ビクトールの朝は遅い。
 別に低血圧と言うわけではない。
 ただ単に寝汚いだけのこと。
 それと、最愛の相棒が起こしに来てくれることがほんの少し嬉しかったから、起こしに来てくれるまで待つようになっただけのこと。
 だから、ベットの中に入っていても、目が覚めていることが多かった。
この日もそうだった。
 いつものように目が覚めた後もダラダラと、フリックが起こしに来てくれるのを待っていた。
 彼の起こし方は少々手荒いが、過激なスキンシップだと思えばそれもまた楽しい。
 空が明るくなって大分経った頃、いつものように部屋にノックの音が響き渡った。
 返事が無いことは分かっているだろうに、彼はいつも律儀にノックをしてから入室してくる。
 今日も蹴りが入るのだろう。
 そう思ったビクトールは、気づかれないように身体に力を入れていく。受け身を取れるように。大事な器官を痛めないように。
 だが、今日だけは予想が外れた。
 フリックは、何を思ったのかビクトールの眠るベットの枕元に立ち、優しく肩を揺り起こしてきたのだ。
「ビクトール。起きろよ。もう日が随分高くなっているぞ?」
 心なしか、口調までもが優しくなっている気がする。
 油断させておいて強烈な雷でも落とす気だろうか。そんな事を考えていたビクトールの耳に、フリックの深いため息の音が聞こえてきた。
「・・・・・仕方が無いなぁ・・・・・。」
 その呟きにやはり雷かと、ビクトールは身体を硬くした。
 だが、雷が落ちる前特有のビリビリした空気は一向に現れない。
 何事だろうと訝しんだとき、それはやってきた。
「・・・・・っ!!!!」
 唇に被さる柔らかな感触に、思わず瞳が全開になった。
 その視界に飛び込んできたのは、フリックの長い睫。
 この距離の近さは何事だと、ビクトールは困惑するばかりだ。そんなビクトールの様子に気が付いたのか、ゆっくりと唇を放したフリックは、ニッコリと、ビクトールになど見せたことのない、華が綻ぶような、それは綺麗な笑みを向けてきた。
「起きたのか。お腹は空いて無いか?朝食を取りに行くのなら、一緒に行こうと思っているんだが・・・・・・。」
 なにやら気恥ずかしそうにそんな事を言ってくるフリックに、ビクトールは驚くばかりだ。
 いつもなら、
「とっとと起きろっ!いつまでもダラダラと寝汚い奴だな。朝飯を食べるつもりなら今すぐ起きあがれよ。わざわざお前の準備が出来るのを待つほど、俺は暇じゃ無いんだからな。」
 と、冷笑を一つ浴びせた後、後ろを振り返ることなくさっさと食堂に向かっているところだ。
 それなのに、今日のこの反応はどうなのだろうか。
 何か悪いものを食べたとしか思えない。それくらい、フリックの変化は激しかった。
「ど・・・・どうしたんだ?」
「何がだ?」
 不思議そうに首を傾げてくる様は、いつもとそう対して違いはない。
 思い過ごしか。
「・・・・・いや、別に何でもない。すぐ起きるから、ちょっと待っててくれ。」
 そう言うと、フリックは嬉しそうにニッコリと笑いかけてくる。
 本当にどうしたというのだろうか。
 なんだか薄ら寒いモノを感じた。いつもの彼が彼だけに。
 他の者には結構優しい顔を見せるが、つき合いの長いビクトールにだけ冷たい瞳と言葉を容赦なく浴びせてくるフリックが、今自分に惜しげも無く笑顔を振りまいている。
 疑うなと言う方がおかしい。おかしいが、それはそれで良いかなと思う自分も居た。
 後で痛いしっぺ返しがあろうとも、今、この瞬間、滅多に無いくらい優しいフリックを堪能出来るのであれば、後で電撃の一つや二つ食らってやる。
 そんな意気込みで、ビクトールはフリックへと笑い返した。 








 やはりおかしい。
 食事をしているフリックの姿を眺めながら、ビクトールはそんな呟きを胸の内に落とした。
 今は昼食時。
 朝食を取ってから。いや、取る前から今現在に至るまで、今日のフリックはどこかおかしかった。
 何がおかしいのかというと、朝食の時に何くれと無く世話を焼いてくれたのがおかしい。
