バシャリ

 昼時のレストランに、そんな音が響き渡った。
 音の発信地に近い客達はチラリとそちらに目を向けた途端、ハッと息を飲む。それにつられるようにその周りの客もソコに目を向け、息を詰めた。
 それが繰り返され、いつもにぎやかなレストランに、気持ちが悪い程の静寂が満ちていく。
 人々の視線の先には、鮮やかな青色のマントを羽織った見目の良い青年が座していた。その手には、先程まではその中に溢れんばかりに水を満たしていたグラスが、その口を床を向ける形で握られている。そして、吸い込まれそうな程に青い双眸には、抑えきれない怒りが沸いていた。
 その瞳は真っ直ぐに彼の目の前に座っている男へと、向けられている。
「・・・・・・・・・・冷てーじゃねーか。」
 青い双眸に睨み付けられている男は、不機嫌も露わな声でそう呟くなり、濡れた顔を拭うように己の大きな手の平で顔面を抑え、ポタポタと水が滴る前髪を掻き上げた。
 その様子から、この男が目の前に座っている青年に水をかけられたのだと知れる。
「頭が冷えて丁度良いだろう?」
 青い瞳の青年は、その瞳に怒りの炎を沸き上がらせたまま、口元を笑みの形に引き上げた。
 その表情と言葉に、水をかけられた男の眉がピクリと跳ね上がる。
「・・・・・・・・んだと、てめぇ・・・・・・・・・・・」
 敵を威嚇する野生の獣のうなり声を思わせるその低められた声に、事の成り行きを見守っていた者達がビクリと、身体を跳ね上げた。
 だが、青い瞳の青年は薄い笑みを浮かべるだけで、戦いている様子はない。戦くどころか、まるで挑発するような口ぶりで言葉を返している。
「まぁ、冷えた所でろくな事を考えられないんだろうけどな。」
「てめぇっ!」
 怒鳴り付けようとする男の言葉を遮るように、青年は態とらしく音をたててその場に立ち上がった。そして、ゆっくりとテーブルから離れる。
 その動きを目で追っていた男の隣まで進み出た青年は、未だに座したままの男の顔を見下すような視線で見つめ、その整った面に酷薄な笑みを浮かべて見せた。
 そして、揶揄するような口調で一言、発する。
「もう少し人間らしい知恵を付けたらどうだ?」
「てめーーーーーーっ!」
 蔑みが色濃いその言葉に、男が座っていた椅子を後方にはね飛ばしながら席を立った。そして、歩み去ろうとしている青年の腕を掴み、その顔を自分の方へと向け直す。
「もう一度言ってみろ、てめーっ!」
 唾が飛ぶ勢いで怒鳴り付けてくる男の態度に顔を顰めた青年は、それでも男の要求通りに言葉を発してきた。
 しかも、余計な一言を付け加えて。
「人間らしい知恵を付けろと言ったんだ。この熊野郎。」
 青年が言葉を言い終えると同時に、レストランの中に乾いた音が響き渡った。
 パシンという、乾いた音が。
 その音を発する事になった男の行動にレストランに居た者全員が呼吸を忘れ、これ以上無い程の沈黙が辺りを占める。
 男は、怒りに身体を震わせていた。
 青年は、その端整な顔を斜め下に向けた体勢で止まっている。
 その青年の頬に、ジンワリと朱色が差してくる。元々肌の色が白いだけに、その朱色は異様に目立つ。
 その頬の赤さに、周囲にいた女性客全員が息を飲み込んだ。
 上がった音は、その呼吸音だけ。
 嫌な沈黙が続く。
 見守っている者全員が、すぐにでも青年が報復行動に出るものだと思っていた。いや、むしろ望んでいた。彼が報復行動に出る事を。
 一言怒鳴って雷の一つでも落としてくれたなら、この沈黙は打ち破られるだろうから。
 いつも通りの展開だと、この二人の喧嘩は派手だなぁと、笑って話せるようになるだろうから。
 だが、その願いは届かなかった。
 俯けていた顔をゆっくりと引き戻した青年は、冷えた瞳で男を見つめただけで、踵を返してしまったのだ。
 一言だけ、言葉を零して。
「・・・・・・・・・・・・・お前にはもう、つき合っていられない。」
 と。
 その呟きに、言われた男の全身が小さく跳ねた。だが、青年の動きを止めようとはしない。だた。立ち去る青年の背中を見つめるのみで。
 そして、青年の姿が見えなくなってから、こう呟いた。
「それは、こっちの台詞だぜ・・・・・・・・・・・・」













 フリックとビクトールが仲違いをした。
