一夜

 団長と副団長が死んだというのに、ビネ・デル・ゼクセは大いに沸いていた。
 銀の乙女の活躍に。
 確かに、彼女の働きで生きて帰ってこられる者の数が増えた。それは認めよう。だが、死んだ者も大勢いるのだ。
 被害は多く、大きい。その事を気にしている人間が、いったいどれだけいるのだろうか。
「・・・・俺には、関係ないことだがな。」
 国民の心を操っているのは評議会だ。自分の関わる事ではない。自分はただ、命令されるままに剣を振るうだけなのだから。
 フッと小さくため息を零したパーシヴァルは、止まりかけていた足を再び動かし始めた。
 街の表だったところは、どこもお祭り騒ぎになっている。
 明るく楽しいことは嫌いではない。むしろ好んでいる。イヤなことが、忘れられるから。
 だが、今は一緒になって騒ぎたい気分ではないのだ。
 人の目を避けるようにして宴会の場を抜け出したパーシヴァルは、いったん部屋に戻って衣服を着替えた。
 仕事の邪魔にならないように固めてある髪を水で洗い流し、乱暴な手つきで髪からしたたり落ちる水滴を払う。
 夜の酒場に行くのに、身だしなみを整えておく必要など無い。
 気を抜けない様な酒場など、行く価値は無いのだから。
 窓の外からは、未だに街の喧噪が聞こえてくる。夜だと言うのに、昼間のように明るい広場の明かりも見えた。
「・・・・いい気なものだ。」
 自分たちが戦っているわけでも無いくせに。
 ただ、守られているだけのくせに。
「・・・・お前達のために、剣を握っているわけではないんだよ。」
 思わず零れた呟きを聞きとがめるものは、その場には居なかった。












 暗く、人通りの全くない道を歩いていたパーシヴァルは、あるドアの前で立ち止まった。
 細い路地の奥にある、一軒の酒場の前で。
 貴族出身の騎士達は絶対に来ないであろう、少し寂れた感じの店。
 この店に気が付いたのがいつ頃だったか。今となっては覚えていない。気が付いたときには、事あるごとに訪れる様になっていた。こぢんまりとした店で、店員はマスターと料理人の二人だけ。他の酒場から見たら店員の数が少ないと思うが、客もそう多くはないから人手は十分足りているのだろう。
 あまり広くない店内では、他の客が気になることが一切無い。いつ、どんな時に行っても、店内には静寂が落ちていた。誰かと連れ立ってこの店に来る者は一人も居ないのだ。一人でゆっくり考え事をしたい時に、最適な店。皆、そう思っているのだろう。
 その店のドアを、パーシヴァルはゆっくりと押し開けた。
 ドアベルなど付いていないドアは、微かな軋みの音を上げながら開かれる。カウンターの中にいたマスターがチラリと視線を向けてきたが、「いらっしゃい」の一言もない。だからといって歓迎していないわけではない。マスターに瞳には、暖かな光がある。分かりにくいものではあるが。静かに包み込んでくれるような店の雰囲気が、凄く気に入っている。
 慣れた足取りで暗い店内を歩いて店の一番奥まで行き、空いている席に腰をかける。それと同じタイミングで、マスターがグラスを差し出してきた。
 彼は、何も言わなくてもその時のパーシヴァルの気分を察して、それにあった酒を用意してくれるのだ。
 グラスを受け取りながら軽く礼を述べ、一口含む。
 先ほど宴会場で散々飲んでいたというのに、新たに流し込んだこの一杯が凄くおいしく感じる。
 高い酒でもないのに。
 宴会で振る舞われた酒の方が、これの何倍も何十倍も高い代物だったというのに、パーシヴァルにはこの酒の方がおいしく感じる。
 体内に流れ込んだ液体の熱さを感じながら、騎士団長になったばかりの女性の姿を思い浮かべた。
 名門出身の、見目麗しい、まだ少女から抜け出したばかりのようなヒト。
 前団長の死を心から嘆き、国葬をしようとしない評議会のことを本気で憤っていた姿は、記憶に新しい。
 彼女がいたから、あの戦いに勝利することが出来た。それは確かなこと。あの場にいた誰もがそうだと頷くだろう。だが、その功績だけで評議会が彼女を団長にしたて上げたとは思えない。
