「副隊長、ちょっと良いですか?」
食堂に降り、昼食をとっていたフリックは、背後からかけられたその問いかけに軽く視線を流した。そこには、三人の部下達の姿がある。その誰もが緊張した顔をしていることから、何か良くない事を告げられるのだろうと予測した。
今日はいったい何をやらかしたのだろうか。
朝の内にではなく今の時間に来たと言うことは、昨夜やらかした失態の告白ではないだろう。報告に時間が経てば経つ程罰が重くなるのは、この砦に暮らしているもの全員が知っている事だから。
と言うことは、今日の午前の訓練で何かあったと言うことか。そんな報告は受けていないのだが。
内心で首を傾げながらも、とりあえず報告を受けようと三人の男に向き直った。
「あぁ、大丈夫だ。なんだ?」
「あの……質問したい事があるんですが」
「質問?」
「そうっす。すっげーくだらない質問なんですけど、怒らないで聞いて貰えますか?」
「それは聞いてみないとわからないな。とりあえず言ってみろ」
サクリと言葉を返せば、男達は皆、顔を引きつらせた。とりあえず言ってみて怒られたときの事を考えているのだろう。
自分が傭兵達にとって恐怖の対象であることはわかっている。わかってはいるが、そんな闇雲に怒ったことはないので、ここまで怖がられる意味がわからない。
もしかしたら、怒られる可能性が極めて高い下らない質問なのだろうか。
その質問内容を想像していると、自然と眉間に皺が寄った。
フリックの表情の変化を自分達の態度をみてのモノだと判断したのか、男達はビクリと身体を震わせた後、慌てて言葉を放ってきた。
「あの、ジュノーの事をどう思っていらっしゃるんですか!」
「ジュノー?」
全く予想していなかった問いかけに、軽く目を見張る。
そんなフリックに、男達は深く頷き返してきた。
「はい。最近すっごく構ってるじゃないですか! 正直、もの凄く妬けるんですよ!」
「そうっす。副隊長は今まで、特定の個人にそこまで目をかけてたことって無かったじゃないっすか。あ、ダレスもですけど、アレは別格だから良いんですけど」
「とにかく、良い腕をしてますけど、そんなに腕がたつわけでもないのにジュノーに目をかけてるのは、何か理由があるのかな、と」
「その理由を教えてもらいたいなと、思ったんす」
「あっ! 無理にとは言いません! 教えて頂けるモノならばと言う感じで!」
「やっぱ、ジュノーの事が好きだからっすかね?」
「――――まぁ、好きか嫌いかと問われたら、好きな部類に入るが」
一気に捲し立ててくる部下達のよくわからない迫力に押されて素直に答えた途端、今まで妙に静かだった食堂内の空気がザワリとうごめいた。そして、どす黒い殺気に似た気配が辺りに満ちあふれ始めた。
目の前に居る男達も表情を険している。
そんな過剰な反応が返ってくる意味が、全く持ってわからない。別に自分が誰を好きでいようが、他の傭兵達には関係ないと思うのだが。
そう思いつつ、部下の問いに答える言葉を発した。
「今はさほど強くはないが、アイツはまだまだ成長するからな。丁度今が伸び盛りだから伸ばせる内に伸ばせるだけ伸ばしておこうと思って、目に付くたびに声をかけてる。コレで納得か?」
「――――ってことは、特別にアイツが好きってわけじゃ、ないんすね?」
「ないな」
「じゃあ、アイツと同じような伸び盛りな奴が来たら、そいつにも同じように声をかけるって事っすね?」
「そう言うことだ。まぁ、あそこまで面白いくらいに伸びてくれる奴はそうそう居ないだろうが」
部下の問いかけに返した自分の言葉に、内心で大きく頷き返す。
確かに、あの年になってからあれだけの成長の早さを見せてくれるものは、そうそういないだろう。
多分あの成長っぷりは、元から持っていた資質もあるだろうが、自分に対する反発心と、ビクトールに対する恋慕の思いから出てきているのだと思う。その二つが上手く混ざり合っての成長速度だ。他のモノにはなかなか真似出来まい。
自分に向けられる、ジュノーの対抗意識がバリバリに籠もった鋭い視線を思い出して、クツリと喉の奥を振るわせる。
真っ向からあんな瞳を向けてくるモノにはなかなか出会わない事なので、妙に楽しい気分になって。
「――――副隊長?」
「いや、可愛い奴だなと、思ってな」