 その話は、一気に城内を駆けめぐった。レストランでのやり取りは尾びれや背びれが余計に付いた形で語られ、その日の夕刻には城内でその話を知らないものが一人も居ない状況になっていた。
 フリックとビクトールが喧嘩をする事自体は珍しくない。それこそ、毎日のように行われているのだ。だから、一々皆に話が伝わる事は無かったが、今回は話が違う。
 ビクトールがフリックを引っぱたいたのだ。
 頬が赤くなる程、強く。
 誰よりも己の相棒を大事にしている、ビクトールが。
 しかも、その事に対して怒鳴るでも雷を落とすでもなく、無視するように立ち去ったフリックの行動も、常とは大きく違う。だから皆驚き、語り合った。
 今度こそ本当に腐れ縁が途切れるのだろうかと。
 二人が一緒に居る姿を見る事は出来ないのだろうかと。
 兵士だけではなく、一般の住民までもがそんな事を語り合っている中、彼等を良く知る者達はそこまで深刻に考えていなかった。
 実際にその現場を見ていないから皆が大げさに話しているのだろうと思っていたのだ。うわさ話というものは多分に誇張されているものだから。だから、夜になったら二人連れたって酒場に来るだろうと、そうふんでいた。
 しかし、その夜酒場にフラリと現れたビクトールの傍らには、彼の相棒の姿は見えなかった。
 それ自体は珍しい事ではないが、その後の行動にレオナは目を見張った。
 ビクトールが、カウンターの席に落ち着いたのだ。定位置となっているテーブルにつかずに、カウンターに。
 一人で来ても、後からフリックが来たときの事を考えて絶対に定位置であるテーブルに付いていたビクトールが、カウンターに。
 だからレオナは、思わずこう声をかけた。
「・・・・・・・・・珍しいね。あんたがカウンターに来るなんて。」
 レオナの問いに、ビクトールはチラリと視線を上げた。
 その途端、レオナの背筋に寒気が走った。寒気と言うよりも、恐怖が。野生の肉食獣に相対したときのような、そんな恐怖が。
 そんなレオナの怯えに気付いているのかいないのか、ビクトールが吐き捨てるように言葉を発してきた。
「うるせー。俺がどこで飲もうと俺の勝手だろうが。一々詮索してくんじゃねー。」
 その声音にビクリと身体が震えたが、レオナはすぐに表情を取り繕った。そして、ことさら明るく言葉を返す。
「はいはい。私が悪うございました。・・・・・・・・・・・適当に持ってきて良いのかい?」
「・・・・・・・・・ああ。」
 呟くような吐き捨てるような返答に、戯けたように軽く肩をすくめながらレオナは厨房へと入る。
 目だけでビクトールをどう扱って良いものか問いかけてくる従業員に、軽く笑みを浮かべながら首を横に振る事で、男に構うなと合図を送る。その合図にホッとした表情を浮かべる従業員に苦笑を返しながら、レオナは深々と息を吐き出した。
「・・・・・・・どうやら、噂は本当らしいねぇ・・・・・・・・・・・・」
 そうは言ってみたけれど、やはりいまいち信じ切れない所もあるの。とは言え、あのビクトールのあの荒れッぷりはどう考えてもフリック絡みだろう。それ意外でビクトールの機嫌が悪くなる事はそう多くないので、そう決め付ける。
「それにしても・・・・・・・・・」
 呟きながら、レオナはあの二人と出会った頃からの記憶を辿り始めた。
 この城に居る者達の中では一番長く彼等と一緒に行動しているが、こんな状態は初めてな気がする。
 彼等の喧嘩は、大体フリックがビクトールのやる事に怒りを覚えて始まる事が多い。だから、喧嘩の後にフリックが不機嫌になっても、ビクトールはわりと普通にしている事が大半だ。
 フリックの態度にビクトールが怒ったというパターンも無いわけでは無い。その時はさすがにビクトールの機嫌が悪くなったが、あそこまであからさまに不機嫌なオーラを発しては居なかった。
「・・・・・・・・・・・いったい何が原因なのやら・・・・・・・・・・・」
 再度息を吐き出したレオナは、カウンターに座っている男の姿を思い浮かべた。店内に物騒な気配をまき散らしていた男の事を。
 このままあの男に店に居座られたら売上に影響しそうだ。そうならないためにも、早々に仲直りして貰わねば。
 そう考えながらビクトールのためのボトルとグラス、適当なつまみを手にカウンターへと戻る。
「はい、お待ち遠様。」
 レオナの言葉に、ビクトールは無言で頷き返すだけで言葉一つ発してこない。
 これは重傷だ。
