畑の情事
一通りの訓練をこなしたボルスは、武器屋に新作が入ったという話を聞きつけ、昼休みに様子を見に行こうと歩いていた。
青い空には雲一つ無く、鳥の軽やかな鳴き声が聞こえてくる。
大きな戦いのさなかだと言うことが嘘のように平和な空気が流れいた。
しかし、これはつかの間の平和でしかない。
「・・・早く、この状態になればいいのだがな・・・・・。」
そのためにも敵を打ちのめさなければならない。
強くその事を決意しながら武術訓練所と畑の間にある階段を歩いているとき、畑の中からボソボソと人の話し声が聞こえてきた。
「・・・・そうです。優しく扱ってください。」
「パーシヴァル?」
それは聞き慣れた声だった。
彼の声を聞き間違えることなどないと自信を持って言えるボルスだったが、こんなところで聞きたい声ではなかった。ここは彼の古なじみらしい男、バーツの管理している畑のなのだ。その畑の中から話し声が聞こえてきていると言うことは、また奴と二人でいると言うことになる。
それが、ボルスには面白くない。
そんなボルスの耳に、常よりも優しい声音が聞こえてくる。
「そうです、そこを優しく・・・・力を込めないで。」
「こうですか?」
「ええ。ロラン卿はお上手ですね。」
聞こえて来た同僚の名に、ボルスは驚きに目を見張った。
仲が悪いわけではないと思うが、パーシヴァルとロランが二人で行動している姿というのをあまり見かけた事がない。軽口を叩くパーシヴァルにどう対処していいのか分からないから、ロランの方から近づこうとしていないせいかもしれないが。
そんな関係を知っているだけに、二人が畑の中で何かをしている姿というものが想像しにくい。
恐る恐る近づいてみたが、畑の奥の方にいるのか姿を捕らえる事は出来なかった。声をかけようか悩んでいるボルスの気配に気づいていないのか、二人の会話は途絶える事無く進んでいる。
「そこに真っ赤な実があるでしょう?それを取ってください。」
「・・・・いいのですか?」
「ええ、ロラン卿なら。」
クスリという柔らかい笑みと共に、いつも以上に柔らかいトーンで喋るパーシヴァルの声が聞こえてくる。
自分には、ベットの中でしか聞かせないような、甘い誘うようなその響きに、ボルスの身体は硬直する。
「・・・・違いますよ。さっきお教えしたでしょう?あなたが思っているよりデリケートなものなのです。優しく扱ってください」
「・・・・すいません・・・・。」
困った様な、戸惑ったようなロランの謝意の言葉に、パーシヴァルの楽しそうに笑う声が被さってくる。
二人がなんの話をしているのか、ボルスは一生懸命考えた。
パーシヴァルの声音から、ある程度何をやっているのかは想像出来ている。出来ているが、それを認めたくはないのだ。だから、他の可能性を一生懸命考えた。
身体は凍り付いたように動かない。声を出そうにも、変に緊張して空気の音しか漏れて来ない。割って入ろうにも、ボルスにはそれが出来なくなっていた。
「言い過ぎました。初めてなら仕方ないですよ。好きなように触ってください。」
「いえ。あなたの指示に従います。遠慮無く仰って下さい。」
「ロラン卿・・・・・・。」
優しい響きでそう名を口にしたパーシヴァルの言葉の後、しばらく沈黙が続いた。
時間にしてはホンの一分程度だったかも知れないが、ボルスには異様に長く感じた。
沈黙の間、何かを探るようなガサガサという音が二人のいる位置から聞こえて来る。
自然と、ボルスの握りしめた拳に力がこもり、爪が刺さって血を流すのでは無いかと思うくらいに握り締められた。
「では、最初から行きますよ。真っ赤な実を選んで根本を優しくつまんで下さい。そして丁寧に・・・・そうです。筋が良いですよ。」
「世辞は必要ありません。」
「本心ですよ。初めてにしては、上出来です。じゃあ、ご褒美に一つ食べさせて差し上げましょう。」
その、何かを企んでいるような響きの声に、ボルスの肩が大きく震えた。
(赤い実を・・・・食べる・・・・・?)
