気になる存在

 その時、何故そこに足を向けたのか。今となってはさっぱり分からない事ではあるが、ある日の深夜。ビッチャムは炎の英雄となったヒューゴの居室の隣にある、執務室へと足を向けた。
 そこに何があるというわけでもない。
 いつもは、警備を兼ねてヒューゴの部屋の片隅で眠りについていたのだが、珍しく深夜遅くまで酒場に居たため、皆がすっかり眠りに付いた部屋には戻りにくかった。ただそれだけの理由だったと思う。
 いつもだったら、皆が眠る前に戻るのだが、その日に限ってシバやニコルに引き留められ、どうにも立ち去ることが出来なかったのだ。
 足音が響く静まりかえった廊下を慎重に歩き、部屋のドアをそっと開ける。隣の部屋とは距離があるとは言え、物音を立てないにこしたことはないのだ。静かに足を踏み入れ、隣室の気配を窺ってみたが、誰かが起き出した気配は無い。
 ホッとため息をついたビッチャムは、ゆっくりと床に腰を下ろした。柔らかな寝台が無ければ眠れないなどと言う、繊細な神経を持ち合わせていない。毛布が無くても、雨風を防げるだけで眠るのに十分だ。ビッチャムは、深く息を吐き出しながら眠りに落ちるために目蓋を閉じていった。
 と、その時。微かな物音が耳に届いた。
 賊かと思い、意識が引き締まる。慎重に視線を周りに投げながら音の出所を探るビッチャムの耳に、再び音が届いてくる。その音は、ヒューゴの眠る部屋の逆側。鉄頭の二人が寝起きしている部屋から聞こえてくる。
 鉄頭の事は、正直今でも憎い。
 だが、その力は認めている。力が無ければ、自分たちの故郷を壊滅させることなど出来ないだろうから。その手段がどんなに卑怯なものであれ。
 その鉄頭の筆頭戦士が二人も揃っているのだ。賊ではないだろう。
 こんな遅くまで起きていたのか。
 そう内心で呟きながら、ビッチャムは深く息を吐き出した。
 もしかしたら、自分と同じように酒を飲んでいたのかも知れない。カラヤの民であるアンヌが経営しているせいか、鉄頭共はあまりあの店にやってこない。それでも初めの頃に比べたら増えたのだとアンヌは言っていたが、グラスランドの者に比べたら少ないのだ。
 酒場に行かないのならば、部屋で飲むに決まっている。
 仕事に疲れた後、酒でその疲れを洗い流そうとするのは、グラスランドの民も、鉄頭も同じらしい。
 そんな自分の考えに苦笑を浮かべながら、ビッチャムは再び瞳を閉じた。
 隣室の物音は、一向に静まる気配を見せない。
 何をやっているのか。
 普段はここで寝起きをしないから良いようなものの、隣がヒューゴの居室だったら殴り込んでいるところだ。
 年のせいもあって、常に皺の寄っている眉間に新たな皺を刻みつけながら、ビッチャムは眠りに落ちる努力を始めた。
 と、その時。物音だけでなく人の話し声が聞こえてきた。
 いや、話し声ではない。
 だてに42年生きているわけではない。その声が何を表すモノなの分からないわけがない。
「・・・・・・若いと言うことか・・・・。」
 こんな夜中にお盛んなことだ。
 ヤルのは勝手だが、ヒューゴにだけは悪影響を及ぼさないで貰いたいものだ。
 鉄頭の情事の声を聞きながら寝るというのも趣味が悪い。
 今日は外で眠るとしよう。
 そう考え直したビッチャムが床から腰を上げたとき、それは聞こえてきた。
「・・・・パーシヴァルっ!」
「・・・・・え?」
 思わず足を止め、隣室へと視線を向けてしまった。
 名を呼んだ声は、男のもの。そして、記憶が間違っていなければ呼ばれた者の名も、男の名前では無かっただろうか。
 聞き間違いだろうかと思い、耳を澄ましてみる。
 精霊の声を聞くカラヤの民の耳は良い。普段は聞き取れなくても、意識を集中させれば、これぐらいの壁の厚さであれば向こう側の会話を聞くことは出来る。