 そう判断し、レオナはこれで何度目か分からない溜息を吐き出した。
 さて、どうしたものか。とてもじゃないが、商売の邪魔だから出て行ってくれと言える雰囲気ではない。しかし、このままでは確実に今日の売上は最悪なモノになってしまう。
「どうしようかねぇ・・・・・・・・」
 そう呟きを漏らしたところで、酒場の入り口に人影が浮かんだ。誰が入ってきたのかと視線を向ければ、鮮やかな青いマントを翻しながらフリックがこちらに向って歩いてくる所だった。
 レオナは彼の姿を視界に入れた途端、彼の頬に視線が釘付けになった。レオナだけでなく、店内にいた全員そうだろうが。
「・・・・・・・・・・・あんた、それ・・・・・・・・・・・・・」
 挨拶より先に言われた言葉は今日何度も耳にする言葉だったのか、困ったように苦笑を浮かべながら、フリックは何事も無いように言葉を発してきた。
「ちょっとな。」
「ちょっとじゃ無いよっ!折角の色男が台無しじゃないか。ニナが見たら大騒ぎだよ?」「そう思ったから、今日は避けてる。夜の内に冷やして腫れを引かせようと思うんだが・・・・・・・・・・氷を貰えるか?」
「ああ、分かったよ。ちょっと待ってな。」
「あと、適当に酒も頼む。寝酒が切れた。」
「了解。」
 軽く頷き、レオナは再び厨房へと戻った。そして、軽く首を傾げる。
 フリックの反応は普通だ。喧嘩した時の常として、フリックの方が不機嫌になるものなのだが。
「・・・・・・・・・わけ分かんないね。」
 とは言え、近くにいてもチラリとも視線を交わさないのだから、喧嘩をしているのは確かな事だろう。お互いに無視しあうような喧嘩をするような奴らだとは思っていなかっただけに納得出来ない所もあるのだが。
 そんな事を考えながら適当な袋に詰め終えた氷とフリックの好んでいる酒を一本見繕ってカウンターへと戻ると、店内には異様に寒々しい空気が流れていた。
 皆がビクトールとフリックの一挙手一投足を見守っているのだ。酒も飲まず。
 本当に良い迷惑だ。と内心で呟きながらも、レオナはことさら明るく声を出した。
「はいよ、氷。ちゃんと冷やして明日までには治しなよ。」
「ああ。分かってるよ。」
 そう言いながら軽く手を振り立ち去ろうとしたフリックの背中に、ボソリと声がかけられた。
「・・・・・・・・・・・そうだよなぁ・・・・・・・・・・大事な取り柄だもんなぁ・・・・・・・・・・」
 馬鹿にするような響きを持つその言葉に、酒場に居た者はハッと息を飲み込んだ。
 いや、言葉にと言うよりも、ゆっくりと振り返ったフリックの冷たい双眸に。
「・・・・・・・・・何か言ったか?」
 温度の低さを感じるのに、どこか甘さを含んだ声でそう問いかけたフリックに、ビクトールは小さく鼻で笑い返した。そして、言葉を続けてくる。
「ああ。言ったさ。ろくに筋肉もなくてヒョロッこい身体をした誰かさんは、その力の無さをてめーの顔で補ってるんだろ?ヤラシイったらねーよなぁ?」
「何が言いたい。」
「そんなの、てめーの胸に聞いてみな。」
 あざ笑うような笑みに、それまで感情の一つも窺え無いような冷たい瞳でビクトールを見つめていたフリックが、不意に笑みを浮かべて見せた。
 華が綻ぶような、綺麗な笑みを。
 左頬が腫れ上がっているだけにいつもよりもその笑みに美しさは無かった。だが、ビクトールを黙らせる位の威力はあったらしい。ビクトールはその顔に浮かべていた嘲笑を消し、驚いたようにその瞳を見開いている。
 そんなビクトールに、彼が飲んでいた酒の瓶を掴み取ったフリックが、頭のてっぺんに向ってその瓶口を向けた。自然と、ビクトールは頭から酒をひっかぶる事になる。
 酒場に居た者全員がハッと息を飲み込む中、瓶から液体があふれ出る音だけが、酒場に響く。
 呆然と己の顔を見つめてくるビクトールを鼻で笑ったフリックは、空になった瓶を元の位置に戻し、さっさと酒場から立ち去ってしまった。
 その行動の早さは彼が纏っているマントの色のように鮮やかで、残された者達は、ただただ呆然とフリックが歩き去った方向を見つめる事しか、出来なかった。
 酒をかけられた、ビクトールさえも。











 それから一日経って、二日経っても。一週間経っても二人の仲が元に戻る事は無かった。むしろ、より悪くなっている気がするのは、100人や200人ではないだろう。
