フリックは風呂が好きだ。
 短くない付き合いで、ビクトールはそう認識していた。
 本当に好きなのかどうかは本人に確かめていないが、まず間違いないと思う。
 なぜなら、野宿が続く旅を続けている最中にも、チャンスがあれば川で水浴びをするくらいなのだ。嫌いなわけがない。
 そんなフリックは、この城の風呂が大層気に入ったらしく、時間があるときは毎日のように通っている。風呂など一週間に一度入れば良いと思っているビクトールから見れば、その回数は驚異的なまでに多い。
 ビクトールもその半分か、三分の一くらいの回数は彼につき合って風呂に入ってはいるが、風呂に入る事に喜びを感じている分けでもないし、元来烏の行水状態の入浴方法を取っているので、彼の入浴に最初から最後までつき合った事は無い。
 そんなビクトールであっても、遠征から帰ってきた後には大体風呂に入る。
 余程疲れが溜まっている時はそのまま寝るが、そうじゃないときは風呂場に直行する勢いで入浴するのだ。
 何故かというと、埃まみれの身体ではフリックは部屋に入れてくれないからだ。久し振りに会った喜びを伝える抱擁など、させてもくれない。
 やれ臭いだの、埃っぽいだのと。自分も遠征に出ている時にはそんな文句を口にしないくせに、自分が身綺麗な時には口うるさい程に文句を言ってくるのだ。
 そんなわけで、ビクトールは遠征から帰ってきたばかりの疲れた身体を引きずりながら、風呂場へと向っていた。
 番台に座るテツと軽く挨拶を交わし、脱衣所に足を踏み込んだビクトールは、そこに置いてあった物に軽く目を見張った。見慣れた青いマントが籠の中に見えたのだ。
「・・・・・・・・アイツも来てたのか。」
 と、言う事は、珍しく一緒に風呂から出て、同じ足で酒場に向う事が出来るかも知れない。そう思うと、身体に感じていた疲労がほんの少し緩和した。
 さっさと服を脱ぎ捨て、風呂場へと続く戸を開けると、視界いっぱいに真っ白な湯気が立ちこめる。それを追い払うように軽く手を振りながら湯船の方へと顔を向ければ、そこには予想通りフリックの姿があった。
 肩まで湯に浸かり、印象的な青い瞳を閉じている彼は、その口元に満足そうな笑みを浮かべている。
 その様子から、ビクトールは彼がしばらく風呂から上がる事はないだろうと察した。何故そう思うのかと聞かれたら返答に困るが、何となく分かったのだ。だからビクトールは己の身体を洗うべく、洗い場へと足を向けた。
 空いていた椅子を一つ取り、ドカリと座り込んだビクトールは、これでもかと言うくらいに己の身体を磨き上げる。いつもは適当に身体を洗っているのだが、瞳を閉じているとは言え、すぐそこにフリックがいるから、その作業にも力が入る。
 別に見られていないから適当に洗っても良いのではないかと思わないでもないが、そう言う行動を取って後でフリックに叱られた、と言う事が数え切れない程あるのだ。
 遠征から帰ってきて久し振りに会ったというのに、第一声で怒られたなどという事にならないためにも、ビクトールは己の身体を磨き上げていく。
 これ以上無いくらい真剣に自分の身体を洗っていたビクトールは、相棒に向って一人の人間が歩み寄っていく気配を感じて視線を向けた。
 そこには、相棒にちょっかいをかけているゴツイ男が一人。
 どこかで見かけたような気もするのだが、いまいち記憶に残っていない。人の顔を覚える事に関しては結構自信があるので、あまり覚えていないと言う事は新参者の兵かも知れない。その男が、湯船に浸かっているフリックの傍らに座り込み、何やら話しかけている。
「・・・・・・・・こんな所でナンパかよ・・・・・・・・」
 ビクトールは、男の行動をそう判断した。
 そうしたくなる男の気持ちも何となく分かる。
 フリックは、どこに行くときでも常に帯剣している。そんな彼に下手なちょっかいをかけたら怪我を負いかねないだろう。彼は腕が立つ上に、意外とけんかっ早いのだ。それは、この城に集まる人間の全てが理解している事だ。
 だから、彼の手元に武器が無いこの時にちょっかいをかけたのだろう。
 湯船に浸かって安らいだ表情を見せるフリックからは、警戒心などかけらも見受けられないし、何よりも、今は彼の相棒である自分が遠征に出ていていないから、自分が痛手を負う事は無いはずだと。そう判断したのかも知れない。