 ビクトールの好きそうなメニューを積極的に注文してくれたり、食べ足りなかったら追加注文しても良いと言ってみたり。
 いつもだったら「そんなに食べるから太るんだ、少しは自粛しろ。」だの、「酒を馬鹿みたいに飲みたいなら食事くらい減らしたらどうなんだ。お前はエンゲル係数が高すぎる。」とか、とどまる事を知らずにどんどん罵声を浴びせてくるのに、今日はそんな言葉を一度も発していない。
 そして何よりもおかしいのは、大した仕事が無いからと自分に付き従って行動しているのがおかしい。
 いつもだったらビクトールの存在など忘れたように一日中図書館に詰めていたり、部屋で寝ていたり、人気の無いところで訓練に励んでいたり、ビクトールの目の届かないどこかに行ってしまったりしているというのに。
 どう考えてもおかしい。
「どうした?もう食べないのか?」
「・・・・・いや。そんなんじゃねーよ。」
 食事を取る手を休めているビクトールの姿を訝しく思ったのか、フリックが首を傾げながら問いかけてくるのに、軽く首を振り返した。
「そうか?・・・・もしかして、それがおいしくないのか?」
「え?」
 その言葉にフリックの視線を辿ると、ビクトールの目の前にある皿の中身がグチャグチャにかき回されていた。いつのまにこんな事になっていたのだろうか。考え込んでいたために、そんな自分の行動すら把握していなかった。
 なんとなくばつが悪くなったビクトールは、誤魔化すように視線を俯け、グチャグチャになってしまった皿の中身を掻き込んでいく。
「・・・・そんなんじゃねーよ。」
 不機嫌気味の言葉では説得力が無いだろうと思いつつも、いつもの調子でしゃべれない。そもそも、フリックがいつもと様子が違うのが悪い。だから自分の調子もおかしくなっているのだ。
 どこか八つ当たり気味でそう考えながら、何故かなんの味もしない目の前に並ぶ食事を片づけていく。
「あまりおいしそうには見えないけどな・・・・。どこか調子でも悪いのか?」
 お前のせいで狂いっぱなしだ。
 そんな言葉を言いたくなったが、ここはグッと堪えた。
「・・・・・そんなんじゃねーって言ってるだろうが。」
「なら。良いんだが・・・・・・。」
 ビクトールの不機嫌なオーラに怯むように、フリックが口を噤んでみせる。
 こんな態度くらいで怯むような男では無いのに。
 やはりおかしい。調子が悪いのはフリックの方なのでは無いだろうか。
 もしかしたら、ホウアンに何か悪い病気にかかったと宣告されでもしたのか。余命幾ばくも無いと宣告され、最後の思い出作りにでもとビクトールに優しくしているのかも知れない。
 そんな考えがビクトールの脳裏に浮かんで来た。
 そう考えたら居ても経っても居られず、ビクトールは座っていたイスを蹴倒す勢いでその場に立ち上がる。
「おいっ!フリックっ!」
「これ、結構おいしいぞ。一口食べてみるか?」
 ビクトールの剣幕等無視するように、フリックは微笑みながら自分の注文した皿の中を指さしてくる。
「・・・・・なんだって?」
「だから、これ。おいしいけど、食べてみるか?」
「・・・・・・・・・・・・・・ああ。そうだな。」
 勢いを削がれたと言うか、滅多に見ない何の邪気も無さそうな、子供の様な笑顔をふりまくフリックの言葉に逆らうことなど出来ず、ビクトールは思わず頷いてしまった。そんなビクトールの反応に満足げに頷いたフリックは、皿の中身を一口大に切り取り、フォークに刺したと思うと、ビクトールの目の前に突きだして来た。
「はい、アーン。」
「・・・・・・・・・・・・・・・は?」
「は?じゃないよ。アーンは?」
 ニコニコと笑い返してくる顔には、本当に邪気が無い。
 邪気も、照れくさそうにしている雰囲気すらもない。そうすることが自然なことなのだと、日常的に行われてきた行為なのだと、フリックの全身が告げていた。
 そんなフリックの姿に、ビクトールは心の底から混乱した。
 どう考えてもこんな事はおかしい。
 もしや夢では無いのか?