「・・・パーシヴァル・・・・。」
咎めるようなロランの言葉を気にする気配もなく、パーシヴァルは楽しげに言葉を続けていく。
「大丈夫です。黙っていれば分かりません。証拠を残さないように食べ尽くせば良いだけですよ。ほら、口を開けて・・・・・。」
その呟くような声の後、何かを噛む音が聞こえてきた。
そして楽しげなパーシヴァルの笑い声。
「・・・・甘いですね。」
「でしょう?自慢の逸品ですから。今度は大きい方を食べますか?」
「・・・・・」
沈黙は了承の印だったのか、すぐに濡れた音と、何かをすする音が聞こえてくる。
その段階まで来て、ボルスの身体がようやく動くようになった。
大きく息を吸ったボルスは、これ以上ないくらいの大声を張り上げる。
「パーシヴァルっ!!きさまなにをっ!」
畑の中に飛び込むと、そこには地面に腰を降ろしたパーシヴァルとロランの姿があった。二人の服装に乱れは無く、妖しい雰囲気など微塵もない。
「・・・・あれ?」
「どうした、ボルス。何か用か?」
「え・・・?いや、用は無いんだが・・・・・・。」
普通に返され、ボルスの方が逆に戸惑った。先ほどまであった身の内を焦がすような嫉妬は、既に霧散している。
「・・・・・・・二人で、何をしているんだ?」
「ああ。バーツの手伝いで・・・・・・・。」
「あぁーーーーーーっ!パーシヴァル、てめーっ!」
パーシヴァルの言葉を遮るような絶叫が辺りに響き渡った。
何事かと振り返ると、そこには怒りに身体を震わせているバーツの姿がある。
「お前、あれほどつまみ食いはするなと言って置いたのにっ!」
「スマンスマン。おいしそうだったから、つい。」
「ついじゃねーっ!」
バーツの言葉に視線をロランの手元に移すと、そこには囓りかけのトマトの存在が。
真っ赤に熟れた、瑞々しいそれの存在に、ボルスはどっと沸き上がる疲れを感じた。
よく考えれば分かりそうな事だ。
いくら何でも、真っ昼間の人通りの多そうなところで、ボルスが危惧していた事など行われるはずがない。
不意に、困ったように眉を寄せているロランと目があった。食べかけのトマトを食べても良いのか、思案しているのだろうか。
パーシヴァルは未だバーツと言い合いをしている。その姿が楽しそうで、再び嫉妬の炎が沸き上がってきたが、ここはグッとこらえることにした。
この程度で騒いでいたら、ボルスが黙っている時間がなくなってしまう。それくらい、パーシヴァルは誰とでも仲良くしているのだ。はっきり言って、気が気ではない。だからといって拘束しておくことも出来ないので、最近のボルスは許容範囲を広げる努力に勤しんでいた。
ふと周りを見渡すと、人の気配が慌ただしくなっていた。
そろそろ昼休みの時間も終わる。午後からも訓練の予定が入っているボルスは、所在なげにしているロランへと向き直った。
「では、俺は職務に戻りますので。」
「・・・・・わかりました。」
軽く頷き返すロランから視線を外し、パーシヴァルへと目を向けたが、彼は自分の事など少しも気にしてはいなかった。
その事に胸を痛めつつ、ボルスは畑を後にした。
「・・・・なんで、ロラン殿と畑にいたんだ?」
その日の夜、自室に戻ったボルスは、本を読みふけっていたパーシヴァルにそう尋ねてみた。
「バーツに頼まれた時に近くにいたんだ。で、興味がありそうな顔してたから、誘ってみた。」
「ロラン殿が、畑仕事に?」
何となく、イメージが合わない気がする。