 フリックの腕が立つのは剣だけでなく紋章もだが、彼が常に付けている雷の紋章は、水の多い場所では使えない。だから、風呂場などで使うはずはない。と、言う事は、武器も無く紋章も使えない今のフリックは丸腰同然の姿なのだ。
 名の通った傭兵とはいえ、言い寄る男に比べたらその身体は一回りも二回りも小さい。暴れられても取り押さえられると判断したのだろう。
 人の目は多いが、そんな事は気にならないらしい。その心意気はなんとも逞しいと思ってしまった。
 そんな状況だと分かっているのなら、さっさと助けに行こうと思うのが普通だろうが、ビクトールは少しもそんな気にならなかった。
 なぜなら、フリックの強さはビクトールが一番良く分かっているからだ。
 多くの人達は、剣士としてのフリックの強さしか知らないだろうが、彼の強さはそれだけではない。彼は、体術全般も人並み以上に会得している。
 砦時代に、冗談で技をかけたら見事に交わされた上に、かけようと思っていた技を逆にかけられ、危うく関節を外されそうになった事があるくらいだ。その上彼は、人体構造にも熟知しているらしく、指先一つで人を殺す事も出来るらしい。
 普段は虫も殺せないような顔をしているくせに、その実、全身凶器と言っても過言ではないのだ。ビクトールの最愛の相棒は。
「・・・・・・・・ほんと。恐ぇー奴・・・・・・・・・・」
 ボソリと呟いたビクトールは、相棒達から視線を反らし、自分の身体を磨き上げる作業に専念した。前回肌を合わせた時から随分と時がたっているから、もしかしたら今日は誘いに乗ってくれるかも知れない。そう思い、より念入りに。勿論、髪の毛を洗う事も忘れずに。
 身体も頭も綺麗さっぱり洗いさったビクトールが湯船へと視線を向けたら、そこには先程の男がプカプカと浮かんでいた。
 いつのまにか、フリックに倒されていたらしい。
 本当に恐い相棒だなと、内心で呟きながら湯船に足を踏み入れたビクトールは、ザパザパと湯をかき分けながら足を進める。通りがかりに湯に浮かんだ男の身体をうつ伏せの状態から仰向けの状態へと変えてやる。いくら何でも、こんな所で溺死させるわけにもいかないだろうから。
 しかし、そうすると見たくもない物を人目にさらす事になり、ビクトールは盛大に眉間に皺を寄せた。とは言え、わざわざ違う場所に寝かしつけてやる程親切でもないので、見苦しい物を視界から排除するようにその瞳をフリックへと向けた。
 そしてドカリと、未だに瞳を閉じたままの相棒の隣へと腰を下ろす。
 その途端。傍らから声をかけられた。
「意外と早く帰ってきたな。」
 普通の人だったらいきなりかけられた言葉に驚き飛び上がるかも知れないが、ビクトールは少しも驚きを感じなかった。これだけ近くに居るのだ。彼程の男が自分の存在に気付いていないわけがないだろう。そう思って。
 だから、返す言葉も軽い物になる。
「金持ちのモンスターが多くてな。思ったより早く目標金額に到達したんだ。」
「そうか。」
 そう呟きを漏らしたフリックは、それまで閉じていた目蓋をゆっくりと持ち上げ、その青い双眸をビクトールの方へと向けてきた。そして、ニコリと微笑む。
「お帰り。」
「おう。ただいま。」
 その笑みと言葉に、ビクトールの胸に暖かい物が沸き上がってきた。
 それは、湯の温かさで身体が温まったからではない事を、ビクトールは自覚していた。
「もうそろそろ出るか?」
 沸き立つ胸をなんとか押さえながら問いかけると、フリックは軽く首を振ってみせる。
「いや。邪魔が入ったからな。もう少し入っているよ。」
「じゃあ、つき合うぜ。」
 ニッと笑いかければ、少し瞳を見開かれた。
「・・・・・・珍しいな。」
「たまにはな、風呂上がりで一緒に酒場に行くのも良いだろう?」
「・・・・・・・そうだな。」
 苦笑と共にそう答えたフリックは、再び瞳を閉じてしまった。
 それに倣って、ビクトールもゆっくりと瞳を閉じる。
 たまにはゆっくりと彼の傍らで湯に浸かるのも悪くないさ、と。心の中で呟きながら。



















                   
















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風呂場の風景