「この馬鹿熊がっ!」
 と言う叫びと共に、辺りに目映いばかりの閃光が走り、鼓膜が破れるのではないかと思われる程の轟音が鳴り響く。
 その音を耳を塞ぐ事でなんとかやり過ごしたチッチは、辺りに漂う肉の焦げた匂いを鼻腔に感じ、眉間に皺を寄せた。そして、光と音の発信地へと足を向ける。
 そこには予想通り、眼に痛い程鮮やかな青色の衣装を纏った青年の後ろ姿が。そして、その彼の足元には焦げ痕の目立つ大柄な男の姿があった。
 地面に転がったままピクリとも動かない男の姿に、チッチは少々心配になる。まさか死んでいるのだろうかと。そんな心配は杞憂で有ることは分かり切っているのだが、思わずそう思ってしまう程、男の焦げッぷりは盛大だった。
 だが、男の回りにあるモノには少しも被害が出ていない。男の身体の下にある雑草は少々焦げていたが、回りに生えている木々にも、無造作に道の端に置かれたベンチにも、近場の建物にも、少しも被害が出ていない。ちょっとした焦げ目さえも付いていないのだ。
「・・・・・・・・・ホント、素晴らしいコントロールですね。フリックさん。」
 尊敬の念を込めてこちらに背を向けている青色を纏った青年に声をかければ、彼はゆっくりとした動きで振り返った。そして、どこか照れくさそうな笑みを浮かべてみせる。
「よぉ、チッチ。見てたのか?」
「いえ、今来たばかりですけど。・・・・・・・・今日の雷の理由はなんなんですか?」
 たいして興味も無かったがそう問いかけるのが礼儀だろうかと思って問いかけてみれば、フリックは軽く首を傾げて見せた。
「理由・・・・・・・・・・?」
 そう呟き、何かを思い出そうとするように視線を彷徨わせるフリックの様子から、とくに理由が無いことが知れた。そう言うことは多々あるのだ。ちょっとした意見の食い違い、というか、フリックの気に触るような事をビクトールが発した時点で雷が落ちると言うことは。
 一般の人間には理解出来ない事だが、どうやら雷を落とすという行為は二人にとってコミュニケーションの一種らしい。ビクトール以外の人間にそんなコミュニケーションの取り方をしたら間違いなく相手が死んでしまうだろうが、二人はそんな危機感もなく気軽に過激なコミュニケーションをとり続けている。
 人間も戦場を渡り歩き過ぎるとどこかしら精神構造がおかしくなるらしい。自分は絶対にそんな風にはならないぞ、と胸の内で決意を固めながらも、チッチは可愛らしい笑みを浮かべて見せた。
「本当、フリックさんの雷は威力も他の人の比じゃ無いですけど、コントロールが信じられないくらい良いですよね。自由自在って感じで。さすが『青雷のフリック』!」
 最後の一言で、フリックはピクリとこめかみを引きつらせた。
「・・・・・・・・その呼び方は止めろよな。」
「なんでですか?格好いいじゃないですかっ!フリックさんにピッタリですよ!」
「・・・・・・・・そうか?」
「そうです!フリックさんほど自分の手足のように雷の紋章を操れる人なんて、この世に居ませんよ、きっと。」
 嬉々としてそう語りかければ、フリックは困ったような笑みを浮かべてくる。
「それはおだてすぎだぜ、チッチ?」
「そんなことありませんよ!・・・・・・・・フリックさん程の人なら雷の紋章で失敗したことなんて無いんでしょうね。あれだけコントロールが出来るんですから。」
「いや、そんなことも無いぜ。これだけのコントロールが身に付いたのは結構最近の事だし。それに、一度自分の雷で手痛い目にあってるからな。」
「・・・・・・・・手痛い目・・・・・・・・・?」
 いつもは自分の話をあまりしないフリックが昔の話を振ってきたことで、チッチの瞳はキラリと光った。
 別にニナのようにフリックフリークな訳ではないが、やはり自分も彼のことは気になる。単純そうに見えながらも結構複雑そうで、皆にその心の内が知れ渡っているようでかなりミステリアスな所のある彼のことが。
 どんな道を通って今のような、何にも揺るがない力と心の強さを持った彼が出来上がったのか、大層気になるのだ。自分も彼のように強くなりたいから。
 だから、彼の過去に触れられそうなこのチャンスを逃したく無かった。
 チッチは大きく一歩前に踏みだし、目の前のフリックの両腕をガッチリと捕らえた。そして、自分の目線よりも高い位置にある真っ青な、どんな高級な宝石よりも綺麗な青色の瞳をジッと、見つめ上げる。
「どんな目にあったんですか?教えて下さい。」
 真剣な眼差しと声音でそう語りかけると、フリックは僅かに腰を引いた。そして、戸惑うように問い返してくる。
「・・・・・・・・・別に、大したことじゃないぞ?」
「大したことじゃ無くても聞きたいんです。」
「なんでだ?」
「貴方の事がもっと知りたいからです。」
 その言葉に、フリックは驚いたように瞳を見開いた。チッチ自身も少々驚く。コレではまるで口説いている様だなと、そう思って。チッチ本人にはそんな気は少しも無いのだが。
 しばし、その場で見つめ合う。風が吹いているので、この場に来た当初に感じていた焦げ臭さはもうこの場に無い。足元に転がっているビクトールの身体が無ければ、先程見た閃光と轟音は夢の世界での出来事だったのではと思う程に、今は流れる空気が穏やかだ。
 やがて、フリックが小さく息を吐き出した。そして、困ったような顔で小首を傾げながら、チッチの頭を軽く叩いてくる。