 そう思い、思いっきり頬をつねり上げてみたが、十分すぎる程痛い。しかし、自分で与える痛みだ。錯覚だという事もあり得る。ここは一発、確実な痛みを与えて貰った方が良いかも知れない。
「・・・・・スマン、フリック。眠気さましに一発デカイ雷を落としてくれないか?」
 そのビクトールの言葉に驚いたように目を見張ったフリックは、しばしの間の後にふて腐れたように頬を膨らませて見せた。
「・・・・・何を言っているんだ。俺が、お前にそんな酷いこと出来るわけないだろう?」
「な・・・・何を言って居るんだ?」
 そんな酷いことを頼んでもいないのに毎日のようにしている男の言葉とは思えないその言葉に、ビクトールの困惑はより一層強くなった。
 もしかしたらこの男は、フリックの皮を被った別人なのかも知れないと、そう思うほどにフリックの反応は理解不能だった。
 混乱するビクトールの様子に気が付いているのかいないのか。フリックはさらに言葉を続けてくる。
「それとも何か?それは、俺とはもう付き合えないと、そう言う事を遠回しに伝えてきているわけか?」
「ちっ!違うっ!そうじゃねーって!そうじゃなくてよー・・・・・。」
 その青い綺麗な瞳にうっすらと涙を浮かべながら呟くフリックの様子に、ビクトールは慌てて手を振り回した。どんな状況でアレ、フリックを泣かせたくは無いのだ。
「なんか、いつもと様子が違うから、調子がくるっちまってよ・・・・。」
「じゃあ、俺の事を嫌いになったってわけじゃ、無いんだな?」
「当たり前だろうっ!俺は、何があってもお前のことが一番大事だぜ!」
 胸を張ってそう宣言すれば、フリックは実に嬉しそうに笑いかけてくる。
 そんな笑顔は見たことがなく、ビクトールの胸は初恋の相手に見つめられた時の様にときめいた。
「じゃあ、これを食べてくれるか?」
「ああ、もちろんだ!」
 もう一度フォークで突き刺したモノを突きつけてくるフリックに、今度は快く頷き返すビクトールだった。
 何か罠があっても良い。
 もうこの先狼狽えることはしないで置こう。彼がいつもと違う彼であろうとも、自分が彼を愛していることには変わりないのだから。
 ビクトールは混乱する意識をそう切り替えた。
「はい、アーン。」
「アーーーーーン。」
 意識を切り替えたのならば、この幸せを堪能するだけだ。
 ビクトールは求められるままに口を大きく開け、フリックに口の中に食物を放りこんで貰った。
「旨いか?」
「ああ。最高だ。今まで食べたモノの中で、一番旨かったぞ。」
「そうか。良かった。・・・・・もう一口、食べるか?」
「もちろんだ。」
 フリックが可愛らしく微笑んでくれるのが嬉しくて、ビクトールはフリックから運ばれる食物を次々に咀嚼していく。
 まるで新婚さんみたいだ。
 ビクトールの胸のトキメキは最高潮に達しようとしていた。
 幸せのあまり目の前のフリックにばかり目が行って、何を食べているのか認識していないビクトールであったが、その食事はどんなデザートよりも甘かった。それは、フリックの手から食べさせて貰って居るからかも知れない。
「こんなに幸せなら、ちょっとくらいいつもと違ったフリックでも良いかも知れないな・・・・。」
 そんな事を胸の内で呟いたビクトールは、今の自分たちの姿を周りの者達が呆気に取られたような目で見ていることなど、少しも気が付いていなかった。









「おや、フリック。こんな所に来ていて大丈夫なのかい?」
 日が暮れてから、いつものように連れたって酒場へと赴いたビクトールとフリックに、レオナが心配げに声をかけてきた。
 その言葉に、ビクトールの傍らに居たフリックが不思議そうに首を傾げてみせる。