 最初の内は嫌がらせと思える相手を嘲笑する言葉をかけたり、すれ違い様に睨みあったりしていたものだが、日が経つ毎にその回数が減り、一週間経った今では互いの存在が目に入らないとでも言いたげに完全無視をしている状態だ。
「・・・・・・・・どうしたら良いと思います?」
「そんな事言われてもねぇ・・・・・・・・・・・・」
 会議室に呼び出されたレオナは、チッチに懇願するような瞳で見つめられ、言葉に詰まった。
 どうにかして欲しいのはレオナも同じだ。このままでは誰も酒場に寄りつかなくなってしまう。
 どうにかして喧嘩の原因を追及したいとは思うのだが、話しかけられる雰囲気ではないのだ、今の二人は。多くの猛者を相手に商売してきたレオナが躊躇してしまう程に、彼等が発する空気は物騒な事この上ない。近寄っただけで斬り殺され兼ねない空気を纏っている。
「原因が分かれば、対応のしようがあるんだろうけど・・・・・・・・・・」
 思わず愚痴を上らせれば、チッチも同意するように大きく頷き返してきた。
「僕もそう思うんですが、まったく分からないんですよ。だからもう、どうしようもなくて・・・・・・・・・」
 力無く呟くチッチは、この一週間で少し痩せたようだ。原因は言うまでもなく心労だろう。気のせいだろうか。チッチの隣にいる軍師の顔色も悪い気がする。
 レオナがそんな観察をしていたら、シュウの傍らで表情を曇らせていたアップルが口を開いてきた。
「解放軍時代の事を考えたら、今の状態は別に普通な気もするんですけど・・・・・・・・・・・」
「そう言う話だよね。本人達も良く言ってたよ。昔は仲が最悪に悪かったって。でも、今は仲良しだからねぇ・・・・・・・・・その二人しか知らない私にしたら、仲違いしてる奴らの姿の方がおかしいってもんだよ。」
「そうなんですよ。仲直りさせてくれって言うのは、同盟軍から付き合いが出てきた人達ばかりで。でも、その人達の方が多いわけで・・・・・・・・・・・・」
 力無いアップルの発言に、彼女も今回の二人の仲違いのせいで何かしら迷惑していると言う事が窺えた。
 こんな年端もいかない少女にまで面倒をかけて、あの男共は何をやっているのだと、その背中を蹴飛ばしてやりたかったが、今の彼等には恐ろしくてそんな事は出来ない。
「さて、どうしたもんかねぇ・・・・・・・・・・」
 何も良い案が浮かばずに黙りこくっていたら、おもむろにシュウが頷いた。
「・・・・・・・良し。」
 その言葉に、チッチにレオナ、アップルがシュウへと視線を向ける。期待に満ちた眼差しを。
「なんか良い案が浮かんだのかい?」
「良いかどうか分からんが、あいつ等二人をまとめて遠征に出す。」
「遠征?」
 その言葉は思いもかけないものだったので、レオナは思わず素っ頓狂な声を出してしまった。しかし、シュウはそんなレオナの反応などまったく気にしていないらしい。彼は大仰に頷き返してきた。
「そうだ。レパント大統領から城で行われるパーティの招待状が届いていて、数日後にチッチ殿に行って貰う事になって居る。本当は呼ばれている理由が理由だから見目の良い所を送り込みたい所だが・・・・・・・・・・・・・・・仕方ない。一人ビクトールと入れ替えよう。」
 その言葉に、レオナはキラリと瞳を輝かせた。そして、両手をポンと、打ち鳴らす。 「成程。昔一緒に戦った場所で友好を深めて貰おうって算段だね!」
「ああ。・・・・・・・・・・・そう、上手く行くとは思えないが、やらないよりはましだろう。少なくても、その間城内から上がる苦情の数は減るはずだから、無駄な仕事が増えないで済む。」
 どうやら、後半に言われた言葉の方が本音なのだろう。アップルもシュウの言葉に頷き返していたが、それはシュウの采配にと言うよりも、彼が零した本音にたいしてなのではないかと、レオナは勝手に判断した。
 そんなレオナの胸の内などまったく気にした様子もなく、シュウはチッチへと視線を向けた。
「・・・・・・良いですね。チッチ殿。」
 問いかけていると言うよりも決定事項を話しているような口調のシュウに、今のチッチが逆らう事など出来るわけもない。例え、あんな状態の二人を連れて遠征に出たら自分の胃に穴が開くと、胸の内で文句を言っていたとしても。変わりの案が無いチッチは、シュウの言葉を受け入れる事しか出来ないのだ。
「・・・・・・・・分かりました。なんとか、遠征中に仲直りして貰うようにします。」