突然笑みを零した事を訝しく思ったのだろう。眉間に皺を寄せた部下に問われ、笑み混じりの声で言葉を返す。
途端に、問いかけてきた傭兵の表情が険しいモノに変化した。
そして、固い声で問いかけてくる。
「……それは、ジュノーがって、事ですか?」
「あぁ」
「どこら辺が?」
「小さいのに必死に噛みついてこようとしてるところが」
クツクツと喉を振るわせながら答えれば、傭兵達は軽く目を見張り、言葉の先を請うような眼差しをむけてきた。その視線に答えて、言葉を続ける。
「俺に対してあんなあからさまに敵意をぶつけてくる奴は、そうそう居なかったからな。居たとしても本来なら、そんな輩は一瞬で細切れにしてやるところだが。何故かアイツにはそんな気がおきない。貴重な奴だ」
「――――それは、ジュノーの事が気に入ってるって事ですか?」
「そうだな。気に入ってるな」
問われた言葉は妙にしっくり来る言葉で、素直に頷き返しておく。
吠えたててくる弱い犬も大嫌いだから、成長中とは言え生意気な事を言いながらも自分に全然歯が立たないジュノーなど、本来なら速攻で切り捨てて、その血肉が誰のモノかもわからないくらいに真っ黒に焦げ付くさせてやる所なのだが。何故か未だに彼をそんな目にあわせては居ない。そうしようと思わないので。
それは、彼の事を気に入っているからなのだろう。
「――――今まで猫や犬を飼いたいなんて思ったことは無かったが。アイツだったら飼っても良いかと思うな」
「え………?」
思わず呟いてしまった言葉は、部下達の耳に届いてしまったらしい。日に焼けた黒い顔からザッと血の気が落ちていった。
そして、恐る恐ると言った様子で問いかけてくる。
「それって、どういう……」
「どう言うもなにも、言葉のままだ」
別に部下達に聞かせたくて発した言葉ではなかったのだが、聞こえ、問われたからにはと言葉を返す。
それで充分だろうと短い言葉で一旦口を閉じたのだが、しばし考えた後、それだけではわからないかと言葉を注ぎ足す。
「猫を飼うにも犬を飼うにも躾だ食事だ褒美だなんだで手間がかかるから、そんなモノは例え便利な事があっても飼う気になれなかったんだが。ジュノーだったら、多少手間がかかろうとも飼って良いかと思ったんだよ。むしろ、その手間を楽しめそうだなと、思ったんでね」
そう部下に告げた自分の言葉に、内心で「あぁ」と小さく息を吐いた。
彼も、そう言う気持ちだったのだろうかと、思って。
「――――ジュノーを、飼うんですか?」
恐る恐ると言った様子で、部下の一人が問いかけてくる。
その問いかけに、軽く首を振り替えした。
「別に飼う気はない。飼っても良いと思ったってだけだ」
飼っても良いとは思ったが、飼うことはないだろう。飼ってしまったら色々と面倒くさいし。
いや、自分がどれだけ望もうと、彼が自分に飼われる事はないだろう。意に添わぬ首輪をつけられるくらいなら、死んだ方がマシだと言いそうな男だから。
ビクトールになら、喜んで飼われるだろうが。
「ぁ〜〜〜………。ジュノーだったら、猫じゃなくて犬ですね」
食堂に流れていた妙な空気を払拭しようと思ったのか、フリックの前に並んだ三人の内の一人がそう言葉を放った。
その言葉で我に返ったらしい、次々と声が上がってくる。
「そうだな。しかも、ちっこい小型犬」
「見た目すっげー可愛い奴な」
「なのに、キャンキャン吠えてすっげーうるせぇやつ」
「自分の小ささも自覚しないででっかい奴に食ってかかったりする感じか?」
「そうそう、そんな感じ」
「じゃあ、チワワなんて良くね? アレって意外と攻撃的じゃん?」
「おぉ、チワワ!」
「いけてるいけてる。そっくりだーーー!」
「よし。これからは、『チワワ・ジュノー』とお呼びしようぜ、みんな!」
「おう!」
どうやら気分を変えるために悪のりし始めたらしい傭兵達が、ギャハハと大声をたてながら騒ぎ始めた。フリックに言葉をかけてこようとする輩は、もう居ない。仲間内で妙な持ち上がりを見せている。
そんな部下達の姿を目にして小さく口端を引き上げたフリックは、身体を元の方向に戻し、止まっていた食事を取る手を動かし始めた。



この会話のせいで、後にジュノーに災難が降りかかったことは、言うまでもない。