「大丈夫って・・・・何がだ?」
「だから、身体。なんか今日は様子がおかしかったって聞いたんだけど。早く寝た方が良いんじゃないのかい?」
「別に何ともないぞ。それよりレオナ。いつものやつをくれないか。あと、適当につまみもな。」
 レオナの言葉に軽く首を傾げたフリックだったが、すぐにいつもの調子でそう言葉を続けて見せた。それは、何もおかしいところが無いというフリックなりの意思表示なのかも知れない。
 そして、レオナもそう受け取ったのだろう。まだ心配げな色をその瞳に宿してはいたが、それでもオーダーに頷きを返してきた。
「分かったよ。あまり、飲み過ぎるんじゃ無いよ?」
「ありがとう。」
 ニコリと笑い返しながらそう言ったフリックは、ビクトールの服の裾を引っ張るようにしながら空いている席へと腰を下ろした。
 程なくして酒とつまみが運ばれ、グラスに酒を注いだ二人は、誰からともなく軽くグラスを打ち鳴らした。
 妙に優しく、妙に子供っぽいフリックというモノに、今日一日で大分慣れた。
 二人っきりの時には自分に向ける視線の大半が冷ややかな物であるフリックが、いつでもどこでも暖かな眼差しで自分の事を見つめている。その視線に慣れていないだけに、最初は凄く気恥ずかしかったが、段々嬉しさが沸き上がってきた。
 こんな関係も良いのでは無いだろうかとさえ、思い始めている。
 自分に対して優しくなったからと言って、フリックの中身が別人に変わったわけでは無さそうだし。
 ビクトールへの態度が著しく変化したフリックではあるが、他の人に対する態度に大きな違いがあるわけでは無いのだ。どちらかというと、他の人と同じような対応を自分にもしていると言った方が近いかも知れない。ただ、ほんの少し甘さが伺えると言うだけで。
 今も、いつも以上に雄弁になっているフリックの話に耳を傾けながら、そのクルクル変わる表情を眺め見ていた。
 彼の造作は綺麗だと思う。どんな時でも、その感想が変わることは無い。
 だが、今は綺麗なだけじゃなく可愛いとさえ思う。それは、表情のせいなのだろう。ちょっとした表情の変化でこうも印象が変わってくる物なのかと、妙な関心をしてしまうビクトールだった。
 目の前に居る男のせいなのか、今日は妙に酒が進む。あっという間に酒瓶を一本開けて見せたビクトールに、フリックが心配げな瞳を向けてくる。
「そんな飲み方して。今は良くても、もう少し年を取ったら身体を壊すぞ?」
「なんだ?心配か?」
「当たり前だろう。俺には、お前しか居ないんだ。お前にもしもの事があったら、俺は・・・・・。」
 そう呟きながら、ぽろりと大きな涙の粒を一つ零すフリックに、ビクトールの心臓は早鐘を打った。
 僅かに顔を俯かせ、泣くのを堪える様に身体を震わせているフリックの姿に、愛しさが込み上げてくるのを抑えられない。いつもの彼から考えるとおかし過ぎると言う考えは、既にビクトールの脳から排除されていた。
 今のビクトールには、目の前の可愛らしいフリックの姿しか映ってはいない。
「馬鹿野郎。俺が、お前を置いて死ぬわけ無いだろう?」
「・・・・・ビクトール・・・・・。」
「俺だって、お前にもしもの事があったら生きて行けねーよ。」
「じゃあ、死ぬときも一緒だな。ビクトール。」
「ああ。死ぬときだって、お前の手ははなさねーぜ!」
 その言葉に偽りが無いことを表すように、ビクトールはガッチリと力強くフリックの両手を握りこんだ。その手を、フリックも握りかえしてくる。その事が嬉しくて、ビクトールの顔にじんわりと笑みが広がっていった。
「おやおや。羨ましいですね。」
