「・・・・・・・・・・は?なんだって?」
「だから、勉強会するんすよ。赤点を取らないために。」
 試験一週間前になって部活が無くなり、三日程顔を合わせていなかった後輩が昼休みに教室にやって来たと思ったら、そんな事を言い出した。しかも、メチャメチャ嬉しそうに。
 三井はしばし考えた。コイツは正気だろうかと。何故勉強なんぞをするためにムサイ男共が集まる事を、こんなにも喜んでいるのだろうかと。そんな事を率先してやろうとするキャラだっただろうか、彼は。
 ジッと宮城の瞳を見つめれば、その瞳には欠片も迷いが見当たらない。
「・・・・・・・・本気なのか・・・・・・・・・・・・」
「え?なんか言いました?」
「いや、なんでもない。」
 思わず零した一言に瞳を瞬かせる宮城の問いを手を挙げる事で軽く制した三井は、改めて宮城の顔をじっと見つめた。そして、先の宮城の言葉に返事をする。
「俺は遠慮しておくから、てめーらだけでやっとけよ。」
 それで話は終りだとばかりに席を立った三井の腕を、宮城がガッと掴み取ってきた。
「おい・・・・・・・・・・・・」
「悪いけど、三井サンに拒否権はないっすよ?」
「あ?てめぇ、何言ってんだ?」
 不敵な笑みで告げられた宮城の言葉に、三井は眉間に深々と皺を刻み込んだ。そして、ギロリと睨み付ける。
 妙に寒々しい空気が辺りに落ちた。三井のクラスメイト達は突然沸き起こった険悪なムードに顔を青ざめさせ、ビクビクと様子を窺っている。
 そんなギャラリーの様子に気づきもせず、宮城は不敵な笑みを浮かべたまま、言葉を続けてきた。
「この間のテストで赤点取ったあんたにゃ、拒否権はねーんだよ。一応受験生らしいし?赤点取るようなヤツにこれ以上部活をさせられないって話になって、冬の大会に出られなくなったら困るからね。」
「うっせー。あん時とは状況が違うんだよ。赤木達の手を借りなくても赤点なんか取らねーよ。余計な心配してんじゃねーっての。」
「どうだかなぁ・・・・・・・・・あんた、結構過大評価してるからねぇ。自分の事。」
「てめぇ・・・・・・・・・・・」 
 三井の声が一段と低くなり、全身から発する気配が重くなる。本気で怒っている証拠だ。
 それなりに修羅場を潜ってきた宮城にはその気配が分かるだろうに、少しも気にした様子を見せず、不敵な笑みを崩さない。逆に、三井の怒りを更に煽るように言葉をかけてきた。
「なんにしろ、あんたは参加決定だ。ダンナにもそう伝えてある。」
「なに勝手な事ほざいてんだ。さっさと訂正してこい。」
「イヤダね。」
「宮城・・・・・・・・・・」
「すごんでも駄目だぜ?殴られても取り消すつもりはねーからな。まぁ、殴るようなマネはしないだろうけど。そんな事したら、大会に出られなくなるのは確実だもんな?」
 妙に露悪的にそんな事を言ってくる宮城に、三井は訝しむように眉間に皺を寄せた。なぜそこまでして自分をその勉強合宿に引き入れようとするのだろうかと。
 確かに、部の主力選手が全員赤点を取っていたら格好悪い事この上ないが、宮城はそんな事を気にするような男ではないはずだ。勉強が出来る出来ないよりも、人間の中身が大事だと言っているような男だから。
 まぁ、それはあまり勉強が出来ない自分への言い訳なのかも知れないが。
 とにかく、宮城がそうまでして自分をその合宿に参加させようとする意味が分からず、問いかける。
「なんで、そんな・・・・・・・・・・・」
「あんたが来ないと、俺が困るんだよ。」
