「パーシヴァルさん。」
 名を呼ばれて振り返ると、そこには人の良さそうな笑みを浮かべたトウタの姿があった。
「トウタ殿・・・・・・・。何か私に用事でも?」
「いえ。とくに用事という物は無いんですが、あまり医務室にいらっしゃらないんで、調子はどうかなと、思いまして。」
 パーシヴァルの問いかけに、彼はニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべている。しかし、その笑みがくせ者である事は、パーシヴァルには分かっていた。だから、隙を見せないように警戒しながらも、ニコリと微笑み返す。
「なにも問題はありませんよ。ご心配なく。」
「それは良かった。では、お願いしたい事があるのですが。」
「私にですか?」
「ええ。あまり病気をされなくて、薬への耐性が無さそうなパーシヴァルさんに、是非とも。」
 彼の笑みは相も変わらず人の良さそうな柔和なものだったが、パーシヴァルの背中にはイヤな汗が伝い落ちた。何故と聞かれても即答は出来ない。騎士団の生活の中で培ってきた勘がそう告げているだけだから。
 しかし、この手の勘が外れた事はない。それでも上司からの命令ならば従わざるを得ないが、彼は上司でもなんでもないのだ。危険だと思った誘いに乗る必要は無い。
「申し訳ありませんが、薬の類は必要以上に飲まないように親にきつく言われておりますから。お断りさせて頂きます。」
 やんわりとトウタの言葉を断ろうとそう言葉を発したのだが、彼は少しも怯んだ様子を見せず、尚も言葉を続けてきた。
「大丈夫ですよ。ただのビタミン剤ですから。変な副作用なんてありません。」
 ただのビタミン剤なら、何故薬の耐性が無さそうな人間を選んで飲ませないといけないのだろうか。トウタの言葉の矛盾に、パーシヴァルの瞳には警戒の色が強くなった。
 絶対に何か裏がある。そう思って。
「それなら、私で無くても他の人に頼んでみても良いのではないですか?私はバランスの良い食事を取るように心がけていますので、錠剤に頼らなくても十分に必要な栄養は摂取出来ていますから。」
「そんな事を言わずに、一つだけためしにに飲んでみて下さい。絶対に損はさせませんから。」
 飲んで損する薬とはいったいどんなモノなんだ、と突っ込みを入れそうになったパーシヴァルだったが、なんとか堪えた。しつこい輩とは、さっさと会話を終わらせるのに限るのだ。
 このままズルズルと会話を続けていったら、妙な罠にはめられそうで恐い。そう思い、パーシヴァルはその顔に刻んでいた笑みを更に深くした。
「お話がそれだけのようでしたら、仕事が残っておりますので失礼させて頂きます。」
 軽く頭を下げたパーシヴァルは、有無を言わせずさっさと踵を返した。
 失礼な態度だとは思うが、気にしている場合ではない。会話をしている内に危険信号が強くなって来たのだ。礼を重んじていたら、抜け出せない状況に陥りかねない。
 駆け足になりそうな所をなんとか理性でとどめていつもの歩幅で歩いていたら、背後から声をかけられた。
「ちょっと待って下さい。パーシヴァルさん。」
 そう呼ばれて無視するわけにはいかない。まだ、声が聞えなかったと嘘を付ける程トウタから離れていないのだ。こんな事なら、駆け足でこの場を立ち去っておけば良かったと内心で後悔しながらも、パーシヴァルはいつも浮かべている薄い笑みをその面に描きながら振り返る。
「まだ何か・・・・・・・・・・」
 言いかけた言葉は、途中で止まった。
 何故なら、振り向いた途端に口の中に何かが飛び込んできたからだ。
 喉の奥に入り込んだその小さな物体を吐き出そうと思う前に、思わず飲み込んでしまった。
「な・・・・・・・・何・・・・・・・・?」
 呆然としながら、思わず呟きを漏らす。口の中に飛び込んできたモノの角度とスピードからいって、虫では無いだろう。ここら辺を飛んでいる羽虫の類で、そんなスピードで人間の口の中に飛び込むものは居ないはずだ。
 と、すると、いったいなんだろうか。
「・・・・・・まさか・・・・・・・・・」
