、親密な関係になっている人間限定の、ですね」
 そこで一旦言葉を切ったカミューは、一口コーヒーを飲んだ後、続きを語り出した。
「なにしろ、朝一に言葉を交わさはいといけない訳ですから。近くで生活しているものじゃなければ具合が悪いでしょう?」
「確かに」
 じゃなかったら、相手に会うまでずっと無言でいなけばならないと言うことだ。それは少々、難しいかもしれない。
「詳しい経緯は、マチルダにある伝説に関わりがあるようですが、とにかく、今日の第一声にはある種の魔力があると言われているらしくて。その魔力に乗せて発した言葉の逆の意味になる事柄は、その一年ずっと変わらずに思い続けていられる、と言うことらしいです。だから、一年間の変わらぬ愛を誓うために、恋人や夫婦が言葉を交わし合うんですよ。まぁ、真面目に信じている人はそう多くないですけどね」
「魔力ね……眉唾な話だな」
「だから信じている人が少ないんですよ。そもそも、自分が魔力を持っていると自覚している人自体、少ないですからね」
「まぁな。誰にも知らされずに自覚するのは難しいだろう」
 答え、コーヒーカップに口を付けたところで、ふと気付く。
 カミューがマイクロトフと言葉を交わす前に、自分と話をしていたことに。
 フリックがその事実に気付いたことを察したのだろう。カミューはニッコリと、なんの裏もないと言いたげな綺麗な笑顔を返してきた。
「私はマチルダではなく、グラスランド出身ですから。そこまで形式に拘らなくても良いんですよ」
「――――そんないい加減な事で良いのか?」
「良いんですよ。所詮、言い伝えですし」
 綺麗な顔で悪びれなくそんな事を言ってくるカミューに、苦笑を浮かべる。自分も見た目に似合わぬ良い性格をしている自覚はあるが、彼もかなりのものがあるなと、思って。
 そんな相棒の言葉にもの申したい事があったらしい。マイクロトフが口を挟んできた。
「いい加減はいい加減ですが、他にも一応決まりがあるので。だから、他の人と会話をしても問題は無いと言えば、ないんですよ」
「他の決まり?」
「えぇ。魔力が籠もるのは、一言一句同じように返された言葉だけという、決まりがあるんです。唯一違って良いのは、互いの名前だけで。だから、普通の会話なら問題ないと言えば、ないんですよ。まぁ、しない方がより一層強い力がこもるとは、言われていますが」
 カミューを庇うように説明された言葉に、軽く頷き返す。良くもまぁ、そこまで色々と考えるモノだと感心しながら。いったいいつ、誰が、何のためにそんな話を作り上げたのかは、知らないが。
 だが、これだけは分かる。その話を作った人間は、相当夢見がちな奴だったのだろうと、言うことだけは。
「成る程ね……で、お前達はそのやりとりを、長いこと続けてきている訳か」
「えぇ。私がマチルダにきた、次の年から毎年ですね。今のところ、幸いにもどちらかがその日に戦場にかり出されている、と言うことはありませんでしたから」
「それはラッキーだったな」
「えぇ。本当に」
 向けられた柔らかな笑みは、演技でもなく本当に嬉しそうだった。
 もしかしたら自分は、彼に惚気られるために食事に誘われたのだろうか。
 多分、そうなのだろう。
 沢山の人間が集まる同盟軍の本拠地には、色々な人間が居る。種族の違うモノ、出身が違うモノ。宗教が違うモノも。モノの考え方も生活習慣もバラバラだ。だから、自分が気に入らない事だからと言って直ぐさま声高に非難してくるモノは少ない。だからといって、他の人間とは違う生活習慣や趣向をオープンにしているものは、少ないが。
 同性で付き合っている者達もそうだ。例えオープンにしても非難したり嫌悪したりするものは少ないと思うが、、基本的に皆、口外していない。知らせたい者にだけ知らせておけばいいと言うスタンスを取っている。だから、惚気るには相手を選ばなければならないのだ。カミューとマイクロトフの関係を知っているモノはそれなりに居るのだが、今回は、自分に白羽の矢を立てられたらしい。
 まったくもって迷惑な話だと思っていたら、マイクロトフが興味深そうに瞳を輝かせながら問いかけてきた。
「トランの方には、そう言うものは何かありましたか?」
「さぁな。あるのかも知れないが、俺はガキの頃からそう言うモノに興味がなかったから」
 分からないと、言下に告げると、カミューが苦笑を浮かべて返してくる。
「フリックさんらしいですね。では、今年はマチルダ流にしてみたらどうですか?」
「マチルダ流って、さっきのか?」
「えぇ。ビクトールさん辺りと。より一層仲良くなれるかも知れませんよ」
