脇腹が痛い。
焼け付くような痛さだ。
自分にしては抜かったと思う。
敵の攻撃を予測出来なかった事もだが、咄嗟にリーダーである少年を救ってしまったことを。もっと旨いやり方があったと矢を身体に刺してから気が付いた位に、身体が勝手に反応していた。
「・・・・長いこと、良い人やってたからな。毒されたか?」
自分の言葉に苦い物を感じる。
外面をいくら取り繕っても、自分の中身が変わるわけではない。
不意に口の中に血の味が沸き上がった。
口内に広がった血液を崩れかけた城内の床へと吐き出しながら、フリックは僅かにため息を零した。
「・・・ちょっと、まずいかな・・・・・。」
そんな呟きを零しながら、フリックは目の前に立ちふさがる敵兵を切り捨てて行く。
「・・・・もう、戦う意味なんでないだろうが。」
彼らの君主は倒れたのだ。
無意味に戦って命を落とす必要もないと思うのに。
追撃の手は、少しもゆるみはしなかった。
「まぁ、その方が楽しいけどな。」
ククッっと喉で笑うと、その笑みに怯んだように敵の手が一瞬怯んだ。
その間に、一呼吸置いて体勢を整えた。
出血が思ったよりも多い。
長引くとやばいかも知れないと思いながら、フリックは剣を引く気にはならなかった。
今は、かなり気分が良い。
途切れなく現れる敵を、誰に咎められるわけでもなく切り捨てられるからというのもあるが、長かった契約が終わる兆しが見えたことに喜びを感じているのだ。
「お前達を殺し尽くしたら、俺は晴れて自由の身になれるんだよ。邪魔するようなら、容赦しないぜ?」
すいっと、流れるような動作で愛剣オデッサを突きつける。
その動きは、死にいたる程の傷を負っている者の動きには見えない。
「はったりカマスのも、強さの内・・・・ってね。」
残忍な笑みを浮かべながら、フリックは一歩前に歩を進めた。
「・・・・こいつはやべーな・・・・・。」
パラパラと天井から落ちてくる粉にチラリと視線を向けながら、ビクトールはそう口にした。
階下からはいまだ大きな爆発音が鳴り響いている。
「・・・・俺たちを生き埋めにする気か?あいつら。」
外にいる別働隊の仲間達の顔を思い浮かべながら、憎々しげにそう呟いた。
それも仕方のないことかもしれないが。
所詮自分は傭兵で、他国の者だ。
ここで死んでも今後の国の方針にたいした影響はない。
リーダーさえ無事でいればいいのだ。
「・・・・あいつは、ちゃんと逃げ切れたのかねぇ・・・・・。」
不意に、印象的な青い瞳の男を思い出した。
恋人を失ってから、以前のようにすぐに熱くなることがなくなった男のことを。
いや、相も変わらず青臭いことを言ってはいた。
恋人の夢の実現のため、奔走していた。
だが、前とはどこか違っているように見えるのだ。ビクトールの目には。
「・・・・ここで死のうなんて考えてなきゃ良いけどなぁ。」
そう思わせる危うさがあったことは否定出来ない。
階下で一際大きな音が鳴り響き、城全体が大きく揺れた事に、ビクトールは眉間に皺を寄せた。もう余裕はないようだ。急いでここから退散しなければならない。
ここで死ぬ気はないのだから。
ビクトールは進める歩のスピードを僅かに上げた。
まもなくして、前方から争いの音が聞こえてきた。
剣を打ち付ける金属音が、轟音の中から響いてくる。
まだ誰か戦っているらしい。
「いい加減、諦めろよな。敵さん達もよ・・・・。」
大きくため息を吐き出しながら、ビクトールは戦場の中に身体を躍り込ませた。
その途端目に飛び込んできた情景に、ハッと息を飲む。
青い衣装を血で染めた青年が、流れるような動きで敵と切りあっていた。
それまでどれだけの兵士を相手にしてきたのか分からないが、顔には疲労の色が見て取れた。にもかかわらず、秀麗な顔にはにこやかな笑みが浮かべられている。
青い瞳にはキラキラと光が煌めき、顔にかかった返り血を舐め取るような舌の動きに、場所も状況も考えずに下半身が反応してくる。
「・・・おいおい。どうしたんだよ、俺は。」
思わずその場に固まった身体をそのままに、ボンヤリと言葉がこぼれ落ちた。
その声が聞こえたわけでもないだろうが、何かに気が付いたようにフリックの視線がこちらに流れてきた。
生き生きとした青に見つめられ、ビクトールはどきりとした。
手を貸さないことに罵倒されるのかと一瞬身構えたが、思っていた反応は返ってこない。
その代わり、今までビクトールに見せたことのない綺麗な笑みを返して来た。
何を意味する笑みなのか、ビクトールには分からない。
青い視線は、すぐに反らされてしまったから。
「・・・・一人で、良い格好してんじゃねーよっ!」
分からないまでも、好意的な意味合いがあるわけではないだろうと察したビクトールは、己の存在を知らしめるように、大声で叫びながら敵の真ん中に切り込んでいった。