 その幸せをぶち壊すような言葉が頭上からかけられ、自然とビクトールの眉間に皺が寄っていった。
「・・・・・カミュー。人が良い気分で居るところを、ぶち壊すんじゃねーよ。」
「それは申し訳ないことをしました。お二方の仲睦まじい姿に引かれ、思わず声をかけてしまった非礼をお詫び致しますよ。」
「・・・・・やな野郎だな・・・・・。」
 態とらしい位に丁寧に腰を折って見せるカミューの言葉には、苦い物しか感じない。いつも穏やかな笑みを浮かべている彼が、その胸の内で何を考えている物なのか。浅いつき合いをする分には構わないが、深いつき合いをする事は避けたい相手だ。
「とにかく、用が無いならどっか行け。俺たちの邪魔をするんじゃねーよ。」
 犬でも追い払うかのような手の動きをしてみせれば、カミューは面白がるような笑みをその端正な顔に浮かべて見せた。
「そう言われてしまっては、引き下がるしか無いですね。邪魔者はさっさと退散するとしましょう。では、ビクトール殿。今宵は良い夢を。」
 ニコリと、何もかも分かったような笑みを浮かべてその場をさっさと立ち去っていったカミューの言葉に、ビクトールはただただ首を傾げるだけだった。
「・・・・夢?」
 何を言っているのか分からない。
 確かに、今のフリックの様子を見て夢では無いかと疑った時もあったが、こんな長くてはっきりしている夢などあるわけがない。
 とは言え、心に引っかかりを覚えたのは確かなこと。
 彼の言葉の真意を探ろうと自分の考えに浸ろうかとしたとき、それまで黙っていたフリックが声をかけてきた。
「ビクトール。」
「あ?なんだ?」
「・・・・そろそろ、部屋に戻って二人きりで飲み直さないか?」
 ジッとビクトールの顔を覗き込んでくる瞳に宿る光に熱い物を感じたビクトールは、居ても経っても居られなくなり、勢いよくその場に立ち上がった。
 そして、まだ飲みきっていない酒瓶を手に取ると、もう片方の手でフリックの腕を掴む。
「レオナっ!今日の代は、ツケて置いてくれっ!」
 それだけをカウンターの中にいる女主人へと告げたビクトールは、半ば駆け出すように酒場から飛び出していった。
 目指す場所は己の部屋。
 エレベーターを待つ時間がもどかしく、一気に階段を駆け上がったビクトールは、自室の扉を閉じた途端、フリックの身体を抱き込み、激しい口づけを与えた。
 口付けたままジリジリとベットの近づく間にテーブルの上に酒瓶を乗せ、たどり着いたベットのフリックの身体を押し倒す。
 その見慣れた青い瞳を覗き込めば、ソレは情欲に濡れた光を放っている。
「・・・・・ビクトール・・・・・。」
 誘うように己を呼ぶ声がいつも以上に甘いと感じるのは気のせいだろうか。
 答えるように口づけを与えれば、その先の行為を促すように首に白い腕を巻き付けられた。
 その身体から、慣れた手つきで衣服を剥いでいく。
 いつもだったらこんな性急に事に進もうとすれば罵声の一つも飛んでくる所なのだが、今日は大人しくされるがままになっている。されるがままどころか、むしろ積極的に作業に協力さえして見せた。
「・・・・・どうしたんだよ、お前・・・・・。」
「どうって・・・・・。なに・・・・が?」
「今日は、妙に素直じゃねーか。」
「別に、どうも・・・・・っ!」
 胸の飾りを舌先で舐め上げてやれば、フリックはビクリと身体を震わせてくる。
「い・・・・やだ・・・・・・。やめ・・・・・・っ!」
「イヤじゃねーだろうが。お前の身体のどこが感じるのか、俺には分かってるんだぜ?」
 そう返しながら、後穴に己の指を差し入れ、グルリと中をかき回した。
「・・・・っ!・・・・・はぁっ・・・・・!!」
「声を殺すなよ。もっと、お前の声を聞かせろよ・・・・・・。」
