いつものようにビクトールの巫山戯た行動を雷一発で諫めたフリックは、魔力の名残が残る右手をプラリと振りながら踵を返し、自室への道を辿り始めた。
その視界に、物問いたげなチッチの姿を映る。
無視しようかと、思った。自分から他人に関わるのは面倒くさいから。
しかし、相手は一応上司だ。人生経験が足りなかろうと、自分たちで彼を旗頭にした人物だ。その人物が自分を見ている事に気付いていて無視するのは、まずいだろう。一応軍の幹部にされて居る事だし。
周りからは分からないよう、小さく息を吐き出した。これも仕事の内だと思いながらも、面倒臭さは消し去ることが出来なくて。
「――――どうした?」
流れるような動作でチッチの目の前まで歩み寄り、面倒がっているのをおくびも出さずに、いつもの気の良い人間の顔を作りながら軽く首を傾げて問いかけると、チッチは一瞬大きく目を見開いた。どうやら自分の事を凝視していたことに気付かれているとは、思っていなかったらしい。
「えっと、あの………」
しどろもどろに言葉を発しながら、チッチはキョロキョロと辺りを見回した。
どうやらあまり人に聞かれたくない類の話があるらしい。そう判断し、フリックは軽く顎をしゃくった。
「俺の部屋に来るか。酒しかないから、なにももてなしはできないが」
「あ、はい。別に、気を遣っていただかなくても良いんで、出来れば……」
かけた言葉に、チッチは数度瞬いた後コクリと頷き返してきた。そして、こちらの反応を窺うように上目遣いで問いかけてくる。
そんなチッチに薄く笑いかけ、行動を促すように先を歩くと、チッチは素直に後を付いてきた。
ナナミほどではないが話し好きなチッチが、一言も口をきかずに。
軽く首を傾げる。これは結構深刻な話だろうかと、思って。だが、年齢の割には肝が据わっているチッチが、移動中に世間話をするのも控えるほど重たい話題には、思い当たる節がない。
いったい何を話す気なのか。少々気になりながらも歩くペースを崩すことなく自室まで歩を進めたフリックは、辿り着いた部屋の扉を開いてチッチを中に入れ、椅子の一つをすすめた。おずおずと腰を下ろすチッチの姿を横目で確認しながら、自分も彼の向かい側の席に腰を下ろす。そして、おもむろに問いかける。
「で、なんだ?」
なんの前置きもなく発した問いに、チッチはジッとフリックの瞳を見つめてきた。だが、すぐに視線を外し、迷うように間をおく。
そして、意を決したように顔を上げて口を開いた。
「――――フリックさん」
「なんだ?」
「フリックさんって、ビクトールさんの事、嫌いなんですか?」
予想もしなかった問いかけに目を丸める。
「――――なんで、そんなこと聞くんだ?」
「だって………」
そこで一旦言葉を飲み込んだチッチは、僅かに言い淀み、再び視線を落とした。そしてボソボソと、言い訳するような口調で言葉を続けてくる。
「だって、フリックさん。いつもビクトールさんに酷い事するじゃないですか。だから……」
どうやらフリックがビクトールに雷を落としまくっている事に関して、抗議したいらしい。
軽く頭を掻く。第三者から抗議されるほど酷い目にあわせていたつもりは、無かったので。
なにしろ、ビクトールに雷を落とすのは仕置きの時なのだ。巷で見かける、親が出来の悪い子供に拳を振り下ろしているのと同じ感覚で雷を落としているのだ。
とはいえ、普通仕置きは殴るくらいで済ますものなのだろうから、チッチから見たら自分の仕打ちは過剰だと思われても仕方ない。そこに個人的な感情が挟まっていると思われるのも、致し方ないことかも知れない。攻撃系の紋章技は、気軽に人にぶつけるものではないのだから。
しかし、わざわざ紋章技を使って仕置きしているのにも理由があるのだ。聞かれても居ない事をわざわざ教える趣味はないから、言わないが。
聞かれても居ないことをわざわざ教える趣味はないが、聞かれて答えられることはきちんと答えるようにしている。なので、寄越された問いかけには答えを返した。
「別に、嫌いじゃないぜ」
嘘偽り無い言葉を返してやったのだが、チッチはもの凄く不審そうな顔を寄越してきた。
信じられないと、睨むような瞳が告げてきている。だが、そんな表情を寄越されても困る。本当に、その言葉に嘘はないので。
さて、どう言ったら信用してくれるのだろうかと首を傾げていたら、チッチが更に問いかけを寄越してきた。
