最初はホンノ小さなものだった違和感は、日を増すごとに大きくなって行く。
 何がそんなに引っかかるのか分からない。どこがどう違うのかと聞かれても、明確な答えなど出てこない。だが、何かが違うのだと、本能が告げていた。
 解放軍時代のフリックと今のフリックでは、何かが違うと。
「・・・・・・どうしたもんかなぁ・・・・・・。」
 ため息を付きながらボソリと零した。
 この違和感の正体がなんなのか。凄く気になるのだが、本人に直接聞くわけにも行かない気がする。何に対して違和感を感じているのか分からないのだ。それに、自分の前に居るときの彼に違和感を感じた事は無い。少しの間別行動をした隙に見かける彼の姿に、違和感を感じるだけで。
「・・・・・ま、気にしないで置くか。」
 頭を悩ませながらも結局はいつもと同じ考えに落ち着き、ビクトールはフリックの待っている宿屋へと足を向けた。
 二人で旅をし始めてから既に一ヶ月程の時が流れていた。その間、ビクトールとフリックは護衛の仕事を引き受けたりしながら小金を稼ぎ、街から街へと渡り歩いている。
 心配していたほどフリックの傷の調子も悪くないようで、旅は順調に進んでいた。まだ本調子という分けでもないが、元々人よりも秀でた剣の腕を持つ男だけに、病み上がりでも十分に強いのだ。自然と仕事の質も高くなり、金に困ることはそう無かった。ビクトールが、無駄に酒を飲みさえしなければの、話だが。
「とは言え、アイツ一人で良い仕事を取るのは、一苦労だろうなぁ・・・・・。」
 そう遠くない過去の出来事を思い出したビクトールは、フッと口元に笑みを刻んだ。
 珍しくビクトールの方が体調を崩して寝込んだ時があった。その時、たまたま懐具合が寂しく、翌日の宿代を出すので精一杯という状況に陥ってしまい、それまでフリックの体調を慮ってビクトール一人で仕事を探しに行っていた所を、フリック一人で探しに行ったのだ。
 彼の強さは、傍らでその戦い振りを見ているビクトールが一番良く分かっていた。だからなんの心配もなく送り出したのだが、帰ってきたフリックは、見るからに沈んでいた。どうやら、その優しげな容姿から腕の立つ男だと思って貰えなかったらしい。
 仕事一つ満足に見つけられなくて、と落ち込むフリックを慰めながら、これからは自分がしっかりと仕事を取ってこなくては、と、決意を固めたのはそう古い出来事ではない。
 フリックは、決して自分に庇護される様な男ではない。だが、共に歩いている事が、今の自分が一人では無いことが、ビクトールにはたまらなく嬉しかった。共に歩いている男が、解放軍時代に親しく言葉を交わすことの出来なかった、見目の良い男だから、なおのこと。
「・・・・こんな事を考えている場合じゃ無かったな。さっさと宿屋に戻らねーと。またフリックが怒り出すからな・・・・・。」
 そんな言葉を呟きつつ、ビクトールの顔には楽しげな笑みが浮かんでいた。
 つい先ほど、ビクトールは新しい仕事を手に入れてきた所だった。今回手に入れてきた仕事は、かなり条件が良い仕事だ。これならば、仕事の内容についてはうるさいフリックも喜んでくれるに違いない。今日の酒は、いつもよりもおいしく飲める気がする。隣にフリックがいれば、どんな安酒でもおいしく飲めるのだけれども。
 足取りも軽く待ち合わせの場所にたどり着いたビクトールは、男の姿を求めて店内に視線を流してみる。宿屋の食堂と酒場が一緒になったその店には、日が落ち始めた時間だからか、幾人かの酔客の姿が見てとれた。その中に居る相棒の姿を、ビクトールはすぐに見つけることが出来た。どんな人混みに紛れようとその姿が浮き上がって見える程に鮮やかな、青色を身に纏った男の姿を。
 良い仕事が取れて機嫌の良かったビクトールは、すぐにでも声をかけようと大きく足を踏みだそうとした。だが、その動きはすぐに止められた。そして、これ以上無いと言うくらいに上機嫌だったものが、一気にこれ以上無いと言うくらいの不機嫌へと取って変わる。