 三井の問いの意味を察したのだろう。言葉が終わる前に宮城が鋭い口調で言葉を発してきた。そして、一旦言葉を切った後、不敵な笑みを浮かべたまま鼻で小さく笑う。
 先の言葉を促すようにギロリと睨み付ければ、宮城はフッと視線を自分の足先に落とした。そして、小さく言葉を漏らす。
「あんたが来ないと・・・・・・・・・・・」
 言いかけた言葉をグッと飲み込んだ宮城が、俯けていた顔をガバリとあげた。
 そして、目の前に立つ三井の両腕をガシリと掴み取る。まるで、縋り付くように。
 上げられた顔はこれ以上ないくらい真剣で。だが、どこか泣きそうな表情をしていた。
 その表情のまま、宮城が口を開く。
「あんたが来ないと、アヤちゃんが来てくれないんだよぉっ!!!!!」
 涙混じりの絶叫が教室内に響き渡り、妙な静けさが落ちたのだった。












 そんなわけで、不憫な宮城に同情して勉強合宿に参加する事を決めた三井は、スポーツバッグの中に一通りの勉強道具を詰め込んで赤木の家にやってきた。
 チャイムを鳴らすと、直ぐさま晴子が出迎えてくれた。いつもよりテンションが高いが、それでもどこか残念そうにしているところから流川がまだ来ていない事が知れる。
 そんな分かりやすい晴子の様子に苦笑を浮かべながら軽い挨拶を交わした三井は、晴子に案内されながら家の中へと足を踏みいれた。
「おう、逃げずに来たか。」
「なんで逃げなきゃなんねーんだよ。」
 リビングに足を踏みいれた途端にからかい混じりの声をかけられ、三井は態とらしく顔を顰めて見せた。そんな三井の態度に意地の悪い笑みを浮かべて返してきた赤木に鼻で笑い返しながらドサリと荷物を床に置いた三井は、室内にザッと視線を走らせた。
 どうやら自分が一番手だったらしく、他の人間の姿が見えない。
 さて、どうしようかと考える。一人でさっさと勉強を初めて良いものなのか、それとも赤木相手に何か話でもするべきなのか。
 そんな事を考えてその場に立ちつくしていた三井に、晴子が明るい声をかけてきた。
「今お茶出しますから。みんなが来るまでゆっくりしてて下さい。」
「あ、悪ぃ。」
 答えをくれた晴子に軽く答えた三井は、取りあえず赤木の前の席に腰を下ろした。が、向かい合ったところで話す事も無く、しばし悩む。
 やはりここは当たり障り無く部活の話をするべきだろうか。しかし、それは晴子の口から伝えられているだろうから自分が改めて話す事でもないだろう。いや、自分の視点と晴子の視点では大きく違うところもあるから、それはそれで面白いかも知れない。とは言え、引退した身だからそんな詳しい情報を欲していないかも知れないし。
 だったらどんな話題を出せば目の前の男が食いついてくるのだろうかと考えたが、さっぱり分からない。彼と自分の間にはバスケというものしか繋がりが無かったから、彼が何を好んでいて何を嫌っているのか、いまいちどころか全然分からないのだ。
「・・・・・・・参った。」
 内心でそう呟いた三井の思いが届いたのか。それまで押し黙っていた赤木が突然話を振ってきた。
「三井、お前、受験するのか?」
「あ?」
 妙に真剣な眼差しでそう問われ、三井はキョトンと目を丸めた。
「何、俺が受験すんのはおかしいのか?」
「いや、そう言う訳じゃないんだが・・・・・・・・・・・・・」
「これでもインハイの後から真面目に勉強してんだぜ?どっかのアホ大学くらいなら推薦取らなくても学力だけで入れる位には学力が回復したんだよ。」
 あまり自慢にはならない事だが、部活に復帰した当初の事を考えればかなりの進歩を見せているから、三井は自慢げにそう言いきった。
