訓練場から、聞き慣れた音が響いている。
剣と剣とがぶつかり合う、金属の音が。
その音に吸い寄せられるように、フリックの足は自然とそこに向かっていた。
「・・・・・・・騎士団の連中か・・・・・・・・」
音の出所には、最近仲間になった赤と青を纏った騎士団の面々が集まっていた。
輪を描くように集まった騎士達の中心では、元青と赤の団長であるマイクロトフとカミューが手合わせをしている。
騎士団のレベルは、思っていたよりも高い。個人個人の腕もなかなかのものではあるが、個人よりも集団戦闘でのまとまりの良さは、この寄せ集めの軍の中ではトップレベルだろう。その頂点に位置する者達の技量に興味が引かれ、フリックはしばしその場に留まった。
そして、瞬きもせずにジッと見つめる。
流れるような、隙のない動きを見せるカミュー。
基本に忠実に、お手本の様な綺麗な動きを見せるマイクロトフ。
同じ騎士団に所属していても、その動きはまったく異なる。
「・・・・・面白いもんだな・・・・」
フリックがそう零したとき、二人の勝負にも決着が付いたらしい。いつも絶やすことのないにこやかな笑みを浮かべながら、カミューが降参するように両手を上げて見せた。
「参った。降参だ。」
「・・・・カミュー。いつも言っているだろう。もっと真剣にやれと。」
「真剣にやっていたさ。だが、やはりマイクには敵わないよ。」
「・・・・また、そんなことを・・・・・」
ニコニコと微笑みながら持っていた剣を片づけ、それ以上手合いを続ける意思のない事を行動で示しているカミューに、マイクロトフが不服そう言葉を零している。
どうやら余興は終わりのようだ。そう判断したフリックがその場を去ろうと踵を返しかけたとき、引き留めるように声がかけられた。
「まだ動き足りないのであれば、あの方にお願いすれば良いですよ。・・・・・お願い出来ますか、フリック殿?」
「え?」
名を呼ばれて振り返れば、騎士団の視線は全て自分の方へと向いていた。
その視線に気圧されるようにたじろいでみせれば、カミューがさらに言葉を続けてくる。
「この後予定が無いのであれば、是非ともお願いしたいのですが。駄目でしょうか?」
「カミュー。そんな不躾な事を。」
「なんだ、マイク。フリック殿と手合わせして貰いたくないのか?」
「いや、そんなことは無いが・・・・・」
問い返され、言いよどむマイクロトフににこやかに笑い返しながら、カミューは再びフリックへと視線を向けてきた。
「ここにいる騎士達にも良い勉強になりますから、お願いしますよ。」
「いや、悪いが・・・・・・・」
再度願いの言葉を発してくるカミューに、フリックは小さく首を振り返した。
マイクロトフの腕はなかなか良いものだった。正規の騎士との打ち合いにも興味が沸いている。だが、手合わせなどしたいとは思わない。そんな遊びをする趣味は無いのだ。
「何故ですか?マイクロトフの腕ではご不満ですか?」
断りの言葉に驚いたように問い返してくるカミューの言葉は、僅かに芝居がかっている。
その声音に僅かに眉間に皺を寄せながら、フリックは再度首を振り返した。
「いや、そんなことは無いんだが。」
「では、是非ともお願いします。この軍の筆頭戦士の腕前を、是非とも私たちに見せて頂きたい。」
「私からもお願いします。実戦の中で生きてきたあなたの剣を、この身体で感じてみたいのです。」
マイクロトフの熱い視線と、騎士団員達から向けられる今後の展開を窺うような瞳には、正直困った。
カミューの言葉は、これを狙ってのものだったのだろう。世間ではお人好しで通っているフリックが、多くの期待に満ちた瞳に囲まれ、断り切れなくなる事を狙って。
確かに、『青雷のフリック』としては、ここで断る事は出来ないだろう。
だが、断らなければ『青雷のフリック』ではいられない。
