「どうぞ、お入り下さい。」
促され、足を一歩踏み入れてから気が付いた。
つき合い始めてから結構な時が経っているが、彼の部屋に足を踏み入れるのはこれが初めてだと言うことに。
今まで二人きりで飲んだ事はあるが、全て酒場でのこと。部屋でゆっくり酒を酌み交わそうと思うような飲み方を普段からしないせいかもしれない。
部屋を行き来したからなんなのだと思うのが、気づいた事実に何となく落ち着かなくなる。
「どうしました?」
そんなレオの様子に気づいたのか、パーシヴァルが訝しげに声をかけてきた。
「いや、なんでもない。気にするな。」
軽く首を振って室内に足を踏み入れるレオの態度に首を捻りながらも、パーシヴァルはそれ以上何も聞いてこない。
その事にホッと胸を撫で下ろしつつ、レオは初めて訪れる室内へと視線を向けた。
「とりあえずくつろいでいて下さい。今、何かお持ちしますから。」
キョロキョロと見回しているレオの背中に笑みを向けながらそう一声かけたパーシヴァルは、フラリと部屋から姿を消した。
その事を気配で感じながら、レオは物珍しげに視線を投げていた。
間取りは自分の部屋と大差ない。しかし、全く違うような印象を受けた。乱雑に物が置かれている自分の部屋と違い、この部屋は綺麗に整頓されている。床には塵一つ落ちていないのではないかと言うほどに掃除が行き届いていて、壁に取り付けられている本棚にはギッシリと書籍が並んでいる。
何を読んでいるのかと興味を引かれて近づいてみると、最近流行っている小説から、兵法に関すること、他国の歴史書やら、様々な物が収納されている。
「・・・俺にはまねできん。」
ボソリと、本音がこぼれ落ちた。
「何のまねが出来ないのですか?」
かけられた声に視線を移すと、両手に酒瓶とグラスをさげたパーシヴァルの姿があった。
先ほどまで付けていた鎧はその身体を覆っていない。
いつもより一回り小さく見える同僚の細い身体に、レオの鼓動は大きく跳ね上がった。
「・・・・これだけの本を読むことは、俺にはできんという事だ。」
何に対して動揺しているのか、自分でも分からない。
分からないが、自分が動揺していることを目の前の男に気づかれてはいけない、そんな気がして、レオは冷静な姿を装おうとした。
「少しは読んだ方が良いと思いますよ。知識は無いよりも、会った方が良い。」
「俺は身体を動かす方が性に合っている。頭は、お前とサロメ殿に任せる。」
そのレオの返答に、パーシヴァルは微かに苦笑を返してきた。
いつも浮かべている、感情の見えない笑み。
心の奥底で何を考えているのか、掴めない微笑み。
「・・・どうかしました?」
思わずその顔を凝視していたレオは、眉を寄せるパーシヴァルの言葉で正気に返った。
「なんでもない。それよりもお前、鎧はどうしたんだ?」
「自室でレオ卿と二人きりで飲むのは初めてですからね。せっかくなのでくつろいで飲もうかと。レオ卿も鎧を外されませんか?お手伝いしますよ。」
「・・・・そうだな。頼む。」
軽く頷くと、パーシヴァルは早速レオの鎧に手を伸ばしてきた。手際よく一つ一つのパーツを取り外していく、普段は覆い隠されているパーシヴァルの細く長い指の動きに目を奪われる。
決して脆弱なわけではない。六騎士と言われているくらいだ、そこらの兵士よりも力があるのは知っている。それでも、いつも見慣れている自分の手と見比べると華奢な印象をぬぐい去れない。
同じ人間なのに、何故こんなにも違うのか。体格が似ていても、ボルスに対してはこんな印象を受けはしないのね。
無言で指先を見つめていると、その視線が気になったのか、不意にパーシヴァルが顔を上げてきた。
「なんですか?」
「・・・俺の手と、ずいぶん違うと思ってな。」
「体格が違いますからね。」
何を当たり前のことを、と言いたげな顔でパーシヴァルが答えるのに、レオはムッと顔を歪ませた。
