嫌な予感がする。
最近この手の予感を外していないパーシヴァルは、引き返したくなる気持ちをなんとか奮い立たせて劇場支配人のもとへと歩を進めていた。
なんでも次の公演が決まったとかで、クリスを通して呼び出しがあったのだ。
自慢じゃないが、生まれつき要領が良かったパーシヴァルは、何事も人並み以上にこなすことが出来る。そのかわり、他より突出したものがないのが悩みの種ではあるが、それなりにうまく世の中渡って来ているので、良しとする。
そんなわけで演技もそつなくこなしているパーシヴァルは、照れてろくに芝居にならないボルスと比較するまでもなく、騎士団の中では演劇要員として使われまくっている。
それはいい。劇をやることは、そう嫌いでもない。演じる事に関して言えば、騎士団に入ってからずっとやっているようなものなので、なんの苦もない。しかし、今回の呼び出しには不安がよぎって仕方がないのだ。
出来ることならばっくれたいが、クリスを通しての呼び出しなので、そうも行かない。仕方がないとは言え、気が進まないものは進まない。
鬱々とした気分で歩いていると、いつの間にか目的地が目の前までやってきていた。
ここは腹を括るしかない。
パーシヴァルは、大きく深呼吸をした後、ドアを軽くノックした。返事はすぐに返り、促されるまま部屋に足を通す。
「いらっしゃいませ。ようこそおいで頂きました。」
一々芝居がかった男の動きが、何となく気に触る。それでもそんなことを顔には出さず、パーシヴァルはいつもの薄い笑みを浮かべながら問いかけた。
「どう言ったご用件ですか?」
「実は、新しい演目が決まったのです!」
「そうらしいですね。」
感慨もなさげにそう返したが、ナディールは少しも気にした様子も見せず、天に向かって両腕を広げだす。
「そうなのですっ!皆様の熱演のおかげで興行収入も増え、新しい衣装を作る事が出来たのです!」
「・・・・それは良かった。」
なんとなく、嫌な予感が増してきた。さっさとこの場を去りたいパーシヴァルだったが、恍惚とした感じのナディールは自分の言葉に酔いしれている。相づちすら聞いていないかもしれない。
「せっかく探してきて頂いた脚本を、イメージ通りの衣装が作れないためにこれまで公演することができませんでした。しかしっ!今、ようやくその衣装を作るだけの予算が立てられたのですっ!こんな喜ばしいことはありませんっ!」
「・・・・・そうですね。」
「その次の演目の、とても重要な役回りを、私が命を注いだ衣装を纏う役を、あなたにお願いしたいのですっ!」
ビシッと音がしそうな勢いで指さされ、パーシヴァルの顔は僅かに強ばった。
そこまで意気込んでいるのだから、余程凄いものなのだろう。
何がどう凄いのかは分からないが、怨念を感じることだけは間違いない。
「で、演目は?」
「よくぞ聞いて下さいましたっ!その名も、『オオカミ少年』ですっ!」
「・・・・・・は?」
それのどこに、衣装に金をかけるところがあるのだろうか。
素で首を傾げたパーシヴァルに、ナディールは大声を張り上げた。
「そしてこれがっ!あなたに纏って頂く衣装ですっ!」
バッと取り出されたのは、見るからに柔らかそうで暖かそうな羊の毛皮。の様なもの。
何故『様なもの』なのかというと、どう考えても羊のサイズではなかったのだ。全身繋がったそれは普通の成人男性の背丈よりも大きい。これを寝袋にして寝たら大層暖かいのだろうなぁ。もしかしたら、毛布なんか入らないかもしれないと、パーシヴァルは半分意識を飛ばしながらそんなことを考えた。現実を認識したくなかったのだ。そんなパーシヴァルの反応など構いもせず、ナディールは嬉々として解説をし始めた。
「この毛は本物の羊毛です。しかも、最高級のもの。遠くはトラン共和国の羊毛の産地から仕入れた、最高級品です。軽そうに見えますが暖かく、弾力にも優れております。寒い冬の外に着ていっても寒さを感じないほどです。何しろ、本物の羊の弾力を出すために、羊毛を何重にも重ねて織り込まれているのです。勿論、特別発注なので、人件費分だけでもかなりの額になりました。」