「・・・・・・・・何を考えているのかな。あいつ等は・・・・・。」
 彼等が何を考えているのか分からないが、騎士団の中に新たな風が吹くのは確かなこと。
 その風が、評議会が意図していた事であろうと無かろうと、必ず何かが起るだろう。そんな予感がする。
 何故そう思うのか、自分にも分からないが。年若い女性が団長になったことなど、過去には無い事だからかも知れない。
 男が幅を利かせる騎士団の中の、数少ない女性である彼女が団長になったことで、自分の生活に何か変化が出てくるのだろうか。
 彼女は、自分に何を要求してくるのだろうか。
「・・・・何を言われても、従うまでだけどな。」
 自分の言葉に、自虐的な笑みが浮かび上がる。
 上司の要求に答えることで、ここまで上がってきたのだ。そのスタンスは、たぶんこの先一生変わることは無いだろう。
 浮かべた笑みをそのままに、パーシヴァルはグラスの中身を一気に煽った。空になったグラスに、マスターが新たな酒を注ぎ足してくる。それに視線だけで礼を述べ、気を紛らわせるために視線を店内へと泳がせた。
 客は五人。
 四人はいつも見かける顔だったが、一人は初めて見る顔だ。暗い店内でもそうと分かる赤い髪に、白いロングコートを羽織った男。
 少し眠そうに見える瞳をしている彼は、そう滅多にお目にかかることが出来ないくらいの美形だった。
 彼のことを、今までこの辺で見かけたことは無い。彼くらい見目のいい男のことは一度見たら忘れないから、たぶん観光客か何かなのだろう。この店を見つけるとは、なかなか趣味が良い。
 あからさまにならない程度に男のことを観察していたパーシヴァルの耳に、店のドアが開く音が聞こえてきた。
「おっ!こんなところに店があると思ったら。随分しけてんなぁ〜。やってけんのか?こんな店で!」
 開いたドアの向こうから、頭の悪そうな男が大声で喋りながら店の中に入ってくる。
 店の雰囲気を察することが出来ないとは。ろくな教育を施されていないのだろう。店内にいる客全員からの非難の瞳に気づきもせず、男はカウンターへと近づいてきた。
「とりあえず、ビール頂戴よ。ビール。それぐらいあるんだろ?」
「・・・・申し訳ありませんが、あなたに売るような品物は、この店では扱っていませんよ。」
 蔑むような瞳でそう言い返すマスターの言葉に、男は瞬時に顔を赤く染め上げた。
「なんだとっ!このっ!」
 殴りかかるように腕を振り上げたが、その手がマスターに届くことは無かった。
 男が、途中でヒックリ返ったために。
「てめぇっ!なにしやがるっ!」
「悪いな。お前と違って、私の足は長いんだ。」
 男を転がすために伸ばしたらしい足を引っ込めながらそう返したのは、赤い髪の男。
 冷たいとも感じる声が、店内に響き渡った。
「なんだとっ!やるのかっ、てめぇっ!」
「遠慮しておく。戦うことは、専門外だからな。」
「んだとっ!」
 いきり立った男が、彼の胸ぐらに掴みかかった。
 その姿を冷ややかな眼差しで見つめていた赤毛の男が、ポケットの中に手を突っ込む。
 何をするつもりなのかと視線で追っていると、彼は一枚の札を引き出していた。
 それは、踊る火炎の札。こんなところで使われたら、馬鹿を焼き殺すだけでは済まない。下手をすれば、この店もろとも焼き尽くされてしまう。そう思ったパーシヴァルは、音もなくイスから立ち上がった。
「これでもくらいなっ!」
「それくらいにしていただけますか?」
 振り上げらた男の腕をつかみ取りながら、そう声をかける。
 腕を捕まれるまでパーシヴァルの存在に気づいていなかったらしい男は、慌てたように視線を向けてきた。
「なっ!なんだ、てめぇっ!」
「通りすがりの、一市民ですよ。」
 捕まれた腕を振り払おうとする男の腕を更に強く握りしめながら、そう返す。
 一見細く見えるが、騎士団の中でも上位の腕前を持つのだ。こんな男にひけを取ることは無い。