少なくても、剣を握ってしまったら。
その自覚があるだけに、彼等の申し出を受けるわけにはいかないのだ。
「悪いが、それは出来ないよ。」
「どうしてですか?理由をはっきり言って下さらないと、私もマイクロトフも、ここにいる騎士達も納得はしませんよ?」
挑むようなカミューの視線に、正直ウンザリする。
どうしてこんなにも食ってかかってくるのだろうか。自分は彼になにかしただろうか。
僅かな間に考えてみたが、何も思いつかない。
そもそも、まともに会話したことすら無いのだ。恨まれようが無いと思うのだが。
小さく息を吐き出しながら、フリックは言葉を紡ぎ出した。
あまり気が進まないが、本音を言うしか無いだろう。下手な誤魔化しは、この男には通じないだろうから。
「手加減なんか、してやれないからな。だから、やりたくないんだ。」
その一言で、周りの空気が一気に冷えていった。
分かり切っていた反応ではあるが、あまりの反応の良さにやはり嘘の一つでもほざいた方が良かったかと言う気になる。
「・・・・それは、私が本気で戦う価値もない人間だと、そう言うことですか?」
僅かに顔色を朱に染めたマイクロトフの言葉には、怒りと羞恥の色が滲んでいた。
あまり深読み出来なさそうな彼の事。そう考えるのが妥当なところだろう。言葉の上っ面だけを捕らえると。
「いや、そう言うわけでは無いんだが・・・・・」
返す言葉は、惑うように濁される。本音を言うわけにも行かないから。
どちらかというと、逆なのだ。
本気で向き合わなければ自分に完全な勝機を見いだす事など出来ないくらい、この男の腕は立つ。それは、先程の手合わせを見ていて十分に分かった。
だが、その『本気』がいけない。自分の『本気』ほど物騒なモノは無いと自覚しているだけに、こんなに人目のあるところで披露するわけにはいかないのだ。
そんな内情を悟りもせず、マイクロトフは全身を怒りに振るわせていた。
「だったら、一度だけでも手合わせ願います。私と戦う価値が、多少でもあるというのならば。」
睨み付けるような視線に、深々とため息を吐いた。
やはり、当たり障りのない嘘でも付くべきだったか。
この無駄に熱い男には、ストレートな物言いは逆効果というモノだ。そして、彼を慕う騎士団の連中にも。
彼等の自分に向けられる瞳は、敵意以外の何ものでも無い物に変わっている。
「・・・・俺には、剣で遊ぶ趣味は無いんだがな・・・・・・」
「・・・・・・遊び、ですと・・・・・?」
思わず零れた一言を、マイクロトフに聞きとがめられてしまった。まずいと思った時は既に遅く、彼の顔色はこれ以上ないくらいに赤く染め上げられていた。
「我らの剣を、遊びと言われるのですか・・・・・?」
「いや、そうじゃなくて・・・・・。」
「勝負して頂きます。我らの剣が遊びではないことを、この身を持って証明させて頂きます!」
訓練用の模擬刀をビシッと突きつけてくるマイクロトフの様子に、フリックは自分の迂闊さを呪った。
どうも最近、隣にくっついて来る男の影響で緊張感が足りない。昔だったらやらなかったであろうミスの連発だ。やはり早々にあの男との関係を断ち切るべきだったのだろうか。
そんな事を考えていたフリックに、マイクロトフは剣を突きつけ続けている。
さて、どうしたものか。
心の底から困っていると言うような表情を象りながらマイクロトフを見つめる。どこかに、この場を切り抜けられる手立ては無いだろうかと考えながら。そのフリックの背後に、突如聞き慣れた声がかけられた。
「良いから、手合わせしてやれよ!」
「・・・・・・ビクトール。」
ここ数年自分の隣に居座る男の姿を視界の捕らえたフリックは、彼の言葉に不快を示すように眉を寄せて見せた。
そんなフリックに、ビクトールはニヤニヤと笑みを浮かべながら背後から抱きついてくる。そして、他の人間に聞えないようにするためか、耳元で囁くように言葉を落とし込んできた。