「期待してるよ。」
 力無く呟くチッチの胸の内が読めたレオナは、苦笑を浮かべながらその背を力強く叩いてやる。
 本格的に仲がこじれているのなら、そんな事で仲直りするとも思えないのだが。それでもこの遠征でチッチに頑張って貰いたい気持ちは嘘ではないので。
 売上を元に戻すために、藁にも縋りたい心境のレオナだった。







 そうして出掛ける事になったトランへの旅は、ものすごく空気の悪い中進んでいった。
 少しでもふれ合いをと考えて立ち位置を隣にしたのが悪かったのか、ビクトールの全身からは不機嫌を表すオーラが立ち上っている。
 フリックはチラリともビクトールに視線を向けない。何かあったときには必ずと言っていい程カミューに話しかける。すると、余計にビクトールの機嫌が悪くなるのだ。
 その事から、ビクトールが本格的にフリックの事を嫌いになったわけではないのが分かった。分かったからと言って、突破口を開ける事も出来なかったが。
「こんな状態でもきっちりコンビプレイを決めるのはさすがだけどねぇ・・・・・・・・・」
 チッチは呟き、息を吐き出した。
 視線一つあわせていないのに、何故か腐れ縁攻撃がバッチリあうのだ。その上、なんの打ち合わせもしていなくても互いの動きを読んで効率よく敵を打ち倒している。はっきり言って、信じられない事この上ない。本当に喧嘩しているのかと疑いたくもなるが、あのおしゃべり好きのビクトールがこの遠征中に殆ど何も喋らないのだから、喧嘩はしているのだろう。
 と、言う事は、これが経験値の差という物だろうか。自分があの二人に追いつけるのはいつの事なのだろうかと、状況も忘れて考えてしまう。
 違う方向に向いだした自分の思考を振り払うように大きく首を振ったチッチは、前を歩くカミューにそっと声をかけた。
「・・・・・・・・・どう思います?」
 彼はチッチの問いかけにチラリと視線を背後に流してほんの少し表情を和らげた後、一行の先頭を歩く問題の二人へと、視線を向けた。
「・・・・・・・さぁ。私には何とも。」
 そのはぐらかすような言葉に、チッチは内心で焦りを感じた。だから、続けて言葉を叩き付ける。
「仲直り出来ると思います?」
「どうでしょうか。」
「カミューさん!」
「チッチ!カミューさんに当たってもしょうがないでしょ!」
 はぐらかすような言葉にチッチが叫べば、その隣を歩いていたナナミに後頭部を叩かれた。
「・・・・・・ナナミ。痛い。」
「痛くて当たり前でしょ!殴ったんだから。」
「殴らなくても良いじゃないか・・・・・・・・」
「チッチが聞き分け無い事言うから悪いの!ビクトールさんとフリックさんの事を心配しているのはチッチだけじゃ無いんだからね!一々人に突っかかるんじゃない!」
 そんなまともな事をナナミに言われるとは思っていなかったチッチは、しばし呆然と姉の顔を眺め見てしまった。
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて下さい。大丈夫ですよ、あの二人は。」
 じゃれ合うような姉弟の会話にクスクスと笑いながら、カミューがそんな言葉を返してきた。つい先程「分からない」と言った、その口で。
 チッチは僅かに眉間に皺を寄せ、カミューの端整な顔を覗き込んだ。
「なんで、そう思うんですか?」
 その言葉に薄く笑みを向けたカミューは、フイッと視線を前方へと向け、距離を取りながらも並んで歩く二人の背中をジッと見つめた。
 そして、言葉を零してくる。
「同じ道を歩いてますからね。本当にお互いに嫌になったら、状況や命令なんか無視して行きたい道を行く人達だと思いますから。あの二人は。」
 同意を求めるように、その優しい色を浮かべる瞳がチッチの瞳を見つめ返してくる。そんなカミューの言葉に、チッチは小さく頷いた。確かに、そうかも知れないと思ったから。
「確かに原因が分からないので対処のしようはありませんが、ビクトール殿の様子を見ていたら、時間の問題だと思いますよ。仲直りをするのは。」
「そう・・・・・・・・・ですか?」
「ええ。」
「視線が追っているものね。なんだかんだ言っても。」
 カミューの言葉に続けてきたのは、後方から付いてきていたリィナだった。
 彼女は薄い笑みを浮かべながら、何かを知っているような口ぶりで続けてくる。
「大丈夫。チッチが気に病む必要は、何もないから。」