「んっ・・・・や・・・・ぁ・・・・・っ!」
 与えられる快感から逃げ出そうとする反応が妙に新鮮で、上げる嬌声もいつになく可愛らしい気がして、ビクトールのモノはいつも以上に反応良く立ち上がって来る。
「・・・・・お前のここ、触って無いのにもうこんなんだぜ?」
「・・・・やめっ!」
 フリックの立ち上がったモノにすうっと指を滑らせれば、彼は涙を浮かべながら小さく首を振って見せた。その拍子に涙の粒が零れ頬を伝っていく様がまた、ビクトールを激しく駆り立てる。
「ココも・・・・・。誘ってるみたいにひくついてるぜ?」
「ぁ・・・・・んっ・・・・・!」
 指で中をかき回せば、耐えるように息を詰め、身体を震えさせながらビクトールの背に爪を立ててくる。そんな姿に愛しさと同時に加虐心も沸き上がってくる。いつに無く素直な反応を返してくる彼に、いつもは言わない様な事を要求してみたくなった。
「ココを、どうして欲しい?」
「やぁ・・・・・っ。」
「ホラ、はっきり言わないと、分からないだろう?」
 体内に埋め込んだ指を巧みに動かし、フリックの官能を刺激していく。彼が一番感じるポイントだけは外して。
「・・・・れて・・・・・。」
「なんだって?」
「・・・・・イレて・・・・・・。」
 呼吸も荒く、何かを耐える様に目蓋を閉じながら小さく呟くフリックに、ビクトールは意地悪く問い続けた。
「何をイレて欲しいんだ?」
「ビクトールの・・・・・。」
「俺の、何をだ?」
「・・・・・意地悪・・・・・・。」
 どこか拗ねた様な口調に、ビクトールの眦はだらしなく下がる一方だ。
 今すぐにでもフリックと交わりたいと思ったが、ここで焦っては今までの努力が水の泡になってしまう。
 ビクトールは、フリックの口から発して欲しい一言を得るために、根気よく問い続けた。
「ほら、はっきり言わないと分からないだろう?俺の何が欲しいんだ?」
「ビクトールの、ソレを・・・・・。」
「それじゃわかんねーなぁ。ちゃんと言ってくれよ。」
 ビクトールの立ち上がったモノにそっと手を添えながら呟いてくるフリックの言葉にも素直に言葉を返さないで置くと、フリックは懇願するような瞳を向けてきた。
 それだけで許してしまいそうになったが、ここはグッと堪えて心を鬼にしなければ。
 己の心にそう言い聞かせ、ビクトールは言葉を続けた。
「言えよ。フリック。俺の何を、どこにイレて欲しいんだ?」
 発しそうになる言葉を押さえ込むように唇をグッと噛みしめていたフリックだったが、己の限界が近いのか、決心するように顔を上げ、ビクトールの瞳を覗き込んできた。
 どこか悲壮感が漂っているその瞳に、ビクトールの瞳も釘付けになる。
 この青い瞳は、どんな表情を浮かべても綺麗なままだ。その事に、頭のどこかで感動している自分がいた。
「・・・・・ビクトール。お前の・・・・・・。」
 抑えきれない高ぶりのためか、羞恥のためか、震える唇でフリックがそう言葉を発した時。ビクトールが己の望んだ言葉がフリックの口から聞けるのだと歓喜に震えた時、どこか遠くの部屋から真夜中の12時を告げる時の音が響き渡ってきた。
 未だかつてこんな音を聞いた事は無かったと思うのだが。誰かが取り付けたのだろうか。
 そんな事を頭の片隅で考えていたビクトールは、己が組み敷いていた人物が発するオーラが急激に変わっていくのを察知した。
 と、同時に、腹部に強烈な痛みを感じ、ビクトールは己のベットの上から転がり落ちてしまった。
「・・・・・て、テメーっ!フリックっ!なにしやがるっ!!」