 壁の方へ耳を向け、集中するように瞳を閉じたビッチャムの耳に、隣の音が聞こえて来た。
『・・・・ぁっ!』
『パーシヴァル・・・・・。愛してるぞ・・・・・。』
『・・・・うるさい・・・・・・。』
『愛してる。愛しているんだ・・・・・。』
『・・・・ふっ・・・・あっ・・・・!』
『お前は?少しは、俺のこと、好きだと思っていてくれてるのか?』
『うるさい・・・・黙れよ・・・・・。』
『・・・・・パーシヴァル・・・・・・。』
 これは、睦言なのだろうかと首を捻りながら、ビッチャムは集中していた意識を拡散させた。
 どう聞いても、男二人の声だ。聞き覚えのある名に鉄頭の一人の、いつも笑みを浮かべた優男の顔が脳裏に浮かんだ。男にしては綺麗な顔をしていた。何も男を相手にしなくても、いくらでも女が寄ってくるだろうに。
「・・・・・関係ないがな・・・・・。」
 人の趣味にとやかく言う権利も義務も無い。
 ヒューゴに悪影響を与えさえしなければ。
「ワシには、関係のないことだ・・・・・。」
 まるで言い聞かせるようにそう呟いたビッチャムは、音を立てないようにしながらそっと部屋を抜け出した。
 隣室のドアの前を通るとき、必要以上に気配を押し殺してしまったのは、何故だろうか。












 視線が一人の男に向かっている。ここ数日の間、ずっと。
 原因は分かっている。あの夜聞いた音のせいだ。あの晩からずっと耳の奥に残っている音の主の片割れを、思わず視線で追ってしまう。
 いつも柔和な笑みを浮かべている男は、日の下ではあの夜の事を微塵も感じさせていない。歩くたびに城に住む女性達に声をかけられ、一人一人に丁寧に言葉をかけている。
 ピシリと髪を固め、隙の一つも見せない彼は、剣を握れば鋭い動きを見せ、そこらの兵士では太刀打ちなど出来ない腕前をしていた。
 そんな男が何故男なんかと抱き合うのだろうか。それが不思議でしょうがなかった。
 見つめていれば分かると言う物ではないと分かっているのだが、それでもビッチャムの視線はパーシヴァルへと向けられていく。
 このままではいけない。
 炎の英雄として多くの者を束ねることになったヒューゴを、影になって支えてやらねばならないと言うのに、自分の思いに捕らわれていては。
 なんとか気持ちを切り替えようと、ビッチャムは部屋から盆栽を持ち出し、広場の片隅で手入れをし始めた。
 カラヤの村で育てていたものは、あの襲撃時に全て焼き払われてしまったので、これはこの城に着いてから育て始めたものだった。
 最初は貧弱だったソレも、滞在期間が長くなれば長くなるだけ立派な物へと成長している。まだ、無くなってしまったものと比べるほど成長しては居ないが。
「こんにちわ。」
 まだ馴染みの薄いそれを眺めながら、もう二度と戻ってこないモノ達の姿を思い浮かべている時に不意にかけられた声に、ビッチャムはなにも考えずに顔を上げてみた。
「・・・・・パーシヴァル殿・・・・・。」
 今一番見たくなかった顔がそこにある事に気が付いたビッチャムの顔は、途端に不愉快そうに歪められた。
 そんな反応にも構わず、彼はにこやかに声をかけてくる。
「良い枝振りですね。」
「・・・・・分かるのか?」
「全然。」
 ビッチャムの問いにあっさりと答えてみせるパーシヴァルの言葉に、自然と眉が寄っていく。
 自分から振っておいてその返しはなんなんだ。これだから鉄頭は好かない。そんな思いが顔に出ていたのだろう。パーシヴァルは苦笑を返して見せた。
「昔、祖父がやっていましたけどね。子供には、食べられないものをわざわざ育てる意味が分かりませんでしたよ。」
「・・・・・それはそうだろうな。」