 相棒とも言うべき男の隣に、見知らぬ酔客が座っていたからだ。座っているだけなら良い。しかし、その男はそれだけではなく、フリックに馴れ馴れしい視線を送っていた。
 商売女を誘うような、そんな瞳を。
 さっさと引き離そうと、再び足を踏み出しかけたビクトールだったが、その行動はまたしても止められた。そして、真剣な眼差しを二人に向ける。
 時々感じる違和感が、今のフリックにあるような気がしたからだ。
 気配を殺して観察しているビクトールの視線に気づくことなく、二人の男はなにやら話し込んでいる。その内容は周りのざわめきで聞こえないが、どうやらフリックは男のことを鬱陶しく感じているらしい。言い寄る男を邪険に扱っている様子でその事が分かった。その瞳には、彼の苛立ちを表すように剣呑な光が見て取れる。しかし、男は怯むことなくフリックに言い寄っていた。怯んでいないのではなく、フリックの苛立ちに気が付いていないだけかも知れないが。
 馴れ馴れしくフリックに絡み着いていた男の手がフリックの細い腰に回されたところで、ビクトールの限界が来た。これ以上、あの薄汚い男がフリックに触れていることが耐えられなくなったのだ。
 大股で二人の傍らに歩み寄ったビクトールは、、男がイスから転げ落ちる位の力で男の身体を押しのけ、無理矢理二人の間に分け入った。
「ビクトール。」
 いきなり現れた男に驚いたのか、フリックはその綺麗な青い目を瞬いていて見せる。
 年相応には見えないその幼い仕草に胸の内がかき回されるような感覚を感じながらも、ビクトールは努めて平静を装った。
「仕事、見つけたぞ。砂漠の手前の街までの護衛だ。期間は大体二週間。一人一万ポッチで、行程で発生した経費は向こう持ちだ。早く着いたらその分上乗せしてくれるとさ。」
「へぇ、なかなか良いんじゃないか。お前にしては上出来だ。」
 ニヤリと笑いかけてくるフリックに、ビクトールも笑い返す。
 解放軍時代には見せてくれなかった笑顔を、最近の彼は惜しげもなく自分に向けてくれる。多少皮肉っぽい色合いがあるものが殆どであったが、それはそれで構わなかった。彼の視線が自分に向いていることだけでも、今のビクトールには嬉しい事なのだ。
「だろ?今回はかなり頑張ったんだぜ?」
 男を押しのけて空けた席に、なんでもなかったように腰を下ろす。
 イスに腰掛け、フリックの整った顔を間近で見ながら自分がどれだけ頑張ったのか聞かせてやろうと口を開きかけたビクトールの言葉を遮るように、怒鳴る男の声が被さってくる。
「てめぇっ!なにしやがんだっ!」
 掴みかかってくる男に、ビクトールは冷たい視線を向けた。
 その姿を見たときから分かっていた事だが、男からは少しも『強さ』を感じない。この辺では腕の良い方なのかも知れないが、多くの戦場を渡り歩いてきたビクトールにしてみれば、男の力など子供と同じ程度にしか感じないのだ。
 そもそも、相手の力量も測れないやつが自分の相手をまともに務められるとは思えない。
 冷ややかな眼差しに殺気を込めてその顔を見つめると、さすがにそれには気が付いたらしい。男は、ギクリと身体を硬直させた。
「向こうに行っててくれないか?酒がまずくなる。」
 低く、ドスのきいた声でそう声をかけると、男は慌てて店から転がり出て行った。
「・・・・・何も、そこまで邪険に扱わなくても良いんじゃないか?」
 困ったような、呆れているような笑みを浮かべながらそう言ってくるフリックの言葉に、ビクトールはふて腐れたように顔を歪ませる。
「十分優しく対応してやったさ。腕の一本でも折ってやりたいくらいだったからな。」
「何をそんなに苛ついてるんだよ。良い仕事持ってきたんだろ?」
「・・・・・・。」
 不思議そうに聞いてくる言葉に、ビクトールは返事をすることが出来なかった。
