ふと、目が覚めた。もう朝になったのだろうかと思ったが、周りはまだ暗かった。朝の喧噪も聞えないので、まだ夜半だと思われる。
 久し振りのベッドでの眠りだ。朝どころか昼まで目を覚まさないで眠り続けると思っていたのだが。長いこと野宿を繰り返してきたせいで神経が高ぶっているのだろうか。一瞬そう思ったが、自分はそんな繊細な性質ではない。その上切り替えは上手くできる方だ。神経が高ぶって眠れなくなる事が全くないとは言わないが、今はその時ではない。
 ならば何が原因で目を覚ましたのだろうか。念のためにベッドに横になったまま周りの気配を探ってみたが、気になる気配は欠片もない。尿意を覚えた訳でもないし、空腹を覚えた訳でもないので、目覚めた理由は皆目見当が付かなかった。と言うことは、理由もなく目を覚ましたと言うことだろうか。
「勿体ねぇな・・・・・・・・・・・」
 そう胸の内で零したビクトールは、ゆっくりと息を吐き出してから開いていた瞳を閉じた。もう一度眠りの世界に落ち込もうと。だが、妙に意識が冴えて眠りにつけそうにない。
 再度瞳を開いた。そして、ムッと顔を歪める。眠りにつけないことが苛立たしくて。
 ゴロリと寝返りを打つ。そして、何の気無しに隣のベッドに瞳を移した。
「ぁ・・・・・・・・・・・・・・・?」
 あるはずの存在がそこにない事に気付き、ビクトールは小さく息を漏らす。外に出て行った気配は無かった。安宿の狭い部屋だ。扉が開けばその気配に気付いたと思うのだがそんな気配は無かったから、それは確かなことだろう。
 そう考えたがもしかしてと思い、チラリと視線をテーブルの上へと投げてみる。と、そこには、眠る前と寸分違わぬ位置に部屋の鍵が置いてあった。念のために確認してみれば、部屋の鍵も施錠されたままだ。
 数拍、間をおいた。考え込むような間を。そして、ベッドから起きあがらずにゴロリと身体を動かし、窓の方へと顔を向ける。
 その視界に、白いモノが映った。
 柔らかな光を発しているように見える、目に痛い程の白色を。
 僅かに瞳を細めた。その光を眩しく感じて。そして、その発光して見える物体がなんなのか、その正体を突き止めるために瞳を凝らす。
 それは、傍らのベッドに寝ていたはずのフリックだった。そのフリックが上半身に何も纏わずに窓際に腰掛け、こちらに背を向けるようにして夜空を見上げている。
 今日は満月なのだろうか。窓から差し込む月明かりが眩しい。その月明かりを受けているために、彼の白い肌が発光して見えたのだ。
 その白い肌を、ジッと見つめる。声をかけてはいけないような雰囲気があったから、息を殺して。
 フリックの顔は見えない。微動だにしないで夜空を、そこに浮かぶ満月を見つめているから。
 その姿が、ほんの数ヶ月前まで居着いていた城で見た彼の姿と重なった。
 階段の途中にある大きな窓から、表情もなくジッと月を見つめていた彼の姿と。
 その姿を目にする度、胸が痛んだ。彼が何を思って月を見上げているのか、分かってしまったから。
 満月の優しい光のようだった女の事を思っているのだと、分かってしまったから。

 守ると言ったのは自分だ。
 守れなかったのも。
あれだけデカイ口を叩いていて、彼女を助けることが出来なかった。
 彼に彼女の訃報を告げた時、詰られる覚悟をしていた。激しく糾弾されるモノだと思っていた。剣を抜かれ、斬り捨てられるかも知れないとも思った。
 なのに彼は、一度激しく激昂しただけで、あっさりと自分に許しの言葉を与えてくれた。
 妙に落ち着いた、静かな瞳で。

 当時のことを思い出し、フウッと、小さく息を吐いた。
 あの日以来、彼は少し変わった。何がかは、分からないけれど。確かに、何かが変わったと思う。
 大事なモノを急に失ったことで虚が出来たのかと思ったが、そうでは無さそうだ。そうでは無いのに、何かが変わった。
 彼が何を思っているのか、ビクトールには分からない。崩れ落ちる城から彼と共に逃げ出し、昏睡する彼を担いで山を下り、怪我の治療を施して共に旅をするようになったけれど。解放軍に居た時よりもグンと二人の距離は近づいたと思うのに、それでも彼の思いは読み取れない。
 借りを返すために共に旅をしているのだという彼が、いつ自分と別れるつもりなのかも分からない。その機会を窺っていることは分かるのだが、そのタイミングがどんなモノなのかは分からない。
 ミューズまでは共に旅をすると言っていたが、それが本当かどうかも分からない。ミューズに着いた後にどうするつもりなのかは、もっと分からない。その分からないことを尋ねようと機会を狙っているのだが、なかなかチャンスは得られなかった。珍しくチャンスを得ても、適当にはぐらかされてしまう。
 ビクトールは、出来ることならこのままずっと、フリックと共に歩いていきたいと思っている。何を考えているのかは分からないが、その存在が妙にしっくりくるから。
 解放軍時代には妙に気になる相手だと思うだけだったが、共の居る時間が増えて思った。

 自分の背中を預けられるのは、この男だけだと。

 だから、彼とは別れたくないと強く思う。鬱陶しがられようと、共に居たいと。分からない彼の心の内を分かるようになりたいと。
 自分の一方通行な思いだと言うことは、嫌と言うほど分かっているのだが、思うことは止められない。

 微動だにしない白い背中を見つめる。
 シミ一つ無い綺麗な肌に刻み込まれた無数の傷痕を目で追うように。
 いつまでも見つめていたい衝動にかられたが、その衝動を抑えてギュッと目を閉じた。そして、ゴロリと寝返りを打つ。フリックが寝ていたベッドとは反対側に顔を向けるようにして。
 深く息を吐き出した。己の脳内をしめる思いを吐き出すように。
 やがて、呼吸も思考も収まりを見せてきた。遠ざかっていた眠気も戻ってくる。その眠気を呼び込みながら深く、ゆっくりとした呼吸を繰り返す。
 もう少しで完全に眠りに落ちそうになった時、小さく空気の震える音が耳に届いた。
 クスリと、軽く笑むような音が。
 そして、柔らかな声が静かな室内に響く。
「お休み。良い夢見ろよ。」
 その言葉が誰に向けられたものなのかと考える前に、ビクトールの意識は眠りの世界へと引きずり込まれていった。
 労るような響きの声を、胸に刻み込みながら。
 暖かな気持ちになりながら。

















【20090922再UP】






月光