「ケチケチすんなよ、減るもんでもなし。」
「・・・・お前。人ごとだと思っていい加減な事を・・・・・」
「お前がマイクロトフと真剣勝負をしない限り、この場が収まらないだろうが。」
「それはそうだが・・・・・・」
「だったら、やるっきゃねーだろう。大丈夫だ。最後の一撃をカマス前には、俺がしっかり止めてやる。」
自信満々に頷くビクトールの言葉に、フリックは鼻で小さく笑い返した。
「自分の腹で俺の攻撃を受けてか?」
「・・・・・そんなヘマはしねーよ。」
「どうだかな。」
馬鹿にするような笑みを見せれば、ビクトールは心外だと言いたげに顔を顰めてみせる。
そんな彼にもう一言言ってやろうと思い口を開きかけたとき、それまで二人の様子を窺っていたカミューが声をかけてきた。
「いつまでお二人でコソコソ話をしておられるのですか?」
そのモノの言い方にカチンと来たフリックが言い返すよりも早く、未だにフリックの身体を抱いたままのビクトールが声に笑いを含ませて答えを返した。
「わりぃわりぃ。もう終わる。・・・・だからまぁ、お前は安心して好きな様に相手をしてやれよ。」
前半はカミューに、後半はフリックに向けてそう語りかけるビクトールの言葉に、フリックは心底イヤそうに顔を歪めてみせる。
「・・・・俺にだってな、今まで築き上げてきたイメージを大事にしたいという気持ちくらいあるんだぞ?」
「オデッサのためにか?」
「ああ。」
あっさりと返してやれば、ビクトールは僅かに寂しそうに顔を歪めて笑みを返してくる。
自分のためだと言って欲しかったのだろうか。そんなことはあるはずが無い事は分かっているだろうに。
「だいたい、なんだってお前はそうまでして俺とあいつを戦わせようとするんだよ?」
「そんなの決まってるだろうが。」
何故そんなことを聞くのか分からないと言いたげな表情を浮かべた後、ビクトールはニッと唇の端を引き上げた。
そして、キッパリと言い切ってくる。
「あいつらに、俺の相棒の凄さを見せつけてやりたいのさ。」
「・・・・・・何を言っているんだか・・・・・・・・」
本気か冗談か分からないその言葉に、深いため息を吐いた。
彼等に自分の力を見せたからと言って、ビクトールに益があるわけでもあるまい。
とはいえ、ここで彼等の言葉を突っぱねることは自分のためにも、軍のためにもならないだろう。いつのまにやらこの同盟軍の中枢に加わってしまった自分が、新たに仲間に加わった人間の訓練の誘いを断る等という事は。フリックの選択肢は他に無いと言っても過言ではない。
「・・・・・・・・まぁ、いいけどさ。ちゃんと止めろよ?」
鬱陶しい位にくっついてくる男の身体を引きはがしながらそう語りかけると、彼は自信たっぷりに頷き返してくる。
基本的な生活全般ではいい加減な男ではあるが、やると言った事はきちんとやり抜く男だから、大丈夫だろう。
それに彼は、自分の戦う様を誰よりも近くで、誰よりも多く見てきている。自分の戦闘スタイルも分かっているだろうから、勝負の止め所くらいは察してくれるはずだ。そして、本気の自分の一撃を止めることくらいは出来ると思う。タイミングが分かっているのなら、一度くらいは。それくらいのことは、認めている。
あまり気が進まないものの、周りの目と後押しする男の言葉で渋々と相手をするマイクロトフへと近づいていった。そんなフリックの背中に、ビクトールが陽気な声で語りかけてくる。
「フリック。アレで行け、あのスタイルで。」
「アレ?」
「ああ。アレだ。お前が一番好きな戦い方。」
言われ、自然と眉間に皺が寄った。
「・・・・・なんでだ?いつもは怒るだろうが、アレは。」
あのスタイルで戦うと決まって文句を言ってくるくせに、何故こういう場面でアレを要求してくるのだろうか。わけが分からない。
