いつもの事ではあるが、やたら陽気に父親が帰ってきた。
「メルヴィル!今日は大勝ちしたから、晩飯はご馳走にするぞ!!」
 そう言いながらガハガハと品無く笑うのも、いつもの事だ。
 だが、ある一点だけ、いつもと違っていた。
「・・・・・・・・・父さん。その人誰?」
 父親の手に引かれる形で自分の家にやってきた青年に視線を向けながら、メルヴィルはそう問いかけた。
 そのメルヴィルの言葉に、青年が何かを言いたげに口を開きかけたが、諦めたように深々と溜息を吐き出し、結局は何も口にしてこなかった。
 変わりに、メルヴィルの父であるビリーがとても嬉しそうに言葉を返してくる。
「今日の賭の相手だ。なかなかの美人だったから、連れてきたぞ。」
「・・・・・・・・どんな理由ですか。」
 呆れたような声でそう呟きを漏らした青年だったが、だからといって抵抗する気は無いようだ。
 この父に何を言っても無駄だと気付いたのかも知れない。
 父は良い意味でも悪い意味でも、マイペースなのだ。
「さて、メルヴィル。今夜は美人を肴にディナーと洒落込むぞ。」
「そんな事言っても、ろくな食料がないよ?大体、父さんにお客様に出すような料理が作れるの?」
「お前が作れ。」
「・・・・・・・・・僕のレパートリー。知ってるでしょ?」
 自慢じゃないが、同じ年頃の子供達よりも包丁の扱いは慣れている。慣れてはいるが、そう凝ったものを作れるわけではない。せいぜい、普通に切って煮たり焼いたり炒めたりだ。
 そんな子供の作った料理を、初対面の人間に食べさせるのは気が咎める。
 見たところ、人当たりが良さそうだからどんな料理を出してもいちゃもんを付ける事はないと思うが、そんな未完成に等しい料理を人に出すのは、メルヴィルのプライドが許さない。
 そう胸の内で呟く息子の思いなど、父は少しも理解してくれなかったようだ。
「大丈夫だ。どんな不味くても子供のやった事だって、笑って済ませる。それに、この美人が居ればどんな不味い料理でも美味くなるってなもんだ!」
 そう言ってガハガハと笑い出した父に、メルヴィルは深々と溜息を吐く。
「・・・・・・・・・・・父さん・・・・・・・・・・・・」
 決して嫌いではないが。いや、むしろかなり好いているのだが、時々無性に腹が立つ。そして、「本当にこの人は自分の父親なのだろうか。」と思ってしまうメルヴィルだった。
 息子がそんな疑惑を抱いている事などつゆ知らず、父は妙にはしゃいでいる。多分、この見目の良い青年のせいだろう。
 確かに、そんじょそこらにそうそう居ないであろう程その造作は整っている。今は妙に疲れた表情をしているが、笑えばさぞ綺麗なんだろうなぁと、胸の内で呟く。
 とは言え、いくら綺麗でも相手は男だ。そこまで上機嫌にならなくても良いのでは無いだろうか。
 そんな思いを込めてジッと父に視線を向けたが、気付いた様子は無い。
 こんなに鈍感で、良く世界中を旅していられるなぁと、内心で呟いたとき、それまで事のなりゆきを見守っていた青年が、深々と息を吐き出してきた。
「・・・・・・・・・・夕食は私が作りますよ。」
「え??」
「なに?!」
 言われた言葉はまったく持って予想していなかったため、思わず親子揃って青年の顔を見つめてしまった。
 父と子の四つの瞳を向けられた青年は、その勢いに驚いたのか、軽く目を見張っている。だが、すぐにその顔には苦笑が沸き上がってきた。
「材料はあるのでしょう?でしたら、私が何か作りますよ。」
「でも、お客さんにそんな・・・・・・・・・・・」
「気にしないで下さい。料理は趣味のようなモノですから。台所をお借りしても宜しいですか?」
「え?あ、はい。・・・・・・・・こっちです・・・・・・・・・・・・」
 なんでこんな展開になったのか分からないが、メルヴィルは青年を台所へと誘った。わざわざ教えなくても狭い家なのですぐに分かると思ったのだが、念のため。
 台所に入った青年は、そこにある器具や調味料。買い置いてある野菜などをチェックし、何かを考え込むように空を見つめていた。
「・・・・・・・良し。」
 どうやら献立が決まったらしい。小さく頷いた青年は、様子を窺っていたメルヴィルへと視線を向け、ニコリと微笑みかけてきた。
「心配しなくても大丈夫ですよ。人様の台所を荒らす様な事はしませんから。」
「え?いえ、そんな事は・・・・・・・・・・・・」
「向こうでお父さんとゆっくり話しでもしていて下さい。すぐに作りますから。」
 綺麗な顔で微笑みかけられたら、何故か逆らう気になれない。言われた言葉に小さく頷いたメルヴィルは、すごすごと台所を後にした。
 それでも何か未練の様なモノを感じてチラリと台所に視線を向けてみると、さして広くもない台所に自分と父以外の人間が立っている様が瞳に映る。
 それが、何となくくすぐったい。
 こんな風景を、久しく見ていなかったから。
 台所の中で立ち働くその背を見つめながら、メルヴィルは居なくなった母親の事を、ボンヤリと思い浮かべていた。















