ボルスは、手の平に乗った小さなピンクの錠剤をまじまじと見つめた。
 栄養剤だというそれは、トウタ医師から先ほど手渡された物だ。
 なんでもトウタ医師が言うには、パーシヴァルの顔色が悪いというのだ。
 気遣った彼がパーシヴァルにこの薬を飲めとそのまま渡そうとしたら、大丈夫だからと断られたらしい。
「心配ですから、こっそりと彼が寝る前に飲ませてやって下さい」
 そう言われ、半ば無理矢理押し付けられたのだが、ボルスとしてもパーシヴァルの体調が良くないと言われたら心配である。
 それでずっとこうして掌に収めておいたのだが、一度嫌がったというのならばどうやって飲ませればいいのやら。
 トウタが断られたというのならば、ボルスが飲ませようと説得しても大抵聞き入れられはしないだろう。
 当のパーシヴァルは既に夜も更けるというのに、まだ部屋に帰って来てはいない。
 最初は廊下で帰りを待っていたボルスも痺れを切らし、パーシヴァルの部屋に勝手に入り込んで現在に至る。
 ボルスは錠剤を上に投げてはキャッチし、暇を持て余しながら室内を見渡した。
 何度も訪れた事のあるパーシヴァルの部屋は、相変わらずきちんと整理されている割に本棚だけ本が乱雑に収められている。
 いや、周囲に生活感が無く、本棚だけが頻繁に使用されているといった感じなのだ。
 興味のある事以外にはあまり頓着を示さない彼らしいが、生活感の無い部屋というのも恋人としては少々懸念してしまう。
 ・・・・恋人というのも、ボルスによる“自称”なのだが。
「アイツは・・・何処に行ってんだ・・・」
 宙を高く舞った錠剤をキャッチし、ボルスはパーシヴァルのベッドに寝転んだ。
 彼の香りは、しない。
 汚れるからと自分のベッドでの性行為を嫌うパーシヴァル。
 幾度も身体を重ねても、ボルスがこのベッドでパーシヴァルと夜を共にした事は片手で数え足りる。
 あの時、このベッドから彼の香りはしただろうか。
 なんだか、急に不安が押し寄せてきた。
 普段彼の纏う香りさえ、今のボルスには思い出せない。
 早く、パーシヴァルに会いたい。そう、思った。
 と、願いが叶えられたかの様に、タイミングよくドアが開いた。
 ボルスは慌てて起き上がり、ドアを見る。
「・・・・・ボルス・・・・だっけ?」
 ボルスは硬直した。
 相手も思ったことは同じらしい。
 戸惑ったようにボルスを見る。
 ドアを開けたのは、パーシヴァルではなく、彼と同郷だというバーツという男だった。
「悪い、パーシィまだ帰って来てなかったか」
 さして悪くも思っていないような軽い口調で肩を竦め、それからボルスをじろじろと見た。
 主人不在の部屋で一人何をやっているんだ、と如実にその目が語っている。
「ノックぐらいしないのか」
 ボルスは不機嫌を隠そうともせず男を睨んだ。
 たしかにパーシヴァルをパーシィと呼ぶのは同郷のバーツぐらいで、本人同士仲が良いのかもしれない。
 しかし、ボルスにとっては前々から余り良い印象はもっていなかった。
「悪かったって。ドアから明かりが漏れてたからパーシィがいると思ったんだよ」
 バーツは苦笑を浮かべ、ズカズカと部屋に入ってきた。
「・・・何かパーシヴァルに用なのか」
