とうとう四日目の朝が来てしまった。
 ビクトールの記憶を取り戻す事が出来ないまま。
 取り戻す切っ掛けすら、手に入れられないまま。
「マジに帰るんすか? 副隊長〜〜」
 さっさと身支度を済ませ、酒場兼宿屋の主人から携帯食料を受け取っているフリックに恨みがましい視線を向けながら問いかければ、彼はチラリと視線を寄越してきたあと、軽く眉を跳ね上げた。
「最初にそう言ったはずだ。使えないと分かっている駒のために貴重な戦力を長々と戦線から外してはいられるほど、うちは人材に溢れているわけじゃないからな」
「それはわかってますけど〜〜〜」
 分かっているからと言って、納得出来るわけではない。
 この三日間、今はデネブと名乗っているビクトールと、何度も言葉を交わした。話せば話すほど、彼がビクトールであると確信できた。話し方や、表情の作り方。基本的な物の考え方が同じなのだ。
 記憶がないからか、以前はあった迫力というか、自然ににじみ出していたたくましさとか、そう言う物がなくなっていて多少違和感を覚えはしたが、だからと言って彼が別人になったとは思えない。環境が変わったら記憶が戻るかも知れない。完全に戻らないまでも、戻る切っ掛けを与えることが出来るかも知れないのだから、あの手この手で説得し、本拠地に連れて行くべきではないかと、ジュノーは考えていた。
 だが、フリックは全くそうは思わないらしい。ビクトールを発見してから毎日、少ない語彙を駆使して説得し続けてきたが、結局首を縦に振ってくれることはなかった。
「もういい加減諦めようよ〜。これ以上言っても副隊長の気持ちは変えられないよぉ?」
 背後からかけられた声にチラリと視線を流せば、そこには呆れたと言わんばかりのロレンスの顔があった。その隣には、冷ややかな眼差しのダレスがいる。
 ムッと、顔を歪めた。自分の味方が一人もいないその事実に、軽い怒りを感じて。
 だが、怒りにまかせて怒鳴ったところで、この場にいる仲間の気持ちを変えることなど出来ないことは、経験上いやというほどよく分かっている。ここは諦めざるを得ない。
 だが、ビクトールの事を諦めることは出来ない。絶対に。城に帰ったら、城主であるチッチに自分の考えを告げようと、心に決める。
 そんな決意を読まれていたのかも知れない。酒場の主人から荷物を受け取り、こちらに向かって歩み寄ってきたフリックに拳骨で殴られた。
「偏った報告は控えろよ。―――世話になった」
 ジュノーに一言告げた後、軽く上半身を捻って酒場の主人へと挨拶を投げたフリックは、その場に足をとどめたままのジュノーの背中を軽く叩くようにして先を促してきた。
 そんなことをされてその場に留まっていることなど、出来るわけがない。酒場の主人に軽く頭を下げた後、先に出ていった仲間の後を追いかけるようにして酒場を後にした。
 さほど大きくない村なので、少し歩いただけで門に辿り着き、あっという間に村を抜けてしまった。
 しばし無言で歩き進めた後、チラリと背後を振り返った。もの凄く、離れがたくて。
「軍を抜けるなら、残ってても良いぞ」
 少し前を歩いていたフリックが、そう声をかけてきた。ジュノーの姿が見えていたとは思えないのだが、その気配で後ろを振り返った事に気付いたのだろうか。たぶん、そうなのだろう。
 かけられた言葉に未練がましいジュノーの態度を揶揄するような色は見えなかった。本当に、そうしたければそうすればいいと思っているのだろう。
 ムッと顔を歪める。遠回しに、自分一人居なくなったところでなんの支障もないのだと言われているような気がして。実際、自分が軍を抜けたところでさほど影響は無いだろうと思う。思うけれども、だからと言って、だったら抜けるかと思う事はない。自分は今の仕事も、今の職場も、気に入っているのだ。
「帰るのは良いんですけどぉ。チッチと軍師さんには、どう言って納得して貰うつもりなんですかぁ?」
 不意に飛び込んできた第三者の声に素早く視線を前方へと向ければ、そこには軽く首を回してこちらに視線を向け、屈託のない笑みを浮かべているロレンスの姿があった。
 口調はいつも通り間の抜けたモノだったが、質問自体は鋭い。確かにソレは、ジュノーも気になっていた事だ。
 自分が正面から問いかけてもまともに答えてくれないかも知れないが、他の二人が問いかけたのなら少しは真面目に答えるかもしれない。そう思いつつフリックの様子を窺えば、彼は小さく口端を引き上げ、笑みの滲む声で答えを返した。
「目で見た事をそのまま報告するさ。チッチもシュウも馬鹿じゃない。真実を語れば納得するだろう」
「目で見たまま……?」
「あぁ」
 思わず零した言葉に、フリックがなんの感慨もない様子で頷き返してくる。その様を見て、カッと頭に血が沸いた。拳を握る手に力がこもる。話しながら進めていた歩も、止まる。
「見たままって……副隊長は、最初に一回会っただけじゃないっすかっ! そんなんで、今の隊長の何が分かるって言うんですかっ!」