 祖父と言う言葉に引っかかりを覚えながらも、ビッチャムは小さく頷き返した。
 ヒューゴ等、カラヤの子供達に良く言われるが、やはりジジ臭い趣味なのだろうか。盆栽は。
 そんなことを考えていたビッチャムは、自分に注がれ続けている視線に気が付いた。
 顔を上げれば、目の前にいる男が自分の事をジッと見つめている。
「・・・・何か用か?」
 そう問い返すと、彼はニコリと笑い返してきた。
 その笑顔に、何か含むモノがある様な気がしたのは気のせいだろうか。
「用があるのは、アナタの方ではないんですが?」
「・・・・なんだと?」
「ここのところ、ずっと私のことを見ていらっしゃったじゃないですか。」
「・・・・気づいていたのか。」
「気づかない方がおかしいですよ。あそこまで熱烈に見つめられたのですから。」
 言われた言葉に、なんとなくばつが悪くなる。
 確かに、彼の姿を目で追ってはいた。
 だが、彼に気づかれないようにしていたつもりだったのだ。次の言葉を待つようにジッと見つめ返してくる顔に視線を向ける。
 こんなに至近距離で彼の顔を見たのは初めてかも知れない。
 カラヤの民にはない、白い透けるような肌。口元にはうっすらと笑みを浮かべていたが、切れ長に伸びた瞳にはこちらの動向を窺うような鋭い光が宿っている。
「・・・・別に他意は無い。」
 出来る限り自然な動きを心がけて、ビッチャムは合わさっていた視線を反らし、手元の盆栽へと向け直した。
「そうですか?てっきり、騎士団に対する不満を訴えていらっしゃるモノかと思って聞きに来たのですが・・・・。取り越し苦労でしたかね。」
「ああ。そうだな。別に今は不満なんかはない。カラヤでの事は、今は忘れて置いてやっているのでな。」
「それはありがたいですね。」
 返す言葉にキツイ響きがにじみ出ている。
 不思議に思って顔を上げると、睨み付けるような視線とぶち当たった。
 だがそれも一瞬のこと。次の瞬間にはいつも見るのと寸分違わぬ笑みが浮かび、戯けたように肩をすくめて見せる。
「まぁ。その件に関して私に文句を言われても対処する事は出来ないのですが。大した力もありませんし。」
 見間違いだったかと思うくらいその変化は鮮やかな物で、ビッチャムは一瞬返す言葉を失ってしまった。
 会話のテンポを崩しながらも、ビッチャムは彼の言葉に引っかかりを覚え、問い返す。
「・・・・・何故だ?騎士団の中核なのだろう。お前は。」
「戦場では、そうですけどね。」
 自嘲するような笑みに、僅かに眉を寄せる。
 遠くから見ている時には気づかなかったが、この男には何か暗いモノを感じる。いつも笑みを浮かべてはいるが、近くから見たらその瞳が笑っていないことなどすぐに分かった。
 巧妙に隠してはいるが。
 そう大して年を取っているわけでは無いというのに、ここまで旨く自分の感情を覆い隠すことが出来るものなのか。
「とは言え、クリス様にお伝えする事ぐらいは出来ますので、何かあったら仰って下さい。」
「・・・・分かった。」
 なんとなく背筋に寒気を感じながらも小さく頷き返すと、彼はニコリと笑い返してきた。
「では、私は職務に戻りますので。」
「おい。」
 踵を返したパーシヴァルの背中を思わず呼び止めた。
 首を傾げて次の言葉を待つパーシヴァルの顔を見つめながら、ビッチャムは少し動揺した。
 何故呼び止めてしまったのか。呼び止めて何を言おうとしていたのか。自分でもさっぱり分からない。分からないが、口から勝手に言葉がこぼれ落ちたのだ。
「何か?」
 なかなか言い出さないビッチャムの態度に焦れたのか、パーシヴァルが問い返してくる。
 その深い色の瞳に見つめられると、それ以上言葉が出てこない。
 それでも何かを言おうと思考を巡らせたが、結局何も出ては来なかった。