「・・・・・・・・美味しい。」
「ありがとうございます。そう言って頂けると、作った甲斐があったというものです。」
 思わず口から上った感嘆の声に、青年はニコリと微笑み返してきた。
「うむ。確かに。こんなに美味い飯を食ったのは久し振りだな、メルヴィル。」
「うん。」
「大げさですね。なんの変哲もない料理ばかりじゃ無いですか。」
 苦笑を浮かべながらそう返してきた青年の言葉は、確かにそうだ。今テーブルの上に並んでいる料理の中には、レストランに並んでいる様な気取ったメニューなど一つもないのだ。家にあった材料が大した物ではなかったから、それはそうだろうが。
 だが、それらの材料を駆使して作られた料理は、素材の味が生きた素晴らしいモノだった。レストランで食べる物よりも、彼に作って貰ったこの料理の方が美味しいと思うくらいに。
「・・・・・・・・・・もしかして、貴方は料理人なんですか?」
 そうだ、きっとそうに違いない。確信を持って問いかけたメルヴィルの言葉に、青年は僅かに表情を強ばらせた。
 しかし、それは一瞬のこと。すぐに柔和な笑みを浮かべ直す。
「いえ、違いますよ。でもまぁ、そんなに褒めて頂けるなら、廃業した暁には食堂でも開きましょうかね。」
「うむ。この味なら十分に金を取れると思うぜ?」
 大仰に頷いた父は、自分の目の前にあるスープの皿を両手でガシッと掴み、スプーンを使わずに皿の端に直接口を付けて一気に飲み干した。
 我が父ながらなんて行儀の悪い事を。呆れと言うか恥ずかしさというか、そんな複雑な思いを胸に抱きながらズズズっと音をたてながらスープを飲み干す父の姿を見つめていたメルヴィルの目の前で、スープで濡れた唇をグイッと手の甲で拭い去った父が、青年の手を取り、その顔を覗き込むようにテーブルの上に身を乗り出した。
 そして、熱っぽい声で一言発する。
「結婚してくれ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・何を言っているんですか。」
 突飛な発言に、それまでニコニコと微笑んでいた青年の瞳がスッと細くなった。
 それはそうだろう。こんな生活力のなさそうな男に突然プロポーズされても嬉しくも何ともない。そもそも彼等は男同士なのだ。結婚など出来るわけがない。
 我が父ながら何をアホな事をと頭を抱えるメルヴィルの横で、父はさらに熱く語りかけている。
「確かに俺は生活力も無い。その上年中フラフラしている。しかし、今この胸に沸き上がった思いだけは揺るぎ無いものだと言えるぞ。」
「なんですか、その思いというのは。」
「お前なら、メルヴィルの母親にピッタリだっ!!!!」
「・・・・・・・・・父さん・・・・・・・・・・・・」
 男の人を捕まえて母親というのはなんなのだ。まったくもってわけが分からない。
 自然と視線は非難がましい物になる。その瞳に気付いたのだろう。父が驚いたような顔で見つめ返してきた。
「なんだ、メルヴィル。お前はこの人が母親になる事に不満があるのか?」
「不満って言うか、それはちょっと、あまりにも無茶な要求じゃ・・・・・・・・・・」
「何が無茶なものか!」
「だって、この人男の人じゃないか。無茶だよ、それは。」
「何を言っているんだ。男同士で出来ないのは、子供を産む位のこ・・・・・・・・・・・・・・・・!!!!」
 父は最後まで言葉を紡ぐ事無く、椅子から転げ落ちた。
「と・・・・・・・・・・父さん!!」
 慌てて転がった父に駆け寄ると、父はこめかみから大量の血を流しながら白目を剥いて床に転がっていた。
 何が起ったのか分からず、メルヴィルは慌てて当たりを見回した。その視界に、先程父が飲み干したスープの皿が転がっているのが飛び込んできた。良く見ると、その皿の一角に赤い液体が付着している。
 まさかと思いながらも恐る恐る顔を上げたメルヴィルの瞳に、父が倒れた事に少しも動揺していない青年の姿が映った。
 その青年はメルヴィルの視線に気付き、ニコリと、実に綺麗に微笑みかけてくる。
「五月蠅い人が居なくなりましたから、これでゆっくり食事が出来ますね。」
 先程までとなんら変わりの無い綺麗な笑みなのに、なんだか背中に冷たい汗が滴り落ちてきた。
 この人に逆らったらいけないと、本能がそう告げている。
「・・・・・・・・・・そう、ですね。」
 だからメルヴィルは、無理矢理笑みを浮かべて父の傍らから離れ、ゆっくりと自分の席に座り直した。
 そんなメルヴィルの行動を、青年はニッコリと微笑みながら見つめていた。そして、父親には世界が間逆になっても出せないような優しい声音で語りかけてくる。
「男の子は沢山食べないといけませんよ。とくに今は成長期なんですから。偏った栄養をとっていたら、出来る身体も出来上がりませんよ。」
「・・・・・・・・・・はい。」
 確かにその通りなので、感じている恐怖に後押しされる形ではなく頷き返す。
 そんなメルヴィルの反応に、青年は満足そうに頷き返し、食事を再開した。
 食べる合間に青年が色々と話てくれた。分かりやすい政治の話や、剣の使い方。身体の鍛え方に、料理の作り方と、ジャンルは多岐にに渡っていた。その内容はどのジャンルでも興味深く、とても楽しく食事をする事が出来た。
 美人な上に料理も出来て、その上頭が良さそうだなんて。
 世の中にはこんな人もいるのだなぁと、胸の内で呟く。
 そして、時間が経つに連れて自分の身体に変調が現れ始めた事に気が付いた。柔らかな青年の笑みを見つめていると、妙に心臓が跳ね上がってくるのだ。こんなにドキドキした事は、今まで無かったような気がする。
 心臓の高鳴りのせいか、妙に頬が火照ってくるのを感じながら、メルヴィルは夢中になって青年に話しかけた。そして、青年の言葉に耳を傾けた。
 テーブルの上の料理が無くなっても、話は尽きない。
 未だに血を流して倒れ込んでいる父の事は気がかりだったが、それ程気にならない位に楽しい時間が過ぎていったのだった。