「そう?」
「そうよ。」
 軽く頷くリィナの言葉は力強かったが、何の根拠も無いだけに素直に頷けない物もある。だから、不審そうな顔で見つめ返してしまった。
 その視線に苦笑を浮かべたリィナは、小さい子供をあやすようにチッチの頭を撫でてくれた。途端に、チッチの顔に朱色がさす。なんとなく、気恥ずかしくて。
 だからといってその手を振り払う事も出来ずに困惑していると、前方から通りの良い声が聞えてきた。
「おいっ!何を立ち止まってるんだっ!さっさと来い!」
「あっ、はいっ!すいませんっ!」
 手を振りながら叫ぶフリックの言葉に、チッチはハッと意識を引き締める。取りあえず今はトランにたどり着く事が一番大事な事だ。着いて二人の様子を見てから、どうやったら仲直りして貰えるのか考えよう。
 そう気持ちを切り替えたチッチは、一度大きく息を吸い、吐き出した。そして、視線を進行方向へと、向ける。
 仲間の言葉を信じたいと、思いながら。












 いつ来ても煌びやかな城だが、今日はいつにも増して煌びやかだ。その一番の原因は、着飾った女性達がいる事だろう。
 赤月帝国を倒し、この国がトランという名前に変わってから定期的に行われているという城での舞踏会で良い縁談を取り付けようとしているのか。女性も、そして男性もこれ以上無いくらい着飾っている。
 その財のかけ方を見る限り、貴族連中にはあの戦いの痛手が少ない事が見て取れた。
「・・・・・・・・・・こんな事に、なんの意味があるのか・・・・・・・・・・」
 壁に寄りかかりながら、フリックはボソリと呟いた。
 オデッサが目指した物とは形が違うだろう。今のこの国の有り様は。
 レパントは良くやっているとは思う。思うが、結局色々な所が中途半端な気がしてならない。こんな風に、力が、財がある者が優位に過ごせている国のままでいるのならば。
「・・・・・・・・・まぁ、関係ないがな。」 
 出来る事なら彼女の理想通りの世界を作り上げてやりたかったが、それは契約の内に入っていない。自分がやるべき事ではない。帝国を打ち破った所で、フリックの仕事は終わっているのだ。これ以上は、フリックが関与する事ではない。
 そう考え、フリックは手にしていたグラスの中身を一気に飲み干した。そのグラスを通りがかった給仕の男に渡し、壁にもたれ直したフリックは、人の集まる広間の中央へと、視線を向けた。
 色とりどりのドレスがクルクルと回っている。男もあれだけ飾り付けると道化の様だ。借り物のシンプルな夜会服を纏ったカミューの方が良い家の者にに見えるのは、その容姿のせいばかりではないだろう。
「大切なのは、中身だろうが。」
 誰にともなくそう呟いた所で、自分の方に近づいてくる男の気配を感じた。
「・・・・・・・・中身の無い野郎の筆頭が現れたか。」
 視線の一つさえもその気配の方へ向けずに言葉を返せば、直ぐさまこれ以上無いくらい不機嫌そうな声が返された。
「憎まれ口を叩くなよ。」
 叩かせているのは誰だと言い返したかったが、口を噤む。変わりに、男の不機嫌が伝染したと言わんばかりに眉間に皺を寄せてやった。
 そんなフリックの目の前に、突如華奢なデザインのグラスを一つ、差し出された。
「・・・・・・・・・なんだか分かるか?」
 男、ビクトールの問いかけに、差し出されたグラスを受け取る。そしてグラスに顔を近づければ、甘ったるい香りが鼻腔をくすぐった。
 その香りは覚えのあるものだった。昔は良く飲んでいた。だが、久しく飲んでいない。いや、久しくどころか、ゆうに三・四年は飲んでいないだろう。
 ある意味、フリックにとって特別な酒だから。
「・・・・・・・・・・オデッサが好きな酒か。」
「ああ。」
 ビクトールはフリックの言葉に頷いた後、その顔をほんの少し歪ませた。そして、ポツリと言葉を零す。
「・・・・・・お前の中では、オデッサの存在は現在進行形なんだな。」
 その言葉に、フリックは軽く目を見張った。そして、すぐに苦笑を浮かべて返す。
「ああ。あいつの存在が俺の中から無くなる事は、多分一生無いだろうな。」
 彼女程自分にとって存在感があった女はいなかったから。
 そう、胸の中で付け加えた。
 彼女程自然な姿で話を出来る女は居なかった。何がどう他の女と違ったのかは、フリック自身にも分からない。もしかしたら、無邪気な顔をしてデカイ事をやってのけようとしていた彼女に、自分と同じ物を感じたのかも知れない。