「それもそうだが・・・・器用に動く。俺は細かい作業が苦手でな。」
「手先の器用さよりも、レオ卿の場合作業に向かう心構えが悪いんだと思いますよ。」
「・・・・パーシヴァル。」
どうしてこの男は人の神経を逆撫でするような物言いしかしないのだろうか。
誰彼構わずからかっているわけではないので、これは心を許してくれている証拠だと思っても良いのかも知れないが、あまり嬉しく無い。
どうせなら、もう少しわかりやすい好意の寄せ方をして欲しい物だ。
「それにしても、この鎧は重いですね。」
「他のヤツより大きいからな。仕方あるまい。」
「・・・・そうですよね。これだけ立派な身体を覆い隠すんですから、私と同じ物は使えませんよね。」
何が楽しいのか、パーシヴァルはクスクスと笑いながらレオの胸へと己の右手を当ててきた。
焦らすようにゆっくりと動いていた彼の右手は心臓の上で止まり、その鼓動を確かめるようにその場に留まっている。
顔をうつむけ、何かを考え込んでいる。
表情を確かめたくても、レオの位置からはそれも叶わない。
「・・・パーシヴァル?」
彼が何をしたいのか分かりかねたレオがその名を呼ぶと、彼は笑みを浮かべたままうつむけていた顔を上げ、レオの瞳を見つめ返してきた。
その向けられた瞳の暗さに、レオの背筋に寒気が走った。
いつもはここまで暗い瞳をしていない。感情が読めないまでも、ここまで凍り付いてはいなかった。
「・・・・何か、あったのか?」
思わずそう尋ねると、パーシヴァルは少し口元の笑みを深くした。
「あったじゃないですか。クリス様が、得体知れない男と姿を眩ませてしまった。レオ卿も、他の皆さんも、その事で落ち込んでいたではないですか?」
「それはそうだが・・・・」
数刻前、クリスが金髪の中年男と城を出て行った姿を仲間達と見守った。
自分たちでは彼女の迷いを、悩みを解消してやれなかった事を悔やみ、今夜はすぐに眠りたく無いと思うほどに落ち込んでいた。
その思いは皆同じだったのだろう。その後、彼女の無事の帰還を願って小さな酒宴を開かれた。レオはその酒宴の解散後にパーシヴァルに誘われて部屋まで付いて来たのだ。
それ程時間が経っているわけではない。自分の落ち込みの原因は覚えている。しかし、パーシヴァルの瞳の暗さは、それとは関係の無いことなのではないかと、レオは思った。
もっと違う理由があると、心の中の何かが告げていた。
「個人的な何かがあったのではないか?クリス様の事だけにしては、お前の瞳は暗すぎる。」
遠回しに尋ねることは性に合わず、レオは思ったことを口にした。その言葉が予想外だったのだろう。パーシヴァルは驚いたように目を見張っている。
そんなパーシヴァルの顔を、レオはジッと覗き込んだ。
小さな変化も逃すまいと。彼の表情はとても読みにくいのだ。
「瞳・・・・ですか?」
「ああ。いつも感情が読めない瞳をしているが、今のは読めない以前の問題だ。」
「と、言いますと?」
「・・・・・生気を感じない。」
「酷い言われようですね。」
クスクスと、どこか楽しそうに笑みをこぼすパーシヴァルの態度に、レオは眉間に皺を寄せた。
「・・・・パーシヴァル。」
「あなたのことを笑ったわけではありませんよ。自分の修行不足を痛感していただけです。」
ドスを効かせたレオのうなり声に、パーシヴァルは戯けたように軽く両手を上げた。
「レオ卿の事を見くびっていましたよ。」
「分かったのなら良い。それよりも、何があったのか話してみろ。俺に出来ることがあったら協力してやるぞ。」
「・・・・それはありがたいですね。では、そこに座って貰えますか?」
「あ・・・?ああ。かまわんが・・・・。」
指さされたベットの存在に戸惑いつつも、レオは素直に腰を下ろした。
レオの巨体を受け止め、ベットは小さく悲鳴を漏らす。
「慰める振りで慰めて貰おうと思ったのですが・・・・手間が省けました。」