首を傾げるフリックに、ビクトールはニヤリと笑みを返してきた。
「アレが一番お前の殺気を読みやすいんだよ。勝負も、長引かせる事が出来るだろう?こういう場面向きだ。」
「・・・・ああ、なるほどね。」
言われて漸く納得がいった。確かにそうかも知れない。何も考えていなさそうで、この男は色々と考えている。馬鹿では無いのだ。
そうでなければ、自分なんかとつき合って来られないだろうが。
「了解。止め損ねるなよ。俺は、手加減なんかしないからな。」
「分かってるよ。思う存分戦ってこい。」
ヒラヒラと手を振ってみせるビクトールの様子にクスリと笑みを零したフリックは、改めてマイクロトフと向かい合った。
「悪いな、時間を取らせて。」
「・・・・・・いいえ、こちらこそ無理なお願いをしてしまって、申し訳ありません。」
瞳に並々ならぬ闘志を宿しながら言葉を返してくるマイクロトフの様子に、自然と笑みが浮かんでくる。
ここは戦場では無い。
自分が立つべき場所では無い。
平和な城の一角。
子供達の笑い声が絶えない、戦場とは無縁の空気が流れる場所。
そんな場所で、多くの人間が見守る中で、戦場にいるのと同じ気分まで気持ちを高ぶらせるのはかなり難しいと思う。しかし、彼のこの瞳があればある程度までは気分を高められるかも知れない。
本気で、戦えるかも知れない。
「もう一度言うが、手加減は出来ないからな。」
「そんな必要なありません。」
キッパリと言い切る彼の言葉に気分が良くなる。潔い人間は好きだ。
そう思う心と共に、そんな彼をいたぶり、命乞いをさせてやりたいと思う気持ちも沸き上がる。死ぬ寸前にも、その潔さを保つ事が出来るのだろうかと。そう思って。
「獲物は真剣で良いだろう?そうじゃないと、やる気にならないんだ。」
フリックの言葉に、マイクロトフはキツイ眼差しをフリックから反らすことなく、頷きを返してくる。
「構いません。」
「・・・・・・・・・・じゃあ、やろうか。」
スラリと腰に差したオデッサを抜き払った。それに習うようにマイクロトフも模擬刀を投げ捨て、腰の剣を抜いてくる。
挑むような視線と、隙を見せ無い構え。
「・・・・楽しめそうだ。」
「始めっ!」
フリックの呟きに被さるように、カミューが開始の合図を放ってくる。
それと当時に、マイクロトフが勢いよく斬りかかってきた。
突っ込んでくる剣先をサラリとかわし、逆に己の剣を突き入れる。
少しも慌てずに身体を捻ってフリックの攻撃を交わして見せたマイクロトフは、体勢を立て直す間も惜しいといった様子で剣を横に払ってくる。
その攻撃を軽く後ろに飛び退くことでかわしたフリックは、そのまま跳ねるようにステップを踏みながら後退した。
「・・・・なかなかやるな。」
「お褒め頂き、光栄です。」
真面目くさった顔でそう返しながら、マイクロトフは次の攻撃に向けて体勢を立て直している。まだ、お互い一撃も決まってはいない。まだ様子見の段間ではあるので、ある意味それは当たり前ではあるが。
思っていたよりも楽しめそうだ。
自然と口元に笑みが浮かび上がる。
「・・・・・・・悪いが、本気で行くぜ?」
「願ってもない。」
即座に返してくるマイクロトフに、フリックはニッコリと笑いかけた。
彼には、地獄を見せてやろう。
そう、心の中で呟いた。
「・・・・・・スイッチが入ったな、ありゃー。」
フリックの笑みを見て、思わず言葉がこぼれ落ちた。
アレは、彼が心底楽しんでいる時の顔。
滅多に人前では見せない、戦場限定とも言うべき笑みだ。
普段虫も殺せないような良い人面をしているフリックではあるが、その内面には多分な残虐性が秘められていることを、ビクトールは短くないつき合いの中で察していた。
解放軍時代には気が付かなかった事ではあるが、身体を重ね、砦で共に過ごす内に彼の内面を少しずつ伺えるようになり、気が付いたのだ。