「・・・・いや。なんでもない。」
 小さく首を振り返せば、彼は僅かに眉間に皺を寄せて見せる。
 綺麗な男という物は、どんな表情をしても綺麗なものだ。こんなに綺麗ならば、男だと分かっていても相手をしたくなるもの分かる気がする。
 ビッチャムがそんなことを考えているとは少しも思っていないのだろう。彼は何事もなかったように、いつもの感情を窺わせない笑みをその顔に浮かべて見せた。
「そうですか。では、失礼致します。」
 立ち去る背中を見送りながら、ビッチャムは深く息を吐き出した。
 自分の子と言っても良いくらい年の離れた男相手に、妙に緊張していたのだ。
 そんな自分に自嘲の笑みを浮かべた。
「・・・・何をやっているのだ。まったく・・・・・。」
 今度こそ本当に彼の事は頭の中から追い出そうと、手元の盆栽へと意識を向け直すビッチャムだった。












 この城に来てからビッチャムが覚えた娯楽がある。
 それは、風呂に入ること。
 カラヤには、大量の湯に浸かるという習慣は無かった。怪我をしたときや病にかかったときなどは、そう言う物に効く温泉に入りに行くことはあったが、家で湯を沸かして浸かる事は、殆ど無い。そもそも、いつでも熱い湯を沸き立たせる事が出来ると思っていなかった。
 いったいこの城の風呂というものはどんな仕掛けになっているのだろうかと常々不思議に思うのだ。
 不思議に思いながらも、ビッチャムはほぼ毎日風呂に入りに来ていた。
 大体は昼間、ヒューゴが他の人間と共に行動しているときに。夜は眠るヒューゴとルシアの身辺を固めているので、真夜中に風呂に来るなどと言うことは、考えても居なかった。
 しかしこの日。ビッチャムは深夜の風呂場に足を向けていた。ヒューゴとルシアが揃って遠征に出かけていたからだ。
 少しは羽を伸ばしたらどうだというルースの言葉に後押しされるように、ビッチャムは風呂場に足を踏み入れた。
 この城で一番気に入っている場所なのだ。ここは。羽を伸ばす場所と言ったら、ここしか思い浮かばなかった。
 僅かに笑みを浮かべながら風呂場へ足を踏み入れると、脱衣所には一人分の衣服が置かれていた。
「・・・・こんな時間にも、誰か来るのだな・・・・。」
 自分みたいな物好きが他にもいるらしい。
 その事を少し嬉しく思いながら、衣服を脱ぎ捨てたビッチャムは浴場へと足を踏み入れた。
「・・・おや?」
 そこにあるべき人影が見えず、ビッチャムは微かに首を傾げる。
 服を着ないで部屋に戻る馬鹿者が居るのだろうか。
 いくら夜中だとは言え、それはどうだろう。人として。
「・・・・こんなことでは、ヒューゴに良い影響を与えないな・・・・・。」
 ムッと顔を歪めながら、洗い場に置いてあるイスへと腰をかける。
 カラヤの村では信じられない位大量にあふれ出ているお湯を頭からかぶり、持参してきたタオルに石けんをこすりつけてから身体をゴシゴシと洗う。
 湯に浸かっていないと言うのに、浴槽から立ち上る蒸気によって身体は徐々に暖まり始めた。
「・・・・うむ。やはり良いな・・・・・。」
 厳つい顔を綻ばせながら、石けんを洗い流すために再び湯を被る。
 身体に泡が残っていない事を確認したビッチャムは、気分良く浴槽へと顔を向けた。
「・・・うわっっ!!」
 そこに人の顔を発見したビッチャムは、思わずその場に飛び上がって驚いた。
「なっ・・・・!貴様っ!いつのまにっ!!!」
 攻撃態勢に入りながらそう怒鳴りつけると、浴槽の縁に顔を乗せ、こちらを窺うように見つめていた者が心外そうに眉を寄せて見せた。
「・・・・最初から居ましたよ。後から来たのは、アナタの方です。脱衣所に衣服があったでしょう?私の存在に気が付かなかったアナタの落ち度です。攻められるいわれはありませんよ。」
