その日、ボルスは珍しく早く目を覚ました。
いや、いつもそれなりに早く起きてはいるのだ。しかし、ボルスが目覚めたときにはいつもパーシヴァルの身支度が整っているので、彼の身支度を整える姿と言うものをみる機会は滅多にない。そのパーシヴァルが身支度をしている最中に目が覚めたと言うことは、かなり早く起きたと言うことになるだろう。
珍しい光景を、ボルスは寝起きではっきりしない頭でボンヤリと見つめていた。
鏡に向かい、整髪料を手にとって少し長めの髪の毛を綺麗に纏めていく手つきには淀みがない。慣れた仕草で後ろに撫でつけ、前髪の一房だけを残して固めていく。
その髪型にどんな意味があるのか、常々頭を捻っているボルスであったが、いまだに尋ねてはいない。なんとなく。
きっちりと、ゆるみ無く固められた髪の毛は、生え際がきっかりと見えている。セットに満足したのか、パーシヴァルは傍らに置いてあった鎧へと手を伸ばしていく。
しばらくの間、細く長い指が留め金と留めていくのを眺めていたが、ボルスの視線は自然と同僚の端正な顔に注がれていった。
いや、顔と言うよりも頭髪に。
「なぁ、パーシヴァル。」
「なんだ?」
サラリと返された言葉に、彼が自分が起きていたことに気がついていたことを知った。
分かっていたのなら挨拶くらいしろと内心で毒づきながら、ボルスはゆっくりと身体を起こしながら口を開いた。
「前から思っていたんだが・・・・・・」
口に出しかけて、一瞬躊躇う。
この話題は、同じ男としてあまり触れない方が良いような気もする。以前どこかで、その話題で仲の良かった者達が袂をわけたという話を聞いた気もするし。しかし、彼のことを思うのならば、早い内に言って置いた方が良いのかもしれない。
「なんだと言うんだ。言いたいことがあるならさっさと言え。」
考え込んでなかなか口にしないボルスの態度に焦れたのか、パーシヴァルが先をせかすように声をかけてくる。
その言葉に後押しされるように、ボルスはおずおずと口にした。
「ああ・・・。あのな、その・・・・。髪の毛のことなんだが・・・・・。」
それでもやぱり言いよどむボルスの態度に、パーシヴァルの整った綺麗な顔に、不機嫌を表すような縦皺が刻まれていってしまった。
「・・・・・さっさと本題に入れ。俺はもう行くぞ。」
「ちょっと待て!今言うから!・・・・だから、その髪の毛、少し固めすぎじゃないのか?」
慌ててそう胸の内を吐露すると、パーシヴァルが不思議そうに首を傾げてくる。
「・・・・・そうか?」
「ああ。前から気にはなっていたんだが・・・・・。少し、生え際が・・・・・。」
その一言で、パーシヴァルの視線がスッと冷たい物へと変化してしまった。
ここまで冷ややかな視線を受けたのは随分と久しぶりで、ボルスは大いに戸惑った。
やはりこの話題は、男同士でしてはいけないものだったのかもしれない。
「いや、べつに前よりも薄くなっていると言っている訳ではないぞ!ただ、すこしそり込みが激しい気が・・・・・。」
慌てて言い訳を捲し立てるボルスの様子をしばらくの間冷たい瞳で見つめていたパーシヴァルは、不意にニコリと微笑んできた。
「・・・・・・ボルス。」
顔は笑っているが、目の奥はさっきまでと変わらず冷ややかで、ボルスの身体に緊張が走り抜ける。
「な、なんだ?」
「禿げというのは、遺伝的要素が大きいんだ。」
「・・・・・・・・そうなのか?」
言われた言葉は想像していた物と大きくかけ離れていて、ボルスは小さく首を傾げてみた。
「ああ。俺の家系は、皆禿げとは程遠い人達ばかりだ。父親も、髪の毛は多かったと記憶している。」
「・・・・・・そ、そうか。俺の気にしすぎだったか。」
その言葉にほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間。
次のパーシヴァルの一言でボルスは笑顔を凍り付かせてしまった。
「ああ。心配してくれたのはありがたいが、余計なお世話だ。」
なんだか、久しぶりに目に見えるとげのある言葉を突きつけられた気がする。
やはり怒ったのだろうか。こっそりと、パーシヴァルの様子を窺いみてみると、彼はいきなり話をこちらに振ってきた。
「そういうボルス。お前の家系はどうなんだ?」
「俺か?俺は・・・・・・」
「お前のような毛質の者は禿げやすいと統計が出ているらしいぞ。」
「なっ・・・!本当か!」
言われた言葉に大きな衝撃を感じているボルスの様子など気にした感じもなく、パーシヴァルは淡々と言葉を続けてくる。
「ああ。柔らかいクセ毛系は毛根が弱いらしい。若い頃から毎日しっかり頭皮のケアをしていればそうでも無いらしいが、頭皮をいためるようなことを繰り返すと、間違いなく禿げるらしい。」
淀みなく紡がれる言葉に嘘の色は見えない。そもそも、知識量がボルスよりも多いパーシヴァルの言葉だ。信憑性は十分にある。それはもう、有りすぎるほどに。
人のことを心配していたはずなのに、今のボルスの頭のは自分の将来像でいっぱいになっていた。
禿げた自分。
なんだが、凄く間抜けな気がする。
「・・・・・・本当か?」
「ああ。それに遺伝が加われば間違いなく禿げるな。・・・・どうなんだ?」
「どうって?」
「お前の父親や祖父に、禿げた人はいなかったか?」
言われて思い返してみたが、いまいち記憶にない。
常に注意力が散漫だと周りから言われているボルスである。身内の頭髪になど気を配っているわけがない。それに最近忙しくて実家に帰ってはいない。父親と顔を合わせたのはいつのことだったのかすら記憶に無いほどだ。
家の至る所に先祖の肖像画があった気もするが、その顔すら覚えていない。
答えられぬボルスの様子をどう受け取ったのか、パーシヴァルは神妙な顔で肩を叩いてきた。
励ますように。
「気を付けた方が良いぞ。・・・・俺以上にな。」
労るような微笑みを浮かべたパーシヴァルは、打ちひしがれるボルスを残して部屋から出て行ってしまった。
一人残されたボルスは、ガクリと力無くベットの上に手を付いた。
「・・・・・・・・そんな・・・・。俺は、禿げるのか・・・・?」
愕然としながら言葉を零すボルスの問いに答える者は、その部屋には誰一人としていなかった。
ただ、窓辺の木に止まっていたカラスが、漆黒の翼を羽ばたかせながら鳴き声を上げるだけで。
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