この世で一番甘いモノ
昼と言うよりも夕方にほど近い時間、仕事を終えたボルスは早足で部屋へと向かっていた。
今日、パーシヴァルは珍しく一日休みを貰っていたのだ。何かやることがあるような口ぶりではあったが、この時間には用事も終わっているだろう。ならば、自分と飲みに行ってくれるかも知れない。
そう思って、戻る足を早めていた。
ボルスよりも色々な仕事を回されるパーシヴァルは、休みがあっても無いような状態が続いている。休日を共に過ごす事など無いに等しく、デートと言えるような事はしたためしがない。飲みに誘っても、10回に9回は断られるしまつ。それなのに、レオとはしょっちゅう飲みに出ているらしいので腹が立つのだが。
文句を言えば、
「お前と飲みに行くよりも、レオ殿と飲んでいた方が時間を有効に使えるというものだ。」
と、本気の口ぶりで返されてしまった。
やはり自分は彼に愛されていないのだろうかと、本気で落ち込んでしまうボルスだった。とはいえ、そんな事でへこたれるボルスではない。押してダメなら、状況が改善するまで押しまくるだけだ。引いてみることなど、ボルスに出来ようはずがない。
「パーシヴァルっ!」
勢いよく扉を開いて部屋の中に足を踏み入れてみたが、そこに求める男の姿は無かった。
「・・・・まだ、用事が終わっていないのか・・・・?」
ならば、探し出すまでだ。
そう考えたボルスの次の行動は早かった。開けたばかりのドアから再び足を踏み出し、図書館へと向かう。
しかし、そこには居なかった。
風呂場を覗いてみたが、そこにもいない。
城の中を歩いていた子供を呼び止めて聞いてみたが、誰も彼を見かけていないと言う。休日に彼が向かう場所の心当たりは、そう多くない。最後の心当たりがあるにはあるが、あそこにだけは行きたく無い。
「・・・・そんなこと、言っている場合でもないか・・・・・。」
深くため息をついたボルスは、意を決したように建物の外へと足を踏み出した。
向かうのは、あの憎たらしい農業野郎の畑。
日が落ち始めた今時分に居るかどうか怪しいところだが、居なかったら居なかったで構いはしない。どちらかというと、居ないで欲しいと願うボルスだったが、その願いは聞き届けて貰えなかったらしい。
「よお、兄さん。なんか用?」
ニコニコと屈託のない笑みを返してくる男、バーツに、ボルスは苦い顔を向けた。
どうにもこうにも、彼に対する敵愾心を拭い去ることが出来ないのだ。
「・・・・・パーシヴァル。どこにいるか知らないか?」
長々と話していたくなくていきなりそう切り出したボルスに、バーツはあっさりと頷きを返してくる。
「ああ。知ってるぜ。今はまだ、メイミのとこだ。」
「・・・・・メイミ?」
「そ。レストラン。」
それだけ聞いて、ボルスはさっさと踵を返した。
礼の一つもするべきなのだろうが、口が裂けてもあいつに礼などしたくない。背後で自分のことを笑った気配があったが、あえて無視をした。あいつとは出来る限り関わらない。それが、ボルスの目標の一つなのだ。
レストランについたボルスは、脇目もふらずカウンターに向かった。
「いらっしゃい。なんにする?」
「パーシヴァルは、いるか?」
「パーシヴァルを注文するの?高いよ?」
「・・・・・・・・・おい。」
サラリと返してくる少女の返答に、ボルスの眉間に深い皺が刻み込まれる。
それを見て肩をすくめたメイミは、厨房の奥へと大きな声をかけた。
「パーシヴァルー。短気な上に頭が悪そうな金髪兄ちゃんが来てるよー?」
「おいっ!貴様っ!俺を侮辱する気かっ!」
「本当のことじゃん。人が怒る時って、図星を指された時が一番多いんだってさ。」
「・・・・・・・貴様。まだ言うか・・・・・・。」
いくら小娘とはいえ、許せん。
思わず腰に差している剣の柄に手を伸ばしたボルスに、彼女は馬鹿にするような冷ややかな視線を向けてきた。
「そんな物騒な顔をここでされると商売にならないんだよね。さっさと奥に行ってくれない?勝手に入って良いからさ。」
顎で入り口を指し示したメイミは、ボルスの存在など忘れたというように仕事へと戻ってしまった。
なんだか肩すかしを食らった感じはするが、確かにこのままここにいるのも良くない。本来の目的をさっさと果たすべきだろう。
そう思い直したボルスは、指し示された入り口から奥へと入っていった。
