プラプラと、何をするでもなく街中を歩いていたビクトールは、ふとなにかに引かれて視線を流した。そして、軽く目を見張る。建物の壁によりかかるようにして、フリックが立っているのを目にして。
仲間になってから数ヶ月しか経っていないので、彼の事で分からない事は多々ある。だが、こんな所でボンヤリと突っ立って居られる程暇な男ではない事だけは、分かっている。アジトに腰を落ち着けている時間も短いし、アジトに居るときにもなにやらバタバタしている事が常なのだ。遊んでいる姿もボンヤリしている姿も、一度も見た事がない。常にリーダーであり、彼の恋人でもあるオデッサの為に立ち回っている。
そんな彼が街中いると言う事は、ここで何かが起こると言う事だろうか。それとも、後の活動に備えて視察にでも来ているのだろうか。
そう思いながらフリックの様子を確認してみたが、見ている間、彼はなんの動きも見せなかった。何かを観察しているわけでも、誰かを探しているわけでもなさそうだ。ただただ、ハッとする程綺麗な顔を前方へと向け続けている。
その綺麗な顔には、表情らしい表情も浮かんでいない。心の動きが面白いくらいに良く顔に出るフリックにしては、珍しい事だ。珍しいどころか、そんな表情が無い顔など、今まで一度も見たことがない。
だからだろうか。なんとなく気になり、その場に立ち止まってフリックの姿を見続ける。
大分距離があるから気付かれないだろうが、一応気配を殺しつつ。
そこでふと、気が付いた。あんなに綺麗な顔をした男に、誰も注意を払っていない事に。
普段歩いている時は、隣にいてもわかるほどに視線を投げ掛けられるのに。なのに何故、見てくれと言わんばかりに突っ立っている彼の姿に、誰一人として視線を向けないのだろうか。
不思議に思いつつ見つめ続けていると、彫像のように全く動かなかった男が、ピクリと体を動かした。そして、無表情だった顔に微かな笑みを浮かべる。
途端に、回りの人間の視線が彼にむいた。ソコに彼がいたことに、今まさに気付いたと言わんばかりに。
そんな回りの反応にまったく気付いていないのか、はたまた慣れた事だから気にしないでいるのか、フリックは回りの様子になど視線一つ向けずに、微かな笑みを浮かべたまま一点を見つめている。
いったい何を見ているのかと視線の先へ顔を向ければ、ビクトールの瞳には直ぐさま見慣れた女の姿が飛び込んできた。
長い茶色い髪の毛を揺らしながら歩み寄ってくる、オデッサの姿が。
フリックと待ち合わせをしていたのだろうか。それとも、彼女が帰ってくるタイミングを見計らってフリックが出迎えに来ていたのだろうか。なんにしろ、フリックの姿を見つけたらしいオデッサの顔には、零れんばかりの笑顔が浮かび上がっている。
それを迎えるフリックの顔にも、笑みが浮かんでいた。
そのフリックの笑みを見て、軽く首を傾げる。なんとなく、違和感を感じて。
いったい何に違和感を感じているのだろうかと首を捻ったビクトールだったが、すぐにその原因に思い至って軽く手を打った。
普段ガキ臭いと言うか、青臭い言動と行動を繰り返している彼にしては、妙に大人びた笑みを見せている事に、違和感を感じたのだ。
だが、ビクトールが感じている違和感をオデッサは感じていないようだ。驚いた様子も見せずに彼の目の前まで歩み寄り、楽しげに言葉を交わしている。
もしかしたら、普段自分達の前ではガキ臭くて青臭い姿を見せているフリックではあるが、恋人であるオデッサだけの前ではしっかりとした態度を見せる事もあるのかもしれない。ガキくさい上に青臭いだけの人間では、開放軍のリーダーなんてものを勤める女を支えられないだろうし。