少し驚いたような、迷惑がるような視線を向けてくるフリックに、先ほどのお返しとばかりにニヤリと笑いかける。
「・・・・邪魔するな。こいつらは、俺の獲物だ。」
「まあまあ、ケチケチすんなって。仲良く半分コといこうぜ?」
「お前と、仲良くする気はない。」
面白く無さそうな顔でそう返したフリックは、新たな敵の出現で動揺している敵兵士の中へと突っ込んでいった。
「・・・なにも、ご丁寧に全部相手していくこともないと思うんだけどなぁ・・・・・。」
そうは思うが、彼を一人で放って置くことも出来ない。ビクトールは、手にした剣の塚を握り直し、目の前で戦う細身の戦士の傍らへと躍り出ていった。
城から出ると、周りに人はもう残っていなかった。
状況が状況だけに、既に死んだと思われたのか、他の場所で戦いが起こったのか。ビクトールに判断することは出来なかった。しかし、誰もいないことは彼にとって都合の良いことだった。誰にも咎められることなく、この国から離れられる。
そこでふと、後ろを振り返った。
印象的な青を血で染めた男。
無き恋人の夢を果たした今、彼はどうするのだろうか。
この国に留まるというのなら、ここで別れなければならない。それは、少し寂しい気もした。
「おい、お前はこれから・・・・・」
かけた言葉は無視され、彼は皆が集まっているであろう方角と全く逆の道を歩き始めた。
遠くから、勝ちどきの声が響いてくるのが聞こえる。
戦いは終息したのだろう。それは喜ばしいことだ。
もう追っ手が来ることも無いだろう。そう思ったビクトールは全身にみなぎらせていた緊張をフッと抜き、目の前を歩く青年へと声をかけた。
「やっぱ、お前強いな。『青雷』の名前も伊達じゃないって事を実感したぜ?」
戦いの緊張が抜けたせいもあり、いつもよりも軽めに声をかける。
すぐに罵声が返ってくるだろうと予想して身構えていたビクトールだったが、予想に反してなんの答えもない。
訝しく思って僅かに距離があった二人の立ち位置を詰め、顔を覗き込むようにして言葉をかける。
「どうした?疲れたなら、ここらで少し休むか?」
その問いかけに答えるように緩やかに上げられた顔色の白さに、ビクトールはハッと息を飲んだ。
疲れているからという顔ではない。
明らかに血が足りていない。
「お前・・・・・。」
「休みたいなら一人で休め。俺は、このまま先に行く。」
「先って・・・・どこに行くつもりだ?」
「どこでもいいだろ。お前には関係ない。」
「・・・・まぁ、それはそうだけどよ・・・・。」
冷たく言い切られた言葉に、少し心が痛んだ。
確かに、お互いの今後を気にするような間柄ではない。
彼がどこに行こうと自分には関係ないとは思うが、今は彼の状態が気になった。
どう考えても、どこかに大きな怪我を負っている。
そんな素振りを今までチラリとも見せていなかったから少しも気が付かなかったが、これ以上放っておくと命に関わるかも知れない。
ビクトールは、こんなところで彼を死なせたくはなかった。
「とりあえずよ、怪我の手当くらいしようぜ?まぁ、そんなに良いアイテム持ってるわけじゃないけどよ。使わないより、使った方がマシだと思うぜ?」
「やりたいなら勝手にやればいいだろ。俺には関係ない。」
「おいおい、冷たいこと言うなよ。今まで一緒に戦ってきた仲だろう?」
フリックは、ビクトールの言葉に少しも取り合わずに先に歩を進めていく。
焦れたビクトールが前に回り込んで押しとどめようとしたが、フリックはその腕を払いのけて足を止めようとしない。あまりに頑なな態度に腹が立ち、力ずくで止めようと伸ばした手は、肩にかかる直前にかわされ、振り向きざまに剣を鼻先に突きつけられてしまった。
「これ以上俺に構うなと言っている。」
「・・・・そいつは、悪かったな。」
威嚇するように激しい光を放つ瞳に気圧され、ビクトールは渋々と伸ばした手を引っ込めた。その様に一瞬目を細めたフリックは、なにも言わずに身を翻し、さっさと歩き去っていく。
「・・・・なにも、そこまでつれなくすることないと思うけどな・・・・。」
小さくため息を付いたビクトールは、これ以上構うのも馬鹿らしくなり、あえて違う道を行こうと視線を巡らせた。
その直後、ドサリと何かが倒れる音が耳を掠めた。
慌てて視線を向けると、予想したとおりフリックが地に伏せるようにして倒れている。
「ったく、あの馬鹿っ!だからいわんこっちゃない!」
慌てて駆け寄ったビクトールは、男の身体を抱え上げた。
意識を失っているのか、仰向けられた頭は力無く垂れ下がり、血に濡れた白い首筋を惜しげもなくビクトールの目前に晒している。