最初は、ただたんに戦うことを好いているのだと思っていた。
だが、それだけでは無いことに気が付いたのはいつの事だっただろうか。
必要以上に彼が戦いに赴きたがっている事に気が付いたのは。
心が過去に飛んでいる間にも、目の前の戦いは続いていた。
ワザと急所を外したフリックの攻撃が、徐々にマイクロトフの身体にかすり始めている。
最初は青い騎士団の装備に小さな傷が付く程度だった。
僅かに、フリックの攻撃がかすっている程度で。
それが段々薄く血の滲む様な深さになっていく。
フリックの身体には、かすり傷一つ付いていない。それどころか、息の一つも上がってはいない。
それに引き替え、相手をしているマイクロトフの息は、徐々に上がり始めていた。
フリックの攻撃は、彼の身体にそう大した影響を及ぼしてはいないだろう。
チクリとした痛み程度の傷ばかりだ。
だが、精神に与える傷は徐々に大きくなっているだろうと、ビクトールは思う。
自分の攻撃は当たらない。自分の息は上がり始めているのに、相手の息はまったく乱れていない。そのうえ、相手の攻撃は徐々に傷が深くなっている。
どう考えても自分のほうが不利だと思わせるこの状況に、焦らない者はいないだろう。
「・・・・ほんと、イヤな戦い方しやがる。」
苦笑を零したビクトールは、傍らに人の気配が近づいた事に気が付いた。
赤い騎士服を纏った、見目麗しい元団長。
彼は、戦う二人から視線を反らすことなくビクトールに問いかけてくる。
「・・・・・彼は、遊んでいるのですか?」
この場合の彼とは、フリックのことを指すのだろう。カミューへと向けていた視線を今一度フリックへと戻したビクトールは、意地の悪い笑みをその顔に描きつつ頷き返して見せた。
「まぁ、そう見えるかもしれないけどな。だが、本気で戦ってるぜ?」
「・・・・そうでしょうか・・・・・。」
「間違いないさ。相棒の俺がそう言うんだからな。」
視線をフリックに向けたままカミューに語りかけた。
確かに、本気とは思われないかも知れない。
今のフリックには、殺気というものがまったく無いのだ。殺気どころか、闘志さえも感じられない。戦いの割には少ないという意味では無い。欠片も伺えないのだ。
フリックから感じるのは、戦いを楽しんでいるオーラのみ。どう考えても、真剣勝負をしているようには見えないだろう。
だが、フリックは本気だ。これ以上無いくらいに。
気に入った獲物を、全力で追いつめている。少しでも続けられるように、力を加減して。
フリックが一番好んでいる戦い方だ。
無駄に戦いの時間を長引かせ、相手を体力的にも精神的にも追いつめていく、意地の悪い戦い方。
そんな戦い方は、騎士団ではしないだろうが。
話をしている間に、フリックの攻撃に深さが増してくる。
かすり傷程度だったものがはっきりとした裂傷になり、吹き出る血の量が格段に増えた。
致命傷は与えていない。本当の戦場でならば気にしない程度の傷だ。だが、訓練で付ける傷ではない程度に深い。
「さて。どこで止める気か・・・・・。」
ここから先は、フリックから目を離せない。自分に止めろと、彼は言った。止めさせるつもりがあるのなら、仕掛けどころはいつもよりは分かり易いだろうとは思う。思うが、彼の攻撃は早いのだ。うかうかしていると間に合わなくなる。そうなると、今まで築き上げてきた関係を自分で壊してしまうことになりかねない。それだけは避けたい。
ジッと熱い視線を相棒へと向ける。
毎日見つめても見飽きない綺麗な顔には、笑みが浮かんだまま。全身からは、殺気も闘志も感じない。
こんな奴を相手に戦ったら、さぞ怖いだろうな。
そんな事を考えていたビクトールは、フリックの身体から不意に沸き上がった殺気に全身の毛を逆立てた。それと同時に、地面を蹴る。