普段の彼等を見ている限り、恋人同士と言うよりも姉と弟と言った方が良さそうな関係にしか見えないのだが、端から見る程フリックの存在はオデッサにとって小さくないのだろう。それは、フリックに向けるオデッサの嬉しそうな顔からも読み取れる。恋人同士というのは何かの時の為にふれ回っている嘘で、実際の所はフリックの片思いなのではないかと思う事もあったのだが、ちゃんと恋人同士なのだ、彼等は。
チクリと、胸の奥に痛みが走る。なんの痛みかは、わからないが。わからないから、唐突に感じた痛みを無視して二人の姿を見続ける。
すると、フリックの言葉を聞いていたオデッサが驚きを示すように軽く瞳を見開いた。だが、すぐに悪戯を思い付いた子供のような笑みを浮かべる。そして、フリックの腕に己の腕を絡み付け、彼をどこかに先導しようとするように、その腕を引っ張り始めた。
強引にも見えるオデッサの行動に逆らう気は無いのか。呆れたような顔をした後に苦笑を浮かべたフリックは、彼女に引かれるままに足を動かし始めた。
ゆっくりと歩を進め出した二人の姿を、通りを歩く人間に紛れて見えなくなるまで見つめ続けた。そして、二人の姿が視界から消えたところで、小さく息を吐き出す。そうしようと思ったわけでもないのに、自然と。
そんな自分に驚いて軽く目を見張ったビクトールは、身体が妙に強張っている事を感じて苦笑を浮かべた。
どうやら自分は緊張していたらしい。だから、緊張が解けて、身体から力が抜けたと同時に、自然と息が出たのだろう。
「緊張するような事なんて、ねぇだろうによ」
なんなんだと、心の内で自分自身に問いかけながら、体をほぐすために軽く腕を回す。
特にやる事が無くて暇だったとは言え、仲間の姿を盗み見るなんて。しかも、楽しそうな恋人達の語らいを観察するなんて。自分はいったい何をやっているのだろうか。
もしかしたら、無意識の内に羨ましいと思ったのかもしれない。心を寄り添わせる存在がある、彼等の事を。だから、目が放せなかったのかもしれない。
そんな自分の考えに、苦笑を刻む。それこそ、何を考えているのだと心の内で自分自身に突っ込みながら。
いい加減この場からはなれた方が良いだろう。自然と、そう思った。いつまでもこんな所に突っ立っているから、アホな事を考えるのだろうと。
その考えにようやく、止めていた足を動かした。
途端に、背中から知った声が投げかけられる。
「あら、ビクトール」
軽やかな声に慌てて視線をむけると、そこには腕を絡めあったままのフリックとオデッサの姿があった。
「偶然ね。なにしてるの?」
ニコニコと楽しげに声をかけてくるオデッサの言葉に、一瞬口を噤んだ。つい先程まで二人の様子を盗み見ていた為、ばつが悪くなって。
そのばつの悪さを五噛まそうと思っていた訳ではないが、真っ直ぐなオデッサの瞳を見ていたら何もかもを喋ってしまいそうな気分に囚われたので、視線をオデッサから彼女と腕を組んでいるフリックへと移した。
すると彼は、嫌そうに、ばつが悪そうに顔を歪めてこちらに視線を向けていた。視線を向けるだけではない。微妙に敵意すら感じる眼差しだ。
その顔には、先程見た大人びた表情は欠片も見えない。いつものガキくさくて青臭い彼と同じ印象を受ける表情だ。
ビクトールがそう判断した事に気付いているとは思えないが、ビクトールの視線に何か感じ取ったのか。はたまた、仲良く寄り添う姿を知り合いに見られて恥ずかしかったのか、フリックは腕に絡んでいるオデッサの腕を咎めるように軽く叩いた。
「――――オデッサ」
「なに?」
「なに、じゃない。腕」
「良いじゃない。恋人同士なんだから。偶には見せつけてあげましょうよ」
「オデッサ……」
「ねぇ? ビクトールもそう思うでしょ?」
「え? あぁ」
