「っかー。まだねみぃ………頭がスッキリしねぇなぁ………」
 早朝と言うには少し遅い時間にフリックにたたき起こされたビクトールは、朝食を食べるためにレストランに向かう道すがら、未だに残る眠気を晴らすために大きく伸びをしながらそう愚痴めいた言葉を零した。
 その言葉に、傍らを歩いていたフリックが冷たい眼差しを寄越してくる。
「飲み過ぎなんだよ。もういい年なんだから、翌朝に残らない程度の飲み方を覚えたらどうなんだ?」
「まだんなに年寄りじゃねぇよっ! ……ったく。朝っぱらからつめてぇ事言うんじゃねぇよ。余計スッキリしなくなるじゃねぇか」
「だったら、そんな言葉を言われないよう、生活態度を改めろ」
「うわっ、可愛くねぇなぁ…………」
「男が可愛くてどうするんだ」
 眼差しと同じくらい冷たい言葉に思いっきり顔を歪めて返すと、フリックは鼻先で笑い返してきた。自分の事をもの凄く馬鹿にしているのが丸わかりな態度で。
 人を馬鹿にするその態度が様になりすぎていて、もの凄く可愛くない。可愛くないのに、可愛いと思ってしまう。そんな自分の頭と目は、腐っているのだろうか。
 寝起きではっきりしない頭でそんな事を考えつつボンヤリとフリックの顔を見つめる。
 どれだけ見ても見飽きない、綺麗な顔を。
 と、突然愛しさが沸き上がってきた。どうにもこうにも抑えきれない程強い愛しさが。
「フリックーーーーっ!」
「うわっ!」
 なんの前置きもなく突然背後から抱きついたら、さすがのフリックも予想していなかったのか。彼には珍しくあっさりと捕まった上に、驚きの声まで上げてきた。
 その反応に楽しさがこみ上げてきた。自然と顔には笑みが浮かび上がってくる。抑えようとしても抑えきれない程の愛しさが、胸中で溢れかえった。
 細いけれどもしっかりと筋肉の付いた身体を拘束する腕に力を込めつつ、彼の肩口にグリグリと額を押しつける。
「ちょっ……なんなんだ、いきなり」
「いやぁ〜〜もう。俺はお前の事を好きすぎだなぁと、突然自覚してよぉ……」
「ソレと今俺に抱きついてきているのと、どういう関係があるって言うんだ?」
「好きな奴と触れあってたいと思うのが、男の性ってもんだろうが。お前だってそうだろう?」
 肩越しに端整な顔を覗き込みながら問いかけると、彼はイヤそうに顔を歪め、顔を遠ざけるように身をひいた。
 そして、心底嫌がっているのがよく分かる声で告げてくる。
「少なくても、お前と触れ合っていたいとは思わないな、俺は」
「おいおい、酷いこと言うなよ。唯一無二の相棒様に向かってよ」
「自称だろ」
「そんなつれないお前のことも、大好きだぜ?」
「アホか」
「恋は、男を愚か者にするもんなんだよ」
「――――ほんと、お前は………」
 ポンポンと本音の混じっている軽い言葉を発していく自分に向かって、きつい言葉を吐き出そうとしたのだろう。宝石よりも綺麗な青い瞳に、濃い呆れの色と共に、冷ややかな光が宿った。
 それを敏感に読み取ったビクトールは、落ち込む言葉を吐き出される前にその口を閉ざしてやろうと、身体を拘束していた腕で素早くフリックの顎を捕らえ、自分の方を向くように動かした。
 自分の行動を予想していなかったのか。はたまた予想していたがある程度身を任せるつもりがあったのか。珍しく素直に従ってこちらに顔を向けてきたフリックに薄く微笑みかけたビクトールは、そのまま己の唇を彼の唇に接近させようとした。
 その瞬間。
「キャーーーーーっ! なにやってんのよっ! このっっっ、変態熊ーーーーーーっ!」
 朝とは思えない程元気な叫び声が聞こえてきた。
 その声の主が誰なのかは、姿を見なくても分かる。
 ウンザリしながら声の主の方へと視線を向けると、もの凄い勢いで駆け寄ってくる人影が視界に入ってきた。その人影が、力強く振り回していた何かをビクトールの後頭部に叩き込んでくる。
「フリックさんから、離れなさーーーーーいっ!」
 という、怒声と共に。
 年若い少女の攻撃だからと軽く考え、たいして身構えていなかったビクトールは、意外と効くその攻撃に結構なダメージをくらい、蛙を潰したような声を発してその場に蹲った。