相対していたマイクロトフは、いきなり自分に向けられた強力な殺気に反応出来ていない。
その彼の身体を横に突き飛ばすようにして、ビクトールは振り下ろされた細身の剣を自分の大剣で受け止めた。
剣を持つ手に、その衝撃で痺れが走る。それと同時に、辺りに金属がぶつかり合う高い音が響き渡った。
そして、息を飲むような静寂が落ちる。
「・・・・・・・・・・・・・殺す気かよ。」
「当たり前だ。」
フリックにだけ聞こえるような小さな呟きの言葉に、彼はニッと笑みを返してきた。
先ほどまで感じていた殺気は、一瞬のうちに霧散している。
いつもと変わらない反応。
この切り替えの早さには、いつも驚かされる。この男は、どういう精神構造をしているのだろうかと。
オデッサを腰の鞘にしまったフリックは、ビクトールに突き飛ばされて倒れ込んだままになっているマイクロトフへと手を伸ばした。
「悪いな。この馬鹿が加減を知らなくて。」
「それはお前の事だろうが。」
突っ込みを入れてくるビクトールの言葉は無視したフリックは、反射的に伸ばされたマイクロトフの手を掴んだ。ついでに紋章を発動させ、自分で付けたマイクロトフの傷を癒していく。
「・・・・・・・・・ありがとうございます。」
「礼なんかいらないぜ。俺がやったことだしな。どこか痛いところはあるか?」
「いえ、大丈夫です。」
「そうか。良かった。」
小さく首を振り返すマイクロトフに、フリックはニコリと笑いかけた。
それは、先ほどまでの一方的に相手をいたぶるような戦い方をしていた者とは思えない、さわやかな笑顔だった。
マイクロトフもそう思ったのだろう。逡巡するように瞳を反らせた後、意を決したようにフリックの顔を見つめ返してきた。
「・・・・・これが、あなたの戦い方なのですか?」
そんなマイクロトフの言葉に、今度はフリックが逡巡するように視線を泳がせた。確かに、答えにくい質問ではあるだろう。フリックの戦い方が常に今のようなスタイルを取るのかと言われたら否と答えるところだが、そういう戦い方をする事も確かなのだ。
フリックの今の戦い方を彼に理解して貰うのは難しいとビクトールも思う。ビクトールでさえ、理解しがたいところがあるのだから。
だから、助け船を出してやった。
「・・・・俺たちは傭兵だからな。剣を握るときは、生きるか死ぬかって時だと決まってる。戦うからには、相手を殺す位の意気込みじゃないと、死んじまうんだよ。」
フリックの戦い方への説明としては、少しおかしいかも知れない。生き抜くために相手を殺す戦い方をしているというのならば、もっとあっさり殺しても良いはずだ。とくに、体力の無さそうなフリックならば余計に。
そうは思うが、旨いこと誤魔化せる言葉が思いつかないのだ。
「まぁ、分かってくれとは言わないけどな。とくにこいつは不器用で、力の抜きどころってモンがわかってねー。だから、あまりこういったことに誘わないで貰えるとありがたいんだがな。」
ポンポンと、フリックの頭を軽く叩きながらそう言い、マイクロトフとカミューへと視線を向けた。とくにカミューへと。彼が自分の言いたいことを理解してくれていれば、マイクロトフを止められる。マイクロトフを止められれば、騎士団を止めることも可能だろう。
そう思うからこそ、自分の言葉はカミューへと向けたのだ。
「・・・・わかりました。お手数をおかけして、申し訳ありません。」
自分の気持ちが通じたのか、逡巡するような間の後、カミューが小さく頷き返してきた。
これでひとまず安心だ。彼は馬鹿ではない。本気のフリックを相手にしたら、相棒の命がなくなるであろう事は察しているはずだ。この先マイクロトフがなんと言おうと、手合わせをさせることはないだろう。
そう思い、ビクトールは満足そうに大きく頷き返した。
「良いって事よ。んじゃ、俺等は先に戻るから。」
