ビネ・デル・ゼクセから遠く離れたこの地には、豊かな自然があふれていた。
 いささかのんびりし過ぎている気もするが、実家のすぐ近くにあるという点も含め、パーシヴァルはこの城のことを密かに気に入っている。
 雑多な人種が入り交じっているこの城のことを騎士仲間は色々と文句を言っていたが、パーシヴァルには気にならなかった。
 逆に、色々な人物と出会えることをプラスと考えている。
 村を襲ったリザートクランには思うところもあるが、それが戦いというもの。
 憎しみ合うだけでは何の発展性も無いと思い、あえて気にしないようにしていた。
 とは言え、ストレスは溜まるもの。
 気分転換を図りたいときには、人目を避けられる場所を選んで散歩をする事が、パーシヴァルのストレス解消法となっていた。
 この日も、一通り仕事を片づけたパーシヴァルは、何をするでもなく城の外を歩いていた。
 人の喧噪から離れ、森林のさわやかな空気を吸っていると、戦いですり切れた心が癒されていく感じがする。
 のんびりと歩を進めていたパーシヴァルは、視線の先に見慣れた人の姿を見つけ、微かに首を傾げた。
「・・・・クリス様。何をしておられるのですか?」
 音もなく近づき、座り込んだクリスの頭上からそう声をかけると、彼女は端から見て分かるくらいに、大きく肩を震わせた。
「パ・・・パーシヴァル。なんで、こんな所に・・・・?」
 振り返り、そこにある見慣れた部下の姿にクリスは激しく動揺していた。
 そんな反応をされる事をした覚えがないパーシヴァルは、訝しむようにクリスの顔色を窺った。
「それはこちらの台詞ですよ。こんな人気のないところで、何をしていらっしゃったのですか?」
「そ、それは・・・・ちょっと。見回りを。な。」
 ごまかすように笑いかけてくるクリスに、パーシヴァルは僅かに眉をひそめた。
 何かを隠しているのは、明白だ。それがなんなのか興味がある。
 どこかいつもと違った所がないかとクリスの姿を目で確認し始めたパーシヴァルは、ふと小さな変化に気が付いた。
「クリス様。今日は髪の毛をおろしていらっしゃるんですね。」
 何気なく聞いたその一言に、クリスは大きく体を震わせた。
「え・・・?あ・・・ああ。まぁ、たまにはな。」 
 引きつった笑みを浮かべながら、クリスは毛先をもてあそんでいる。その仕草が、どことなく途方に暮れている感じがして、不信感はさらに増していった。
「お前はどうしてここに来たんだ?」
「仕事が片づいたんで、散歩をしていたんですよ。この辺りは木が多くて、心が落ち着きますからね。」
「そうか。それなら私と話をしてないで、散歩の続きをしてくれて構わないぞ。」
 何かを誤魔化すようにそう語りかけてくるクリスに、パーシヴァルの疑念は深まる一方だ。
「クリス様は見回りの続きをなされるのですか?」
「あ・・・ああ。」
「ならば、ご一緒させて頂きますよ。クリス様お一人で歩かせていたなんて事がボルス卿にでも知れたら、何を言われるか分かりませんからね。」
 その言葉に、クリスの顔色がサッと青ざめた。
「いやっ、大丈夫だ!子供じゃないんだから、一人で平気だ。」
 パーシヴァルの申し出を慌てて断るクリスに、やはり何かを隠しているのだと確証を持った。
 今のところ平和なこの城の中で起こったことだ。
 大したことでは無いと思うのだが、意外と重大なことだったりしたら、後々サロメやボルスから非難されるであろう事は目に見えている。
 何とか原因を突き止めようとクリスに視線を集中させたパーシヴァルの視界に、彼女の綺麗な銀髪が数本、甲冑の間から飛び出ているのが見えた。
 それを見た瞬間、クリスがこの場に留まっていた理由を察したパーシヴァルは、人の悪い笑みをその整った顔に浮かべた。
