少し頭が軽くなった。
 最近少しずつ鬱陶しくなっていた髪の毛を切ったのだから、それは当たり前のことなのだが。
 バラバラと、まとまり無くはねる髪の毛を軽く手でなでながら、フランツはボソリと声を漏らした。
「・・・・また、イクに怒られるかな。」
 髪の毛を切っただけでは、温厚な幼なじみは怒りはしない。切った人間が問題なのだ。
 どう言い訳しようかと考えながら歩を進めていたフランツは、背後からかけられた聞き慣れた声に、ビクリと全身を震わせた。
「フランツったら、また自分で髪を切ったの?」
 声がした方を恐る恐る振り返ると、そこには予想通り、幼なじみの困ったように眉を寄せる顔があった。
「・・・イク。」
 ばつの悪さに言葉が出ないフランツに、イクは声を荒げるでもなく、ただ寂しそうに呟いた。
「この間言ったばかりじゃない。髪の毛なら、私が切ってあげるからって。・・・何で、声をかけてくれないの?」
「・・・・それは・・・・・。」
 旨い言い訳を探すために、フランツは言葉を濁した。
 髪を切る。
 そんな些細なことで彼女の手を煩わせたく無かった。少しでも城の役に立とうと、細々とした仕事を率先してこなしている彼女に、これ以上仕事をさせたくない。
 そう思う心も確かにあったが、それと比例して彼女に髪の毛を切って貰う姿というのが、格好悪い気がしたのだ。
 それならそれでちゃんとした床屋で切って貰えば良いのだが、裕福な暮らしをしているわけではない。
 切ってもすぐにのびて来るようなものに、一々金をかけている余裕はないのだ。
 どう言ったら良いのか悩んだ挙げ句、フランツはふて腐れたようにボソリと呟いた。
「・・・仕事、邪魔したら悪いと思って・・・。」
 その言葉に、一瞬驚いたように目を見張ったイクだったが、その顔はすぐに満面の笑顔へと移り変わる。
 戦いが佳境に入ってからと言うもの、彼女の顔にこんな笑顔が浮かんだ事はなかった。
 少なくても、フランツの前では。
 久しぶりに見るその笑顔に、鼓動は一気に早くなった。
 それを知ってか知らずか、イクはフランツの手を握りしめてきた。
「私には、フランツより大切なものなんて無いのよ。遠慮なんてしないで。この城には、あなたの役に立ちたくて来たんだから。」
 顔を覗き込み、囁くように言われた言葉に、自分が顔面を真っ赤に染めているのが分かった。
 手のひらから伝わるぬくもりで、戦いでささくれ立っていた心がい癒されていく。
 自分が彼女のことをどれだけ大切に思っているのか、自覚した。彼女が支えてくれたから、今の自分はあるのだ。前を向いて、故郷のために戦ってこられたのだ。
 周りの声に負けないで。ハルモニアの扱いにも挫けずに。
 その事に、今頃になって気が付いた。自分一人で戦っているつもりになってた自分が、馬鹿みたいだ。
 自嘲するような笑みを口元に描いたフランツは、握り込んでいたイクの手を、さらにきつく握りしめた。
 二度と、この手を放さないように。
 いつまでも傍らにいてくれと、願いを込めて。
「・・・ありがとう。」
 思わずこぼれた言葉の意図が分からなかったのか、イクは不思議そうに首を傾げてくる。
 その思いがけない子供っぽい仕草に、自然と笑みがこぼれ落ちた。
 笑ったのは、どれくらいぶりだろうか。戦いに明け暮れ、心の余裕を無くしていたのでそんなことも覚えていない。笑顔が無くなっていたのは、イクだけでは無かったようだ。
 フランツは掴んでいた手を引き寄せ、バランスを崩して倒れかかってくるイクの身体を自分の胸で受け止めた。
 突然の事に驚き、逃げそうになったその細い身体に腕を回し、彼女の首元に自分の顔を埋め込むようにしてそっと囁いた。
「一緒に来てくれたことに感謝してる。イクがいるから、俺は頑張れる。イクを守るために、戦える。」
「・・・フランツ・・・」
 何かを言いかけたイクの言葉を遮るように、フランツは慌てて言葉を続けた。
 途中で止まると、言いたいことを言い切れない気がしたのだ。
「でも、イクを守っているつもりで、いつも守られてる。イクが俺を支えてくれてるから、俺も、ルビも戦えるって、そう思った。だから・・・・」
「ありがとう。そんな言葉を貰えて、凄く幸せよ。でも・・・」
 語尾を濁すイクの言葉に不穏な空気を感じ、フランツは思わず伏せていた視線を上げてみた。
 視線が合うと、イクは嬉しそうに微笑んでいた。
 その微笑みは今まで見た中で一番綺麗で、フランツは自分の鼓動が大きく跳ね上がったのを感じた。
 そんなフランツの動揺を分かっているのか、握ってくる手のひらに僅かに力が込められる。
「もう少し頼って欲しいわ。もっと役に立ちたいの。それは、私の自己満足のためのことなんだけど。・・・駄目?」
 窺うように顔を覗き込まれ、フランツの顔は刷毛で塗ったように朱色が差した。
「・・・分かった。でも、すぐにどうこう出来ないぞ。」
 そんな顔色を見られまいとして視線を反らしたフランツの仕草に、子供を見守る母の様な優しい眼差しを向けたイクは、了承するように小さく頷いた。
「分かってるわ。小さい頃から、あなたのことを見ているもの。少しずつで良いのよ。手始めに・・・」
 言いながらおもむろに手を伸ばしたイクは、その手をざんばらに切り取られたフランツの頭へと向けた。
「散髪するときは、私に声をかけてちょうだいね。」
「分かった。約束する。」
「うん。」
 嬉しそうに頷くイクが愛らしく、フランツは思わずその唇にかすめるような口づけをしていた。
 真っ赤になって驚いているイク同様、仕掛けたフランツの顔も朱に染まっていく。
「・・・じゃあ、悪いけど、切り揃えてくれるか。この頭。」
 恥ずかしさのあまり視線を合わせることも出来ず、そっぽを向いてそう言うフランツに、イクは小さく頷き返した。
「・・・・うん。」
「・・・・悪いな。じゃあ、部屋に帰るか。」
 スッと目の前に差し出された手が何なのか、一瞬判別が付かなかったイクだが、その意図を察知すると、嬉しそうにその腕に自分の腕を巻き付けた。
 城内に入るまでの間、一つに重なった影が、幸せそうに揺らめいていた。
















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