「っ!おいっ!引っ張るなよっ!」
軽く手を振りながらフリックの腕を引っ張り、大股でその場を後にする。
背中に複数の視線が突き刺さっている事を感じながらも、そんなものは感じていないと言いたげに、自然な動きで。
「いい加減放せよ!」
彼等の気配が完全に感じられなくなったところで、フリックが乱暴に腕を払ってきた。
視線を向ければ、不愉快そうに眉間に皺を寄せている。
「良いだろう、たまには。仲良く手を繋いで歩くって言うのもよ。」
「全然良くない。いい年した男がする事じゃないだろうが。」
「そうか?好きな奴とはいつでも繋がっていたいって欲求は、年を取っても無くならないと思うぜ?」
「・・・・・・・・・・・・言い方がやらしいんだよ、お前は。」
呆れたようにため息を零しながら、フリックはその場に止めていた足を動かし始めた。ビクトールもそれにならい、定位置となっている彼の横に並ぶ。
それが当然の事だと言いたげに、フリックは視線をチラリとも寄越してこない。
それが、なんとなく嬉しかった。
「なぁ、フリック。」
「なんだ?」
「少しは手加減の仕方も覚えた方が良いと思うぞ?」
「手加減ねぇ・・・・・。これでも随分している方なんだが。」
心底困ったように呟かれた言葉に笑いが零れた。確かにそうかも知れない。
本当に本気で人を殺そうと思ったら一撃で仕留めることの出来る男のことだ。最初にいたぶるような攻撃をしているだけでも、十分手加減しているのだろうとは思う。だが、最終的に殺してしまっては、集団生活は営めなくなる。
だから、小さくため息を零した後に忠告した。
「まだたりねーんだよ。一般のレベルには。せめて、簡単な手合い位出来る手加減の仕方は覚えておけ。損はないと思うぞ?手合わせするたんびに人を殺していたら困るだろうが。」
「まぁなぁ・・・・。それはそう思うんだが、そればかりは・・・・・・・・」
「子供とか素人相手には旨いことやってるじゃねーか。あの要領でやってみろよ。」
「・・・・・・・・・一緒にするなよ。レベルが全然違うだろう?」
呆れたようにビクトールの顔を見上げたフリックは、小さくため息を付いた後に言葉を続けてきた。
「強いと思った相手とは、真剣に戦いたくなるんだよ。手なんか抜けるか。」
「・・・・・戦いたいっていうのは、殺したいって言うことの同義語か?」
思わず問い返してしまったビクトールに、フリックは驚いたように瞳を瞬いて見せた。
そして、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべてみせる。
その笑みで悟ってしまった。自分の考えが間違っていないことを。
虫も殺せそうに無いような柔和で小綺麗な顔をしているのに、この男は恐ろしいほどに血に飢えている。分かっていたのだが、その事実に直面するたびに背中に冷たい汗がしたたり落ちてくるのだった。
「・・・・・人前ではやるなよ。」
「当たり前だ。」
キッパリと言い切ったフリックの言葉に、不安を払拭する力はなかった。
逆に、新たな不安が沸いてくる。
「・・・・・・・・・なぁ、俺とも戦いたいとか、思うのか?」
自分で言うのもなんだが、マイクロトフに遅れを取る事はないと思っている。
体力勝負に持ち込めれば、自分の方に勝機があるとも。
間違いなく強い部類に入るであろう自分と戦いたいと思っているのだろうか。自分を殺したいと、思っているのだろうか。
窺うように問いかけると、フリックはあっさりと首を振り返した。
「そんなこと、思ってないが?」
「なんでだ?」
「お前は、殺すよりも生かしておいたほうが面白いからな。」
「・・・・・どういう意味だ。それは。」
「言葉のまんまだよ。」
彼の言葉の真意を測りかねて不機嫌そうに問い返せば、フリックはただただ微笑むだけで答えてはくれなかった。