「クリス様。日の光に輝く御髪を下ろされているのは、皆の目の保養になって喜ばしいと思いますが、甲冑を纏った時には、向かないのではありませんか?」
「・・・・え?」
 突然の話題の転換に、クリスは目を瞬いていたが、パーシヴァルは構うことなく彼女の甲冑へと腕を伸ばし、そこに挟まった銀の糸を一本抜き取った。
「こんな風に、綺麗な御髪が抜けてしまいますからね。」
 それを彼女の目の前に指しだし、ニコリと微笑むと、彼女はあっという間に顔面を真っ赤に染めていった。
「パっ・・・・パーシヴァルっ!」
「髪がほどけて、編めなくなったんですか?クリス様は不器用ですからね。」
「うっ・・・うるさいっ!」
「それで放って置いて、甲冑に挟めてってところですか。・・・・・・結構抜けてますよ。」
 さらに銀糸を甲冑から抜き出そうとするパーシヴァルの手から逃れるように、クリスはその場から飛び退いた。
「いいから放って置け。お前には関係ないだろ・・・・っ!」
 動いた瞬間、サラサラと風になびいた髪の毛が甲冑の隙間になだれ込んだ。そうなると当然髪の毛が引っ張られ、その痛みにクリスは僅かに顔を歪める。
「動かないで下さい。これ以上その綺麗な髪が減ってしまっては、ゼクセン騎士団にとっても大きな損傷になってしまいますよ。」
「・・・たかが髪の毛ごときに、何を言っているんだ。」
 憮然とした表情ながらも、クリスはその言葉に素直に従った。髪の毛を引っ張られるのは、意外と痛いのだ。
「クリス様はご自分で三つ編みも出来ないのですか?」
「・・・・・悪かったな。」
「悪くはないですが・・・・。」
 答えて、ふと思い出した。チシャの村で、旅に出たクリスと再会したときのことを。
 私服の彼女は、いつもきちんと編み込んでいる髪の毛を縛ることもせず、下ろしていた。
 隠密行動と言うこともあるので、いつもとイメージを変えるためかと思っていたが、そう言うわけでは無かったようだ。
 彼女のことだ。自分で編めれば戦うのに邪魔だと、同じような髪型にしていたに違いない。
 そう思うと、いつも毅然とした態度を取っている騎士団長が、凄く可愛らしく見えてくる。
 思わず笑みをこぼしてしまうと、それを見とがめたクリスが、不愉快そうに頬を膨らませた。
「どうせ私は、剣しか扱えない女だ。料理も出来ないし、髪も結えないし、手芸も出来ない。女としては失格だよ。」
「誰もそんなこと言っていないじゃないですか。」
「言葉に出さなくても、そういう顔をしている。」
 へそを曲げたのか、そっぽを向いて答えるクリスの様子に、パーシヴァルは苦笑を漏らした。
 そう言う態度が、彼女の気に触ると分かってはいるのだが、どうにも押さえることが出来ない。
「料理が出来て髪の毛が結えることが女性の基準ではないでしょう。クリス様は、今のままでも十分魅力的な女性ですよ。」
「・・・・またお前は、そういうキザな台詞を吐いて・・・・」
「本心なんですけどね。大体、クリス様の基準で行くと、私は立派な女性になってしまいますよ。」
「・・・・?」
 言葉の意味が分からないのか、微かに首を傾げて見せるクリスに微笑みかけたパーシヴァルは、その眼前に自分の手のひらを差出した。
「髪留めはありますか?」
「あ・・・ああ。ここにあるけど・・・・。」
 思わず差し出してしまったクリスから、いくつかの髪留めを受け取ったパーシヴァルは、おもむろに篭手を外しだした。
「・・・パーシヴァル?」
「そのままでは部屋に戻ることも出来ないでしょうからね。僭越ながら、御髪を整えさせて頂きますよ。」
「出来るのか!?」
「ええ。・・・とは言え、櫛が無いので、いつものようにきっちりとしたものは出来ませんけどね。よろしいですか?」