状況も考えず一瞬その白さに見とれてしまった己の思考を振り切るように、大きく頭を振ったビクトールは、慌ててフリックの全身に目を向けた。
「・・・この馬鹿・・・・。死ぬ気か?」
脇腹に刺さったままの矢を見て、思わず言葉がこぼれ落ちる。
自分が合流したとき、矢を放っていた敵はいなかった。
ということは、それ以前に受けた傷なのだろう。
少しも淀みない動きを見せていたから、隣にいても気が付かなかった。
むせ返るような血の臭いの殆どは、返り血なのだとばかり思っていた。
「強情も、ここまで来るとアホ以外の何者でもないぞ・・・・・っ!」
意識を失った男のマントの端を引きちぎったビクトールは、急いで止血すると、傷口に触らないように気を付けながら男の身体を抱え上げた。
「頼むから、死なないでくれよ・・・・・・。」
何故ここまでこの男に関わろうとするのか分からない。
ずっと一人で生きてきた己が。
分からないが、彼に生きていて欲しいと願う気持ちに後押しされるように、ビクトールは山を駆け下りていった。
ボンヤリと瞳を開いた。寝起きだからなのか、視界がはっきりしていないが、視線の先には見慣れぬ天井があることだけは分かった。
いったいここはどこなのか。
今まで自分は何をしていたのか。
まとまりきらない思考でボンヤリと考えていたフリックの耳に、扉の開く音が聞こえてきた。
「お、やっと目を覚ましたのか。」
嬉しそうにかけられた声には記憶があった。
「・・・・ビクトール?」
「おう。どうだ?調子は。」
「どうって・・・・・」
言いながら身体を起こそうとしたが、その途端身体に激痛が走った。
思わず顔を顰め、そのままベットに倒れ込むと、慌てたようにビクトールが手を伸ばしてきた。
「おいおい。無茶すんなよな。お前、死ぬ一歩手前だったんだぜ?」
「・・・・俺が?」
「ああ。腹にでっかい傷作ってよ。記憶に無いのか?」
言われ、記憶を探っていった。
未だズキズキと痛む腹に、現実感が沸いてくる。
山道の途中でこの男と話していた記憶はある。半分意識が飛びかけていたので、何を話したのか記憶に残ってはいないが。
その後の記憶がないという事は、その後倒れたと言うことだろうか。
窺うようにビクトールの顔に視線を向けると、彼はニヤっと笑いかけてきた。
「大変だったんだぞ。こっちも怪我してるって言うのに山ん中お前背負って駆け下りて、村に行き着いたら医者を捜して。治療したのは良いけどお前は目を覚まさないから身動き取れないしで。」
「・・・・べつに助けてくれといった覚えは無いぞ?」
「目の前で死にかけている奴を放って置けるわけ無いだろ。仮にも仲間だった奴をよ。」
当然のように言い切る男の言葉に、微かに首を傾げた。
そう言う物なのだろうか。自分には良く分からない。
いや、『青雷のフリック』だったら倒れた仲間に手を伸ばしているのかも知れない。しかし、自分はもう彼ではないのだ。彼の存在は、あの戦いの中で切り捨ててきた。
オデッサの望みが果たされた今、『青雷のフリック』は必要ない。
とは言え、わざわざ助け出してくれた彼を邪険に扱うのも気が引ける。
今しばらくは、彼の良く知る人間でいてやっても良いだろう。
「俺のことを気にくわないって気持ちは分かるけどよ。傷が癒えるまでは、俺に付き合えよ。」
「・・・いくら元仲間だからといって、お前が俺の世話を焼く必要な無いと思うが?」
「乗りかかった船だからな。ここで置いてっても、気になってしょうがないし。」
どこか困ったように頭の後ろをボリボリと掻く男の姿に、フリックは気づかれないように小さく息を吐いた。
あまり人と関わり合いになりたくないのだが、仕方がない。
自分の状況が最悪なのも分かる。彼の手を振り払っても良いことはない。
まだ死ぬ気はないのだ。
「・・・・分かった。お前の言うことを聞こう。」
「おう、そうしてくれ。」
その返答に嬉しそうに笑いかけてきたビクトールに、少し複雑な気分になる。
何故他人の世話をするのに、そんなに嬉しそうにしているのだろうか。
その心理が分からない。
だから、思わず口に出てしまった。
「借りは作りたくないから、怪我が治ったらしっかり返させて貰うぞ。」
「ああ。楽しみになってるぜ。」
こちらが抵抗出来ないのを良いことに、子供をあやすように頭を撫でてきたビクトールは、心のそこから楽しそうに微笑みかけてくる。
その笑みになにやら不穏な空気を感じたフリックではあったが、頭に乗せられた手のひらの温かさに誘われるよう、再び深い眠りに落ちていった。
一時は命を落とすかと思われた怪我のせいで、フリックはひと月の間ベットから起きあがることが出来なかった。
その間ビクトールは、小さな村で農作業を手伝ったり、モンスター退治をしながら小銭を稼ぎ、フリックの世話をし続けた。