 なんにしろ、馬があったのは確かな事だ。自分の半身とまでは言わないが、彼女の存在は神経に引っかからなかったのだから。
 そう考えたところで、チラリと視線をビクトールに向けた。ふて腐れたように顔を歪めながら、しきりにグラスを傾けている男に。オデッサとは違うが、彼女と同じくらい傍らに居ても気に触らない男に。
「・・・・・・・・なんだ?」
「いや。何でもない。」
 視線に気付いたのか、ビクトールが軽く首を傾げながら問いかけてきた。そんなビクトールに口元に笑みを浮かべて返し、フリックは視線を広間へと向け直す。そして、手にしていたグラスの中身を、一口含む。
 途端に、甘ったるい香りと味が口の中に広がった。
 こんなに甘ったるい酒を口にしたのは随分と久し振りだ。それこそ、オデッサと別れて以来口にしていないかも知れない。
 そんな事を考えながらグラスの中身を一気に飲み干せば、直ぐさま傍らから瓶が差し出された。
 それにチラリと視線を向けながら、フリックは口の端を引き上げる。
「・・・・・・・・・この酒で仲直りか?」
「まぁ、そんなところだ。」
「ふん。」
 苦笑を浮かべながら頷くビクトールの言葉を鼻で笑い返しながら、空いたグラスを差し出す。すると直ぐさま新しい酒が注ぎ込まれた。それをゆっくりと口元に運ぶ。
 ビクトールは何も言わずにフリックがもたれているすぐ横の壁に己の背ももたれかけた。
 そんな二人の目の前を、色とりどりの男女が踊りまわっている。軽やかな音楽。交わされる談笑。そんな中、二人の周りにだけ、沈黙漂っていた。しかしそれは、数刻前まで二人の間に有ったギスギスした物ではない。とても穏やかな、周りの空気にとけ込むような静かで穏やかな空気だった。
 その空気を破るようにクスリと笑みを漏らしたフリックが、ゆっくりと口を開く。
「・・・・・・・・・お前が舞踏会に興味が有ったとは、知らなかったな。」
「ああん?」
 発した言葉に、ビクトールは片眉を引き上げた。何を言われたのか分からないと言うように。そんな彼に、フリックは視線を広間からビクトールへと向け直し、彼の顔を覗き込むようにしながら問いかけた。
「これに出たかったから、俺に一芝居打てって要求したんだろ?」
 その言葉に、ビクトールは言葉を詰まらせた。フリックの言葉が事実だから否定する事が出来ないのだろう。彼はふて腐れたような顔をしながらも、小さく頷き返した。
「・・・・・・・・・まぁ、出たかったってー言やぁ、出たかったんだが・・・・・・・・・・」
「ふぅん・・・・・・・・目当ての女でも居るのか?」
 ビクトールが貴族の女に入れあげているというのも妙な図ではあるが、それ以外の理由が思いつかなくてそう問いかけた。途端にビクトールは不機嫌も露わに顔を歪めてみせる。
「・・・・・・・・・俺には、お前以外いねーよ。」
 そう言い切ったビクトールの瞳は真剣そのもので、言われたフリックは軽く目を見開いた。だが、すぐにその表情を苦笑へと変える。
「それはありがとう。でも、同じ言葉は返せないぜ?」
「分かってるよ。」
 頷き返す声はこれ以上無いくらいにふて腐れた物だった。
 分かってはいるが、それはそれで寂しいのだろう。ビクトールの内心が手に取るように分かる。
 フリックは傍らにいる男に気付かれないように小さく笑った。そして、言葉を続ける。
「じゃあ、なんだって無理矢理トランに来ようとしたんだ?今回の遠征メンバーは招待状が来た段階で決まっていたのに。お前だって知ってるだろ?俺が教えてやったんだから。」
「来たかったから。」
「あのなぁ・・・・・ガキじゃねーんだから。シュウの考えも汲んでやれよ。どう考えたって同盟軍の好感度をアップさせようと狙ったパーティ編成だったぞ?お前じゃ無くてマイクロトフを入れようとしていたんだから。それをお前は・・・・・・・・・・」
「どこの馬の骨ともわかんねー女とお前を踊らせたく無かったんだよ。」
「はぁ?」
 ビクトールの言葉には冗談の色が混じっていたが、本気の色もかなり強い。
 そんなわけの分からない理由で自分はこんな茶番を演じる事になったのかと思うと、なんだか怒るよりも先にドッと疲れを覚えた。
「ったく・・・・・・・・・。そんな下らない事で人に変な事させるなよな。」
