昼と言うよりもお茶の時間といった方が良いような時間に、フリックはフラリとレストランに足を運んだ。
早朝に近隣のモンスター狩りに出たのから戻ってきたばかりで、腹が空いていたので。
これくらいの時間帯ならばレオナが仕込みを始めているはずなので、酒場に行って適当なモノを出して貰うことも出来ただろうが、珍しくしっかりと食したい気分だったので、レストランに来ることにしたのだ。
こんな時間に食事をしたら、夕食を摂る気にならないだろうなと思いながらも。
店内に足を踏み入れ、ザッと見回した。どこの席に着こうかと思って。
その流した瞳に、一冊の本を真剣に見つめるチッチの姿を捕らえ、ゆっくりと歩み寄った。向こうはこちらに気付いても居ないのだ。わざわざ話しかけることはないとは思ったのだが、ここ最近彼とまともに会話していなかったことを思いだし、曲がりなりにも軍の幹部と言われている立場に居る人間としては、上司である少年と少しは言葉を交わしておくべきかと思ったので。
「どうした、チッチ」
歩み寄りながら声をかけると、フリックが歩み寄ってきたことに全く気付いていなかったのだろう。チッチはビクリと身体を震わせた後、慌てて振り返ってきた。
「フリックさん。お帰りなさい。どうでした?」
「雑魚ばかりで金にはならなかったが、かなりの数を片付けられたから、しばらくは街道に出てくることはないと思うぜ」
「―――良かった」
主語がない問いかけだったが、こちらのスケジュールを把握しているらしい口ぶりから、あえてこちらも主語を省いて言葉を返した。
そんなフリックの報告に、チッチは小さく息を吐き出した。
本当に、心の底から安堵したと言わんばかりの表情と仕草で。
そんな彼に笑いかけながら、フリックはチッチの手元へと視線を流した。
「で、お前は何を読んでいるんだ?」
「ぁ、これ、シュウさんに貰ったんですよ」
言いながら手にしていたモノを軽く持ち上げる。
どうやら本ではなく書類だったらしい。
表紙を見てみたが、そこにはなんの記述もされていなかった。だからと言って綺麗な絵が描かれているわけでもない。素っ気ない緑色の紙があるばかりだ。
いったいこれはなんなのだろうかと首を捻りながらぱらりと一枚めくってみると、大きめの、書いた者の几帳面さが現れた文字が白い書面に書き込まれていた。
「五十騎で敗走中に、二百騎の敵兵に囲まれた」とか、「補給路が断たれて物資が前線に届かない」など、危機的状況が箇条書きで書き込まれているようだ。それが、軽く見積もって二十ページ以上はある。
「―――シュウが?」
文字を見ても明らかなことではあったが、それでもあえて問いかけると、チッチはコクリと頷き返してきた。
そして、フッと息を吐き出す。
「その時になって悩まないように、色々な場面をシミュレートしておけって」
「なるほど。確かに、シミュレートするに越したことはないな。しっかり考えてみろよ」
嫌そうな気配を見せるチッチに苦笑を浮かべながら彼の頭をグリグリと撫でたフリックは、通りがかったウェイトレスに食事の注文をし、チッチが座している席の隣にある空いた席へと腰をかけた。同じテーブルに着いても良かったが、勉強中らしい彼の邪魔をしたくなかったので。
そんなフリックに、チッチは頬をふくらませて睨み付けてくる。
「そう言われても、こんな簡単な書き方じゃ良く分かりませんよ。状況が」
「だったらその状況も自分で考えれば良いんじゃないのか?」
「状況も?」
「あぁ。マチルダの国境近くに敵兵が五百ほど駐留している。それを六百で打ちに行ったら、実は罠で、一千の敵兵に背後から襲いかかってこられて逃げ場がない。運良く逃げられたが、補給物資を受け取れない状況に陥り食べ物に事欠き、士気が下がった。その上敵兵が背後から追いかけてきている。そう言う状況で兵士の士気を上げて敵を討つためにはどうしたらいいか―――とかな」
「―――なるほど」
「まぁ、所詮頭の中での出来事だから、実際想定したように物事が起きる訳じゃないし、考えていたように上手く事が進むわけでもないけどな。それでも、頭の中で常に最良の方法を模索するようにしていれば、いざという時に反応が早くなる。その判断が間違いだったとしても、指揮をするモノが自信なさげにしている姿を見せるよりも、士気は保てる」
「―――そっか。うん、わかりました!」
どうやら納得したらしい。チッチは満面の笑みを浮かべて大きく頷き返してきた。
「そう言われれば、そうですね。自分で危険な状況を考えて、そう言う状況に陥らないための方法を考えて見るって事ですね!」
「そう言うことだ」
飲み込みの早いチッチを褒めるように、フリックはチッチの頭を撫でてやった。
その手の感触に照れくさそうに笑いながらも、チッチは先程よりも前向きな態度で書類に目を通し始めた。
真剣に考えているのだろう。眉間には深い皺が寄っている。
そんなチッチの様子に小さく笑みを零したフリックは、持ってこられたセット料理に手を伸ばした。そして、黙々と食していく。
傍らではチッチが書類を片手に考え込んでいる。
ナナミが居ないからか、チッチの周りの空気がとても静かだ。自分の周りにビクトールが居ないのも、その静けさに輪をかける原因となっているだろう。
「こんなのも、たまには良いかもな」
ボソリと呟き、軽く口端を引き上げる。
静かな、争いの気配がない空気を良いと思うのは、退化なのか、進化なのか。
どちらなのだろうかと、思って。
「―――まぁ、絶対に退化だって言われるだろうけどな」
クツリと喉の奥を鳴らして笑い、食事を続けた。
それでも、この空気を不快に思えない自分を自覚しながら。
〈20090622〉
レストランにて