 脳裏に浮かんだ考えに、慌ててトウタへと視線を向け直すと、そこには、腕を大きく振り下ろした体勢を取りながら、満足げな笑みを浮かべたトウタの姿があった。
 その笑みを見た途端、心臓が早鐘を打った。
 イヤな予感は、今や最高潮に達している。
「・・・・・・トウタ殿。いったい、何を・・・・・・・・?」
 その問いに、トウタはニコニコと、何も後ろ暗い事など無いとでも言うような笑みを返してきた。
 そして、こう言葉を発する。
「どうですか?」
「どう・・・・・・・・・とは?」
「何か、変わった事はありませんか?」
 期待するような眼差しに、やはりただのビタミン剤では無かったのかと心の中で呟いた。
 人の良さそうな顔をしているが、油断も隙もない。どうしてこう、この城には一癖も二癖もあるような人間ばかりが集まっているのだろうか。
 そんな事を考えていたが、その考えを振り払うように軽く首を振り、トウタへ向けていた視線に力を込める。
 今はそんな事を考えている場合ではないのだ。
 トウタが自分に向けてくる瞳には、妙な輝きが宿っている。自分が飲まされたものが、まともな物ではない事はそのトウタの様子で分かるという物だ。いったい何を飲まされたのだろうか。ボルスのように、姿形が変わるようなものなのだろうか。
 パーシヴァルは、早鐘を打つ心臓を宥めるように己の胸の前で拳を握りしめ、己の身体の様子を窺うように黙り込んだ。
 変に緊張しているせいか、鼓動がやたらと早い。
 しかし、それ以外に気になる点は一つもない。息苦しさを感じるわけでもないし、関節に強烈な痛みを感じるわけでもない。内臓が引連れるような痛みだって、感じない。身体が痺れるわけでも、妙に眠くなっているわけでも。
「・・・・・・・とくに何も変わりありませんが・・・・・・・・?」
 率直な意見を口にしてやれば、トウタはあからさまにガクリと肩を落として見せた。
「・・・・・・・そうですか。また、失敗ですか・・・・・・・」
「・・・・・また?」
 と、言う事は、以前にも何かしらおかしなものを飲まされていたのだろうか。
 それとも、この間ボルスが自分に姿に変わった時に飲ませた薬の事を言っているのだろうか。
 何となく不安になりながらも、パーシヴァルは恐る恐る問いかけた。
「失敗って・・・・・・・。私は、いったいどんな薬を飲まされたのですか?」
 何も無かったから良いようなモノの、そんな実験段階のような印象を受ける薬を人にのませるなど、尋常ではない。その薬が死に至るようなものになっていたら、どうするつもりだったのだろうか、この男は。
 非難の色を込めて睨み付けてやったのだが、自分の失敗に落ち込む事に夢中になっているトウタはその事に全然気付いていないようだ。彼はただただ、項垂れ続けている。
「・・・・・・良いんです。気にしないで下さい。作り直して出直しますから。」
 力無い笑みを残して、トウタはとぼとぼと歩き去ってしまった。そんな彼の背中に、気にならないわけが無いだろうと突っ込みを入れたい気持ちが満ちあふれていたが、下手に刺激してもう一つ怪しげな薬を飲まされる事になったら目も当てられない。そう思い、引きとめるような声をかける事もせず、パーシヴァルはそのまま彼を見送った。
「・・・・・・まぁ、今回はなんとも無くて良かったが・・・・・・・・・」
 今後このような事が起ったらどうしようかと、内心で呟く。
 以前から何やらおかしな動きをしていると思っていたのだが、彼は本気でおかしい。これは、一度クリスに話をして置いた方が良いかも知れない。
 未だに治まる事の無い動悸を訝しく思いながらも内心で今後のトウタへの対策を練りながら、パーシヴァルは己の部屋へと足を向けた。
 トウタを振り切る為に仕事があるなどと言ったが、実際には仕事は終わっていたのだ。書類仕事だったら日が暮れた後にもまだ仕事をしている事の方が多いが、兵士の訓練指導をするときは、基本的には日が出ている間に仕事が終わる。
 ちょっと前までは自分もその訓練指導の仕事が多かったのだが、最近はめっきり少なくなり、こんなに早い時間に自室に戻れた事などここしばらくの間では無いに等しい。