 痛みのあまりに涙目になりながらそう抗議の言葉を発すると、ベットの上でゆっくりと起きあがったフリックは、冷ややかな目でビクトールの事を見下ろしながら吐き捨てるように言い返してくる。
「殺されなかっただけでもマシだと思え。・・・・・まったく。人が優しくしてやればつけ上がりやがって・・・・・。」
「な・・・・なに?」
「・・・・・・ったく。気分悪い。」
 先ほどまでの情事の色を一切無くしたフリックは、素早く衣服を纏っていく。
「お、おい・・・・?」
「あまり調子に乗るなよ、ビクトール。次にこんな事しやがったら、いくらお前でも容赦しないからな。」
 事の展開について行けず言葉を発せ無いビクトールを残し、フリックはさっさと部屋から出て行ってしまった。
「・・・・・何が、起ったんだ?」
 ビクトールの頭にはクエスチョンマークが浮かぶばかりで、何がどうなったのかさっぱり分からない。
 混乱のあまり、あれほど猛っていた己のモノもしょぼくれてしまった。
 それは良いことなのか悪いことなのか。判断に苦しむところだが。
「・・・・・なんだって言うんだよ・・・・・。」
 その言葉に答えるものは、その場には居なかった。









 一睡も出来ないのでは無いかと言うくらい悩んでいたのだが、いつの間にか寝てしまっていたらしい。いつものようにフリックにベットから蹴落とされて目を覚ましたビクトールは、未だに頭の上にクエスチョンマークを浮かべながらフリックと共にレストランへと足を運んだ。
 丁度賑わう時間帯なのか、多くの席が埋まっている。どこか空いている席は無いだろうかと辺りを見回していると、赤と青の騎士服を纏った二人の騎士と目があった。
 目を合わせておいて無視するわけには行かないだろう。空いている席も見つけられていないし、焦って食事を取る用事も無かったので、とりあえず彼等の席に近づいていった。
「おはようございます。」
「ああ、おはよう。相変わらず早いな、二人は。今日も早朝訓練をしたのか?」
「ええ。マイクがヤルと言って聞かないモノですから。」
「日々の鍛錬は騎士の勤めですから。」
 フリックの言葉に、カミューは苦笑を浮かべながら、マイクロトフは真面目な顔で頷きながらそう返してきた。対象的な返答に苦笑を浮かべているフリックに、カミューがニコリと笑みを浮かべて見せる。
「相席で良いのでしたら、ご一緒にどうですか?。」
「・・・・そうだな。席が空くのを待つのも何なんだし、座らせて貰うか。」
 ビクトールの意見など聞きもせず、フリックはさっさと席に着いてしまった。
 そうなっては、ビクトールが断る事など出来るはずがない。なんだかんだ言いつつ、フリックに主導権を握られているビクトールだった。
 昨夜の一件もあり、やや不機嫌そうな表情を浮かべているビクトールに、カミューはいつもと変わらない笑みを浮かべながら問いかけてきた。
「それで、ビクトール殿。良い夢は見られたのですか?」
 その言葉に、思わずカミューの顔を凝視してしまった。
 そう言えば、彼は昨夜もそんなことを言っていた。
「・・・・・どういう、意味だ?」
「意味なんてありませんよ。言葉のままです。どうだったのですか?」
 ビクトールの言葉をはぐらかす様にそう聞き返してくるカミューに何と返答して良いものやら悩む。何か知っている彼に問いただしたいと思うが、彼がそう簡単に口を割るとも思えない。
 どうしたモノかと悩むビクトールの事など眼中に入っていないのか、フリックがあっさりとした口調でカミューに向かって言葉を吐いてみた。
「当たり前だろ。俺に抜かりはないよ。」
「・・・・・なんの話だ?」
 思わず問いかけてしまったが、ビクトールの言葉はフリックにもカミューにも黙殺されてしまった。