「冗談……」
 からかうような口調で告げられたカミューの提案を、鼻先で軽く笑って返す。だが、ふと思いついた。別に、カミュー達が交わしていた言葉じゃないといけないと言う規則は、ないのだと。
 そう思ったところで、カミューが今まさにレストランにやってきたばかりにビクトールを見つけたらしい。薄い笑みを浮かべ、開いている席を探しているビクトールへと、手を振った。
 カミューがいるテーブルに、フリックもいる事に気付いたのだろう。ビクトールは嬉しそうに頬を引き上げた。
「おはようさん。なんだなんだ、朝から色男ばっか集まりやがって。美青年攻撃の布陣をかえる算段か?」
「そんな事してませんよ」
 軽い笑みを浮かべながら軽口に言葉を返すカミューにガキくさい笑みを返したビクトールは、そこでようやくこちらに視線を向けてきた。そして、機嫌良さそうに、口を開く。
 だがフリックは、その口から言葉が出てくる前に、男の名を口にした
「ビクトール」
 呼ばれたビクトールが、キョトンと目を丸める。このタイミングで名前を呼ばれると思っていなかったのだろう。
 そんなビクトールに、柔らかく微笑みかける。
 そして一言、告げた。
「俺もお前を、愛してるぜ」
 フリックが発した言葉を聞き、ビクトールが大きく目を見開いた。
 カミューとマイクロトフも。そして、回りに居た客までも。
 ビクトールが、こちらの真意を窺うようにジッと瞳を覗き込んでくる。その瞳にニヤリと、笑いかけた。裏がありそうで、無さそうな。どちらか掴みかねる感じの笑みを。
 そんなフリックの表情をどう読んだのだろうか。ビクトールはゆるりと口端を引き上げた。
 そして、妙に格好つけた表情を浮かべながら、口を開く。
「フリック。俺もお前を、愛してるぜ」
 名前以外の一言一句、言葉の切り方すらも同じように言葉を返してきたビクトールに、フリックはニッコリと笑いかけた。心の底から満足して。
 カミューは必死に笑いをかみ殺し、マイクロトフは同情の眼差しをビクトールに向けている。
 そんな回りの反応に、ビクトールは訝しむように眉間に皺を寄せた。
「――――なんだよ、やっぱなんかあるんか?」
「いいや、別に。俺の気持ちをはっきりと伝えただけだ」
「本当か? にしちゃぁ……」
 何故カミューが笑っているのだと言いたげに、未だに腹を抱えて笑いをかみ殺している男の端整な顔を見つめる。
 その無言の言葉に軽く肩をすくめてみせる。さっぱり分からないと言いたげに。
「さぁな。本人に聞いてくれ」
 短く答えた後、直ぐさま席を立つ。そして、同じテーブルについている人間にザッと視線を走らせた。
「そろそろ時間だから、先に失礼するよ。マイクロトフ、面白い話をしてくれてありがとう」
「いえ……」
 軽く首を振りながら、マイクロトフはチラリと、ビクトールの顔を見る。彼のためには、言わなかった方が良いのではないかと、言うように。
 そんなマイクロトフの仕草にクスリと笑みを零した後、ヒラリと右手を振りながら踵を返した。
「じゃあな。ビクトール、今日はサボらないで仕事に行けよ」
「最近はそんなにさぼってねぇよ」
 自慢にならない事を自慢げに言ってきたビクトールに、再度右手を振ってやる。適当に、おざなりに。どうでも良いことを聞いたと言わんばかりに。
 そんな仕草に、ビクトールが軽く腹を立てたのが背中に伝わってくる気配から感じ取れたが、無視してさっさとレストランから足を踏み出す。
 多分、自分が立ち去った後、カミューが面白がって事の真相を語るだろう。そして、マイクロトフが必死に慰めるに違いない。タダの言い伝えだから、そんなに気にすることはないと。
 その慰めを台無しにするようにカミューが、そのお陰で自分達は今まで仲良くやってこられたのだとでも、言いそうだ。
「さて、どう出てくるか」
 クツリと、喉の奥で笑う。ある程度予想は付いているが、こういうとき、偶に全く予想していなかった行動を取ったりもする。それが楽しみで、彼をからかう事を止められない。からかわれた方にしてみたら、大変迷惑な話だろうが。
 それでも自分から離れようとしないビクトールは、相当な物好きだと思う。
 その物好きがいつまで続くのか。
 ゆるりと口端を引き上げ、歩幅を僅かに広くする。
 彼と共に居る事で得ている、日常をこなすために。 



















言い訳はしません。







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