「あ・・・ああ。じゃあ、頼む。」
 コクリと頷くクリスの様子に、パーシヴァルは口元に小さな笑みを浮かべて頷いた。
「喜んで。」
 初めて触れる銀糸は、想像していたとおりに滑らかだった。
 柔らかすぎず、堅すぎず。
 クリスにいじくり回されたせいで毛羽立っていた毛を手櫛で整えながら、パーシヴァルはどんな髪型にするか考えていた。
 せっかくの機会だ。普段はしていない髪型にしてみたい。
 こんなチャンスが再びあるとは思えない。
 ここは思いっきり趣味に走って見るのもいいかもしれない。
 流れるような手つきでセットしていると、クリスがボソリと呟きを漏らした。
「・・・・お前は、何でも出来るんだな。」
「そんなことはありませんよ。」
 否定したパーシヴァルの言葉は聞かなかった事にしたのか、クリスは淡々と話し続ける。
「馬の扱いは騎士団一の腕前だし、剣だって、他にひけを取らないだろう。その上料理も出来るし、髪だって結える。容姿だって良いし、頭も良いし・・・。うらやましい限りだ。」
 うらやましいという割には、なにか怒っているような響きのある声音に、パーシヴァルは苦笑を浮かべながら反論した。
「そう言われると、私が完璧な人間みたいに聞こえますが、私にも出来ないことはありますよ。」
「・・・・じゃあ、なにが出来ないんだ?」
「そうですね・・・・・。とりあえず、子供は産めませんね。」
「・・・・・パーシヴァル・・・・・。」
 僅かに声に怒気がこもっていた。冗談の通じない真っ直ぐさも彼女の魅力ではある。
 いつもだったらさらにからかっているところだが、セットの途中で逃げ出されても困るので、素直に謝っておいた方が良いだろう。
「冗談ですよ。」
「当たり前だ。そんなこと、生物学的に無理だろうが。他のことでは無いのか?」
「そうですね・・・・。クリス様のお心を、私のものにする事ですかね。」
 言われた言葉の意味を考え込むような間の後、クリスは首筋まで真っ赤に染め上げると、勢いよく振り返った。
「パーシヴァルっ!お前っ!」
 掴みかかられそうになるところをギリギリで避けたパーシヴァルは、笑いをかみ殺しながら次々と繰り出される攻撃をかわしていった。
「冗談が過ぎるぞ!」
「本心なんですけどね。」
「そんな顔で言われて、ハイそうですかと頷けるかっ!」
「・・・・顔を変えることも、出来ないですね。」
 芝居がかった様に悩んだ顔をするパーシヴァルに、クリスは怒りのあまりにワナワナと身体を震わせていた。
 本格的に怒り出しそうなクリスの様子に、この辺が潮時かと、パーシヴァルは唐突に話題を変えてみせる。
「それだけ動いても、邪魔にはならないようですね。」
「え?」
 言われてから気づいたように、クリスが髪へと手を伸ばした。
 手触りで綺麗にセットされているのが分かったのだろう。途端にばつの悪い表情に変わっていった。
「あ・・・ああ。大丈夫だ。・・・ありがとう。」
「クリス様のためならこれくらい。あなたのためならば、戦場でこの身をあなたの盾にする事もいといませんよ。」
「・・・・そんなこと、望んではいないよ。」
 プイと横を見るクリスに微笑みを誘われながら、パーシヴァルは外していた篭手を再びその手に装着した。
 視線を上げると、クリスがしきりに頭を振っている姿が視界に飛び込んできた。騎士団を束ねる団長の、その幼い仕草に苦笑がこぼれ落ちる。
「どうなっているのか、気になりますか?」
「ん?ああ。なんか、いつもと感じが違うんでな。」
「せっかくなので、色々と遊ばせて貰いましたよ。クリス様は見栄えがしますから、道具があればもっと凝った事をしたかったのですがね。この場ではそれで精一杯でしたよ。気になるなら、部屋に戻ってから確認して見て下さい。」
