交易で訪れた街の宿屋で、メンバーはそれぞれ雑談を交わしていた。しかし、夜が更けていくと、一人、また一人と与えられた部屋へと姿を消していき、いつの間にやら残っているのはナナミとフリックだけになっていた。
 ゆっくりと酒の入ったグラスを傾けるフリックの前で、ナナミはオレンジジュースの入ったグラスを弄んでいる。チラチラとこちらを窺っている事から、何か話があるのだろう。いつも無遠慮なまでに体当たりでぶつかってくる彼女には珍しい態度に、フリックは小さく笑う。
「何か、言いたい事があるのか?」
 話を振りやすいようにと、柔らかい笑みを浮かべて尋ねてやる。するとナナミは、肩をビクリと震わせ、忙しなく瞬きを繰り返した。
「えっ!わ、分かるの??」
「そんな態度でいられたらな。なんだ?言ってみろよ。怒らないから。」
 そう言われた事で力を得たのか、ナナミは小さく頷きを返した後、こう言ってきた。
「フリックさんは、誰の事が一番好きなの?」
 真剣な眼差しでそう尋ねてくるナナミの言葉は予測していなかっただけに、直ぐさま返答する事が出来なかった。まさかそんな事だとは思わなかったのだ。聞きずらそうにしていたから。年頃の女の子らしいと言えばらしいといえばらしいのかもしれないが、そんな真剣になって尋ねる事なのだろうか。
 そう思いながらも、フリックは用意してある名を口にしようとした。だが、それはナナミによって阻まれてしまった。
「最初に言って置くけど、生きている人限定だからね!」
 その言葉に、苦笑が浮かぶ。どうやら自分の行動は読まれているらしい。確かに、旧解放軍のリーダーである女と自分が恋仲だったとい事は羞恥の事実で、多くの者が未だに自分が彼女の事を思い続けていると認識しているのだから、そう釘を刺したくなる気持ちも分かるというものだ。
 確かに、未だに彼女以上に心を向けられる相手は現れていないのは事実だし。
「誤魔化さないで、正直に答えてね!」
 いつもの調子を取り戻したのか、ナナミがそう強気に言ってくる。ナナミの瞳に浮かぶのは好奇心ではなく、使命感の方が強い気がする。たぶん、ニナに頼まれたのだろう。
 さて、どうしたものかと、首を捻る。正直に答えてやろうにも、フリックの胸の内には答えるべき名前が無いのだ。嘘も、真も。
 オデッサが生きていれば、一番にその名を上げていただろう。そういう役回りだったからというのもあるが、それを抜かしても特別な存在ではあったから。彼女の存在は、死しても尚、自分の中で大きな位置を占めている。強くて賢くて、だけと脆くて少し抜けていた。あの女は。
 守ってやらねばと思ったわけではない。彼女も自分に守られたいとは、思っていなかったから。共に生きていても飽きないと、そう思っていたのだ。
 皆が勘ぐっている思いでは無いけれど、それでも自分には珍しく情をかけていた存在。そんな存在は、後にも先にも彼女だけだろう。
 そう考えていたフリックだったが、その脳裏にふと、見慣れた男の顔が過ぎった。
 いつの間にやら共の行動する事になっていた、あの男。大ざっぱで図々しく、それでいて細やかな気配りが出来る男。我流で磨いた剣の型は滅茶苦茶だが、それを補う筋力を持ち合わせた、あの男の顔が。
 気が付けばもう三年近くも行動を共にしている。人との関わりが好きではない自分が。同じ人間とは三ヶ月とつき合っていられなかった、この自分が。
「ねぇっ!フリックさんってば!」
「ああ、ゴメンゴメン。」
 自分の思いに耽り始めたフリックを諫めるように声をかけてきたナナミに苦笑を返しながら、フリックは口を開いた。
「難しい質問だな。俺の一番は、この先一生変わらないから。」
 誤魔化すなと言われても、誤魔化すしかないだろう。自分の本質を彼女に伝える事はしたくないし、する必要も無いから。その答えは彼女の求めるものでは無いだろうが、そう答えるしかない。
 案の定、ナナミはムッと頬を膨らませた。
「でも、その人はもういないんでしょう?」
「それでもだよ。」
 納得行かないと言う顔で頬を膨らませているナナミの頭を軽く撫でたフリックは、話はこれで終わりだと匂わせる。しかし、ナナミは少しも引こうとはしなかった。
「じゃあ、その人も入れた、二番目の人は?」
「いないな。彼女以外は、皆同じくらいに好きだから。」
 微笑みながら返した言葉は、嘘だけど。同じくらい『好き』なのではなく、同じくらい『興味が無い』のだ。だが、それを正直に伝えるつもりはない。彼女の前では、『青雷のフリック』であるべきだから。
「でも、それじゃあ幸せになれないよ?」
 フリックの言葉に、ナナミは怖ず怖ずと、どこか心配そうに意見してくる。
「そうか?」
「そうよ。おじいちゃんが言っていたもの。『人は誰かを愛し、愛される事に幸せを感じるモノなんだ』って!」