「・・・・・まったく。ボルスが羨ましいな・・・・・・・・」
 自分も、出来る事なら腕だけを自慢にした騎士になりたかった。と内心で呟きながらも、すぐにそれだけではやっていけないだろうと自分で突っ込みを入れるパーシヴァルだった。
 そんな事を心の内で考えていたパーシヴァルは、自室の前までたどり着いた。ドアノブを捻る前に念のため軽く扉をノックしてみが、返答は無い。と言う事は、まだボルスは帰っていないという事だろう。ゆっくりとドアを開けば、やはりそこには見慣れた金髪青年の姿は無かった。その室内の状況を見て、思わず言葉がこぼれ落ちた。
「・・・・・・・・精が出る事だ・・・・・・・・」
 今日の彼は自分とは違う隊の指導をしているはずだが、その訓練計画書を思い出してみる限り、彼が受け持っている訓練はとっくのとうに終わっている時間だ。それなのに今の時間に部屋に居ないという事は、誰かを捕まえて個人指導をしているか、はたまた自主トレをしているかのどちらかだろう。
 なんにしろ、良くそこまで動けるものだと感心してしまう。パーシヴァルは、己が努力している姿など、他の人間に見せたいとは思わないが。
 そんな事をボンヤリ考えながら鎧を外して私服に着替えたパーシヴァルは、なんとも言えない身体の怠さを感じてベットの端に腰掛けた。
 気にしないようにしていたが、動悸が全然治まらない。むしろ、より一層激しさを増している気がする。
 変なモノを飲まされた事に驚いたから鼓動が早くなったのだと思ったのだが、もしかしたらそうじゃないのだろうか。いや、そうじゃないのだろうが、そう思いたい。思いたいが、絶対にトウタに飲まされた薬が原因なのだと、脳みその冷静な部分が告げてくる。
「・・・・・・・やっぱり、アレか・・・・・・・?」
 そう呟いた途端、心臓にチクリと痛みが走った。そして、それに続くように身体の節々にキリキリと痛みが走り出す。
 それはまるで、骨を関節から削り取っていくような痛さだ。
 むき出しになった神経を、出てきた端から切り捨てられていくような、そんな痛さ。
 人として、堪えられる程度の痛さではない。
「・・・・・・・・・・っつ!」
 それでも悲鳴を漏らすのはプライドが許さず、声をかみ殺すように奥歯をギリリと噛みしめた。
 そして、痛みで強ばる身体をなんとか動かし、ベットの上で四肢を丸め、己の腕で自分の身体を抱きしめる。
 少しでも痛みをやり過ごそうと。だが、痛みが緩和される事は全くなかった。逆に、より一層強くなる。
「・・・・・・・・・・くっ・・・・・あっ・・・・・・・・・・ああぁっ!」
 断続的に続く痛みに、思わず声が漏れる。
 こんなに痛いと思ったのは、幼い頃にろくでもない行為を強要された時以来ではないだろうか。
 いや、この痛みの方があの時よりも強い気がする。心に負った傷は、過去の痛みの方が大きいだろうが。
 身体は妙に熱を放っているというのに、凍えるような寒気を感じる。
 いったい何を飲まされたのだろうか。
 このまま死んでしまうのではないだろうか。
 そんな思いに捕らわれながら、パーシヴァルは痛みのあまりに己の意識を手放していった。































 訓練を終え、部屋に戻ろうと思った時には既に日が傾いていた。パーシヴァルもこの時間になったら部屋に戻っているだろう。今日は彼も書類整理では無く自分と同じように兵の指導をしていたはずだから、仕事が遅くなる事はないはずなのだ。
 そう思ったボルスは、風呂に入って汗を流すのを後回しにして、自室へと足を向けた。もしかしたら、一緒に風呂に入れるかも知れないと、淡い期待を抱きながら。
 未だかつてパーシヴァルがボルスの入浴の誘いに乗った事など無いけれど。
 部屋のドアの前に立って軽くノックをしてみたが、中から答えが返ってこない。
「・・・・・・まだ帰ってないのか?」
 だったら先に風呂に行けば良かった。そうすれば、少し遅めの夕食に彼を誘う事が出来たかも知れないのに。そんな事を内心で呟きながら、ボルスはドアノブに手を伸ばす。