 その力の強さに驚いたのか、男の顔が僅かに歪んだ。怒りというよりも、恐怖に。それを見逃すパーシヴァルでは無い。
 ニコリと微笑み、未だ赤毛の男の襟首を掴んだままの男を、そっと引きはがす。
「別に、あなたに常識があろうが無かろうが、私にはなんの関係もありません。あなたと私の生活に、何の接点もないのですから。」
 そう語りかけながら、僅かに身体を強ばらせる男の顔を覗き込む。
 捕まれた腕に感じる力の強さと、パーシヴァルの瞳に浮かぶ剣呑な光を察知したのか、男は入ってきたときとガラリと態度を変え、ビクビクとパーシヴァルの顔を見つめ続けていた。そんな男の姿に、パーシヴァルは更に笑みを深くした。
 そして、耳元に囁くように言葉を落とし込む。
「しかし、この店の品位を下げる輩には、容赦しませんよ。」
 呟きと共に、鳩尾に拳をねじ込んだ。
 蛙を潰したような声を出した馬鹿男が、その場にズルズルと崩れ落ちていく。
 その身体を片手でつり上げながら、パーシヴァルはマスターへと微笑みかけた。
「来たばかりでがありますが、今日は帰ります。ついでに、この馬鹿も捨ててきますよ。」
 パーシヴァルの言葉に微かに頷いたマスターは、聞こえるか聞こえないかと言った声量でボソリと言葉を落としてくる。
「・・・・・代は良い。」
「ありがとうございます。」
 遠回しの謝意の言葉に軽く微笑み返したパーシヴァルは、男を引きずるようにしながら店を後にした。
 ドアを閉め、数歩歩いてから立ち止まる。
 さて、どこに捨てようか。
 どうやってこの店を探し当てたのか知らないが、正気に戻ったときにまた来られても困る。少し遠い所に投げ捨てて置かなければ。遠くて、捨てても邪魔にならないところ。
 何か良い場所は無かっただろうか。
「・・・・とりあえず、移動するか。」
 ボソリと呟きを落としたパーシヴァルは、とりあえず歩き出した。
 男の身体を引きずりながら。
 わざわざ抱きかかえてやるほど、自分は優しくない。
 人があまり通らないであろう道を選びながら、少しずつ店から遠ざかる。男を放置する場所を物色しながら道を歩いていたパーシヴァルの神経に、人の気配が引っかかった。
 背後から、微かに足音が聞こえてくる。場所が場所なだけに物取りかとも思ったが、そいう緊張感は無い。ごく自然な足取りだ。たまたま同じ方向に歩いているだけなのだろうか。
 試しに脇道に入ってみると、足音はパーシヴァルの後を追うようについてくる。
 やはり物取りか。だとしたら、物のついでに捕まえておくか。そう考えたパーシヴァルは、背後から近づく足音との距離を測り、何の前触れもなくいきなり振り返った。
 そこに居たのは、先ほどの赤毛の男。
 彼は、いきなり振り向いたパーシヴァルの動きに一瞬歩む足の動きを止めた。しかし、動揺はその程度しか表さず、すぐに冷たいと感じる声を静まりかえる闇の中に響かせた。
「さき程は助けてくれてありがとう。助かった。」
 視線をあわせるなりそう言ってきた男に、パーシヴァルは小さく首を振りかえした。
 警戒心は、抱いたまま。
「礼などいりませんよ。私がやろうとしていたことを、あなたが先にやっただけの事ですから。」
 笑顔でそう返せば、男は何かを考えるような間を開けてきた。
「・・・・そうか。で、その男はどこに捨てるつもりだ?」
 何の脈絡もなくいきなりそう尋ねてくる男の言葉に、パーシヴァルは小さく首を傾げた。
 何故そんなことを聞かれるのか分からなかったし、何よりも具体的な放置場所を思い浮かべて歩いていたわけではないのだ。
 どう答えたら良いものか。しばらくの間考えたパーシヴァルの脳裏に、一つの考えが閃いた。
「そうですね・・・・。海にでも捨てておきますかね。」
 海だったら、どこに捨てても歩行者の邪魔にはならないし、少し冷えた海水で馬鹿の沸き上がった脳みそを冷やすことも出来る。一石二鳥という物だ。幸い、今は心臓麻痺を起こすほど海水は冷えていない。運のいい男だ。