 真っ直ぐな彼女らしい言葉に、苦笑が浮かんだ。フリックは、そんな風に思った事など一度もない。愛情などと言うものを、他人に感じた事もない。
 いや、オデッサに感じていた情は、ある意味愛情だったのかも知れない。男女間にある愛情とは違うモノだけれど。だが、それを感じていたから幸せだったのかというと、そうではない。オデッサに出会う前も、出会ってからも、死に別れてからも。自分が不幸だと思った事は一度も無い。
 自分の好きなように生きている。それだけで十分だと、フリックは思う。自分の生に他人が絡んでこなくても。むしろ、絡まれない方が幸せかも知れない。
 ジッと、様子を窺うように見つめてくるナナミに微笑みかけながら、フリックは彼女の頭を優しく撫でてやった。
「子供が変な気をまわすなよ。俺は、ナナミ達が笑顔でいてくれるだけで十分幸せだよ。」
「・・・・・・・私、達?」
 首を傾げて問い返すナナミに、フリックは力強く頷いてみせる。
「ああ。ナナミやチッチや、城に住む子供達がな。自分の力が役に立っていると、戦った成果がそこにあると思える事は、とても幸せな事だよ。」
 そう言った後で、ふと思い出した。コレは、いつの日か隣に立つ男が自分に言った言葉と同じでは無いか、と。
 そう思うと、苦い笑みが沸き上がってくる。いつの間にやら毒されていたらしい。そんな自分がおかしく思えた。誰と関わりを持とうと、自分という人間が揺らぐ事は無いと思っていたのだが。三年の月日は、意外に長いものだったのかも知れない。
 そんな事を考えつつ、ナナミの瞳を覗き込んだ。自分の言葉に偽りが無いのだと、そう語りかけるように。
 彼女は、その言葉に何かを考えているようだった。しばらく黙り込んだ後、納得するように小さく頷き、フリックへと視線を向けてくる。その瞳には、妙な使命感のようなものは消え失せていた。そこに宿っていたのは、いつもの明るい光。
 その光をフリックへと向けながら、ナナミはニコリと、可愛らしく微笑んできた。
「そっか。それなら・・・・・フリックさんが幸せなら、いいや。本当は、ニナちゃんの事を好きだって、言って貰いたかったんだけどね。」
「それは無理な注文だな。」
「うん。それはね、ちょっと分かってたけど。」
 はにかむような笑みを見せたナナミは、それで話は終わりとばかりに大きくのびをして見せた。もう夜も遅い。いつもだったら、彼女もとっくのとうにベットの中に入っている時間だろう。
 少し眠そうに目蓋をこすり上げたナナミは、それでも明るい笑顔をフリックへと向けてくる。
「それじゃあ、私ももう寝るね。」
「ああ。ゆっくり休めよ。」
 軽く手を振ってやれば、ナナミは小さく頷き返し、軽やかな足取りで身を翻して見せた。が、すぐにまた振り返る。
 まだ何かあるのかと首を傾げてナナミの顔を見つめれば、彼女はどこかからかうような瞳でフリックの事を見つめ返してきた。
「でも、みんな同じくらい好きって言うのは、ウソだよ。」
「え?」
 その断定的な口調に瞳を瞬くと、ナナミはキッパリと、それが正しい事なのだという口調でこう続けてきた。
「ビクトールさんに向けるフリックさんの視線は、他の人に向けるのと全然違うもん。ビクトールさんは、フリックさんにとって特別な人でしょう?」
 言われた言葉に、小さく息を飲み込んだ。そんなフリックの反応に満足そうな笑みを浮かべたナナミは、フリックの答えも得ずにさっさと部屋へと向かってしまった。
 その後ろ姿を見送りながら、フリックはボソリと呟く。
「・・・・・・案外、子供は侮れないな・・・・・・。」
 自分とビクトールに肉体関係がある事に気付いていての言葉では無いだろう。とは言え、的は得ている。
 二人の関係は、彼女が思っているであろう優しい関係では無いけれど。だけど、オデッサと同じくらいにはビクトールのの存在を認めている自分が居る事に、フリックはうすうす気が付いていた。あまり、考えないようにしていたけれど。
「・・・・・・好き・・・・・・ねぇ・・・・・・・。」
 ボソリと、言葉がこぼれ落ちた。
 その言葉は、ビクトールへの思いを表す言葉としては、少し違う気がする。
 彼の事は嫌いではない。だが、それは『好き』という事では無い。ではなんなのかと言われたら、フリックには答える事が出来なかった。
「自分の気持ちほど、分からないものは無いからな・・・・・・・。」
 どこか自嘲するような笑みを浮かべつつ、そう零した。そして、ゆっくりと酒が満ちたグラスに口を付ける。
 相棒の、朗らかな笑顔を、思い浮かべながら。



























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イチバン