なんとなく、面白くない。その気持ちを表すように、ムッと顔を歪めた。
その顔に、フリックは態とらしく驚いた表情を浮かべてみせる。
「なんだ、お前。俺に殺して欲しいのか?」
「んなわけねーだろう。」
「ならなんでそんなに不機嫌そうにしてるんだよ。」
「・・・・・なんとなく、面白くないだけだ。」
「何がだ?」
「・・・・・・お前が、俺の力を認めてないようでよ。」
プイッとそっぽを向きながら本音を吐露した。
一瞬、辺りに沈黙が落ちる。
フリックは、何故なんの反応も返してこないのだろうか。訝しく思ったビクトールがフリックへと視線を向け直した途端。当のフリックが盛大に笑い始めた。
「ああはははははっ!!!」
「なっ!なんだっ、テメーっ!なに笑っていやがるっ!」
「だって、おまっ・・・・!」
腹を抱えて笑っているフリックは、それ以上言葉を続けることが出来ない様子で、苦しそうに肩で息をしていた。ここまで盛大に笑っているフリックは、初めて見た。
これはこれで新鮮で、笑われたという事実も気にならない気分だ。
笑い転げるフリックの様子を凝視していたビクトールに、沸き上がる笑いを必死に抑えながら、フリックが言葉を返してきた。
「何を言い出すのかと思ったら・・・・。ほんと、お前は面白いよな。」
「・・・・・・お前には負ける。」
「そうでもないよ。こんなに笑ったのは何年ぶりだろうって感じだからな。」
「・・・・それはそれは。」
「そんなお前に、一つ良いことを教えてやるよ。」
「・・・・・・なんだ?」
一般的な感覚と大きくずれているフリックが言う良いことが、ごく一般的な考え方を持っていると思っている自分にとって良いことであるとは思えず、思わず警戒心が沸いてくる。
彼が滅多に無いくらいに上機嫌だから、余計に。
自分が身構えている事を悟っているだろうに、フリックは楽しそうにビクトールの顔を覗き込んできた。そして、綺麗な笑みを描く唇から言葉を零す。
「俺を抱いた奴で未だに生きてこの世にいるのは、お前だけなんだぜ?」
ニッと笑いながら発せられたフリックの言葉に、何を言われたのか理解出来なかった。
それのどこが良いことなのだろうか。
自分以外の人間には抱かれたことが無いという意味だろうか。そう思ったがその考えはすぐに否定した。そんなことはあるわけがない。彼の身体は、自分が抱く前に男に抱かれる事を知っていたのだから。それは嫌という程分かっている。
では、どういう意味なのだろうか。
「・・・・・おい、それって・・・・」
「さてと。良い運動の後には、良い酒でも飲みに行くか。」
態とらしいくらいに大きな声でそう宣言したフリックは、チラリと視線を向けてくる。
「当然、お前も行くんだよな?」
空よりも青い瞳に覗き込まれたら、イヤとは言えない。
誤魔化された言葉をもう一度発してみたい気持ちは大きかったが、それを口にする事で彼の機嫌を損ねることは避けたい。だから、ビクトールはすぐさま頷きを返した。
「ああ。当たり前だろうが。」
「なら、さっさと行こうぜ?」
ニコッと微笑み、前を歩いていくフリックの姿に、愛しさが込み上げてくる。
その笑みに中にどういう感情が隠されているのか分からないが。
たとえ物騒な事をその胸の内に秘めていても、彼の笑みに引き寄せられる事を止めることは出来ない。
甘さよりも辛さや苦さのほうが強い彼ではある。だが、そんな彼の辛さや苦さが病みつきになってしまった。
「・・・・今の俺には、お前だけだぜ・・・・・・・・」
そっと呟いた言葉は、フリックには届かなかった。だが、そう口に出せただけでも幸せだと、本気でそう思う。
今生きて、彼と共に居ること。それが、自分にとっての幸せなのだと。
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