 赤木も三井の赤点っぷりを知っているから、例えアホ大学でも入れる余地があると言う事にホッとしたのだろう。少々表情を緩め、小さく頷いた後、問いを続けてきた。
「そうか。大学でもバスケを続ける気か?」
「ああ。ソレを基準に考えて大学選ぼうと思ってよ。担任も資料集めてくれてる。」
「お前の担任は・・・・・・・・・・・杉山先生か。一年の時、あの人が数学の教科担任だったが・・・・・・・・いい人だよな。」
「ああ。俺みたいなアホやらかした生徒も見放さねーでくれてるからな。」
 その上真面目に進路相談にも乗ってくれている。未だに一部の教師の間では評判の悪い自分の相談に。進路資料からでは分かりづらいサークル状況なども、教え子達に連絡を取って調べてくれているらしい。本当に頭が下がるし、感謝してもしきれない。
 三井にとっての一番の恩師が安西であることに揺るぎはないが、担任である初老の男の事もまた、大切な師であると最近になって思い始めた三井だった。
 そんな三井の心を知って知らずか、赤木がこう続けてくる。
「そうか。じゃあ、杉山先生の恩に報いる為にも、大学に合格しないとな。」
「おう。任せておけって。」
 ニヤリと、自信に満ちた笑みを返した所で晴子からお茶が差し出され、しばらくの間三人で他愛の無い話をした。桜木のアホ話とか、晴子の流川評などを。
 そうこうしているうちに彩子が来て、宮城が来た。そして、妙に浮かれた桜木が来て、木暮がやってきた。一番最後に大層不本意そうな顔の流川がやって来た事で全員が揃い、ようやく赤木邸での勉強会が始まった。
 リビングのテーブルに流川と晴子。宮城と彩子がつき、ダイニングのテーブルに三井と木暮、桜木と赤木がつく。そして、カリカリと紙に文字を書き付ける音だけを室内に響かせた。
 その音は、たった五分で中断される事となったが。
「こんな環境で勉強出来るかーーーーーーっ!」
 と言う、桜木の絶叫の為に。
 テーブルをひっくり返す勢いで立ち上がった桜木の行動に、彼の隣で数式を無心で解いていた三井はビクリと身体を震わせた。そんな三井の目の前にいた木暮と、その木暮の隣にいた赤木も驚きのあまりに身体を震わせ、大きく目を見開いた。
 いや、赤木は驚いたと言うよりも、桜木の集中力の無さに呆気に取られている感が強いようだ。唖然とした顔で口を開いている。
 そんな赤木に向かって、桜木は尚も叫び続けた。
「ゴリの顔なんか見ながら勉強が出来っかっ!なんで俺の前に座るのが晴子さんじゃないんだっ!席替えを要求するっ!」
「・・・・・・・お前はまた、そういう下らない事を・・・・・・・・・」
 ピクリとこめかみを振るわせ、太い血管を浮き上がらせた赤木だったが、すぐに気を取り直したらしい。深々と息を吐き出した後、満面の笑顔を浮かべて椅子から立ち上がった。
 その赤木の笑顔の不気味さに、三井と木暮は腰を引き、桜木もビクリと身体を震わせた。そんな桜木に、赤木は穏やかな声で語りかけた。
「・・・・・・・・・分かった。お前の意見を取り入れて、席替えをしてやろう。」
「え?本当か?」
 パッと、桜木の顔が輝いた。そんな桜木に向かって、赤木はニッコリと微笑む。
「ああ、本当だとも。お前は・・・・・・・・・・」
 そこで一旦言葉を切った赤木は、グワッと音がしそうな勢いで眦をつり上げ、桜木の身体を自分の肩の上に担ぎ上げた。
「俺の部屋で、マンツーマンで指導してやるっ!」
「なっ・・・・・・・なんだとーーーーっ!待て、ゴリっ!止めろっ!晴子さ〜〜〜〜んっ!!」