「・・・・確かに・・・・・。」
 冷静に考えたらその通りだ。
 頷き返したその態度に満足したのか、首の主は小さく笑みを浮かべて見せた。
「わかって頂ければ、良いんです。」
 それだけ言うと、浴槽の縁に首を乗せたまま、静かに目蓋を閉じてみせる。
 長めの灰色がかった深い緑の髪は水に濡れ、額や首筋に張り付いている。それがまた、彼の首の細さを、造作の繊細さを際だたせている様で、ビッチャムの胸は少し騒いだ。
 あまりにも綺麗に整った顔に一瞬女かと思ったのだ。しかし、先ほど聞いた低い声は紛れもなく男のものだった。
 男でも顔の綺麗な者はいるのだな、と妙な関心をしながらビッチャムも湯に身体を沈めていく。
 肩まで湯に浸かり、顔にザブザブと湯をかける。
「・・・・・・ふぅ・・・・。」
 心が洗われるというのは、こういう事なのかも知れない。身体の奥にたまっている疲れが洗い流されていく感じがする。
 いつも、多くの者がこの風呂に入っていて足を伸ばすのもはばかられたが、今は自分ともう一人しか居ない。
 思う存分身体を伸ばしてリラックスしたビッチャムは、ふと共に湯に浸かっている男のことを思い出した。
 チラリと視線を向ければ、白い背中が見える。
 湯の下にある身体は自分の物と比べれば大分細いが、しっかりと筋肉の付いたバランスの良い物だ。顔立ちから言って、鉄頭の仲間だろうとは思う。いつも重苦しい鎧を身に纏っているから気が付かなかったが、これだけ身体を鍛えているのならば、鉄頭達の力が侮れないものだと言うことに納得がいく。
 こんな、女みたいな顔をしている者でもこうなのだから。
「・・・・・・あんまり見つめないで頂けますか?」
 不意にかけられた声に、ビッチャムは僅かに動揺をする。やましいことなど何も無いはずなのに、ばつの悪さを感じるのは何故なのだろうか。
「・・・すまん。」
「謝って頂かなくても良いんですけどね・・・・・。そんなに、私に興味があるんですか?」
 クスクスと笑いを零しながら振り返った男の言葉に、思わずその顔を凝視する。
「・・・・どういう意味だ?」
「そのままの意味ですよ。最近ずっと私の事を気になさっている様ですから。騎士団に文句があるわけでは無いのなら、私自身に興味があるのだと考えるのが、妥当でしょう?」
 水に濡れた前髪を掻き上げながらそう答える男の顔を凝視して、ようやく気が付いた。
「・・・・・パーシヴァル殿か・・・・?」
 その問いかけに、男は驚いたように瞳を見開き、そしてすぐに苦笑を返してきた。
「気が付いていらっしゃらなかったのですか。」
「うむ・・・・・。いつもと少し、印象が違うのでな・・・・。すまん。」
「謝ることでは無いですよ。良く言われますから。髪を下ろすと別人だと。・・・・そんなに違いますかね。」
 不思議そうに首を捻るその姿は、鎧を纏っていないせいなのか、髪を下ろしているせいなのか、いつもよりも愛らしく感じる。
 男相手に何を考えているのだと内心で自分に突っ込みを入れつつ、彼の言葉に頷きを返した。
「うむ。まったく違うな。髪を下ろしていた方が、幼く見えるぞ。」
「・・・・そうですか?」
 その言葉が余程意外だったのか、パーシヴァルはその綺麗な顔に驚きを表してみせる。
 先日語った時のような闇が瞳に宿っていない。仕事を抜け出したところで話をしているせいだろうか。
「・・・・・貴殿は、仕事が嫌いなのか?」
 思わず言葉が零れ出た。
 その問いかけに、パーシヴァルはあっさりとした口調で返してくる。
「嫌いだったら、とっくのとうに辞めてますよ。何故そんなことを?」
 ニコリと笑いながら首を傾げてくるその瞳には、先ほど無かった闇が浮かび始めていた。