「変な事?そう言う割には、随分とまぁ、徹底的に無視してくれたじゃねーの?」
「最初に思いっきり引っぱたかれたからな。顔も見たくなかったのは本心だ。」
「・・・・・・・・・フリック・・・・・・・・・・・・・」
 途端にビクトールはなんとも言えない情けない顔をした。この男が軍の筆頭戦士だとは思えない程、情けない顔を。
 そんなビクトールの姿に苦笑を漏らし、フリックは空いている方の手でビクトールの頭をなで回した。
 夜会服を着るのに合わせていつもと比べ物にならないくらい綺麗に整えられた髪を、いつものようなボサボサ紙へと戻すように。
「・・・・・・・・・まぁ、周りの反応が面白かったから、アレはチャラにしてやるよ。本当なら、腹にでっかい穴が開くくらいの報復をしている所だけどな。」
「・・・・・・・お前って奴は・・・・・・・・・・・」
 そこまでするか、普通。と呟くビクトールにニコリと笑いかけてやったら、左の頬に大きな手の平を添えられた。
 なんのつもりだという言葉を己の瞳に込めてビクトールの優しい色をした瞳を見上げれば、彼は申し訳なさそうに顔を歪ませた。そして、囁く様に一言呟く。
「悪かった。」
「良いって言ってるだろ。もう治ってるし。」
 笑みを浮かべてそう答えてやれば、安心したように深く息を吐き出された。そして、恐る恐る問いかけてくる。
「ちなみに、治ってなかったら?」
「あの世行き。」
「・・・・・・・・・・お前って奴は、ホントによう・・・・・・・・・もう少し俺に愛情をかけてくれよ・・・・・・」
「かけてるだろ。」
 あっさりと返しながら、左頬に添えられたビクトールの右手に自分の左手をそっと重ねた。そして、態と特上の笑みを浮かべてみせる。
「じゃなきゃ、こんな茶番につき合わない。・・・・・・・・だろ?」
 言いながら、顔を少し傾けてビクトールの手の平に口づけを落とす。そして、挑発するような笑みをその口元に浮かべてやった。
 その途端。ビクトールの身体が震えだした。多分、歓喜の為に。
「フリックっ!!!」
 叫びながら抱きついて来ようとするビクトールの攻撃を難なく交わしたフリックは、未だに中身の入ったままだったグラスを一気に飲み干し、空になったグラスをビクトールの前へと、突きだした。
 何を要求されているのか分からなかったのだろう。軽く首を傾げて目線で問いかけてくるビクトールに、フリックはニヤリと口角を引き上げた。
「取りあえず、タダ酒を堪能しようぜ。一緒に飲むのも久し振りだからな。」
 その言葉に一瞬つまらなそうな顔をしたビクトールだったが、結局は頷き返してきた。
「・・・・・・・・・・分かった。ただし、今夜は眠らせねーぞ。」
「何言ってんだ、馬鹿。こんな所でヤルわけ無いだろ。」
 心底呆れてそう返せば、噛みつかんばかりの勢いで問い返された。
「なんでだっ!」
「なんでって、色々後始末が面倒だろ?」
「だったら外で・・・・・・・・・」
「馬鹿かお前。一人でやってろ。」
「一人でヤルのは飽きたんだよ。」
「・・・・・・・・・・・本当、馬鹿だろ。お前。」
 深々と溜息を吐き出すのと共に、言葉を発した。
 本当にどうしようもない馬鹿な男だと、そう思いながら。馬鹿が伝染する前にさっさと別れた方が良いとも思う。なのに未だに離れる事が出来ないのは、なんでだろうか。
 そんな自分と馬鹿なビクトールを笑う為に口元を引き上げる。
 そして、注がれた甘ったるい酒を体内に流し込みながら傍らの男に聞えるか聞えないかの声量で囁いた。
「・・・・・・・・・・・・・その気になったら、つき合ってやるよ。」
 その言葉に甘さが滲んでしまったのは、体内に流れる酒のせいだろう。
 そう、思いたかった。






 仲良く酒を酌み交わす二人の姿を見て、チッチとナナミはその大きな瞳に涙を浮かべながら安堵し、カミューとリィナは微笑み合った。
 やはりあの二人は並んで立って、言葉を交わしている姿の方が見ていて安心すると、そう思いながら。

























お待たせ致しました。
かなりリクと違った感じになった様相が・・・・・・・申し訳ない。汗。
取りあえず、城の人全員騙してみました。二人で。
有りでしょうか・・・・?








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仲違い