最初は抵抗するかと思ったが、案外フリックは素直にビクトールの看護を受けている。
だからといって自分に心を開いたわけではない事は、常に眉間に寄せられた皺の数が物語っている。
こちらから振った話題に相づちは打つが、話しかけてくることは皆無な事にも、少し傷つく。
彼と二人だけの生活をしてから、一度も彼の笑顔を見ていないことが、ビクトールの心に引っかかっていた。
「なぁ、怪我が治ったらどうするつもりなんだ?」
ある日、ふと疑問に思ったことを口に上らせてみた。
答えを期待していたわけではない。彼は、いつもビクトールの問いを適当にはぐらかしていたから。
しかし、その日のフリックは、珍しく即答してきた。
「仕事を探すさ。俺は傭兵だからな。」
サラリと言われた言葉に何か引っかかるものがあったが、それがなんなのかビクトールには察することが出来なかった。咄嗟に浮かんで来ないと言うことは、たいした事では無いのだろう。ビクトールは、そのまま話を続けることにした。
「それはそうかも知れないけどよ・・・・。どこで仕事を探すんだって聞いてんだ。この村じゃ、傭兵に仕事を回してくれる所なんてないぜ?」
その切り返しには、少し間があった。
考え込むように首を傾げてみせると、少し伸びた髪が横に流れ、長い療養生活のために線の細くなった白い首筋が露わになり、ビクトールの胸が少し騒いだ。
「・・・・どこでも良いな。まぁ、あそこに帰るつもりもないから、行った事の無い土地を目指そうとは、思うけどな。」
「じゃあ、俺と一緒にミューズに行かねーか?」
勢い込んで問いかけるビクトールの様子に僅かに眉を寄せたフリックは、傾げた首に片手を伸ばしながら聞き返してきた。
「ミューズ?」
「ああ。ジョウストン都市同盟の中核の街さ。そこに古い知り合いがいてよ、仕事のつてが、ちょっとあるんだ。どうだ?」
様子を窺うように顔を覗き込むと、フリックは僅かに顔を俯ける。
提案された言葉を思案しているのだろう。
首に当てられた手の人差し指が、迷うようにリズムを刻んでいる。
まるで判決を待つ容疑者のような心境で、ビクトールは次の言葉を待っていた。
はっきり言って、勝ち目は見えていない。
だが、誘わずにはいられなかった。
ビクトールは、この青年と離れたくなかったのだ。まだ。
彼が自分の事を快く思っていないことを分かっていても。それでも自分のそばに繋ぎ止めていたかった。
よこしまな考えからではなく、あの混乱する城内で背中を預けた安心感から、そう思った。
ほんの数分。しかし、ビクトールにとっては一時間にも二時間にも感じる長い時が流れていく。
顔色を窺えば、彼は不機嫌だということを如実に表していた。
やはり駄目かと、あきらめのため息を付こうとした瞬間、思いがけない言葉が耳に届いた。
「・・・・分かった。良いぜ。つきあってやっても。」
「・・・・・え?」
空耳かと聞き直せば、眉間の皺はさらに深く刻まれていく。
「なんだ、その顔は。誘ったのはお前だろうが。それとも、冗談だったのか?」
「いっ・・・いやっ!本気も本気。大マジだけど・・・・・。しかし、なんでだ?」
「なにが?」
「だって、お前俺のこと嫌いだろ?」
ストレートに問いかけた。回りくどいことは自分のしょうに合わないのだ。
その問いに、フリックが微かに口元を笑みの形に引き上げる。
「まあな。ただ、お前には借りがある。その借りを返す間くらいは、一緒に行動してやらないこともない。」
「・・・・随分、態度デカイんじゃないか?借りがある奴のわりには。」
「そうか?気のせいだろ。」
ビクトールの言葉を、フリックは鼻で笑い返してきた。
そんな、自分を馬鹿にするような笑みなのにも関わらず、ビクトールは久しぶりの彼の笑顔に胸が沸き踊った。
「へへへへ・・・・」
「・・・・なんだよ。」
突如ニヤニヤと笑い出したビクトールの様子を訝しむように、フリックは眉を顰めて見せる。
「いや、一緒に行けるなら楽しい旅になるなぁと、思ってよ。」
「そうか?」
「ああ。間違いねーよ。俺の勘は、当たるんだぜ?」
ニヤリと笑いかけたついでに、軽くウィンクも投げてみた。
そんなビクトールに心底嫌そうな顔をしたフリックは、選択を間違えたという様子で盛大なため息を一つ落とした後、どうでもよさげに言葉を零した。
「そうだと、良いけどな・・・・。」
社交辞令のような心のこもっていない言葉でも、今のビクトールにはとても嬉しかった。
ビクトールが二週間程留守にする事になった。
割の良い護衛の仕事が舞い込んできたからだ。
フリックの身体が治っていなかったら出かけはしなかっただろうが、通常の生活を送る分には問題がないくらいには回復していた。
もう少ししたら、剣も握れるだろうと言う医者の言葉もある。