「また、遊びに来て下さいね。」
 彼が帰るとき、そう言葉をかけた。
 青年は少し困ったような顔をしたけれど、小さく頷きを返してくれた。
「そうですね。機会があれば。」
 子供のメルヴィルにもそうと分かる社交辞令の言葉に、ちょっと寂しくなる。
 やはりあんなアホな父とは二度と関わり合いになりたくないのだろう。
 だが、自分は父とは違う。父が頼りにならないのならば、むしろ父の存在そのものが彼との付き合いにネックとなるのならば、自分から積極的に関係を作りに行かなければ。二度とこの人に会えなくなってしまうかも知れない。
 そう思い、立ち去ろうとする青年の手に己の手を絡ませた。
 細くて長い指は、思っていたよりも表面が固い。その感触を意外に思いながら、メルヴィルは真剣な眼差しを青年の顔へと向ける。
「あのっ!あなたの名前はっ!」
 そんな初歩的な事すら知らない事に気付き、慌てて問う。
 すると彼は、ちょっと傷ついたような顔をした後に困ったような苦笑を浮かべ、メルヴィルが捕らえている方とは逆の手でメルヴィルの頭を軽く叩いてきた。
「・・・・・・・・・後でお父さんに聞いて下さい。」
 それだけ言うと、メルヴィルの拘束をスルリと交わし、青年は歩き去ってしまった。
 そのスラリと伸びた綺麗な背中が見えなくなるまで見送ったメルヴィルは、彼の気配が完全に失せてから、フッと息を吐き出した。
 なんだか誤魔化されたような気がしたが、父に聞けば良い事だ。
「・・・・・・・・・また、来て下さいね。」
 既に見えなくなった青年の背に、そっと声をかけた。
 大きな願いを込めて。



 目を覚ましたビリーが、連れてきた男の名前を知らないと息子に告げ、怒り狂った息子のパンチで再び意識を失った事は、余談である。




























っていうか、誰だか気付けよ、メルヴィル!笑!





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