 そんな事を考えながら発したパーシヴァルの言葉に、赤毛の男が賛同してくる。
「それは良いな。私も付いていこう。良いか?」
 思わぬ言葉に、パーシヴァルは一瞬驚きに目を見張った。この男が何を思ってそんなことを言い出したのか、検討が付かない。
 とはいえ、断る理由もない。
「良いですけど。」
 あっさりと答えると、男は小さく頷きを返してきた。礼を言うように。
 そして、先ほどよりも暖かみのある声音で言葉を零してくる。
「その後で、どこか良い店を紹介してくれるとありがたいんだが。あそこは、さすがに居づらくてね。」
 少し戯けたようなしぐさでそんなことを言ってくる男に、パーシヴァルの顔に笑みが浮かんできた。
 取っつきにくそうな印象があるが、意外と話せる男かも知れない。
 彼に、少し興味が沸いてきた。
「・・・・良いですよ。どう言った店が好みですか?」
「そうだな。・・・・・・・あなたと、二人きりでゆっくり話せる様な所が、良い。」
 誘うような瞳に、珍しく嫌悪感が浮かんでこない。
 普段だったら、そんな瞳で見つめられた途端に虫唾が走っているところだが。彼の見目が良いからなのか、彼に何か感じるモノがあったのか。自分のことだが、良く分からない。だが、誘いを断る気は全然起らない。それだけは、確かなことだった。
 ならば、自分の答えは決まったような物だ。
「分かりました。ご案内しますよ。」
 ニコリと笑い返せば、男が小さく頷きを返してくる。
 今夜はどんな夜が過ごせるのか。少し、楽しくなってきた。
 引きずっている馬鹿男に少しくらい感謝しても良いと思うくらいに。











「なかなか良い店だな。」
「そう言って頂けると、お連れした甲斐があるという物です。」
 赤毛の男を馴染みの宿に連れてきたパーシヴァルは、彼の言葉に笑みを返した。
 室内には大きなベットが一つ。決して華美では無いが、質の良さを窺わせるテーブルとイス。棚には数種類の酒が並び、その酒に合わせたように沢山のグラスが用意してあった。
 その中の一本と二つのグラスを取り出したパーシヴァルは、備え付けのテーブルの上に置く。そして、グラスの中に液体を注ぎ、室内に視線を向けている男へと差し出した。
「とりあえず、飲みましょう。」
「そうだな。」
 軽く頷いた男は差し出されたグラスを受け取り、パーシヴァルの持つグラスに軽く打ち付けてきた。
 静かな室内に、高い音が響き渡る。
「・・・・・・・良い酒だな。」
 一口液体を喉に流し込んだ男が、ボソリと言葉を漏らす。
 しかし、それ以上の言葉はない。そんな彼のことを、グラスに口を付けながらチラリと流し見た。
 自分から誘っておいて、何もリアクションを取ってこないとは。
 今までに無いパターンだ。余裕のあるフリをしている様子はない。焦らしている様子も。パーシヴァルの方から誘って見せろと言いたいのか。
 表情を窺ってみても、無表情に近い男の顔からは何も見て取れない。
 どうした物か。
 そんなことを考えていたパーシヴァルに、男がようやく声をかけてきた。
「・・・・・おい。」
「何か?」
「このまま、無為な時を過ごす気か?」
 言われた言葉に、一瞬返答に窮した。
 彼の言葉で、自分たちの考えが食い違っていたことを察したのだ。
 求めていることが、かみ合っていないと言うことに。
 パーシヴァルの反応で、男もその事に気が付いたのだろう。変化を殆ど見せなかった顔に表情が表れた。眠たそうな瞳が、ほんの少し見開かれると言う。
 考えるように男の視線が流れ、しばし沈黙が落ちた。
 その沈黙を破ったのは、短い一言。
「・・・・・・どうする?」
 男の問いかけに、パーシヴァルは苦笑を浮かべた。
 あまりにも短く、何を意味する言葉なのか分かりにくい。
 たぶん、ボルスやレオには一生彼の言いたいことを察する事が出来ないかも知れない。
 だが、パーシヴァルには彼の言いたいことが手に取るように分かった。やはり彼には、自分と似た物を感じる。気のせいかも知れないが。