そろそろ旅に出る為の準備に必要な費用を作らなければならないな、という話が持ち上がり、今回の仕事を受ける事になったわけだ。
しかし、自分で決めたのにも関わらず、ビクトールは出かけるギリギリまで渋っていた。
本調子で無いとは言え、ちょっとしたいざこざくらい自分で解決出来る体力は戻っているというのに。信用していないというより、目を離すことが心配でしょうがないといった様子だった彼の事を思い出し、フリックの口元に自然と笑みが浮かび上がった。
長い療養生活の間に、ビクトールの中で自分の存在はすっかり保護すべき対象になってしまったらしい。
「・・・・・・どうかしてるな。」
その生活が、何となく楽しくなっている自分に気が付いた。
戦場でしか生きられない自分が、ぬるま湯の中の生活にとけ込んでいる。
なんとも不思議な話だ。
未だかつて、こんな自分を想像したことも無いというのに。
「さて・・・・。この二週間どうするか・・・・・。」
まだ無理は出来ないが、多少身体をならし始めなければならないだろう。
使わない筋肉の衰えは早いが、衰えた筋肉を再び元の状態に戻すのは骨が折れる。
無理なく訓練を積むにはどうしていくべきかと思案するフリックの神経に、見知らぬ気配が引っかかった。
この家には、ビクトールと時々通ってくる医者しか来たことがない。
そのビクトールは今はいなく、だからといって馴染みの医者の気配ではない。
一戦を退いているとは言え、戦士であるフリックの神経は一気に緊張で引き締まった。
音もなく壁際に寄り、壁に立てかけてあったオデッサへと手を伸ばす。
体力が無く長い時間戦えない今。進入してきたら速効で切り捨てようとフリックの意識はドアへと集中する。
そんな中、軽やかなノック音の後、少し戸惑うような声がかけられた。
「・・・ビクトールって奴に頼まれて、食材を持ってきたんだが・・・・・。」
聞こえてきた言葉に逡巡する。
相手の言葉が真実か見極めるため、強烈な殺気をドアの向こうの気配へと向けてみたが、相手は少しも気が付かなかったようだ。
答えがないことに戸惑う気配だけが流れ込んでくる。
この程度の技量なら、何かあってもすぐに沈められる。そう判断を下したフリックは、手にしたオデッサを腰に差し、慎重な足取りでドアへと向かった。
「あ、良かった。居るんじゃねーか。」
心底ホッとしたように息を吐いた青年は、少々柄が悪かった。
ビクトールほどでは無いにしろ体も大きく、頭よりも力仕事が得意だと言うことが簡単に想像出来る。
その男が、自分の顔を見た途端ハッと息を飲んだ。
慣れた反応だ。完全に武装している時ですら弱弱しい印象を与えるのだ。
病み上がりで病的な程白くなった肌と、肉の落ちた体つきをしている今は、さらに男達の関心を集めてしまうだろう事も、想像出来ていたことだ。
にもかかわらず、フリックは男の反応を訝しむような顔をしてみせる。
「・・・・・俺の顔になにか?」
「あ・・・いや。えらい別嬪さんだなぁ、と、思ってよ。」
「そうですか?」
「ああ。あんたみたいな別嬪は、女でも見たことないね。」
品定めをするような目つきに、フリックの眉間に自然と皺が寄った。
慣れてはいるが、気分の良いものではない。
とくに、自分の中途半端な力に自信を持った馬鹿な奴らの視線には、嫌悪すら感じる。
相手の力量も見破れないくせに、見た目だけで自分よりも下だと見下してくるような輩の視線には。
しかし、そういう相手の方が御し易いことを知っている。
いくら切り捨ててもただのチンピラの争いで片づけられるので、後始末も楽なのだ。
フリックは、相手の様子と自分の体調を考えてみた。
治りかけているとは言え、まだ本調子ではない。自分がどこまで動けるのか、いまいち分からない。リハビリ期間ではあるが、相手をしてくれるだろうビクトールは二週間いない。いなくても出来る事は沢山あるが、どうせならいたら出来ないことをした方が建設的だ。
そう考え、フリックは相手の顔をジッと見つめながら、ニコリと、ビクトールなどには見せたことのない綺麗な微笑みを向けた。こういう相手には、育ちが良さそうな振りをしてやった方が調子に乗る確率が高くなる。
「そんなことないですよ。」
男は、面白いくらいに顔を赤くしている。獲物が引っかかった感触に、フリックは内心でニヤリと笑んだ。
「持ってきて頂いたものは、そこに置いていって貰えますか?まだ病み上がりなんで、重たい物もてないんですよ。」
「あ、ああ。それくらい良いぜ。」
促されるまま、男は家に足を踏み入れてくる。
「せっかくなんで、お茶でも・・・・・」
言葉は途中で遮られた。
野菜を乗せた籠を投げ捨てるように、男が襲って来たからだ。
その行動の早さに、さすがのフリックも驚いた。
(おいおい。そんなに女日照りだったのか?)