ニヤニヤと笑いながら近づいてきたパーシヴァルは、自分の目線よりも低い位置に来たレオの肩にそっと手を置いた。
「パーシヴァル。いったい何を・・・・・!?」
レオの顔に己の顔を近づけたパーシヴァルは、迷うことなく自分の唇をレオの唇へと重ねてきた。
予想もしない事態に、レオはただただ驚き、その瞳を大きく見開いた。
何の抵抗も出来ないまま、レオの身体はベットの上に押し倒される。
唇を重ねたまま、パーシヴァルは右手をレオの厚い胸板の上に乗せ、ゆっくりと、身体のラインをたどるように動かした。
その誘うような動きに、レオは小さく息を飲んだ。
身体が熱を持ってきたのが分かる。下半身に、力が込み上げてくるのも。
重ねた身体でそれを感じたのだろう。
パーシヴァルは、答える様に右手をソコに伸ばしてきた。
「・・・これだけ反応していれば、大丈夫でしょう。」
「パーシヴァルっ!おまえ、何を・・・・・!」
「慰めてくれるのでしょう?レオ卿?」
妖艶な笑み。
男の誘い方を心得ているような、そんな笑い方。
いつも隣に立っていた男が、こんな風に笑えるなどとは知らなかった。
いや、いつもの彼ではないのだろう。これは、騎士の顔ではない。
「・・・・何故、俺なんだ?」
「何故?・・・・そうですね。強いて言えば、一番後腐れが無さそうだったから、ですかね。」
「・・・・それだけか?」
「ええ。」
「俺が断るとは、考えないのか?」
ニッコリと、何のかげりも無く微笑むパーシヴァルの顔を凝視したレオは、大きくため息を付いた。
底が知れないにも程がある。
この自信は、いったいどこから出てくるのだろうか。
断ってやろうかと一瞬思ったが、心とは裏腹で身体はやる気十分になっている。
結局、自分は彼の思う通りに動かされると言うことなのだ。
「分かった。お前の望むとおりにしれやろう。」
その答えに、パーシヴァルは暗い瞳のまま微笑み、答えるように軽く口づけを落としてきた。
組み敷いた白い裸体に身体中の血が沸き立つのを感じた。
いつも鎧で覆われた肌の白さは、目に痛い程。
自分よりも細い、けれどしっかりと筋肉の付いたしなやかな身体が自分の手で赤く色づき快感を訴えて身を捻る様に、レオの血はさらに騒ぎ出した。
いつも無表情に等しい笑みを浮かべている顔を自分が乱している。
その事で征服感を刺激される。
このままここにつなぎ止めてやりたい。
他の者には、こんな顔を見せたくない。
そう思わせる何かが、パーシヴァルにはあった。
「・・・・・・ぁっ・・・・」
レオの耳に届かない小さな呟きを漏らし、パーシヴァルの瞳から涙の粒がこぼれ落ちる。
その涙は、快感の高ぶりから来ている物ではないと、レオの心が告げていた。
パーシヴァルは、自分を見ていない。
自分の後ろに誰かを見ているわけでもない。
何かに心を奪われている。
それを振り切るために自分の身体を利用している。
そんな気がしてならない。
「・・・・少しは、俺のことも気にかけろ。」
耳元にそっと呟き、耳朶を噛んだ。
逃げようとする身体をベットに縫いつけ、レオは情の薄そうな唇へと口付けた。
嫉妬しているわけではない。
そうではないが、心を開いて貰えていないようで、少し寂しかった。
浅い眠りに何度かついたものの、隣で眠る男の存在が気になり、レオはしっかりと睡眠を取ることが出来なかった。
窓から差し込む太陽の光で、眠るパーシヴァルの顔がはっきりと見えてくる。その寝顔は、思いの外幼く見える。
いつも取り澄ました顔をしている彼とは思えないほど。
「・・・・ん・・・・」
思わず頬に伸ばしてしまった手を嫌がるように、パーシヴァルは軽く首を振ってくる。
その行動に慌てて手を引っ込めたが、時はすでに遅く、閉じられていた瞳がゆっくりと開かれていった。
「・・・・・レオ卿?」