「・・・・・・・・・それを、私に着ろと?」
「ええ。初公演でこの役をやるのは、あなたしかおりません!私の劇場支配人としての勘がそう告げております!」
天を仰ぎながら己の胸に手を当て、恍惚とした様子で語るナディールの姿に、パーシヴァルは何を言っても無駄なのだと悟った。
このあきらめの早さのために何度痛い目を見たのか分からないが、生死に関わることでもない限り張り合う気力は沸いてこない。そもそも、この手のやからに逆らうとろくな事がない。
「・・・・わかりました。お引き受け致します。」
パーシヴァルにはそう答えることしか出来なかった。
「そうですかっ!ありがとうございます。これで、我が劇場もますます発展していく事でしょう!」
「・・・・・そうですね・・・・・。」
こんな劇で客が呼べるのかと首を捻るところだが、支配人が良いと言っているのだから良いのだろう。儲けがなかったら出演者から罰金を取るわけでもないので、パーシヴァルには関係がないことだ。
話しはそれだけかと思い、さっさと部屋から出て行こうとしたパーシヴァルだったが、その行動は素早く止められた。
「ちょっとお待ち下さい!あなたに、相談したい事があるのです!」
「・・・なんでしょう?」
「あなたの相手役の事ですよ。」
「相手役?」
「ええ。羊を追いかける、オオカミの役です。」
「・・・・・ああ。」
追いかけられるだけの役に相手役も何もないだろうと思うが、聞かれたのならば答えないといけないだろう。パーシヴァルは去ろうとしていた身体を再びナディールの方へと向け直した。
「私が考えている方二人おります。ナッシュ殿か、ボルス殿。どちらにするのか、あなたに選んで頂きたい。」
言われた名前に、クラッと来た。
何故あえてその二人なのか。自分たちの関係を知っていて指名してきているのなら、笑えない冗談だ。そもそも、なんで羊やらオオカミやらを人間が演じないといけないのかという疑問もあるが、そんな疑問をぶつけたところで理解出来る答えが返って来るとも思えない。パーシヴァルは、口から出そうになった言葉をグッと堪えた。
窺うようにナディールの仮面を見つめると、何かを期待しているような雰囲気がある。本気で自分に選ばせようという気らしい。ならば、この場を去るためにもさっさと選んでしまわなければならない。
そう思い、パーシヴァルは二人の男の姿を思い浮かべた。
ボルスのオオカミ。
たぶん、またゴタゴタ騒ぐのだろう。人間役でも嫌だのなんだの騒ぐのだ。オオカミなんてもってのほかだろう。しかし、物事を真っ正面からしか捕らえない彼のこと。二人揃って獣役なんて参るよな、という一言で事が済むだろう。
しかし、ナッシュはそうも行かない。
色々邪推し、言葉で人のいやがるような事を言いまくった挙げ句、下手すれば舞台の上で何かやらかしてくるかもしれない。
リアリティを出すためにも羊を襲ってみたとか何とか。
観客の女性方にウケようものなら、ナディールは絶対に止めに入らない。舞台の上で本番ということはさすがにないとは思うが、信用出来ないのは確かだ。
恥を掻くならかくで、最小限に納めたいもの。そうなったら、選択肢は決まったようなものだ。
「・・・・では、ボルス卿でお願いいたします。」
「わかりました。至急、彼のサイズで衣装を作らせましょう。・・・・ふふふ・・・・。次の公演が、楽しみですよ・・・・・。」
笑いが止まらない様子のナディールに、聞いていないだろうが声をかけ、パーシヴァルは逃げるように部屋を後にした。
「・・・・最近、なんかついていない気が・・・・・・。」
そこまで運が悪い人間では無かったはずなのだが。ナッシュに近寄られ、彼の運の悪さが伝染したのだろうか。
「・・・あり得ないことではないな。」
これからは、出来る限りあの男と距離を置こうと決意したパーシヴァルだった。
それから数日後。引きつる顔で白いモコモコのつなぎを着たパーシヴァルが舞台の上を駆け回っていたのは、いうまでもない。
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羊