 絶叫を上げながら暴れる桜木の巨体を力でねじ伏せ、リビングから無理矢理連れ出した赤木は、そのまま自室へと籠もってしまった。
 しばらくの間、二階からドスンバタンと争う音が聞えていたが、やがてソレもなくなり、赤木邸に久方ぶりの静寂が訪れた。それを確認してから、木暮がリビングで勉強をしていた流川を呼び寄せる。
「桜木も居なくなったし、こっちに来いよ、流川。そこじゃあ、窮屈だろ?」
「・・・・・・・・・・ウス。」
 木暮の呼びかけに一瞬考えるような間を開けた流川だったが、すぐにコクリと頷き、テーブルの上に広げていた勉強道具をまとめてこちらにやってきた。ソレに続いて、彼の指導役である晴子もダイニングにやってくる。
 流川が桜木の座っていた席に。晴子が赤木の座っていた席について勉強タイムが再開され、カリカリと紙をひっかく音が再び室内に響き渡る。
 時々、宮城が彩子に問いかけ、彩子がその問いに答える声が聞えるだけで、他の声は一切聞えてこない。それだけ集中して勉強していると言う事なのだろう。
 試験勉強と言うよりも受験勉強の意味合いが強い数学の問題集を片付け、次は英語に取りかかろうと新しい問題集を取り出した三井は、やる気は無さそうながらもそれなりに問題集を片付けていた流川の手が止っている事に気が付いた。
 居眠りしているのかと思い顔を覗き込んでみたら、目はしっかりと開いている。
「どうした?なんかわかんねー事があるのか?」
 その三井の言葉に、流川の前の席で自分の勉強をしていた晴子がビクリと肩を震わせた。そして、慌てて流川の手元を覗き込んでくる。
「え?本当?ごめんなさい。どこ?」
 急き込むように問いかけてくる晴子に視線一つ向けずに問題の一つに指先を突きつけた流川は、隣に座る三井の瞳をじっと見つめてきた。三井に向かって「この問題が分からないのだ」と言うように。
 そんな流川の態度に晴子が傷ついた顔をした事に気づいたのだろう。木暮が慌ててフォローを入れてきた。
「流川。三井に聞いても無駄だぞ?何しろ、高一からろくに授業に出ていない不良だったんだからな。一年の問題集だって分かるわけ無い。だから、ここは晴子ちゃんに・・・・・・・・・」
「ンな事ねー。」
 三井に対してかなり失礼な事をほざく木暮の言葉を遮るようにキッパリと否定した流川は、木暮の存在も無視して再び三井へと視線を向けた。さっさと教えろと言わんばかりの瞳で。
 頑なな流川の態度に、木暮の瞳には困惑の色が浮かび、晴子の瞳には嫉妬の炎が沸き上がる。宮城と彩子も手を止めて何事かと視線を向けてきている。
「なんでこんな事になったのやら・・・・・・・・・・」
 突き刺さるような晴子の視線に溜息を吐き出しながら、三井は流川が指し示している問題へと視線を向けた。
 どうやら流川がやっていたのは数学だったらしい。それならば三井にも教えられる。
 数学は元々得意だった事もあり、他の教科よりも遅れを取り戻すのが早かったから、一年の問題くらいなら今は軽く答えられる。一気に勉強したから、記憶も新しい事だし。
 とは言え、この場にいる流川以外の人間は三井に教えられるとは思って居ないのだろう。心配するような瞳で事の成り行きを見守っていた。
 その視線を痛い程感じながら、三井はゆっくりと口を開く。
「・・・・・・・・・あぁ、これはな、

最初にX=x
2+2x+2っておくんだよ。したら、X=(x+1)2 になるから、X≧1ってなるわけだ。
g(X)=ax2+2ax+bっておくと、g(X)=a(X+1)2+b−aになるだろ?