 フリックの腰に腕を回していたのが気に入らなかったとは、本人には言えない。なんでそれが気に入らないのかと突っ込まれたら、答えようがないから。
 何も答えないビクトールに何を思ったのか、呆れたように息を吐いたフリックは、ビクトールの前に置かれているグラスへと、己の持っていた酒瓶の中身を注ぎ入れた。
「ま、言いたくなければ良いけどさ。仕事の内容、もっと詳しく教えろよ。」
「あ、ああ。そうだな。」
 誰かの飲みかけらしいグラスに眉を潜めながらも、ビクトールは勧められるままグラスに口を付けた。その途端、ビクトールの顔は不審げに歪められ、隣で同じ酒を口にする男へと視線を向ける。
「・・・・・・・おい、どうしたんだ、これ。」
「どうしたって、何が?」
「高いだろ、この酒。それぐらい俺にも分かるんだぞ。いくらかけたんだ?」
 今現在の持ち金が少ないわけではないが、人よりも多く酒を飲む自分たちが飲む酒の品質にこだわっていたら、潤っている懐もすぐに底をついてしまう。自分たちと言っても酒を馬鹿飲みするのは殆ど自分なのだから、フリックがたまには良い酒を飲みたいというのならば、それを止める権利は自分には無いのだが。
 とは言え、財布の中身は共同なのだ。自分たちの持ち金とこの酒の大体の値段を算出し、ビクトールは少し顔を青くした。良い仕事を見つけてすぐに食い逃げをするわけにも行かないから。
 そんなビクトールの内心に気づいていないのか、フリックはなんでもないことのようにあっさりと言葉を返してきた。
「タダだぜ。もらい物だからな。」
「・・・・・・もらい物?」
「ああ。もう飲まないからって、置いてった。」
「・・・・・・誰が?」
「そんなの、俺が知るかよ。この街に来てどれくらいだと思ってんだ。」
 ニッと笑いながら酒に口を付けるフリックの横顔を、ビクトールはマジマジと見つめた。
 この男は、前からこんな感じだったろうか。見知らぬ男から酒を貰って、何も気にしないような男だっただろうか。
 いや、そういう男だったかも知れない。周りの人間に言われた事は、割と素直に聞き入れていた気がした。戦闘に関すること以外だったら。
 戦闘に関することは、頑固なまでに自分の意見を主張していた。例え相手がオデッサであろうとも、最終的な決断が下されるまで、フリックが自分の意見を翻す事は、滅多に無かった。
 その普段の生活時の彼と、戦闘が絡んだ時の彼とのギャップに驚いたのは、そう古い記憶では無い。
 これを寄越した男には何かしらの含みがあったのだろうと思う。だが、フリックはそれに気が付かなかったのだろう。「高い酒を置いていく変なヤツ」くらいにしか考え無かったに違いない。それが、自分の良く知るフリックという男のする反応だから。だからそうに違いないと、そう、自分の心に納得させる。
「・・・・・・・じゃあ、俺も貰うかな。」
 多少納得しきれ無いながらもそう言葉を零せば、フリックが軽く頷きを返してきた。
「そうしろ。高いだけあって上手いぞ。」
 その言葉に、ビクトールは軽く頷きを返した。そして、いたずらを思いついた子供の様な笑みを浮かべて、フリックに語りかけた。
「たまには、じっくりと味わって飲むか。」
 杯を交わしながら、ビクトールはフリックに仕事を得るまでの苦労を語って見せた。
 その話に笑みを浮かべながら耳を傾けてくるフリックの反応に、なんとも言えない幸せを感じながら。
 小さな違和感はぬぐい去れない。だが、『彼』が『フリック』であることに間違いはない。彼と共に歩いていくことが、今の自分には大切なことだから。だから、細かいことには拘らないようにしようと、何度目か分からない決意を、そっと心の中でするビクトールだった。























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 ビクトール。まだまだ甘いです。


違和感