 地面を踏みしめながら発した、その怒鳴るような声に、前を歩いていたフリックの足も止まった。そしてゆっくりと振り返る。
「―――一回見れば十分だろ。今のアイツは戦場に立てないよ」
「そんなの、やってみないと分からないじゃないっすかっ! いざとなったら、身体が覚えてて動くかもしんないしっ……!」
「無理だな。あんな小物のモンスター相手に棒立ちになってたんじゃ、人間相手に武器を振るえるわけがねぇよ」
「えっ………?」
 告げられた言葉の意味が一瞬分からなかった。いや、分かってはいたが彼の口からそんな言葉が出てくるなんて、予想もしていなかったから驚き、反応を示すことが出来なかったのだ。
「副隊長、おれ達の知らない所で隊長と会ってたんですかぁ?」
「あぁ。会うつもりはなかったが、暇つぶしに森の中を歩き回ってたらアイツを見かけたんでな。しばらく様子を見てたら、あっという間にモンスターに取り囲まれて攻撃食らって、今にも死にそうになってたから助けてやったんだよ」
 ロレンスの問いに、フリックはあっさりと頷きその時の様子を簡単に説明した。だが、そんな言葉を簡単に信じられるわけがない。ビクトール程の戦士が、記憶を無くしたくらいで武器の扱い方を忘れるわけがないと、思うから。
 そう思うのはジュノーだけではなかったらしい。ダレスも、更に詳しい状況を聞こうと問いかけを発した。
「武器を持っていなかったんですか?」
「いや。一応剣を持ってて、構えはしてた。一匹は倒せたんだが、あれはどう見ても偶然当たったって感じだったな。強がって見せてはいたが完全に腰が引けてたし、殺気どころか闘気すらなかった。モンスター達にしてみれば良い獲物だっただろうよ」
「誰でも最初は素人っすよ! 隊長よりも年寄りなのに志願してきて訓練してる奴らだっているじゃないっすか。本拠地に連れ帰って一から教育し直せば、隊長のことだからあっという間にそこらの奴より強くなりますって!」
「その可能性はゼロでは無いが。アレを村から引きずり出すのは無理だろ」
「それはっ……」
 その言葉には、反論したくても出来なかった。確かにその通りだったので。
 ビクトールに並々ならぬ執着を見せていた婚約者気取りのあの女が、彼を同盟軍の本拠地に行くことを許すわけがない。それでも、ビクトールにその気があれば連れていくことも出来たかも知れないが、彼は彼女の言うことに逆らえないのだ。
 グッと、口を噤む。どんなに頭を捻っても、反論の言葉が出てこなくて。
 そんなジュノーの姿を見て、フリックが僅かに口元をほころばせた。
「生きて動いている様を見たから、なかなか諦められないとは思うけどな。アイツのことは死んだものだと思って諦めろ」
 それだけ言って、フリックはさっさと歩を進めていく。ロレンスもダレスも、そんなフリックに素直に従って歩を進めだした。ジュノーだけが、足を踏み出せずにいた。
「諦めるなんて……そんなん、出来るわけねぇじゃねぇかよ……」
 呻くように言葉を漏らした。それでも、ここで引き返してあの村に戻る事は出来ない。これから先、ハイランドとの戦いが厳しい物になることが分かっているから。経験値のある戦士は、一人でも多くいた方が良いに決まっている。
 それが分かっていて自分の欲求を満たす事を優先させることは、出来ない。
「あの村が、もっと城に近けりゃ良かったのによ……」
 そうすれば、少ない休日の度に赴いてビクトールの様子を見ることが出来るのに。片道一週間近くかかってしまったら、そうそう簡単に来られやしない。
 いや、来るのは簡単だ。ビッキーに頼めばいいのだから。だが、戻ってくるのが容易ではない。気軽に飛ばして貰うわけにはいかない。
 深々と息を吐き出した。そして、ビクトールのいる村へと戻りたがっている身体をしかりつけつつ、歩を動かす。先を歩く、フリック達に追いつくために。住み慣れた城へと、戻るために。
 だが、その足は数歩進んだところで止まった。
 しばし地面を睨み付けた後、ゆっくりと振り返す。出てきてからさほど時間が経っていない、村の方へと視線を向けるために。
 そしてボソリと、呟いた。
「―――いつか絶対、連れ戻しに来ますからね」
 小さいけれども決意を秘めた声を漏らし、止めた足を再度動かし始めた。
 今度は足を止めることも振り返ることもせずに。
 ひたすら真っ直ぐに、居城への道を歩き進んだのだった。










最初はここからビクトールを復活させようと思っていたのですが、一度切り捨てたモノをフリックさんが再度取り上げることはないな、と思ったのでボツにしました。
城に帰っちゃったら本気でビクトールさんの事を綺麗サッパリ忘れ去ります。
それが我が家のフリックさん。

そうならなくて、良かったね………
と言う展開になる予定。
まだ、そうなっていないのですが……
しかし、「禽」まで仲良くやっているのでここで終了にするわけにはいかないので、今はビクトールに頑張っていただいております。
ビクトールの頑張りにこうご期待!



そんな、ボツ原稿の墓場まだお越し下さいまして、ありがとうございました!