X≧1は最小値6を持つって言ってるから、X=1の時、g(1)=a+2a+b=6ってーなるんだから、3a+b=6 になるわけだ。コレを@としておく。
で、f(0)=11っつってんだから、 4a+4a+b=11で、8a+b=11になる。コレをAにしておいて、
A−@で、5a=5 で、a=1 これと@からb=3になるわけだ。
で、最小値6を与えるXは1だから、
X=x2+2x+2=1になる。
ってことは、x2+2x+1=(x+1 )2=0 だから、その時のxは−1になる。
f(−1)=6ってわけだ。
a=1とb=3を元のf(x)に代入して、
f(x)=(x2+2x+2)2+2(x2+2x+2)+3
で、答えがf(1)=52+2×5+3=38

ってわけだ。分かったか?」

 ザッと説明して流川の顔を覗き込めば、無表情の彼の顔が微妙に固まっていた。どうやら良く分っていないらしい。しかし、流川はコクリと頷いた。
「ウス。アリガトウゴザイマシタ。」
 微妙に棒読みなその謝意の言葉に、本当に感謝しているのか怪しいところだったが、取りあえず素直に受け取っておく事にした。そして、ペコリと下げられた流川の頭を軽く叩いてやる。
「どういたしまして。分かったんなら、下の問題も解いてみろよ。同じ要領で解けるから。」
「ウス。」
 コクリと頷いた流川は、素直に指示された問題に取りかかった。時々考え込むように手を止めながらも、自分の力で問題を解いていく。
 そんな流川の手元を見守っていた三井は、彼が答えを書き込んだ所でクセのない真っ直ぐな黒髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜてやった。
「よしよし。分かったみたいだな。数学なんてもんはパターンが決まってんだ。それを覚えとけば問題は解けるから、教科書に載ってるような例題のパターンをちゃんと覚えておけよ?」
「ウス。」
 素直に首肯して見せた流川の態度に満足し、自分の勉強に戻ろうとした三井だったが、自分に突き刺さる視線に気づいてビクリと肩を震わせた。
「・・・・・・な、なんだよ?」
 三井の問いに、皆は罰が悪そうに視線を反らしてきた。
 そんな中、宮城だけが一応答えを返してくる。
「いや・・・・・・・・・・・なんでもないッす。三井サンの珍しい先輩っぷりに驚いただけっすから。」
「・・・・・・・てめぇ。さり気なく失礼な事言ってんじゃねーぞ、この。」
 失礼極まりない事を口にする宮城をギロリと睨みつけ、その後に罵詈雑言を続けようとしたが、今はそんな時間をかけていられない事に気付き、開きかけた口を噤んだ。そして、ヒラリと手を振る。自分に絡まる視線を振り払うように。
「まぁ、いいや。お前は人の事なんか気にしてねーで、自分の勉強をやれよな。彩子に教えて貰ったくせに赤点なんぞを取ったら、二度と一緒に勉強して貰えなくなるぜ?少なくても、俺はそんな教え甲斐の無い奴の相手は二度としたくねーからな。」
「うるせぇっ!今回は赤点なんかとらねーよっ!」
「どうだかねぇ〜〜〜」
「くうっ!見てろよ、ちくしょうっ!テストが返ってきたら、この合宿の成果を見せつけてやるからなっ!」
「ハイハイ。楽しみにしてるぜ〜〜〜」
 叫ぶ宮城を軽くあしらいながら問題集へと視線を落とした三井は、隣から向けられる視線に気づいて顔を上げた。
「・・・・・・・・なんだ、流川。まだわかんねー問題があるのか?」
 視線の主に問いかけると、彼は迷うように視線を宙に飛ばした。だが結局口にするのは止めたらしい。小さく首を振り返してきた。
「・・・・・・・いえ、なんでもねーっす。」
「そうか?なら、お前も集中して問題解けよ。」
「ウス。」