またいいように誤魔化されているのかと思い、ボルスは本から顔を上げようともしないパーシヴァルの横顔をジッと睨み付けた。その視線を感じたのか、パーシヴァルは困ったように苦笑しながら顔をこちらに向けてくる。
「嘘じゃないよ。ロラン卿に確認してみろ。お前は何をそんなに疑っているんだ?」
「べ、べつに疑ってなど・・・・・。」
「そうか?畑の中に飛び込んできたときも血相変えていたしな。俺とロラン卿が畑の中で抱き合っているとでも思っていたのか?」
「ばっ・・・・・!」
ただのからかいのための軽口だったのだろう。
何の気なくサラリと言われた言葉だったが、図星を指されていただけにボルスはあからさまに狼狽えてしまった。その狼狽振りに驚いたのか、軽く目を見張ったパーシヴァルは、その顔をすぐに苦笑へと作り替えた。
「いくら何でもそこまで節操なしじゃないから安心しろ。ロラン卿にまで手は出さないから。」
「そ、そうか・・・・。すまん。」
自分でも何に対して謝っているのか分からないが、思わず頭を下げてしまった。
話はここで終わりと言わんばかりに読書に戻ったパーシヴァルの綺麗に整った横顔を見ながら、ボルスは何か引っかかりを感じた。
「・・・・ロラン卿に・・・・まで・・・・?」
首を傾げるボルスの言葉に、パーシヴァルの本を持つ手が小さく揺れたが、自分の考えに没頭していたボルスはその事に気が付かなかった。
「までって事は、その前が・・・・・・。」
「ボルス。明日も早朝訓練の指導が入っていたんじゃないのか?」
「え、ああ。」
突如かけられたパーシヴァルの言葉に、ボルスは慌てて頷いた。
その返答に、パーシヴァルはニッコリと笑い返してくる。
「では、早めに寝た方が良いのではないか?指導者が遅刻しては、格好が付かないからな。」
「それはそうだが・・・・まだ寝るには早いぞ?」
なんでいきなりそんなことを言いだすのか分からず、ボルスは首を傾げながら問いかけた。
本当にまだ寝るには早いのだ。酒場に行って一杯飲んで来る余裕がゆうにある位に。
しかし、パーシヴァルは言葉を撤回しようとはしなかった。
「なんだ?一人で眠れないのか?」
「いや、そう言うわけではなく・・・・・・。」
「仕方がない奴だな。子守歌でも歌ってやろうか?」
「なっ!馬鹿にするなっ!そんなことされなくても、一人で眠れる!」
「そうか。じゃあ、お休み。」
「ああ!」
挑む様な態度でそう返したボルスは、大股でベットに近づくと、ベットの中に潜り込んだ。
パーシヴァルの態度は、時々解せない物がある。何がどうおかしいのか言い当てられず、いつも煙に巻かれているのが腹立たしい。今度こんな事があったら、絶対に追求してやる、と決意を固めながら毛布にくるまっていたボルスの頭上から、パーシヴァルの声が落ちてきた。
「ボルス。」
「なんだ!」
怒鳴りながら顔を出すと突然、額に暖かく柔らかな感触が触れてきた。
何事だと目を見開くボルスの視界に、パーシヴァルの優しい笑顔が飛び込んでくる。
「良い夢見ろよ。」
「あ・・・ああ・・・・・。」
額にキスされたと気が付いたのは、少し経ってからだった。
それに気が付くとなんだか無性に恥ずかしくなり、今度は違う意味で毛布の中に潜り込むボルスだった。
そんな蓑虫状態のボルスに視線を向けていたパーシヴァルは、彼の頭から先ほどの会話が消え去った事を確信して、ほくそ笑む。
そんなことにも気づかず、ボルスは幸せな夢の世界に落ちていった。
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