 ドアを開け、室内に身体を滑り込ませると、そこには闇が広がっていた。ドアを閉めたら廊下から差し込む明かりが無くなり、より一層暗くなるだろうと思いはしたが、それでもドアを閉める。この程度の闇に怯えていて、六騎士などと言われるのは恥ずかしい事だから。
 暗闇の中、慣れた足取りで部屋の中央まで進み出たボルスは、ランプを探すために視線を巡らせた。
 途端。
 ボルスの鼓動は大きく跳ね上がった。
 何故なら、ベットの上に人影があったから。
 それがパーシヴァルだったら、ここまで驚きはしなかっただろう。バーツでも、腹は立てても驚きはしなかった。
 しかし、そこに居たのは、どこからどう見てもその両名ではない。
 両名でも無いのに、その人影はベットの上に力無く横たわっているのだ。
 いったい誰なのだろうか。人の部屋に侵入し、我が物顔で他人のベットに横たわっている人物は。
 ボルスはそのベットの傍らまで恐る恐る近づき、そっと横たわる人間の顔を覗き込んだ。
 瞬間、ボルスの鼓動は大きく跳ね上がった。
 先程の様に驚いたからではない。いや、ある意味驚いたのだが、驚きの質が違うのだ。
 ボルスは、その人間の姿を凝視した。
 腰まで伸びた、真っ直ぐでクセの無い綺麗な黒っぽい髪。その髪の隙間から覗く首筋はこれ以上無いくらい白く、暗闇の中で発光しているかのように眩しい。
 閉じられた目蓋を覆うような睫は長く、影を作る程だ。瞳を閉じていても、その造作の良さは見て取れる。
 高い鼻。紅を引いている分けでも無いのに紅く色づいた、薄い唇。
 その人間が纏うにしては大きすぎる服の袖から覗く手首は細く、ボルスが握りしめたら砕けてしまうのでは無いかと思うくらいだ。
 大きな服の上からでも見て取れる程に細く括れた腰。そして、その上にある・・・・。
 そこまで観察したボルスは、それ以上見つめる事が出来ずに思わず目を反らしてしまった。
 いくら自分の部屋に居る人間だからといって、見知らぬ人間の身体をそれ以上観察するのはどうだろうかと思って。それは、騎士としてあるまじき行為なのではないだろうかと、そう思って。
 とは言え、気になる。
 何故この人間が自分とパーシヴァルの部屋のベットに寝ているのだろうか。
「・・・・・・・・・もしかして、パーシヴァルの恋人か・・・・・・・・?」
 自分の呟きに激しく嫉妬したボルスは、再びベットに横たわる人間へと視線を向けた。
 見れば見る程美人だと思う。パーシヴァルはこういう顔の人間が好みなのか。
 そう考えたところで、ふと気が付いた。この人間に、どこかで会ったような気がしたのだ。
 これだけ綺麗な造作の人間なら、一目会っただけでも忘れないだろう。そう思うのに、どこかで会ったのか思い出せない。
「・・・・・・どこでだ・・・・・・・・?」
 首を捻りながらの呟きに、ベットの上の身体がピクリと反応を示した。
「・・・・・うっ・・・・・・・」
 小さくうめき声を上げたその人間は、苦しそうに眉間に皺を寄せた。そして、ゆっくりと目蓋を持ち上げていく。その様を、ボルスは息を止めて見つめていた。
 ゆっくりと、数度瞬きを繰り返したその人は、傍らに立っているボルスの気配に気付いたのだろう。気怠げに寝返りを打ち、横向きだった身体を仰向けにヒックリ返した。
 そしてゆっくりと、その紅く色づく唇を開いてくる。
「・・・・・・・・・随分と遅かったな。また自主トレか?」
 開口一番にかけられた言葉に、ボルスは驚き、言葉を失った。
 何故自分の生活パターンを知っているのだろうかと。そして何より、何故自分を待っていたかのような発言をするのだろうかと。
 もしかしたら、自分が忘れているだけで、どこかで会った事があるのだろうか。だから、その顔に見覚えがあるような気がしたのだろうか。
 普段使わない頭で悩んでいると、元々ボルスの答えなど求めていなかったのか、言葉を投げつけた本人は返答がないことを気にした様子もなく再び口を開いてきた。
「良くもまぁ、それだけ動けるものだ。俺には到底真似出来んよ。」