と、突っ込んでやりたくなったのを、グッとこらえ、申し訳程度に抗ってみる。
「ちょっ・・・・何するんですかっ!」
「良いじゃねーか。あの男とはそう言う仲なんだろ?置いて行かれて寂しい思いしてるんだろ?俺が慰めてやるっていってるんだよ。」
「止めてくださいっ!」
「あばれんなよ。病み上がりなんだろ?大人しくしてれば、良い思いさせてやるからよ・・・・。」
そう言うなり、口づけされる。
お世辞にも旨いといえないその舌使いと、気分の悪くなるような口臭に意識しない内に眉間に皺が寄った。人選を間違えたかも知れないと思ったが、後の祭りだ。二週間耐えるしかない。
抵抗の力が弱まったのは自分の口づけのテクニックのせいだと思ったのか、男は機嫌良くフリックの身体を抱え上げ、ベットの上にその身体を落とした。
自分を見る目に余裕が無い。その情欲に濡れた瞳に、心の中で唾を吐きかける。
男など皆同じだ。少し粉をかけるとすぐその気になる。
嫌ならば抱かれなければ良いのだと思うが、身体がそう言うことに慣れすぎていて、今更切り離すことなど出来はしない。
抵抗の無くなった身体から嬉々として服を剥いでいく男の姿を見つめながら、ここ最近毎日見ている男の顔を思い出した。
あの男も、自分が本気で落とそうとしたら、この腕に落ちてくるのだろうか。
そうではないと信じたい心があることに、少し驚いた。
「・・・・あっ・・・!」
何回目か、すでに記憶のない程の突き上げに、内蔵が悲鳴を上げているのが分かった。
腹に受けた矢傷は塞がっている。
しかし、内側が直っているかは見ることが出来ない。
まだ直っていなかったのだとしたら、この運動はかなり大きな衝撃になるだろう。
予定していた旅立ちの時期をまた送らせなければならないかもしれない。
そんなことをボンヤリと考えながら身体を揺さぶられていると、不意に身体の奥底まで突き上げられ、フリックは一瞬声を飲み込んだ。
「・・・・何、考えてんだ?あの男の事か?」
「・・・ちがっ・・・・・!」
否定の言葉は、途中で飲み込まれた。
「あっ・・・・・はぁっ・・・!」
「・・・・もっと泣けよ。良い声だしてよぉ・・・・・」
馬鹿が、と内心で吐き捨てる。
学のない奴はこれだから嫌いだ。もう少しまともな事を口に出来ないのだろうか。
盛り上がった気持ちも途端に冷めると言うものだ。
そうじゃなくても、大して旨くもない。
声を出してやっていることに感謝して貰いたいくらいだ。
「まだまだ、これからだぜ?」
何回か達しているのにもかかわらず、未だ男の情欲の色は消えない。
自分はどうしてこうも男心をそそるのだろうか。
小さくため息を付きながらも、フリックは下品な男としばらくつき合っていた。
ビクトールが出かけて丁度二週間。
約束通り男は帰ってきた。
なにやら小脇にデカイ荷物を抱えている。
それの存在に首を傾げながらも、フリックは男を家へと向かい入れた。
「おかえり。首尾はどうだった?」
「誰に聞いてんだ。誰に。」
上機嫌で答える男に、フリックの顔も少し綻んだ。
あの男を相手にしているときと比べようが無いくらい気分が良い。
比べたらビクトールに悪いとは思うが、つい比べてしまう。
粗野なところや、力任せな体格は同じだが、その内に流れる物が全然違う。
少なくても、フリックはこの男の力を認めている。
「・・・・なんか、あったのか?」
訝しげな問いに、フリックは首を振ることで答えた。
「・・・そうか?なんか、出かける前より機嫌良さそうだけど・・・・・。」
「身体が動くようになったからだろ?」
「ああ、そう言えば。どれくらい動ける?」
「剣は振るえるぜ?」
と答えたものの、度重なる男との情事で内蔵の調子は良くない。
振るえるには振るえるが、長時間持たないのだ。
時々思い出したように発熱したりもするが、言わなければ気づきはしないだろう。
出来ることならば、この村からさっさと立ち去りたい気分なのだ。
「そうか。じゃあ、予定通りに出発出来そうか?」
「問題ない。」
軽く頷いた言葉に、ビクトールは嬉しそうに微笑みかけてきた。
何を人のことでそんなに喜ぶのだと思いはしたが、フリックが回復しないままだとビクトールの身動きも取れないのだから、それは当たり前のことなのかも知れない。
そんなことをつらつらと考えていたフリックの目の前で、ビクトールがなにやらゴソゴソとし始めた。
「なにやってんだ?」
「ああ、護衛で行った先で良いもん見つけてよ。お前の快気祝いにって買ってきたんだよ。」
「何を?」
「これだっ!」
そう言ってビクトールが広げた物は、目にも鮮やかな真っ青なマント。
頑丈そうな厚みはあるが、素材は柔らかく、ヒラヒラと風に舞う様子は羽の様に軽く見える。
「・・・これ、高かったんじゃないか?」
「あん?・・・まぁ、気にすんな。その分旅費は稼いで歩かなきゃいけないけどよ。必要な物だろ?」
「それはそうだが・・・・。」
「それに、これを見たときピンと来たんだよ。これは、お前のもんだってな。」
嬉しそうに語る彼の言葉に、思わず顔を凝視した。
その視線にニヤリと笑いかけてきたビクトールは、自分のことのように嬉しそうに言葉を続けてきた。