 その一言を合図にするように、再び室内に乾いた音が響き始めた。勉強タイムは始まったばかりなのだ。まだまだ先が長い。
 バスケの試合に使う集中力をここで見せ、湘北高校バスケ部部員たちは一心不乱に問題を解いていったのだった。










 食事をするときと集中力が切れたときに気張らしする程度の中断をしただけで、他の時間は黙々とテスト勉強を続けたバスケ部赤点集団だったが、日付を越えてしばらくたった頃、明日に備えて睡眠を取ろうという事になり、全員がペンを置いた。
 前回は一晩だけの勉強合宿だったからそこら辺にごろ寝していたが、今回は翌日の夜まで持ち越す事になっているため、寝る場所に客間を二つ提供してもらった。宮城はともかくとして、ガタイのデカイ男を一部屋に押し込めるのは可哀想だと赤木の母が主張したために。
 その二つの客間に桜木と宮城。流川と三井で別れ、木暮と彩子は赤木兄妹の部屋に布団を引く事になった。
「ゴメンナサイね。お布団の数が足らなくて。上掛けも薄いし、夜に寒くなるかも・・・・・・・・」
「あ、いえ。全然問題ないです。すいません、お手数をおかけして・・・・・・・・・」
 家中の布団をかき集めても微妙に数が足り無い布団に申し訳なさそうに謝る赤木母に、三井は恐縮しながら頭を下げた。場所を提供してもらい、育ち盛りの男共にたらふく食わせて貰った上にそんな事にまで気をまわされて、申し訳ない事この上なくなって。
 そんなやり取りを交わして赤木母が立ち去った後、引かれた布団の上に座り込んで三井と赤木母のやり取りを見つめていた流川がボソリと言葉を漏らしてきた。
「別に、布団一つでも良かった。」
「アホか。寒い事言うな。」
 真顔というか、無表情というか。とても冗談を言っているとは思えない口調と表情でそうのたまった流川の言葉に速攻で突っ込みを入れた三井は、流川が座り込んでいる布団の隣に引かれたもう一つの布団の中へと潜り込み、さっさと目を閉じた。
 いつもはもう少し遅くまで起きているが、やる事がない他人の家でダラダラと起きているのも暇なので、さっさと寝ようと思ったのだ。
 話し好きの宮城が同じ部屋だったらもう少し起きていようと思ったかも知れないが、ここにいるのは流川だ。はっきり言って、話相手になるとは思えない。むしろ、先にさっさと寝てしまうだろう。そう思ったからの選択でもある。
「俺はもう寝るから、さっさと電気消せよ。」
 言いながら頭の先まで布団の中に潜り込んだ三井だったが、その布団は直ぐさま身体から引きはがされてしまった。
「・・・・・・・・おい。」
 抗議の声を上げる三井に、流川はなんの言葉も返して来なかった。変わりに、寝転がっている三井の身体に覆い被さるようにして己の身体を倒し、その端整な顔を三井の顔へと、接近させてくる。
「・・・・・・・おい。バスケ馬鹿。状況考えてから盛れよ。」
「考えてる。」
「・・・・・・・・・ほぅ。どう考えたんだ?」
 からかうように片眉を引き上げてみせれば、流川は真剣な眼差しで答えを返してきた。
「布団がある。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・アホだろ、お前。」
 本気で呆れ、脱力しきった三井の隙を付いて流川が口づけを落としてくる。
 まぁ、それくらいなら良いかと大人しくされるがままになっていた三井だったが、流川の手がTシャツの裾から侵入し、素肌をまさぐり始めた所で眉間に深い皺を刻み込んだ。
「・・・・・・おい、流川。」
「もう教えて貰えないっすか?」
「あ?」
 不機嫌丸出しの声を遮るように発せられた問いに、沸き上がった怒りを忘れてキョトンと流川の顔を見上げる。彼が何を言いたいのか、全然分からなくて。
「なんの事だ?」
「勉強。」