 その整った顔に見合った綺麗な、それを聴いただけでも心が洗われるような、そんな声だったが、その口調だけが妙に男っぽくて顔にも声にもマッチしていない。なんだか凄く勿体ない気がする。
 ボンヤリと目の前の人物に見惚れながらそんな事を考えていたボルスの目の前で、その人が今まで横たわったままだった身体を、気怠げに起こし始めた。 
 横になっていた時にも細いと思った身体は、起きあがると更に細く感じる。少しはだけた身体に合っていない大きめなシャツから胸元が見えて、ボルスは慌てて視線を横に向ける。それでも、見てみたいという好奇心の方が勝ってチラリと視界に映ってしまった白い胸元に、自然とボルスの顔が紅潮してくる。
「・・・・・・何を紅くなって居るんだ?」
「いや。・・・・・・・胸が・・・・・・・・・・」
 そんなボルスの様子を不思議そうに問いかけてくるのに、はっきりと何がどうと答えられないのは、自分がソウイッタモノを見慣れていないからだろうか。パーシヴァルだったら、スマートに指摘してやれるのだろうか。
 そんな風に考え、まるで10代半ばの子供みたいな自分自身の反応に恥ずかしさを感じ、更に顔が紅く色づいていく。そんなボルスの事を訝しげにみつめていたその人は、ボルスの事を馬鹿にしたような口調で言葉を返してきた。
「胸?そんなモノは見慣れて・・・・・・・・・・・」
 言葉は途中で途切れ、妙な間が出来上がった。
 何事かと視線を向けたボルスの視線の先には、髪の毛を掻き上げた体勢で己の胸元を見つめるその人の姿があった。
「・・・・・・・・・・なんだ?これは?」
 それまで凍り付くように押し黙っていたその人物が、ボソリと、言葉を零す。
「これって・・・・・・・何が?」
 その質問の意図が分からず問い返したボルスに、その人はそれまで自分の胸元を凝視していた視線を上向け、ボルスを射殺さん勢いで睨み付けてきた。
「この胸だっ!というか、髪もなんなんだっ!」
 そう叫び、自分の胸を鷲づかむ彼女の行動に、ボルスは憤死しそうになった。
 彼女の、己の胸の大きさを強調するような動作は、女性経験が少ないボルスには少々刺激が強すぎる。シャツの隙間から覗く胸の谷間を見ただけでも憤死しそうになっていたボルスには。
 そんなボルスの動揺など気にした様子もなく、彼女はハッと何かを思い出したようにその瞳を見開いた。
「・・・・・・・・・あの薬かっ!」
 うなるようにそう呟いた彼女は、勢いよくその場に立ち上がった。そして、大きく一歩を踏み出した、途端。
 その細い身体が、ガクリと傾げた。
「うわっ!」
「あぶないっ!」
 倒れそうになった身体を、咄嗟に抱き留めた。鎧を纏っていないければ、その胸の柔らかい感触を自分の胸で感じる事が出来たのだろうが、残念な事に今のボルスは完全装備をしているのだ。感じ取れるわけがない。
 やはり先に風呂に入っておくべきだったと内心で後悔しながらも、抱き止めた身体を抱く腕に力を込めていった。
 彼女の全身から漂う香りが香しくて。ずっと抱きしめていたいと、そう思って。
 しかし、そんなボルスのささやかな願いを、神は聞き入れてくれなかった。
「・・・・・・・ボルス。痛い。」
「あっ・・・・・・す。すまんっ!」
 腕の中から上がった非難の言葉に、慌ててその腕を彼女の身体から引き離す。そうしてから、彼女の様子を窺うようにその顔を覗き込めば、彼女は不愉快そうに顔を歪めていた。
「ったく。馬鹿力が・・・・・・・・」
 険しい顔でそう呟いた彼女は、チラリと転ぶ要因になった、己の履いていたズボンを一瞥すると、深々と息を吐き出した。
「・・・・・・・・なんだって、俺がこんな目に・・・・・・・・・」
 ボルスにはわけの分からない言葉を残し、彼女は男用の大きめなシャツを羽織っただけの状態で部屋の中を歩いていく。着ている物の裾が長いせいで、一応太ももの辺りまでは隠れていたが、スラリと伸びた真っ白い素足はこれ以上無いくらいに人目を引く。
 その生足に見とれている間に、彼女はさっさと部屋から出て行ってしまった。