 自分でも声に剣呑な響きが含まれているのに気が付いたが、とりわけ直そうとも思わない。
 バーツは苦笑を深くし、手をボルスの前に差し出した。
 その手には、真っ赤に熟れたトマトが一つ、乗っていた。
「別に用というほどのもんじゃないさ。アイツ、最近疲れているようだったからさ。栄養付けろって、持ってきてやっただけ」
 バーツは動作でボルスに手を差し出すように促し、その上にトマトを置いた。
「渡しといてやって。ちゃんと食えって」
「おい・・・・」
「じゃね。パーシィに宜しく」
 ボルスが何かを言う暇さえなく、素早い動作で最後の最後にニコリと手を振って、バーツは部屋を出て行った。
 残されたボルスは閉じられたドアにトマトを投げつけたい衝動が湧き上がったが、なんとか抑える。
「なんなんだ、あの男は!」
 丹念な愛情を受けて育ったであろう真っ赤なトマトが、ボルスの握力によって指の形にへこんでいく。
 トウタからは栄養剤を渡され、バーツからはトマトを渡され。
 パーシヴァルは他人でもわかるほど調子が悪かったのだろうか。
 だとしたら、誰よりも近くにいた筈の自分が気が付いてなかったのは全くもって情けない。
「あー、くそっ!!」
 ボルスは自棄になり、ピンクの錠剤を口に放り込み、トマトに齧り付いた。
 そんなに心配なら本人に渡せば良い。
 こちらに渡されたって、こっちは大迷惑だ。
 バーツとトウタがお前の体調を心配していたとでも言って、ハイ、と、パーシヴァルに渡すのか。
 気が付いていなかった自分は、どんな顔をしてればいいのかわかりゃしない。
 丹念に愛情を込めて育てられたと一目でわかるトマトは瑞々しく、微かに甘い。
 微かな罪悪感を打ち消すように、ボルスは心の中で誰へともわからぬ罵倒を繰り返しながらトマトを咀嚼し飲み込んでいく。
 大体パーシヴァルは何でまだ帰ってこないんだ。
 こんなに待っているというのに。
 泣きたくさえなってきた。
 いや、もう、泣いているのか。
 ぼやけた視界をクリアにさせるために目をゴシゴシと擦ると、いつの間にか見慣れた顔があった。
 驚いて、もう一度眼を擦る。
 待ち侘びていた、パーシヴァルの顔だった。
 呆れたといった感じの、しかし、柔らかい表情。
 いつも、ボルスが何かするたびに、彼はしょうがないな、と言った風にこんな顔をする。
 この顔がどれだけ見たかったか。まるで何日も、何年も見ていなかったかのような感じさえする。
 ボルスは思いっきり彼を抱き締めた。
 竦む体。抗議の声を聞いた気がしたが構わず、パーシヴァルに口付ける。
 乾いた彼の唇は頑なに閉じられていて、焦がれたボルスはその身体をベッドに押し倒し、強引に服に手をかけた。
「パーシヴァル、ごめん。パーシヴァル・・・」
 どうして自分はこうやってでしか、彼に接せないのだろう。
 後で後悔するとわかっているのに、止められない。
「俺は・・・俺は・・・お前が好きなのに。どうしてお前がわからないんだろう」
 涙が勝手に溢れてくる。
 何も言ってくれぬパーシヴァルの肩に顔を押し付け、ボルスは嗚咽を堪えた。
 優しい感触が、ボルスの頭に触れる。
 あぁ、許してくれるのか。