 問えば、単語が一つ放られる。流川との会話はいつもこんな感じだから今更言葉が極端に少ない事に腹を立てたりはしないが、前後の繋がりがない時は彼の言いたい事が掴めなくて少々会話が長引いてしまうのがまだるっこしいと思う。
 三井はそう気が長い方ではないから、時々切れそうになる。それでも、根気よく聞き返してやる三井だった。
「勉強がどうしたって?」
「成績悪かったら、教えてくれねーの?」
「・・・・・・・・・あぁ。」
 ようやく話が繋がった。三井は小さく頷いた後、クスリと笑みを零した。どうやら昼間の宮城との会話の事らしい。あんな会話を今まで覚えていたとは。別に深く考えて発した言葉ではないというのに。
 流川の漆黒の瞳を見つめれば、彼は答えを求めるように真剣な眼差しを向けてくる。そんな流川の態度が妙に可愛く思え、三井は目の前にある男の頭を軽く叩いてやった。
「そうだな。努力の跡も見えないくらい馬鹿な点を取ったら、二度と教えねぇな。」
「努力の跡?」
「ああ。問題を解こうとした意気込みってヤツ。分からなくても記憶を探ってなんか書いておきゃ、もしかしたら当たってるかも知れないだろ?ソウイウ努力をしねーで最初から諦めるようなヤツには、二度と教えねーよ。教えるだけ時間の無駄だからな。」
「じゃあ、点数悪くても何か書いておけばまた教えてくれる?」
「桜木みたいな完全なでたらめは却下だけどな。」
「・・・・・・・・あんな馬鹿はやらねー。」
 苦々しい顔でそう吐き捨てた流川だったが、すぐに気を取り直したらしい。中断していた作業を再開させてきた。そんな流川の行動に呆れつつ、三井は彼の額をベシベシと叩いてやる。
「だから、流川。それ以上は止めろって言ってんだよっ!」
 最初は優しく諭してやろうと思ったのだが、その程度の事で流川が引くわけがないだろうと思い直し、三井は拘束されて居なかった右足を持ち上げ、流川の腹目がけて思い切りひざを突き入れた。
 さすがの流川もその攻撃は効いたらしい。身体をよろけさせた。拘束が緩んだ隙に身体の下から抜け出した三井は、流川が再度襲いかかってくる前に身体を起こし、壁際に逃げ込んだ。そして、ギロリと睨み付ける。
「お前、どっかおかしいんじゃ無いのか?普通他人の家でやろうなんておもわねーだろ。」
 常識的な三井の言葉を、流川は鼻先で笑い飛ばしてきた。
「人は人、自分は自分。」
「お前なぁ・・・・・・・・」
 聞きようによっては良い言葉かも知れないが、ここで使うのはゴーイングマイウェイ過ぎるだろう。
 なんとしてもこの自己中男に一般常識を理解させたかったが、それは目の前の男に数式を覚えさせる事よりも難しそうだ。
 現に、一瞬の隙を付いて腕を取られて力任せに引っ張られ、身長の割にはウエイトが足りない身体を布団の上に押し倒され、自分よりも長身で自分よりもガッチリした体型の男に馬乗りされている。
 馬乗りになっているだけならまだしも、流川の手は確実な意思を持って三井の肌をまさぐっていた。
「ちょっ・・・・・・・・・・待て!マジに止めろって、流川っ!」
「止めねー。こんなチャンス、滅多にねー。」
「チャンスじゃねーってのっ!どういう思考回路を持ったらそんな風に考えられるんだ、バカヤロウっ」
 夜中なので本気で騒ぐ事も出来ず、三井は小声で抗議の言葉を捲し立てた。が、流川に聞き入れるつもりは毛程も無いらしい。
 このままでは犯される。憎たらしいが、腕力も体力も流川には負けるのだ。勝てるのは口数の多さと頭の回転の速度くらいだと本気で思うので、力技で切り抜けるのは難しい。ならば、勝てる部門で勝ち逃げせねばと、三井は考えた。
「・・・・・・・・流川。」
 先程までとはテンションの違う三井の声に、流川の動きがピタリと止った。そして、先を促すように見つめ返してくる。その真っ黒い瞳を見つめながら、三井は真面目な声で一つ、提案をした。