ボンヤリとした瞳で目の前にいる男の姿を捕らえたパーシヴァルは、その存在を訝しむように僅かに眉を寄せて見せた。
「大丈夫か?」
「・・・・なんとか。今何時ですか?」
「まだ夜明けからそう経っていない。もう一眠りくらい出来るぞ?」
「・・・・そうですか・・・・。」
そう呟いたパーシヴァルは、自分の顔を隠すように右腕を己の顔の上に覆いかぶらせた。
自分と寝たことを後悔しているのだろうか。
自分を見ようとしないパーシヴァルの態度に、レオの胸に小さな炎が沸き上がる。
「昨夜みたいなことは、良くやるのか?」
「いいえ。」
「では、何故だ?」
たたみ掛けるように質問をすると、パーシヴァルは顔を覆っていた腕を外し、レオの顔を不思議そうに見つめてきた。
「それぐらい、聞く権利はあると思うが?」
何も知らされないまま、利用されるのはしゃくに障る。答えるまでは放さないと言うように、パーシヴァルの腕を握り締めた。
その痛みに僅かに眉を寄せたパーシヴァルは、何かを考え込むようにジッと宙を見つめた。
答えにくい事なのか、はたまた答えたくないのか。答えはなかなか口にされない。答えが返ってくるとは限らないが、レオはその間をジッと待っていた。
やがて、パーシヴァルはボソリと呟きを漏らした。
「・・・・・少し、無茶をしたかったから、ですかね。」
「無茶?何のために?」
「自分の力の無さを痛感するためですよ。だから、相手にはあなたがちょうど良かったんです。」
自嘲的な笑みを浮かべながらパーシヴァルはそう説明した。昨夜と同じ、暗い瞳の奥で何を考えているのか、レオには察する事が出来ない。
何があったのかと問いただしたいとは思うが、彼は何も聞いて欲しくはないのだろう。そんなことだけは分かる。
深く大きなため息を付いたレオは、パーシヴァルの頭に手を置き、寝乱れた髪をさらにぐちゃぐちゃにかき回した。
「それでお前が納得したのなら良い。・・・・あまり、一人で抱え込むなよ。」
「・・・お気遣い、ありがとうございます。」
少し戸惑っているような笑みを浮かべるパーシヴァルの頭を、レオはさらに景気よくかき回した。
「・・・・・レオ殿。」
不服を訴えるような瞳に、レオはニヤリと笑いかけた。
「昨夜の運動が効いたのか、腹が減ってきたな。少し早いが、飯でも食いに行くか。」
唐突なレオの言葉に一瞬呆気に取られた様な顔をしたパーシヴァルだったが、その表情はすぐにいつもの笑みと入れ替わった。
「では、昨夜お世話になったお礼に、私が腕を振るって差し上げましょう。」
「そいつは良いな。お前の料理はなかなかのものだったからな。楽しみだ。」
「そう言って頂けると、嬉しいですね。」
嬉しそうに微笑みパーシヴァルの顔を見て、レオはホッと胸を撫で下ろした。
彼の顔に差していた影が、少し薄れた気がする。
「レオ殿?どうかされましたか?」
ベットに腰掛けたまま考え込んでいたレオの様子を、パーシヴァルが訝しげに見つめてくる。
その視線を振り切るように、レオは大げさなくらい勢いよくベットから起きあがった。
「いや、何も。」
そう返すと、レオは床に脱ぎ散らかされていた衣服を素早く身につけだした。
「そうと決まれば、さっさと食堂に行くぞ。この状態で食いっぱぐれたら、出せる力も出せなくなるからな。」
「そうですね。」
素早く衣服を纏い、自分と連れだって部屋を出るパーシヴァルの姿を目で追いながら、レオはそっと呟いた。
「俺は、いつでもお前の傍らにいるぞ。」
一瞬何を言われたのか把握出来なかったのか、不思議そうに首を捻ったパーシヴァルだったが、すぐにレオの言った言葉の意味を悟ったのか、ニッコリと微笑み返してきた。
「・・・・ありがとう、ございます。」
瞳にかげりのない、本当の笑み。
今はそれだけで良い。
彼の心に闇が落ちる確率が減るのなら。
それだけで満足していよう。
そう心の中で呟いた。
プラウザのバックでお戻り下さい
暗い瞳