「そうする。・・・それにしても、どこでこんな事を覚えたんだ?」
 クリスの疑問はもっともなものだ。あまり詳しく話すと色々うるさいことを言われそうなので、当たり障りのないことを口にしてみる。
「故郷では、物心付いた子供には仕事が与えられていましたから。家事から畑の仕事まで。出来ることはなんでもやらされました。面倒を見ていた女の子の髪を結うことも、子供の仕事の一つでしたよ。他の人より色々出来るように見えるのは、そんな幼児体験があるからだと思いますよ。」
 自分が優れた人間では無いと言葉の裏に潜めてみたが、それはクリスに伝わったのだろうか。
 彼女の様子を窺うと、クリスは驚いたように目を見開いていた。
 パーシヴァルの口から上った内容は、名門出身の彼女にしてみれば未知の世界の話だったのかも知れない。
 なんと声をかけて良いのか迷っているように視線をさまよわせた後、クリスは遠慮がちに言葉を発した。
「・・・大変だったんだな。」
「全然苦ではありませんでしたよ。皆やっていることですし、当たり前のことでしたから。」
 大変だというなら、村での仕事よりも騎士に志願した後の方が大変だった。
 思い出しかけた過去の残像に苦いものを感じる。
 歪みかけた表情を訝しむように見つめる視線に気づき、パーシヴァルは取り繕うようにいつもの底を見せないような笑みをクリスへと向けた。
「そろそろ戻りましょう。あまり城から離れていると、ボルス卿辺りが騒ぎ出しますからね。」
「あ・・・ああ。そうだな。」
動揺しながらも素直に頷いたクリスを促し、パーシヴァルは城へと足を向けた。
「それにしても、どうしてあの様なところで髪の毛を解いてらしたんですか?」
「やりたくてやったわけではない。通りがかりに木の枝に引っ掛かってしまって・・・・」
「無理矢理引っ張ったらほどけて収拾が付かなくなったって、所ですか。」
「・・・・そんなところだ。」
 憮然とした表情のクリスに、パーシヴァルは浮かびそうになる笑みを隠すように、その口元を右手で覆い、微かに首を傾げた。
「クリス様は、やはりお一人で歩き回られない方がよろしいのでは無いですか。いつまた同じ事が起こるか分かりませんからね。」
「・・・・私だって、たまには一人で居たいんだよ。」
 暗い影を落とした横顔に、深刻なものを感じた。
 確かにクリスは、22のうら若い女性の肩に乗せるにしては重い荷物を背負いすぎている。
 それから逃げたくなることもあるだろうが、彼女の性格からいって、そんなことは出来るはずもない。
 一人で出かける事自体、結構な勇気を必要としたのかも知れない。
「それなら、三つ編みくらいは出来るようになっておいた方が、良いかも知れませんね。」
 突然の提案に、伏せていた顔を思わず上げたクリスに、パーシヴァルはその瞳を覗き込みながら微笑み返した。
「三つ編み?」
「ええ。村の子供にも出来る簡単な髪型です。今度、お教えしますよ。」
「・・・・ありがとう。」
 心の底から喜んでいるような暖かい笑みに、パーシヴァルの顔も自然と綻んだ。
 先ほどよりも軽くなったクリスの足取りを視線で追いながら、彼女の心の平穏を祈った。
 誰よりも強く、誰よりも不器用なこの女性に明るい未来が来るように。

 
 






 数刻後、鏡の前に立ったクリスが、これから舞踏会に行くかのような己のヘアスタイルを見て、その場で怒りもあらわにパーシヴァルを呼びつけたのは、言うまでもない事だ。













                              プラウザのバックでお戻り下さい















銀色の髪の乙女