「お前が今度のテストで平均70点以上取ったら好きなだけやらせてやる。だから今は止めろ。」
「・・・・・・・・・好きなだけ?」
 ピクリと流川の眉尻が跳ね上がる。どうやらその提案に心引かれたらしい。三井はニコリと、笑いかけた。
「ああ。好きなだけ、お前がやりたいようにやらせてやるぜ?だから、その時のために今は体力を温存しておけ。な?」
 言い聞かせるように優しく語りかけ、窺うように軽く首を傾げて見せた。流川は一点を見つめたまま動きを止め、考え込んでいる。どちらが美味しい選択か悩んでいるのだろう。
 どれだけ沈黙が続いただろうか。違う世界を見つめていた流川の瞳が現実に戻ってきた。答えを出したのだろう。明確な意思を持った瞳が三井の瞳へと向けられた。そして、コクリと頷く。
「ウス。」
 何が「ウス。」なんだと突っ込みを入れたくなったが、自分の希望が通った様なので止めておく。変に突いて気を変えられたら困るから。
「分かってくれたか。んじゃ、もう寝るぞ。明日・・・・・・ってーか、今日は早く起こされるみてーだからな。」
「ウス。」
 素直に頷いた流川がようやく部屋の電気を消した。その事にホッと息を吐いた三井は、流川に引っぺがされた毛布を引き寄せて身体にかけ、ゴロリと横になって目を閉じた。横に並んだ流川に背中を向けるようにして。
 と、突然その身体の上にもう一枚毛布を掛けられ、驚きに目を見開いた。
「おい、流川・・・・・・・・」
「一緒に寝る。そっち詰めて。」
「・・・・・・・・・あのなぁ・・・・・・・・・・・」
 そうデカイ布団でもないのに標準よりもデカイ男が二人で寝たら狭いだろう、と文句の言葉を吐きかけたが、吐く前に体温の高い流川の身体が背中に張り付き、三井の腰に腕を回してきた。そして、絶対に三井の身体を放しはしないと言うように、その腕にグッと力を込められる。
 その腕の強さにチラリと背後を窺うと、流川は既に心地よさそうに寝息を立てていた。
「早すぎだっつーの。」
 苦笑しながらそう呟いた三井は、流川の身体を引きはがす事を諦めて小さく息を吐き、ゆっくりと目を閉じた。このまま寝てしまおうと思って。だがすぐに思い直して瞳を開け、ガッチリと己の腰に絡みつく腕に苦労しながら身体を反転させた。そして、心地よさそうに眠り込む流川の顔を見つめる。
 目を閉じ、深い呼吸を繰り返すその顔は、普段よりも幼く見える。鋭さが一切なくなっているからだろうか。
「ま、実際お子様だからな。」
 クスリと小さく笑いを零した三井は、ゆっくりと流川の唇に口づけを落とした。
 触れるだけの軽い口づけを。
 そして、彼の耳元にそっと言葉を落とした。
「嘘じゃねーから、頑張れよ。」
 優しく、柔らかい。だけどどこか誘うような甘い響きを持つ声でそう告げた三井は、流川の首筋に己の顔を寄せ、彼の身体に腕を回した。
「このまま寝たら、絶対朝痺れて動けねーよな・・・・・・・・・・・・」
 自分の行動に苦笑を漏らしつつ、そっと瞳を閉じた。自分を抱く腕に力が入ったのを感じ、ほんの少しだけ口元を緩ませながら。





















「流川に勉強を教える三井(流三)」

教えさせるシーンが書きやすそうな数学を選択してみましたが、数学もかなり危うい感じでした。
駄目だ、こりゃ。高校時代にもっとちゃんと勉強しておくべきでした。
まさかこんなことをやり始めるとは露程も思っておりませんでしたからな・・・・微笑。
果たして流川が平均70点以上取れたのか。
大層気になる所ではありますが、そこら辺はお好きに妄想して下さいませ。


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