「そうですね・・・・。せっかくここまで来たのですから、やらないと勿体ないですよね。」
「それもそうだな・・・・・。じゃあ。どっちが?」
 男の言葉に、パーシヴァルは悩むことなく言葉を返す。
「私は、積極的に男を抱きたいとは思いません。」
「私もだ。」
 男の返答も、素早いモノだった。
 問いかけるように彼の瞳を覗き込めば、揺るぎない気持ちが伺えた。
 再び、室内に沈黙が落ちる。
「・・・・・平行線ですね。」
 その沈黙を破るために発したパーシヴァルの言葉に、男が軽く頷いてくる。 
 さて、どうしようか。
 男の顔を見れば、彼も僅かに眉間に皺を寄せて考え込んでいた。見目のいい男ではある。やろうと思ってやれないことは無いだろうが、誰かに奉仕する等という面倒くさいことは出来ることならやりたくない。
 男に抱かれるときにも奉仕させらる事があるが、時間的にはそう長く無いので我慢できる。
 枯れかけた爺を相手にする時は、我慢の限界を超えるときもあるが。
 彼から誘ってきたのだから、彼が自分を抱きたいと思っているのだと思っていた。経験上、そんなパターンが多いから。
 抱いて欲しいという者も居たには居たが、そう言う人は全身から抱いてくれと言うオーラが出ているので分かりやすい。
 そのオーラが、彼には見えなかった。自分の目もまだまだだと言うことか。
 黙り込んで悩んでいたパーシヴァルは、室内に視線を向けた。何かこの状況を打開するものが無いだろうかと考えたのだ。その視線の先に、引っかかった物があった。
 ひと組の、トランプ。
「じゃあ、これで決めましょうか。」
 目にした物を手に取り男に見せれば、彼は了承するように頷きを返してきた。
「良いだろう。配ってくれ。」
 促され、カードの山を適当にシャッフルして、カードを二枚渡す。
「一回勝負で良いですか?」
「ああ。無駄に時間をかけるのは勿体ないからな。」
「では、一回勝負で、負けた者が勝った者を抱く。と言うことでよろしいですか?」
 パーシヴァルの提案に、男は苦笑を返してくる。
「そう言う場合、逆じゃ無いのか?」
「普通はそうでしょうね。ですが、私は勝負に負けるつもりも、あなたを抱くつもりもありません。だから、これで良いのです。ダメでしょうか。」
「・・・・たしかに、そうだな。私もそう思う。それで行こう。」
 パーシヴァルの問いかけに、男がニヤリと唇の端を持ち上げた。
 それを合図に、二人は手持ちの札を開いてみる。
 パーシヴァルの持ち札は、「3」と「4」。微妙なラインだ。
 「9」に近くはある。だが、三枚目を引いても勝負をかけてみるのも、悪いことではない。
 チラリと男の顔を窺った。男は、先ほどと変わらず少し眠そうな顔をしている。心の中をうかがえる様な表情の動きは少しもない。
 どうしたものか悩んでいるパーシヴァルに、男が軽く声をかけてくる。
「一枚貰うぞ。」
「どうぞ。」
 彼が山から一枚札を取る動きを目で追いながら、軽く頷いた。
 引いた後にカードを見た男の表情は、少しも動かない。例え動いていたとしても、その動きがどういう意味を持つものなのかでまた悩むのだろうが。
「そっちはどうするんだ?」
 声をかけられ、自分の手元に視線を向けた。
 僅かな間、逡巡する。
「・・・・良いです。このままで行きましょう。」
 そう決意し、男に視線を戻した。その視線を受け、男が軽く頷きを返してくる。
「では、開こう。」
 彼の言葉を合図に、カードをテーブルの上に広げて見せた。
「・・・・私の負けか。」
 男の呟きが、室内に響いた。
 彼のカードは、「5」と「8」と「2」。
 どうやら、天はパーシヴァルに味方していたらしい。
「仕方ないな。勝負は勝負だ。」
 そう言いながら小さくため息を吐いた男は、腰掛けていたイスから立ち上がり、白いコートに手をかけた。
 現れる細い姿態を目で追いながら、パーシヴァルはクスリと笑いを零す。
「仕方ないと言っている相手に抱かれるのは、初めてですね。」