室内には、なにやら甘い香りが立ちこめている。これは何事だと首を捻っていたボルスの耳に、馴染んだ声が聞こえてきた。
「ボルス。どうした?」
「パーシヴァルっ!・・・・・・・・・何、やってるんだ?」
ようやく会えた愛しい者の顔を見た瞬間、嬉しさが沸き上がったボルスであったが、その嬉しさもすぐになりを潜め、変わりに疑問がわき上がってくる。
その疑問を示す言葉に、パーシヴァルは小さく首を傾げて見せた。
「見れば分かるだろう。片づけて居るんだ。」
「それは分かるが・・・・・。なんでお前が?」
「使わせて貰ったからな。それくらい当たり前だろう?」
手にした布巾で台を拭いているパーシヴァルの言葉に、一応頷きを返す。
自分はあまりそういう感覚はないのだが、同室になった時からパーシヴァルにしつこくそう聞かされているので、そういう物なのだろう。
「それは分かったが・・・・・。なんでお前がここを使ったんだ?」
「ああ、それは・・・・・・・」
「パーシヴァル。出来たか?」
言いかけた言葉を遮るように、ボルスの背後から声をかけられた。
分かりたくもないのに、その声の主が誰なのか、顔を見なくても分かってしまう自分が嫌になる。
「ああ。ちょっと待ってろ。」
二人の間に割ってはいるように登場したバーツは、パーシヴァルの言葉に嬉しそうに顔を輝かせると、足取りも軽く厨房の中へと進入してきた。
「嬉しいな〜。お前の作るアレは、随分と久しぶりだ。」
「あまり期待するなよ。作るのは久しぶりなんだ。分量も、少し怪しくなっていたからな。」
「大丈夫大丈夫。パーシヴァルのアレは、天下一品だぜ?」
「お世辞を言っても、サービスはしないぞ?」
「ちぇっ!けちくさいなぁ。」
そう口で言いながらも、バーツは嬉しそうな顔を変えない。
パーシヴァルも、そんな彼との会話を楽しんでいる様に見える。会話の内容を把握出来ないボルスは、のけ者にされた気がして面白くなかった。
「じゃあ、これ。頼まれていたヤツな。」
そう言いながらパーシヴァルが冷蔵庫から取り出したのは、少し大きめの四角い箱。
なんの変哲もないそれを、バーツは大切そうに受け取った。
「サンキューっ!」
そんなバーツの態度に苦笑を浮かべながら、パーシヴァルは抱えられた箱の上に、紙袋を乗せる。
「あと、これ。片手間に作ったヤツだから、大しておいしくないかも知れないが、持っていけ。」
「え?マジ?サービス良いじゃん!まだ余ってたら、味見させて!」
「仕方ないなぁ・・・・・。」
口ではそう言いながらも、パーシヴァルは台の片隅に置いてあった皿の上から、何かを取り、バーツの口の中へと放り込んでやった。
「うん!旨い!」
「ありがとう。・・・・ほら、早く行けよ。せっかく冷やしておいたのに、溶けるぞ?」
「おっと、ヤバイヤバイ。・・・じゃあ、俺は帰るわ。また作ってくれよ!」
「ああ。分かった。」
ウキウキとした足取りで出て行ったバーツの後をなんとなく見送っていたボルスに、パーシヴァルが声をかけてくる。
「で?お前は何の用だったんだ?」
「あ、ああ。今夜飲みに行かないかと誘おうと思っていたんだが・・・・・。」
「わざわざそんなことを言うために俺を捜していたのか?暇人だな。」
クスクスと笑うパーシヴァルは、いつになく機嫌が良い。
バーツが何かしたのだろうか。
そう思うと、なんとなく腹が立つ。
「そうだ、ボルス。お前、甘い物は食べられるか?」
「え・・・?あ、ああ。別に、嫌いではないが・・・・・。」
唐突な質問に目を瞬かせながらそう答えるボルスに、パーシヴァルがニッコリと笑いかけてきた。
こんなにさわやかな笑顔は久しぶりに見るので、ボルスの心臓は大きく跳ね上がる。
「そうか、それは良かった。」
そう言うと先ほどの皿に手を伸ばし、ボルスの顔を見つめてくる。
「ボルス、口を開けてみろ。」
「え?」
意味が分からず問い返した瞬間、何かが口の中に押し込まれた。
反射的に口を動かし、入れられた物をかみ砕いていくと、徐々に口の中に甘さが広がっていった。
サクサクという歯ごたえと、所どころに感じる固く甘い味わい。
「・・・・何だ?」
「クッキーだ。中にチョコレートを細かく砕いた物が入っているんだ。旨いだろう?」
「あ、ああ。」
素直に頷き返すと、パーシヴァルは嬉しそうに微笑み返してくれた。
こんな反応、知り合ってから初めてではないだろうか。いつも馬鹿にされてばかりなので、どう対処して良いのか分からない。