 ドアの閉め方はその可憐な姿から想像出来ないくらいに乱暴で、その衝撃でオンボロ城が小さく揺れた気がした。
 そんな彼女の姿をだらしのない表情を浮かべながら脳裏で何度も思い浮かべていたボルスだったが、ハタと正気を取り戻した。
「ちょっと待てっ!その格好でうろつくなっ!」
 あの様子で彼女が自分の言う事を聞いてくれるとは思えないが、取りあえずそう叫ぶ。そして、手近にあった自分のコートを手に取り、慌てて部屋から飛び出した。
 先程の様子から廊下など走って目的地に駆け込んでしまったのでは無いかと思ったが、彼女の姿は階段の上の所で捕まえられた。どうやら、頭に血が上ってはいても廊下を走るという行為はしなかったらしい。
 彼女の生真面目な一面に感謝しつつ、ボルスは歩く彼女の肩にそっと、自分のコートを肩にかけてやった。
「そんな格好で城内をうろつくな。何かあってからでは遅いんだぞ。」
 思わず言葉が説教臭くなる。若い娘がそんな格好をしながら人前でウロウロするなど非常識だと思ったのもそうだが、何よりも彼女の抜けるような白い肌をこれ以上人前に出したく無かったのだ。
 そんなボルスの内心の心を悟っているのかいないのか、彼女は肩にかけられたコートにチラリと視線を向けた後、ボルスの顔を妙に真剣な目つきでジッと見上げてきた。そして、深々と溜息を吐き出して見せる。
「・・・・・・・・・・むかつくな。ボルスよりも身長が低くなるなんて・・・・・・・・」
「え?」
 彼女が発した言葉の意味が分からず、問いかけるように言葉をかけたのだが、問われた彼女はボルスの存在など無視するように黙々と足を動かしている。
 パーシヴァルだけでなく、こんな見ず知らずの人間にまでこんな扱いをされる自分という人間はなんなんだろうかと、少々寂しく思いながらも、なんだか彼女の事が心配で後を付いて歩く。
 その道すがら、通り過ぎる男共が皆、彼女に熱い視線を送っている事に気付いて、なんとなく腹が立った。
 自分にはパーシヴァルという男が居るのにも関わらず。
「・・・・・・・俺は、浮気などしないからな。パーシヴァル。」
 そう、内心で呟いていると、目の前を歩いていた彼女が一つのドアの前で足を止めた。
 いったいどこに来たのだろうかと部屋の表札に目を向けると、そこには『医務室』と書かれていた。
 そう言えば、薬がどうのと騒いでいたような気がするな、と考えていた所で、いきなり彼女が医務室のドアを、壊れるのでは無いかと思うくらいに激しい勢いで蹴り開けた。
 そして、室内からその侵入者の勢いの良さに驚いたように瞳を見開いているトウタの姿に目を向けると、彼女は無言でトウタの前へと歩み寄り、勢いよく彼の胸ぐらを掴み上げた。
「・・・・・・・・・いったい、何を飲ませた?」
 胸ぐらを掴み上げた時の勢いに比べると、その問いかけは低く暗い。
 いきなり現れた美女に掴みあげられたトウタは、何がなんだか分からないと言いたげに彼女の顔を見つめ返している。
 そんなトウタの反応が気に入らなかったのだろう。先程の低い声とは比べようが無いくらいに強い声音で、彼女が叫び声を発した。
「何を飲ませたんだと聞いているっ!人の身体をこんな風にしやがってっ!さっさと元に戻せっ!」
 怒りを露わにそう捲し立て、胸ぐらを掴み上げる手に更に力を込める。首を絞めるのでは無いかと思うくらいの勢いを見せる彼女の様子に、トウタは困惑したように瞳を揺らしていた。
 しかし、すぐに何かに気付いたように大きく目を見開き、その顔に喜色を浮かべ始めた。
 そして、信じられない一言を口から発してくる。
「もしかして、パーシヴァルさんですか?」
「・・・・・・・・・・え?」
 その聞き慣れた、そして言い慣れた男の名に、ボルスが間の抜けた声を上げる。
 しかし、トウタにはボルスの存在など視界に入っていないらしい。嬉々として問いかけ続けいる。
「と、言う事は、あの薬の効果があったという事ですかっ!」
「喜ぶなっ!馬鹿野郎っ!」
 そう叫んだ彼女。トウタが言うにはパーシヴァルらしい女性が、思い切り良く拳を振り上げ、トウタの頬へと己の拳を叩き込んだ。