「私も、抱きたくないと言ってきた相手は初めてだ。」
 お互いに言い合い、小さく笑い合う。
「・・・じゃあ、さっさとやりますか。」
「そうだな。」
 二人の夜は、そんな色気も素っ気も無い言葉から始まった。











 戦闘は専門外だと言っていた男の身体は、確かに細い物だった。
 騎士のような、鍛え上げられた筋肉に覆われた身体とは違う。評議会の議員のような、無駄に肥えた身体とも違う。鍛え抜かれていないまでも、無駄な肉のない、適度な筋肉で覆われた細い姿態。
 自分と同じくらいか、それ以上に白い肌に浮かぶ、首筋の赤い痕。
 彼の相手を思わせるソレから、意識的に目を反らす。
 なんとなく。
「・・・・・・っあっ・・・・・!」
 身体の奥深くに突き入れられ、思わず声がこぼれ落ちた。
 その反応に、頭上から綺麗な面が落ちてくる。
 荒い息を付く唇を塞がれ、呼吸が苦しくなった。
 嫌がるように首を振れば、からかうような笑みを浮かべた男の顔が、ソレを追ってくる。
「・・・・しつこい、ですよ・・・・・。」
「逃げるからだ。逃げなければ、追いはしないさ。」
 非難の声を上げれば、そう言い返された。
 そんなことは分かっている。逃げてもろくな結果にならないことなど、そう長くもない人生でイヤと言うほど学んでいる。
 分かっているが、身体が勝手に反応するのだ。
 寄せられる顔を避けようと。
「抵抗されると、支配欲が増すモノだな・・・・・。」
 クスリと笑う男の瞳には、自分の姿は映っていなかった。
 いや、映ってはいる。だが、何か違うモノの姿を重ねてみている。
 そんな気がした。
 そんなことをボンヤリと考えている間に、首筋に男の顔が落ちてきた。そしてそこに、思い切り歯を立てられる。
「つっ!」
 その痛みに、思わず顔が歪む。
 ついた歯形をしばらく見つめていた男は、その痕にゆっくりと舌を這わせた。
 僅かに浮かんが血を、舐め取るように。
「・・・・なんで、首筋に噛みつくんだろうな。」
 僅かな肉の切れ目から血を吸い出すように口を付けながら、男がそう話しかけてくる。
 パーシヴァルに聞かせるというよりも、自分自信に問いかけているような、そんな感じで。
 チラリと視線を彼の首筋に向けた。
 かなりの強さで噛まれたような痕が、いくつも浮かび上がっている。
 所有の印と言うには少し度が過ぎるようなそれに、どうコメントして良いものか悩む。
 人のことは言えないが、まともな神経の人とつき合っているとは思えない。
「・・・・・・・・急所だからじゃないんですか。」
 答えるべきか悩んだが、一応言葉を返した。
 その言葉に、男の動きが止る。自分の言葉に耳を傾けるように。
 だから、パーシヴァルは言葉を続けた。
「いつでも殺せる。だけど殺さない。そんな意思表示なのでは無いでしょうかね。」
「なんのために?」
「さぁ。私には分かりませんが。何らかの情が、あるからでは無いですか?なぶり殺しにしたい程の憎しみか、殺したいのに殺せない、愛情か。」
「・・・・・・・・愛情、ね・・・・・・。」
 パーシヴァルの言葉に、男は複雑な色を浮かべる笑みをその面に象った。
 その顔に、好奇心が沸き上がってくる。
 微妙な親近感を覚えてしまうこの男が、相手の男のことをどう思っているのか、知りたくなった。
「あなたは?」
 問いに、彼は視線を向けてくる。
 男の問いかけるような眼差しに、パーシヴァルは再度口を開く。
「あなたは、相手のことをどう思っていらっしゃるのですか?」
 聞かれた言葉に、男は苦笑を返してきた。
「・・・・・・・・さぁ。それは、分からないな。」
「分からないのですか?」
「ああ。怖い奴だとは、思うけどな。けど・・・・・。」
「けど?」
 言いよどんだ言葉に興味が引かれた。
 顔を覗き込むようにして問いかけたが、男は拒むように小さく首を振ってくる。
「もう良いだろう。くだらないおしゃべりは、止めにしよう。」
「私は、くだらないとは思いませんが。」