 会話は、二人の間だけで展開されていく。
「そうでしょうね。昨日の行動を時々観察させて頂きましたが、なかなかの物でしたね。普段のあなたとはまったく違っていて。驚きましたよ。」
「あれくらいなんて事は無いだろう。ようは、絶対にやりたくない行動をすれば良いだけの話だからな。」
 キッパリと言いきるフリックの言葉を聞いても、話が見せてこない。
 マイクロトフも不思議そうな顔をしているから、フリックとカミューの間でしか分からない話なのだろう。そして、それには自分も絡んでいる様だ。
「・・・・・なんの話だ?」
 ビクトールは、再度同じ言葉を二人に向かって発した。
 自分にも聞く権利はあるだろう。
 その言葉を視線に込めてカミューの顔を覗き込めば、彼は苦笑を浮かべて返した。
 漸く事の顛末を話す気になったらしい。聞きたくない気持ちもあったが、聞かなければ聞かなかったで気持ちが悪いので、ビクトールは大人しく耳を傾ける事にした。
「先日、フリックさんと賭をしましてね。」
「賭?」
「ええ。とは言え、お金をかけるのもつまらなかったので、負けた者は勝った者の言うことを一つだけ聞くという事にして。」
「それで?」
「結果だけで言うと、私が勝ちまして。フリックさんに、一つ要求したんですよ。」
 ニコリと微笑むカミューの表情に、イヤなものを感じた。
 絶対、自分にとって良いことは言わないだろう。そう思う。そう思うが、彼の言葉を止める気にはならなかった。多分、自分が何と言おうと彼は言葉を発するだろうから。
「『一日、ビクトール殿に絶対にやりたくない行動をしまくる』という事をね。」
「・・・・・・それが、昨日か?」
「ええ。」
 なんの迷いも無く頷かれ、ビクトールはガクリと肩を落とした。
 言い換えてみれば、フリックはビクトールに対して可愛らしく微笑むなどと言うことは絶対にしないと、そう言っているのだ。
 昨夜の様に、ビクトールの要求する言葉を恥じらいを持って口にしようとする事すらも。
「あんな事、二度とやらないからな。自分でやってて鳥肌立っちまったからな。」
 思わず懇願するような視線をフリックに向ければ、彼は思いっきり眉間に皺を寄せながらそんな言葉を返してくる。今現在も鳥肌が立っているように見えるのは、気のせいだと思いたい。
「そうなんですか?なかなか板に付いていましたけどね。」
「・・・・・冗談言うな。」
「冗談なんか言ってませんよ。ビクトール殿に食事を切り分けていたあなたの姿は、なかなかに愛らしくて良かったですよ。」
「可愛いなんて言われて、男が喜ぶわけ無いだろう。」
 仲良さそうに言い合いをし始めたフリックとカミューの様子を見つめながら、ビクトールは己の心が激しく沈んでいくのが分かった。
 そして、マイクロトフが心配そうな、どこか哀れむような視線を自分に向けていることも。
 強がってマイクロトフに笑いかけたかったが、そんな気力は持ち合わせていなかった。
 心に冷たい風が吹き荒れていた。
 いきなり降って沸いた幸運は、やはり最初に感じた通りに幻だったのだ。
 なんとも甘く切ない幻だったのか。
「・・・・夢だと思えば、どってことねーよ。」
 自分に言い聞かせるようにボソリと呟いた。
 そう思わなければ、寂しさに凹んでしまいそうだから。
 カミューとじゃれる相棒の姿を目で追いながら、胸の内でそっと呟く。
「どんなお前でも、俺はお前の事を愛しているぞ。」
 と。
 でもやっぱり、チョッピリ寂しくなるビクトールだった。















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偽りの日