 その腰の入ったパンチにトウタの事が心配になったが、道に入っていても女性の力はそれ程威力が出ないのか、あまり効いている様子はない。
 それでも頬には拳の痕がめり込んでいたのだが、当のトウタはまったく痛みを感じていないらしい。妙に嬉しそうにパーシヴァルと呼ばれた女性に語りかけている。
「やっぱり、パーシヴァルさんに薬を飲んで貰って正解でしたね。想像したとおり、大変綺麗ですよ。」
「そんな事をを言われて、俺が喜ぶと思っているのかっ!さっさと元に戻せっ!」
 白い肌を怒りの為に紅く染め上げながら食ってかかる女性に、トウタはサラリと言葉を返した。
「無理ですよ。解毒剤はまだ作って無いですから。」
 その言葉に、一瞬間が開いた。その間には、凍り付くような冷たさが有る。
「・・・・・・・なんだと?」
「だから、解毒剤はありません。しばらくの間はそのままですよ。」
 ニッコリと、なんの罪悪感も感じていないような、むしろ、仕事をやりきった時に見せるような達成感に満ちあふれた表情でそう告げてくるトウタの言葉に、上気していた女性の顔から、一気に血の気が失せていく。
 しかし、その白を通り越して青くなった肌には、すぐに朱色が戻ってきた。多分それは、怒りの為だろう。それも、先程の怒りよりもより強力な。
「きさまっ・・・・・・・・!」
 そう判断したボルスの考えを肯定するように、再び彼女が大きく拳を振り上げた。
「ま、待てっ!早まるなっ!」
 その彼女の動きを、慌てて引き止める。背後から、羽交い締めにするような感じで。
 彼女のパンチがあまりダメージを与えていないようだとはいえ、打ち所が悪かったり、殴りつける回数によっては重大な怪我を負わせる事になるかも知れないのだ。それは、避けたい。
 彼女が本当にパーシヴァルだというのなら、騎士団的にマズイし、そもそも、彼女にそんな真似をさせたく無いと、そう思って。それは、ボルスの個人的な考えではあるけれど。
「放せっ、ボルスっ!2〜3発殴らないと、俺の気が治まらんっ!」
「気持ちは分かるっ!気持ちは分かるが、取りあえず落ち着けっ!大怪我をされて薬が作れなくなったら大変だろうっ!」
 その言葉で、パーシヴァルらしい女性の行動はピタリと止まった。どうやらボルスの言葉を聞き入れてくれたらしい。気持ちを入れ直すように深々と息を吐き出していた彼女は、何かに気が付いたように視線をあげ、トウタの隣へと視線を向けて見せた。
 その視線につられるようにボルスも顔を向けると、そこにはこれ以上ないくらいに大きく目を見開いたクリスの姿があった。
「パ・・・・・・・・パーシヴァル・・・・・・・・?」
 信じられない様なモノを見つめるその視線と呆然とした呟きの気持ちは、痛い程良く分かる。
 はい、そうですと言われても納得出来ない事が多々あるのだ。だが、そう言われてみると納得してしまう事も同じくらいある。
 思わず引き込まれてしまうような白い肌も、黒っぽい印象的な瞳も、振り返らずにはいられない程に整った容姿も、パーシヴァルに似ているのだ。とても、良く。
 最初どこかで会った事がある気がしたのは、パーシヴァルに酷似していたからだろう。彼の血縁者だと言われたら、素直に納得したかも知れない。
 だが、彼の言動はどう考えてもボルスの事を良く知っている。パーシヴァルに聞いたと言っても誤魔化されないくらいに。口調も、パーシヴァルにそっくりなのだ。
 そんな事を考えていたボルスの事など視界に入っていないのだろう。クリスはひたすらパーシヴァルだけを見つめ、フラフラと彼女というか、彼の目の前へと歩いてくる。
 そして、ジッと、その胸元を見つめた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・その胸、本物か?」
 その問いに、パーシヴァルは一瞬間を開けた。彼というか、彼女が今どういう顔をしているのか、未だにその身体を羽交い締めにしたままのボルスに見る事は出来ない。そんなボルスの耳に、何やらあきらめを含んだような声音が聞えてきた。