「だからといって、この状態で放って置く気か?」
「・・・・っ!」
 埋め込まれたままだったモノを何の前触れも無く突き上げられ、パーシヴァルは言葉を飲み込んだ。
「・・・・意地の、悪い人ですね・・・・・。」
「良く言われる。」
「や・・・・ぁっ・・・・!」
 激しく動き出され、思わず声が高くなった。
 少し熱の下がった身体に、再び熱が灯り始める。
 突然沸き上がってきた快感の渦から逃れるよう、支えを求めて白い背中に腕を回した。
 思わず爪を立てそうになって、思い直す。
 自分の痕跡は、残さない方が良いだろうから。
 そんなパーシヴァルの動きを察知したのか、男が口元に笑みを形作る。
 言葉はもういらない。
 睦言など、二人の間には必要の無い物だから。
 おざなりに囁かれる愛の言葉など、お互いに求めてはいない。
 己の情欲を解放することだけが、二人の望みなのだ。
 ただただ自分達の快感を追い求める男達の背を、窓から差し込む月明かりが照らしていた。













「もう帰るのですか?」
 ベットから抜け出した男に、パーシヴァルはそう問いかけた。
 窓の外にはまだ日が昇っていない。
 こんな早朝にどこへ行くと言うのだろうか。
 問いかけに、男は脱ぎ捨てた服を拾い上げながら言葉を返してくる。
「ああ。そろそろ帰らないと、色々と五月蠅く言う奴がいるんでね。」
「恋人ですか?」
「いや。・・・・・・・妹のようなモノだ。」
 僅かに逡巡するようにそう言う男この言葉に、軽く首を傾げた。
 何か、色々な含みがあるような気がしたのだ。
 だが、突っ込んだことを聞くような間柄でもない。
「そうですか。気を付けて帰って下さいね。ここら辺は、そう治安が良いとは言えませんので。」
「ああ。大丈夫だ。」
 頷きながら、男はコートの袖を通した。
 そして、背後に視線を向けることもなく出口へと向かう。
 その動きを目で追っていたパーシヴァルは、男がドアに手をかけたところで声をかけた。
「また、会うことがあるでしょうか?」
 その言葉に動きを止めた男は、振り返りもせずに言葉を返してくる。
「さぁな。そう言うことも、あるかも知れないが。」
「・・・・そうですね。」
「じゃあ。」
 チラリと背後を振り返った男は、流れるような動作でその身をドアの外へと滑り出していった。
 一人きりになった室内に、静かな闇が落ちてくる。
 その闇の中、パーシヴァルはごろりとベットの上で転がり、天井へと視線を向けた。
 そして、両腕を天井に向かって伸ばす。
 真っ直ぐに天井を見つめる視界に、己の両手が飛び込んでくる。
 その両手を、ジッと見つめた。
 剣を握り、多くの人を切ってきた手。多くの男の背に伸ばされた、手。
 拭っても拭いきれないくらいに、この手は汚れている。そんな気がしてならない。
 こんな手では、愛しいモノを抱きしめることなど出来はしない。
 彼女は、それを望むけれど。この世で一番大切な彼女を汚してしまうから、自分には抱きしめられない。口づけを交わすことも、躊躇われる。
 騎士にしては細く長い指を、グッと握りしめた。そして、腕を交差させるようにして顔の上へと乗せる。
 自分の顔を、隠すように。
「・・・・・何をやっているんだか・・・・・。」
 抱かれる必要など無いのに、自分から男を誘うようなマネをする。
 何の得もないのに。
 命令されたわけでもないのに。
 自嘲の笑みが口元に浮かんだ。
 嫌悪している行為を止めることの出来ない自分を嘲る笑みが。
「・・・・・どうなるのかな。この先・・・・・。」
 クリスの引っ張る騎士団が、どう動いていくのか。
 自分はどう動くことになるのか。
 先の見えない未来を想像しながら、パーシヴァルはつかの間の休息を取るために、身体をベットへと沈めていった。



















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