「なぁ、ちょっと羽織って見せてくれよ。」
「あ、ああ。」
促され、フリックは差し出されたマントを受け取った。
思ったより軽いそれを肩に回し、軽く留め金を止める。
そして再びビクトールへ視線を戻すと、彼は満足げに頷いていた。
「うん。やっぱおまえ、青が似合うな。」
その言葉に、複雑な思いがよぎる。
青は自分の色ではない。
オデッサの恋人の色。『青雷のフリック』の色だ。
ただの『フリック』の色ではない。
「・・・・そうか?」
「ああ。青くないお前は、お前じゃ無いって感じするよな。」
「・・・・失礼な。」
不愉快そうに顔を歪ませてやると、ビクトールはニヤニヤと笑い返してくる。
その顔に何か一言言ってやろうとして、すぐに口を噤んだ。
心の中が晴れない今の状況で発する言葉が思いつかなかったのだ。
「・・・フリック?」
不意に黙り込んだフリックを不思議そうな顔で覗き込んでくるビクトールに、フリックは取り繕うような笑みを浮かべて見せた。
「・・・いや。なんでもない。・・・・ありがとう。」
その言葉に嬉しそうに笑うビクトールの顔を見て、フリックの胸のモヤモヤ感は増していった。
「・・・・欲求不満だな。きっと。」
フリックはこの数日のモヤモヤ感をそう判断した。
下半身の話ではない。
それは、好みでも何でもない男と晴らしていた。
好みでも何でもない男とやっていたから、無駄なストレスをため込んだのかも知れないが。どちらにしろ、その男との関係もビクトールが帰ってきた段階で無くなっている。
さすがに、自分よりもビクトールの方が強いと言うことを本能で悟ったのだろう。わざわざ争いには来なかった。
それは正しい選択ではあるが、なんとなく面白くないのも事実だ。
「争って、自分の物にするっている気構えがないのか・・・・・。」
それはそれでムカツク。
怒りに任せて手にしていた斧を振り下ろした。
明日この村を去ることを決めたビクトールとフリックは、今まで世話になった礼に、細々とした仕事にせいを出しているのだ。
溜まったストレスを解消せんばかりの勢いで斧を振り下ろしていると、最近馴染みになった気配が背後から近づいてきたのを察知した。
「・・・・・何か用?」
振り向きもしないで声をかけると、相手が驚いたように全身を震わせたのが分かった。
そんなことに構いもせず、フリックは黙々と斧を振り下ろしていく。
「・・・・明日、出て行くんだってな。」
「だから?」
「あいつと?」
「ああ。」
「・・・・・ここに、残らないのか?」
「ああ。」
その言葉に、男の空気が変わったのが分かった。
それは怒り。
今まで簡単に御せていた相手が己の手を振り払った事への。
そもそも、相手の力を見抜けない自分が悪いのだと思うのだが、小さな村の中でお山の大将を気取っている男に何を言っても始まらない。言葉を理解出来ない相手に説教することほど、時間を無駄にする事はない。
どうせなら、最後まで自分のストレス解消につき合って貰おう。
そう考えたフリックは、おもむろに背後を振り返った。
「・・・・今夜、森に来て頂けますか?」
「森?」
「ええ。誰もいないところで、二人で話をしたいんです。」
駄目ですか?と視線で問えば、男は顔を赤らめながら頷き返してきた。
その答えに笑み返したフリックは、具体的な待ち合わせ先を決め、男を仕事へと戻らせた。
男はノコノコと来るだろう。
その後の自分のたどるべき道を考えもしないで。
夜のことを考えると、久しぶりに血が騒ぐ。
フリックの顔には、うっすらと残忍な微笑みが刻み込まれていった。
フリックは深夜に目を覚ました。
隣のベットの気配を慎重に探ってみると、ビクトールは深い眠りに落ちている様子だ。寝息が規則正しく聞こえてくる。
いびきを掻いていないことに少し驚きながらも、フリックはゆっくりと身体を起こした。
オデッサはすでに傍らに置いてある。
後は、それを持って外に出るだけだ。
ビクトールに気取られないようにそっとベットから抜け出したフリックは、音も立てずに外へとその身を滑り出した。
約束の場所に、男はすでにやってきていた。
森の中にぽかんと開けた小さな草原。
村から少し放れているそこには、天気の良い昼の間、子供達が遊びに来る場所だった。
とは言え、夜には人影など少しも見当たらない。
モンスターは滅多に現れないが、野犬は出てくるのだ。
そんな場所に一人で来ることに恐怖を感じているのか、男は自信なさげに辺りを見回している。
図体だけはデカイ男なので、その姿は滑稽でしかない。フリックの顔には、自然と嘲笑が浮かび上がる。そんな事で、良く自分を物に出来ると考えたものだ。
「・・・・早かったんだな。」
「あ、ああ。」
声をかけると、男はホッとしたようにため息を付いた。野犬よりも、目の前の男の方が怖い存在だと言うことも知らずに。
「話ってなんだ?あいつを置いて、村に残ってくれる算段か?」
「いや。そうじゃない。」
キッパリと言い切った後、フリックの言葉の意味を問いただそうとする男の言葉を遮ってニコリと笑いかけた。
「ちょっと、俺のリハビリにつき合って貰おうと思ってね。」