 やはり、仕事に対する何かがあるらしい。
 少し気になったが、自分には関係のないことだ。鉄頭の事情など。今の戦いで勝利する事さえ出来れば、関係ない。
 どこか自分に言い聞かせるようにしながら、心の中でそう呟く。
「・・・・・いや、別に何も。」
「何も無いって感じでは無いと思うのですがね。」
 ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべる男の態度に、ムッと顔を歪ませた。
 年中しかめっ面をしているのでその変化は僅かであったが、パーシヴァルには分かったらしい。より一層笑みを深くする。
 まるで子供を相手にしているようなその反応に、不快な気分になる。どうにかして彼を動揺させてやりたくて、言葉を模索する。そして、ふと浮かび上がった言葉を何も考えずに口に出してみた。
「おぬしは、女よりも男の方が好きなのか?」
「・・・・・また随分と唐突な質問ですね。何故そんな事を聞くのですか?」
 僅かに目を見張るだけの反応を返したパーシヴァルは、軽く腕を組み、右手で自分の顎を支えながら小さく首を傾げてくる。
 何故そんなことを聞かれるのか分からないといった様子で。
 大したポーカーフェイスだと感心する。自分のように、ずっと仏頂面している分けでもないのに、己の感情を読み取らせないとは。
「・・・・聞いたのだ。おぬしの部屋から聞こえる、睦言をな。」
「・・・・・・ああ、なるほど。」
 納得したように頷いた彼は、ビッチャムの顔にジッと視線を向けると、小さく笑みを浮かべてみせた。
「それで、何を仰りたいんですか?」
「何・・・・、と言う物は無い。ただ、確認したかっただけだ。」
「・・・・・ふぅん・・・・。」
 こちらの様子を探るような視線に、ビッチャムの心臓は大きく脈打った。
 誘いかけているような、艶っぽい輝きがその瞳に宿っていると思うのは、気のせいだろうか。
 のばしかけた己の手を理性でなんとか押しとどめ、注がれる視線に己の視線を絡みつかせる。
 ここで視線を外したら負けだ。何となく、そう思う。
 それが功を奏したのか、パーシヴァルが不意に視線から力を無くした。
 別人かと思うくらいにその瞳に浮かんでいた艶っぽさが消え失せている。
「別に男の方が好きって事は無いんですけどね。女性を相手にすると、色々気を使ってしまうんで。」
「男とつき合う方が、楽だと?」
「ええ。」
 サラリと言ってのけた言葉は本音なのだろうか。
 つき合いなど無いに等しい自分には判断する事が出来ない。
 己を旨く隠している、この男のことは。
「・・・・・そんなものなのか?」
「そんなものです。何だったら、試してみますか?」
 その綺麗な顔にうっすらと笑みを浮かべながら、パーシヴァルが身体を近づけてくる。
 白く、細い腕が己の胸に伸ばされるのを人ごとのような気分で眺めていた。鍛え上げた胸筋を細い指が辿り、首筋、頬へと滑っていく。
 額から左目の下まで走った古傷を撫でた指先は唇へと流れ、その輪郭を確かめるように動かされた。
 その動きの一つ一つから目を離すことが出来ない。
 ビッチャムは促されるように動き出そうとする腕を理性で止め、ただただ目の前の男の動きを見つめ続けた。
「・・・・もう少し、何か反応してくれないと面白く無いんですけどね。」
「それは、すまんな。」
 クスクスと笑いを零すパーシヴァルに、謝罪の言葉を口にした。
 どう反応して良いものか、悩んでいたのだ。ここで誘いに乗っても良いものかどうか。何かを試しているような彼の動きに、次の動作を決めかねた。
「男に興味は無いですか?」
「正直に言えば、無いな。」
「それは良いことですね。」