仲睦ましい会話の後に屈託無い笑みを浮かべながら問いかけられ、思わず頷き返してしまった。そんな条件反射の様な同意でも満足だったらしい。オデッサの笑みは深くなった。そして、やんわりと腕を放そうとしていたフリックの動きを抑えるように絡める腕を強めてから、恋人の顔を見上げる。
「ホラ、ビクトールもそう言ってるし。気にしない気にしない」
言葉の終わりに、ニコッと子供っぽい可愛らしい笑みを浮かべた。
そんな笑みを向けられたら、否とは言えなくなったらしい。フリックは困ったように眦を下げた後、諦めたと言わんばかりに深々と息を吐き出した。
だが、腕を絡めたままの状態で長々と自分の前に居たくは無かったらしい。先を促すようにオデッサの腕を軽く叩く。
「オデッサ」
「分かってるわ。じゃあ、私たちは用事があるから、行くわね」
「あぁ。仕事か?」
「野暮な事聞かないの」
「――――オデッサ」
適当にかけたビクトールの問いかけに、オデッサは含みのある笑みを見せながら答えとも言えない答えを返してきた。そんなオデッサの言葉に、フリックが咎めるように名前を呼ぶ。いや、咎めるようなと言うよりも、恥ずかしそうにと言った方が良いかも知れない。
フリックの表情の動きと声音で、ピンと来た。二人はこの後、リーダーと副リーダーではなく、恋人同士の時間を持つつもりなのだと。
ニヤリと、笑い返す。
好色そうには見えないように、気をつけながら。それでも、表情と声音にからかいの色を十分に出す事に、気を回しながら。
「そうか。なら、邪魔者はさっさと立ち去るぜ」
「ありがとう。じゃあ、またね」
「あぁ。楽しんで来いよ」
「五月蝿い。余計な事を言うな」
嬉しそうな笑みを浮かべながら手を振り返してくるオデッサとは対照的に、フリックは睨み付けながら言葉を返してくる。そんなフリックを咎めるようにオデッサが腕を絡めたまま身体をぶつけていたが、フリックには言葉を改める気が無いらしい。それ以上ビクトールに言葉をかけることなく、歩を進めていった。
オデッサに弱いフリックではあるが、譲れないものもあるらしい。オデッサもそう判断したのか、苦笑を浮かべたオデッサは歩を進めながら振り返り、笑みを浮かべながら手を振ってくる。
そのジェスチャーは、ごめんなさいとも、フリックのこんなところも可愛いでしょと言っているようにも見える。もしかしたら、その両方の意味があるのかも知れないし、ただたんに挨拶変わりに手を振っただけかもしれない。
オデッサが行動の下に隠した言葉の意味は分からないが、とりあえず応えるように手を振り返したビクトールは、腕を絡めたまま歩を進めていく二人の背中を、ジッと見送った。
何を話しているのかは分からない。その表情も、確認する事は出来ない。だがきっと、普段は見せない柔らかな表情を浮かべているのだろう。
オデッサも、フリックも。
互いにしか見せない顔を、見せているに違いない。
ズキリと、胸に痛みが走った。
先程と同じ、原因の分からない痛みが。
その痛みを誤魔化すように、言葉を発する。
「仲が良くて、良いこった」
強がりでもなんでもなく、本気でそう思う。
そう思うのに、何故こんなにも言葉が浮いているように感じているのだろうか。
「――――ま、どうでも良い事だな。うん」
自分自身に言い聞かせるようにそう言葉を発し、口端を引き上げる。クセのある笑みを描くために。
そしてゆっくりと踵を返し、歩を進めた。
二人が歩き去った方向とは、逆の方向へと。
目的地など無いけれど、なんとなく。彼等から離れた場所に行きたいと、思いながら。
















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二人だけの