 自分がそれだけのダメージを受けたのだ。フリックにも余波が行っているだろうと思い、素早く彼の顔に視線を向けてみれば、彼は先程までいたのと寸分違わぬ場所に立ち、呆れたような眼差しでこちらを見下ろしていた。どうやら攻撃の余波なかったらしい。怪我をしている様子も微塵もない。
 素人娘だと馬鹿にしていたが、あれだけ密着していたフリックへの攻撃を避けるとは。なかなかやる。
 そんなことを考えている間に、ニナがフリックと自分との間に身体を割り込ませてきた。そして、左手に武器であるブックベルトをさげながら、ビクトールに向かって右手の人差し指をビシリと、つきつけてくる。
「フリックさんの純潔は私が守るわっ! あんたなんかに、指一本触れさせないんだからっ!」
「――――純潔――――」
 さすがお子様。言うことが違うぜ。
 怒鳴りつけてくるニナの言葉に半ば呆れながらも半ば感動していると、ニナはこれでもうビクトールには用はないと言いたげな態度でフリックの方へと身体を向けた。そして、フリックの右手を両手でガシリと掴み、高い位置にある端整な顔を見つめる。
「フリックさんっ! 大丈夫でした? 変なこと、されてませんか?」
「あぁ、大丈夫だよ。ありがとう」
 何を考えたのか、フリックはニナ相手には珍しく、大層愛想良く笑い返した。
 その笑顔にニナの顔がパッと輝いた。と思ったら、サッと視線を落としてもじもじと身体を揺らしだす。
「いっ……いえっ、フリックさんのためなら、このくらい……」
「でも、女の子はあまり乱暴な事をしない方が良いと思うよ」
「あっ……えっと、はいっ! フリックさんがそう言うならっ!」
 フリックの言葉に一瞬動揺を見せたニナだったが、すぐに元気よく返事を返した。そして、恐る恐る問いかける。
「あの……やっぱりフリックさんって、女の子らしい大人しい子の方が、好きなんですか?」
「じゃあ、俺は今から朝食を食べに行くところだから」
「あっ! 待って下さいっ! 私も一緒に行きますからっ!」
 ニナの問いかけに答えようともせず、さりげなくニナの手から己の手を抜き取ったフリックは、そう言うなりさっさと食堂の方へと歩き出してしまった。
 その後を、ニナが慌てて追いかける。
 二人とも、ビクトールの存在など忘れ去ったと言わんばかりの態度で。
「――――おいおい、つれねぇなぁ」
 床に蹲りながらボソリと零す。
 フリックにしてみたら、あの状態でニナが朝食の席に同席しない訳がないと分かっていたから、先に行ったのだろう。自分とニナの二人が一緒の席で朝食を取る事になったら、ゆっくりと朝食を取っていられない騒ぎになるのは、火を見るよりも明らかな事だから。
 だからといって、そう言う場合に自分が切られるのは面白くないなとふて腐れていたら、背後から柔らかな声をかけられた。
「――――見事な攻撃でしたね」
「あぁ。綺麗に角が入ったぜ。あの小娘、侮れねぇよ」
 振ってきた声に答えてからゆっくりと顔を上げると、そこには予想通り柔らかな、それで居て人の悪さを感じる笑みを浮かべたカミューの姿があった。
「同盟軍にあんな少女が在籍して居るというのは、頼もしいことですね」
「全くだな。頼もしくなって欲しくない方向にも頼もしくなられてるみたいだが」
「強力なライバル出現ですか?」
「あんなのがライバルになるかよ」
 笑み混じりの声で問われた言葉には、軽く鼻先で笑いながら応える。そしてゆっくりと、腰を上げた。
「随分、自信があるんですね」
「おう。伊達や酔狂でアイツと長々付き合ってきた訳じゃ、ねぇからな」
 楽しげに問われた言葉に、ニヤリと笑って返す。知れば知る程分からない部分が増えるフリックだが、それでも、自分程彼のことを知っている人間は居ないと自負しているから。
 ちょっとやそっとのことでは、自分達の関係は揺るがないと、確信している。
「ってわけで、俺は相棒に振られた寂しい男になったんだが、カミュー。お前、朝飯は?」
「これからですよ」
「だったら、一緒にどうだ?」
「喜んで、ご一緒致しますよ。フリックさん程、目の保養にはならないでしょうが」
「なぁ〜〜に言ってンだ、色男。負けず劣らずな顔してるくせによ」
「でも、貴方はフリックさんの方が良いのでしょう?」
 からかうような言葉にニッと笑い返す。
 言うまでもないと、その瞳で、表情で告げるように。