動揺するボルスの事など気にした様子もなく。パーシヴァルは機嫌良く話を進めてくる。
「他にチョコレートケーキも焼いたんだ。クリス様とレオ卿に持っていこうと思っていたんだが、少しお前にも分けてやろう。」
「・・・・・ありがとう。」
「どういたしまして。」
機嫌良くそう答えるパーシヴァルの様子は、普段が普段だけになにやら異様だ。
なんなんだろうか。いきなりクッキーだのケーキだのと。そんなものの話を、何故嬉々としながらしているのだろうか。
機嫌が良いのは良いが、反動で突然不機嫌になられでもしたらどうなるのだろうか。
そんな恐怖を感じていたボルスは、ふと気が付いた。
「・・・・ちょっと待て、焼いたって・・・・。お前がか?」
「ああ。バーツに頼まれてな。どうしても俺の焼いたケーキが食いたいと。だから、久しぶりに作ってみたんだ。」
「・・・・・あいつに。」
あの男の言葉でパーシヴァルの機嫌が良くなったのかと思うと、かなり面白くない。
自然と声音が暗くなっていったが、上機嫌のパーシヴァルは少しも気づいた素振りを見せず、嬉々として話し続けてくる。
「ブラス城ではなかなか厨房に立つことが出来なかったんだが、ここでは気兼ねする事もないしな。良い息抜きになったよ。」
「それは、良かったな。」
「ああ。お前も、おいしいと言ってくれたしな。作ったかいがあったというものだ。」
「・・・・・・・・・え?」
サラリと言われた言葉を一瞬聞き流してしまったボルスは、その言葉を反芻した後聞き返した。
だが、すでに興味の対象が変わってしまったらしいパーシヴァルは、ボルスの事など見向きもせずに片づけを再開し始めている。
なので、今度はしっかりと疑問の言葉を口に乗せた。
「・・・おれが、おいしいと言ったら、お前は嬉しいのか?」
「ああ。お前は舌が肥えているからな。普通の味では、旨いと言わないだろ?」
「・・・・・・そうだな。」
そう言う意味かと、少し落胆した。
分かってはいた。どんなに機嫌が良さそうでも、彼がパーシヴァルであることは変わりないのだ。自分の求めるような甘い言葉を発してくれるわけがない。
だが、どんなことであれ、彼が自分のことを認めてくれているのは、嬉しい。
バーツの名を聞いたせいで沈みかけていた気持ちも浮上してくるという物だ。
「なぁ、パーシヴァル。それ、もう一つくれないか?」
「ああ、良いよ。」
軽く答えるパーシヴァルの言葉に、ボルスは口を開いてそれを待つ。
望みはすぐに叶えられ、甘いモノが口の中に放り込まれた。
それを味わうようにかみ砕き、嚥下した後もう一度要求する。
「もう一つ。」
「しょうがないな。これで終わりだぞ。」
そう言いながらクッキーをつまみ、ボルスの口元に運んでくる指に、ボルスはクッキーごと食いついた。
一瞬驚いたような顔をしたパーシヴァルだったが、すぐにその顔は苦笑へと変わり、食いつかれた指を抜き出そうとはしなかった。
その態度に勇気を得たボルスは、口に含んだ指先に舌を這わせ、パーシヴァルの身体を引き寄せる。
接近した顔に己の顔を近づけたボルスは、口に含んでいた指先を滑り落とすと、今度は目の前の唇へと舌を這わせた。
誘うように開く口内に進入し、逃げてみせる舌に己のそれを絡める。
制止の声が無いのに調子に乗ったボルスがシャツの隙間から己の手を進入させようとしたところで、制止の声が割って入ってしまった。
「ボルス、いい加減にしろ。」
「・・・・・・すまん。」
とうとう怒らせたかと相手の顔色を窺ってみると、そこには予想外に機嫌の良さそうなパーシヴァルの顔があった。
「お前は、もう少し周りの目を気にしろよ。」
その口ぶりからいうと、自室だったらその先をやっても良いと言うことなのだろうか。
こんなにも寛容なパーシヴァルは初めてで、どう答えて良いのか分からなくなる。
しかし、嬉しいモノは嬉しい。
後で罵倒されることになっても良いから、聞いてみたくなる。
「じゃあ、今夜、良いか?」
その問いに、パーシヴァルはニコリと笑い返してくる。
ボルスは、目の前で華が咲き乱れ、真っ白いハトが大空に向かって羽ばたいていく幻覚を見た気がした。
思わず口付けた唇は、先ほど食べたクッキーよりも甘く、この世で一番おいしいと思うボルスだった。
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