「リハビリ?」
「そう。・・・・・人を切り裂く力が戻ったかっていう、ね。」
言うが早いか、フリックは男の懐に飛び込んだ。
驚きに目を見開く男には、防御をする暇など少しもない。
そんなことは分かり切っていたので、最初の一撃は軽く顎を打つ程度に止めた。
しかし、殴られた男は面白いくらいに吹っ飛んだ。
こうも見かけ倒しだと、笑いも起きない。
どれだけ自分の役に立つのか怪しい物だ。そう思いはしたが、フリックはことさら優しく声をかけた。
「・・・・逃げろよ。死にたくなければな。」
震え上がっている男に残忍な笑みを向ける。
すぐに終わってしまっては意味がないのだ。
自分がどれくらい動けるのか、確かめねばならないのだから。
気に入らない男をいたぶって、気持ちを晴らさなければならないのだ。
今後の、ビクトールとの旅を円滑にするためにも。
余計なストレスは捨てていきたい。
「ほら、早く逃げろよ。・・・それとも、ひと思いに殺して欲しいのか?」
「ひぃっ!」
小さく悲鳴を上げた男は、慌てて起きあがり、もつれる足でかけ出した。
その後ろ姿を不適な笑みで見つめていたフリックは、十分に距離を取ってからその後を追うために駆けだした。
ビクトール相手だったら、ギリギリ追いつくか追いつかないかという距離。
その距離は一気に縮まった。
足を止めない男の襟首を掴んで無理矢理後ろに引っ張ると、蛙をつぶしたような声が喉からこぼれ落ちた。そんな事は構いもせずに、フリックは男の身体を投げ捨てた。
地面に転がりうめき声を上げる男の姿に、自分の遊び心が急速に冷えていくのを感じた。
この男をいたぶっても、これ以上楽しい事はないと経験が教えてくる。
「・・・・・・つまんねーな。」
なんのリハビリにもなりはしなかった。
せいぜい最後に、綺麗に切り捨てる位しか、この男の使い道はない。
「悪いけど、もう死んでくれる?」
俺、飽きちゃったし。
そんな言葉を呟きながら、フリックはオデッサを握る手に力を込めた。
さすがに不穏な空気を察知したのだろう。男は慌てて起きあがり、その場から駆けだして行く。しかし、その程度の早さはフリックの動きの妨げにはならない。例え、万全の体調では無くても。
軽やかな動きで一気に距離を詰めたフリックは、男の背中にオデッサを振り下ろした。
男は悲鳴もなく、その場にバタリと倒れ伏す。
背中には見事なまでに真っ直ぐな赤い線が浮かび、そこから真っ赤な血液が流れ出していく。
「でもまぁ、少しは楽しめたよ。」
死んだ男の唇に軽くキスを落としたフリックは、満足そうな笑みを浮かべながら帰路へと付いた。
遠くで聞こえる野犬の声に、あの死体を片づけてくれるよう心の中で頼みながら。
出発日の天気は快晴だった。
それは、この先の旅がうまくいくことを暗示しているようで、ビクトールの心は僅かに浮き立った。
チラリと視線を隣に向ければ、目にいたいほどの青色を纏った青年がいる。
彼と肩を並べて歩く日が来るとは、ついこの間まで思っていなかった。
毛嫌いされていた自覚があるだけに。
「少しは、信頼されたのかねぇ・・・・・」
ボソリと言葉が落ちる。
そうでもないと、献身的な介護をした意味が無いのだが。
「何か言ったか?」
不思議そうな面持ちで軽く首を傾げてくる彼の仕草に、微笑が浮かぶ。
もう20代後半にさしかかる男とは思えない可愛らしさがあるのだ。
長い療養生活で筋肉が落ち、身体の細さに磨きがかかったから余計にそう思うのかも知れないが。
「・・・・ビクトール?」
自分の顔を見つめてニヤツク男を不審に思ったのか、綺麗な顔の眉間に皺が寄ってしまった。
なんだか自分は、彼を怒らせるようなことしかしていない。
「・・・・なんでもねーよ。」
「なら、良いが・・・・・。」
納得していない様子だったが、フリックはそれ以上言葉を発してこなかった。
もう少し彼とうち解けたい。
他愛のない馬鹿話も気楽に出来るような関係になりたい。
「フリック。」
呼びかけると、彼は顔を向けてきた。
綺麗な、透き通るような青色の中には自分の姿しか映っていない。
その事に喜びを感じる。
年甲斐もないし、男相手に、とも思うが。
そんな常識よりも、自分の気持ちを大事にしたいと思う。
「なんだよ。」
顔を見つめたまま言葉を継がないビクトールの視線に居心地が悪くなったのか、フリックは僅かに身体を後ろに引いた。
その肩に片腕を回し、顔を覗き込むようにして囁くように告げる。
「これから、よろしく頼むぜ。相棒。」
一瞬驚いたように目を見張ったフリックだったが、すぐにからかうような、楽しんでいる様な笑みを浮かべて見せた。
「ああ。せいぜい、俺の足を引っ張るなよ。」
「それは俺の台詞だ。病み上がり。」
「うるせー。お前は一言余計なんだよっ!」
軽く頭を殴られたが、それすらも楽しかった。
青い瞳がキラキラと輝くのを見ているのが。とても。
「フリック。」
「あん?」
「楽しくやろうぜ。」
その言葉に、フリックはビクトールが見た中で一番綺麗な笑みで応えてくれた。
そして、二人の長い旅は始まった。
プラウザのバックでお戻り下さい
始まり