 頷き返す彼の言葉に、思わずジッと顔を見つめる。
 どうにもこうにも、掴みにくい。この男は。
「自分から誘っておいて、そんなことを言うのか?」
「それが自然の摂理でしょう?皆が皆、同性にしか興味が無かったら国が滅びますからね。とくに、こんなご時世だと、生まれる数より死ぬ数の方が増える。男も女も、子孫を増やす行為をドンドンするべきだと、私は思いますよ。」
「・・・・そう言う自分が男と抱き合っててどうするんだ。」
「それは言わない約束です。」
 ニッと笑ったパーシヴァルの顔はいたずら小僧の様で、なんとなく憎めなかった。
 いつも人を食ったような笑みを浮かべているが、こんな顔の方が彼には似合う。たいしたつき合いも無いのに、そんなことを考えた。
「ヒューゴには、変な知識を与えないでくれ。」
「善処しますよ。」
 そう返したパーシヴァルは、おもむろにその場に立ち上がった。
 湯の下に隠れていた、均整の取れた綺麗な身体が露わになる。
 スラリとした長身に、細く長い手足。引き締まった腹筋と、張りのある胸筋。鎧の下にあるときには見えないその身体に、思わず視線が引き寄せられた。
「なんでそう、私のことをみつめるんですか。あなたは。」
 イヤそうな。だけどどことなく照れを含んだような響きのする言葉に、ビッチャムはニヤリと笑みを返す。
「綺麗なモノは、思わず目で追いたくなるものだろう?」
「そんなものですかねぇ・・・・。」
 苦笑を浮かべた彼は、何を思ったのか上半身をビッチャムの方へと倒して来た。
 綺麗な顔が目の前に現れる。
 アップで見ても綺麗なモノは綺麗なのだなと、妙な感心をしていたビッチャムの唇に、生暖かいモノが触れ合わさった。
 それがパーシヴァルの唇だと分かるまで、しばらくの時間を要する程思いがけない行動に、ビッチャムはただただ瞳を見開くばかりだった。
 奪うような口づけはただふれ合うだけのモノで、艶っぽい雰囲気など微塵もない。どちらかというと、親子の間で交わされるような、そんなイメージのあるものだ。
 事の真意を問うようにジッと顔を見つめれば、なにやら嬉しそうな微笑みにぶち当たった。
「今度、一緒に飲みに行きましょう。一杯ぐらいなら、奢りますよ。」
「あ・・・・・、ああ。良いだろう。」
 呆気に取られながらも頷き返したビッチャムに再度微笑みかけたパーシヴァルは、流れるような動作で浴場から歩き去ってしまった。
 彼の気配が脱衣所から無くなるまで息を詰めていたビッチャムは、完全な沈黙が辺りに立ちこめた事を確認してからようやく息を吐き出した。
「なんなんだ・・・・。まったく・・・・・。」
 本当にわけのわからない男だ。先の行動が読めやしない。とは言え、一つだけ分かったことがある。
 それは、彼が自分の対応を不快だと思っていなかったと言うこと。
「・・・・あれで、良かったという事か・・・・・?」
 向けられた笑顔を思い出し、なんとなく頬に熱が上ってきた感じがした。それを誤魔化すように湯を顔にかけ、深いため息を零す。
 正直、あの手を取りたい誘惑はあった。男同士の交わりに興味があったわけではない。彼の瞳に吸い込まれそうになったのだ。
 それを振り切れたのは、年を取っているからなのか。
 自分が彼と同年代だったら、間違いなく誘いに乗っていたと思うから。
「・・・・何にしろ、興味深い男だな・・・・・。」
 彼の言う通り、今度飲みに出かけてみるか。
 あの男のことを、もう少し知りたいから。
 湯に浸かったせいだけではない身体の火照りを感じつつ、ビッチャムは身体を湯船へと沈めていった。 
















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