「じゃあ、好きか嫌いかの二択で取ったら、どっちなんですか?」
「好きか嫌いかの二択しかないのなら、好きだと答えるだろうな」
あっさりと、答えを返す。
その言葉をビクトール本人が耳にしていたら、泣いて喜んだだろう。常々その手の言葉を求めている男だから。
まぁ、この場にビクトールが居ないからこそあっさり答えたところもあるのだが。
そんなフリックの内心を知ってか知らずか、チッチは不審感丸出しな瞳を寄越してきた。
「――――本当ですか?」
「あぁ。嫌いだったら、今頃あいつは白骨体だ」
出来る限り控えめな表現をしたのに、チッチはフリックの言葉を耳にした途端、イヤそうに顔を歪めてきた。
「――――フリックさん。その物騒なたとえはどうにかならないんですか?」
「ならないな」
キッパリと言い切ったら、チッチはもっとイヤそうに顔を歪めた。そして、その言葉を正そうとするかのように口を開きかけたが、その話題を続けても面白い事にはならないと思ったのだろう。気を取り直したように表情を改め、言葉を続けてきた。
「じゃあ、オデッサさんとビクトールさんだったら、どっちが好きなんですか?」
その問いかけは全く予想していなかったものなので、大きく目を見張った。
自分とオデッサのことはかなり有名な話なので、チッチが知っていてもおかしくはない。おかしくはないが、今まで彼がその話題に触れてきたことはなかった。チッチだけではない。同盟軍の本拠地を構えてからと言うもの、オデッサに関して話を振られたことはほとんど無かった。
多分、ビクトールが何か根回ししたのだろう。彼女の話を振られたら、自分がナーバスになると、勝手に判断して。それなのに今、あえてその名を口に出す意味はなんなのだろうか。
チッチの真意が分からず、彼の瞳をジッと見つめた。その心を内を推し量るために。
見つめた瞳には、強い光が宿っていた。真っ直ぐな、迷いのない光が。
好奇心で聞いているわけではないと、その瞳から判断できた。ならば、なんのつもりで聞いてきたのか。
しばらくその胸の内を推し量ってみたが、これだと思える答えを導き出すことは出来なかった。なのでゆっくりと、口を開く。
「そんなのオデッサに決まってるだろうが」
答えた言葉に、チッチは軽く傷ついた表情を浮かべた。分かっては居ても、本人から直接言われたくはなかったと言うように。
スッと視線を下げたチッチは、しばし己の手元を見つめていた。
どうやらまだ問いかけたいことがあるようだ。しかもそうとう聞きにくいことらしい。いったい何をと思いながらも次の言葉を待っていたら、意を決したようにフリックの顔を見つめ直してくる。そして、恐る恐ると言った雰囲気で口を開いてきた。
「――――フリックさんとオデッサさんは、恋人同士だったんですよね」
先程と同じ真剣そのものな眼差しで寄越されたその問いかけに、口元に小さく笑みを浮かべる。
そしてきっぱりと、返した。
「あぁ」
「オデッサさんの事が好きだから、一緒に解放軍をやってたんですか?」
「あぁ。彼女の力になりたかったからな」
「亡くなった後も解放軍に居て帝国を倒したのは、それがオデッサさんの願いだったからですか?」
「あぁ」
嘘偽り無い言葉には説得力があったのだろう。チッチは不審を表すような眼差しを向けてくることはしなかった。代わりに、より真剣な瞳を寄越してくる。
「――――じゃあ、ビクトールさんとは、なんで一緒に居るんですか?」
「借りがあったからな」
ゆるりと口元を引き上げながら答えれば、チッチはキョトンと目を丸めた。
「借り、ですか?」
「あぁ。3つ程な」
グレッグミンスターと、砂漠と、ミューズで。自分が頼んだことではないし、彼のせいで状況が悪化したというものもあったりするのだが、それでも彼が居なかったら、生き残る可能性よりも死ぬ可能性の方が高かっただろう。ミューズの件は、無理矢理貸し付けられた感があるのだが。
最初の切っ掛けは確かにその大きな借りだったのは事実だからそう告げたのだが、どうやらその答えはショックだったらしい。チッチは強張った表情を浮かべて固まっている。
どうやら、もっと情の通った言葉を望んでいたらしい。
そう内心を読み取り、苦笑を零す。凄く大人のようで居て、凄く子供だ。そんな反応が、オデッサに良く似ているなと、思って。