「・・・・・・・・ええ。驚いた事に。」
「そうか。・・・・・・・・・触って良いか?」
 とんでも無い要求に、何故かボルスの胸が大きく脈打った。
 クリスが、パーシヴァルの胸を揉む。
 その様を想像しただけで、鼻血が吹き出しそうになり、思わず羽交い締めにしていた身体から手を放してしまった。
 自由になったのだから、いくらでも逃げられるパーシヴァルではあるが、クリスの言葉に逆らう気は無いようだ。どこか投げやりに頷き返している。
「良いですよ。お好きにどうぞ。」
「・・・・・・・じゃあ。」
 恐る恐る手を伸ばしたクリスが、意を決したようにパーシヴァルの胸の二つの膨らみに両手を添え、ワシワシとその感触を確かめていた。
 女が女の胸に触って何が楽しいのだろうかと、首を傾げるところだが、首を傾げる前にその一種異様な光景に、ボルスの心臓がオーバーヒートを起こしかける。
 頼むから、これ以上自分の前でその柔らかそうな胸の動きを見せつけないでくれと、心の中で叫んでいたボルスの願いが通じたのか、はたまたただたんに満足しただけなのか、ゆっくりとクリスの手が離れ、掴み取られていた胸の膨らみが元の位置へと戻っていく。
「・・・・・・・本物だな。」
 そう言葉を漏らしたクリスが、パーシヴァルらしい女性の顔をジッと見つめる。どういう仕掛けか分からないが、女性の身体になったパーシヴァルの背丈は15センチは確実に縮んでいる。見上げる幅が小さいので、クリスも何となく楽そうだ。
 とは言え、元の身長が高いからなのか、普通の女性よりも少々長身ではあるのだが。
「元々綺麗な顔をしていたが、女性にするとより一層美人になるんだな、パーシヴァルは。」
「そうですか?自分ではまだ見ていないので・・・・・・・・」
 感心したような呟きに、パーシヴァルは気のない言葉を返している。その言葉に、クリスが驚いたように大きく瞳を開いて見せた。
「何?それは勿体ないぞっ!」
 そう叫んだクリスは、凄い勢いでパーシヴァルの手首を掴み上げ、嬉々としながら語りかけている。
「今すぐに見に行くぞっ!ついでに、ドレスも着て見せてくれっ!」
 前半の言葉はともかく、後半の言葉はまったく予想外だったらしい。パーシヴァルが軽く首を傾げて問い返した。
「ドレス・・・・・・・?何故ですか?」
「似合いそうだから。」
 キッパリと言い切るクリスの言葉に、ガクリとパーシヴァルの肩が落ちた気がしたのは気のせいだろうか。
 そんなパーシヴァルの反応などまったく意に介した様子も見せず、クリスは嬉々としながらパーシヴァルの身体を引っ張りだした。
「取りあえず、私のドレスを着て見せてくれっ!着付けは、きっとルイスがやってくれるだろうから、大丈夫だぞっ!」
「・・・・・・・ルイスに手伝って貰うくらいなら、自分一人で着ますよ。」
 そんな呟きを残して、パーシヴァルは医務室から引きずり出されてしまった。残されたボルスには、この場をどうして良いモノか分からない。
 クリスが医務室にいた事も気になる。あんな形で出て行ってしまったが、診察は終わっていたのだろうか。
 それはともかくとして、いったい何がどうなってパーシヴァルが女性になったのだろうか。
 まずはどれから尋ねるべきなのだろうかと首を捻りながらトウタへと視線を向けると、彼は殴られた頬を真っ青に染め上げながらも、ニコニコと満足そうな笑みを浮かべていた。
「いやぁ。やっとまともに効果が発揮出来た薬を開発出来ましたね。早速、ミオさんに報告しておかないと。」
 そう言いながら、彼もまたさっさと医務室から出て行ってしまった。
 一人残されたボルスには、何がなんだか分からない。
「・・・・・・・・なんなんだ?」
 そんな呟きに答えてくれるものは、誰一人としてその場に居なかった。























書き逃げます。
ちょっと、やってみたかっただけなのです。爆!











                        プラウザのバックでお戻り下さい。





様変わり面変わり