 そう、喜んだ所でボルスの記憶は途切れた。




















「・・・・・・・・・・・・此処は何処だ・・・・・・」
 見知らぬ高い天井を見上げ、ボルスは呟いた。
 否に眩しいと思ったら、ボルスの横たわったベッドは窓側を頭にしている。
 強い日差しに目を細めると、太陽の下を鳥が横切った。
「・・・・平和だ・・・・」
「何が平和だ、馬鹿」
 思わずボルスが呟くと、冷たい言葉が返ってきた。
 驚いて起き上がると、頭が割れているのかと思うぐらいの鋭い頭痛が走った。
 顔を歪めたボルスを、甲冑を着込んだパーシヴァルが腕を組んで見ている。
 その表情は、どこからどう見ても、怒っている。
「・・・パーシヴァル?」
 周囲を見渡すと、どうやら此処は医務室の一角らしい。
 兵士の診察をしているトウタが、ちらりとこちらを見て軽く会釈をした。
 つられるように会釈を返したボルスを、
「だーめだね、コイツ。まだラリッてんじゃないか?」
 と、気が付かなかったがパーシヴァルの隣にいたらしいバーツが顔を顰めて言い放った。
「バーツ」
 パーシヴァルが軽く目で諌め、バーツがハイハイ、と肩を竦めてみせる。
 そんな二人のやり取りに置いてきぼりを食らったようなボルスは、ムッとして二人を睨みつける。
「なんだ一体」
 ボルスが言った途端、バーツが噴き出した。
 パーシヴァルが眉間に皺を寄せる。
「お前、昨夜の事を覚えていないのか?」
 ゲラゲラと笑い出したバーツに苛立ちを覚えながら、ボルスは首を横に振る。
「覚えているぞ。昨日はお前の部屋で・・・・・」
 お前を押し倒したんじゃないか。そう言葉を心の中で続けて、止まった。
「此処に来た経緯がわからん!」
「胸を張って言うな、胸を張って」
 ボルスも頭が痛むのだが、パーシヴァルの方がよっぽど痛そうに頭を抱えた。
「お前さんな、パーシヴァルのベッドの上でパーシヴァルの枕抱きかかえて号泣してたんだよ」
 よっぽど面白い事のようにバーツは目元に涙を浮かべながら・・・・なんだって?
「俺が、枕を・・・?」
「あぁ、俺が酒場から帰ってきたら、枕に抱きついて泣いていてな。しかもご丁寧に引き裂いてまでくれて・・・」
 パーシヴァルは、深々と溜息をついた。
 バーツが代わりに説明を始める。
「俺も途中でパーシヴァルに会ったんで一緒に戻ってみたら、お前さんが泣きながらパーシヴァルの名前を連呼しているじゃないの。呼べど叩けどこちらには気が付かない。こりゃ様子がおかしいってんで、頭ぶったたいてトウタ先生の所まで連れてきたってな訳だ」
 一旦言葉を切り、バーツはにやりと笑った。
「お前さん、トウタ先生から渡された栄養剤と俺から受け取ったトマト、両方食べたんだって?トウタ先生の話だと、栄養剤に含まれていた成分とトマトに含まれていた成分が変な化合を起こしたんだってさ」
「トマトなんかと化合を起こす栄養剤も栄養剤だが・・・、そのあたりはトウタ先生も注意を怠ったと謝っていた。だが、人から預かった物を勝手に食べて、ラリるだなんて・・・。本当に・・・何をやってんだ、ボルス」
 交代で説明する二人の話にあんぐりと口を開けたままのボルスを見て、バーツは笑いながらパーシヴァルの背を叩いた。
「まぁまぁ、パーシヴァル。コイツはコイツで頑張ってんだって」
「知らんよ、俺は。もう、コイツとの付き合いは金輪際ない」
「ちょ、ちょっとま・・・」
 背を向けて歩き去っていく二人を引き止めようと手を伸ばせど、届くはずもなく。
 そうしてこれから暫くの間、ボルスはパーシヴァルに口をきいてもらえなくなるのだった。















「トウタ先生、ちょっぴり冷や冷やしましたけど、彼の症状、『実はトマトは関係なく、薬の所為だった』ってばれませんでしたね」
 ミオは、ベッドの上で石化したかのように硬直したまま動かないボルスに聞こえないように声を潜めてトウタに耳打ちをした。
「うん、ボルス君が運ばれて来た時は本当に慌てたけど・・・大事なくてよかった」
 トウタも声のトーンを抑えて頷く。
「パーシヴァルさん、表面的にはわからないけど、こっそり怒ってましたよね、先生のこと。たぶん、栄養剤じゃないって勘づいているのかも・・・」
「うーん、でも、ボルス君が運ばれて来てすぐに手元に残っていた薬は処分しちゃったから。バレないバレない」
 ははは、と笑う彼に、ミオが満面の笑みで頷く。
「そうですね。次こそ“媚薬”を完成させましょうね先生!!」
「うん、ボルス君の犠牲を次に生かさないと。今度こそパーシヴァルさんに飲ませようね」
「はい、楽しみです!!」
 爽やかな笑い声が響く医務室。
 こうして、ボルスの犠牲は彼らに怪しい新薬への更なる研究の意欲を焚きつける結果となったのだった。



・・・・・END・・・・・





@第一回実験結果【失敗】












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幻覚