人の上に立つ人間というのは、どこか似てくる物なのだろうか。だから、彼に手を貸してやりたいと思ってしまったのだろうか。
そんなことを考えたからだろう。余計な言葉を付け足してしまった。
「切っ掛けは、それだな」
「――――切っ掛け?」
その一言に軽く瞳を瞬かせたチッチは、すぐに真剣な眼差しでフリックの顔を見つめ返してきた。
「じゃあ、今は違う理由で一緒に居るって事ですか?」
「あぁ。借りなんてとっくのとうに返せていると思っているからな」
ニッと含みのありそうな笑みを浮かべてみせる。その笑みに、チッチはテーブルの上に身体を乗り出してきた。
「じゃあ、今の理由はなんなんですか?」
「知りたいか?」
テーブルの上に左肘を乗せ、その手の上に己の顔を乗せた形で首を傾げて問い返す。その言葉に、チッチは大きく頷き返してきた。
「是非とも知りたいです」
そう言いきり、答えを請うように見つめてくるチッチに、ニッコリと笑い返した。
一見するとなんのふくみもなさそうな、さわやかな笑みだ。
その笑みを見て、チッチが息を飲んだ。頬が軽く朱色に染まる。そんなチッチの反応を目にしてニヤリと口元を緩め、ゆっくりと口を開く。
「教えない」
「――――フリックさん」
短い答えに、チッチはあからさまに傷ついた表情を浮かべてみせる。
そんなチッチに苦笑を返した後、ヒラリと右手を振って返した。
「心配するな。アレはコミュニケーションの一種だからな。翌日にダメージが残るようなやり方はしてない。それに、耐久力を付けるのに良い訓練になってるんだぜ。ソレを分かってるから、ビクトールも甘んじてうけてるんだ」
「でも………」
「俺の言葉が信用出来ないっていうなら、お前も一度受けてみるか? 体験してみたら、後に引かないのがよく分かるぜ?」
「いいいいいい、いいえ! 遠慮しますっ!」
軽く首を捻り、お伺いを立てるように問いかけると、思いっきり激しく首を左右に振って断られた。
そんなチッチの仕草を見て苦笑を漏らしつつ、軽く身体を伸ばしてポンと、チッチの頭を叩いた。
「とにかく、アイツが憎くてやってるわけじゃない。軍のトップに立つ人間としては色々思うところはあるかも知れないが、深刻に考えるなよ」
「でも………」
納得できないと言う表情を浮かべ、何かを言いかけたチッチだったが、結局言わないでおく事にしたらしい。小さくコクリと、頷き返してきた。
「―――そうですよね。よく考えたら、フリックさんが嫌いな人と何年も一緒に居るわけないですしね。うん、大丈夫ですね!」
最初は自分に言い聞かせるように呟いてたチッチだったが、発した自分の言葉に力を得たらしい。後半は力強く頷いた。そして勢いよくこちらに顔を向けると、ニコリと、満面の笑みを浮かべて見せた。
「フリックさんのその言葉を、信じます。でも、やっぱりちょっとビクトールさんが可哀想に思えることがいっぱいあるんで、もうちょっと優しくしてあげてくださいね」
「善処しよう」
「お願いします」
言葉を発しながら深々と頭を下げたチッチは、それ以上余計な話をすることなく、部屋から出て行った。
そのチッチの背中を見送った後、ゆっくりとした足取りで窓辺に歩み寄った。そしてジッと、空を見る。
まだ大陽が出ている時間だ。彼女の姿を重ねてしまう月の影は、見えない。
それでも、どこかには必ず存在している。この世界から消えることは、決してない。
そんなところも、自分の身の内に生き続けている彼女に似ているなと思いながら、小さく笑みを零す。
ビクトールが死んだら、オデッサのように思い出すことがあるのだろうかと。
一瞬だけ考え、すぐに無いだろうと結論づける。
オデッサは、背中を守り、押してやる存在だった。
だが、ビクトールはそうじゃない。歩こうとしないのなら置いていくだけだし、背中を守る気もない。
しかし、背中を預けられる相手ではある。
自分の隣で戦うオデッサの姿は想像できないが、ビクトールだと容易に想像できる。むしろ、傍らで戦っている方がしっくりするぐらいだ。
自分にとってどちらの人間が必要な人間なのかは、考えるまでもない。
「居なくなったら居なくなったで、別になんの問題もないけどな」
ボソリと呟き、柔らかな笑みを作る。そしてゆっくりと、視線をドアへと向けた。
今まさに飛び込んでこようとしている男を、迎え入れるために。
〈20091007UP〉
その、存在