「・・・・・・・分かったよ。たいして面白くも無い話だけど、話してやるよ。」
「本当ですかっ?!」
 喜色も露わに問いかけると、フリックは優しい瞳で見つめ返してくれた。
「ああ。そんな真剣な顔でお願いされたら、断り切れないだろ?」
 そう言って軽く笑いを零したフリックは、近場にあったベンチを指し示してくる。その仕草に軽く頷き、フリックと共に足をベンチへと向ける。そして、二人並んでベンチに腰を下ろしたところで、フリックはゆっくりと語り出した。

























 傭兵砦に来てしばらく経ったある日のこと。既に日課と化したミューズから送られて来た書類整理にあけくれていたフリックの元に、傭兵が一人駆け込んできた。
「副隊長!」
 ノックもそこそこに執務室に飛び込んできた傭兵の態度は副隊長に、自分の上司とも言うべき相手に対する態度としては少々尊大だった。態度から声から口調から、フリックのことを『副隊長』だと思っていない事が窺える。
 『副隊長』というのはあくまでもフリックの名前で、役職名ではないのだと言っている彼の胸の内がヒシヒシと伝わってくる。下手をすればこの傭兵は、フリックの名前を知らないかも知れない。
 まぁ、それはそれで構わないとフリックは思う。ろくな腕もないような奴に軽々しく己の名前を呼んで欲しくないから。だから、『副隊長』扱いもそれ程苦ではない。
「なんだ?用件はさっさと言えよ。」
 フリックが視線を落としている書類から目を離さずにそう返すと、相手が不愉快そうに顔を顰めたのが気配で分かった。相手がそう言う反応を示すだろうと思って口にした言葉と態度なので、フリックはたいして気にも留めずに相手の言葉を待つ。
 そんなフリックの対応にさらに不快な気分になったらしいが、用件を伝えることの方が重要だと思ったのだろう。傭兵は渋々と口を開いてきた。
「隊長が表で暴れているんですよ。皆で止めようとしてるんですが、相手が相手だから全然歯が立たなくて。だから・・・・・・・・・・」
「俺に止めろと?」
 書類から視線をチラリと上げて問い返すと、傭兵はふて腐れたような顔で渋々と頷きを返してきた。そんなことを言うのが不本意でならないと言った感じだ。
「・・・・・・・まったく。何をやっているんだか・・・・・・・・・」
 自然と溜息が漏れた。部屋に飛び込んできた傭兵の言葉を聞かずとも、彼の態度を見ずとも、フリックをソコに呼んでいる相手は分かり切っていた。この砦に来てからと言うもの、毎日のように表に出るように誘ってくる男がいるから。
 手を変え品を変え。時にはレオナを使ってまでフリックを執務室から連れ出そうとする。今回も、ソレだろうと思う。
 彼の誘いはことごとく断っていた。結成したばかりの砦には、山の様に書類が送られてくるのだ。運営に関する予算や仕事の指令書。近隣住民から寄せられる苦情や不安の声を取りまとめたモノや、近隣の村々に関する情報。その他諸々、覚えないといけないことや片付けなければならないものが山の様にある。それを、今現在フリック一人で片付けているのだ。隊長が役に立たないばかりに。
 外に出ている暇など一切無い。寝る暇だって食べる暇だって無いのだから。
「いったい誰のせいで俺がこんな苦労をしてると思っているんだか・・・・・・・・・・・」
 呟きながら、フリックは手にしていた書類を机上に戻した。
 丁度キリが良い。息抜きを兼ねてあの馬鹿熊に文句の言葉の一つでも発してこよう。そうすれば、多少なりともストレスを発散出来るかも知れない。
 そう考えて椅子から立ち上がったフリックは、ドアの前でこちらの様子を窺っている傭兵へと、声をかけた。
「分かったよ。一応行ってみよう。俺に止められるかどうかは、分からないがな。」
 ビクトールの一人や二人、その気になれば簡単に止められるのだがあえてそんなことを言ってみた。
 自分が相手よりも優位に立っていると思っている人間の態度というのは笑える程尊大で、見ていてかなり面白いから、しばらくはそのままで居させてやろうと考えて。
 どうせいつかは砦の傭兵達が自分の力を知るときが来るのだ。その時に受ける衝撃は、よりデカクした方が見ていて楽しいと言う物だ。真っ向から敵と相対する事が一番好きなフリックではあるが、精神的に相手を追いつめるのもかなり好きなのでそんな事を考えていた。
 そんな胸の内など少しも表に出さずに軽い足取りで階下に降りたフリックは、玄関前の広場に固まった人だかりの中心を見て、小さく息を吐き出した。
 本当に暴れているビクトールの姿を目にして。
 剣を振るってはいない。素手で体当たりを噛ます勢いで己の懐に飛び込んでくる傭兵達を、右に左にと投げ捨てている。いつからそんなことを繰り返しているのか知らないが、トレードマークとも言える黄色いシャツにジットリと汗が滲んでいることから、結構前から行っているのだろうと判断する。
 ただ投げ捨てるだけではなく、時々上手い具合に相手を捕まえては間接技を決めている。その間は手を出さないというルールでもあるのか、回りの傭兵達は捕まった兵士がギブアップするのを大人しく見守っていた。
「コレも一種の訓練かな・・・・・・・・・・」
 実戦で役に立つことは少なそうだが。
 そんなことを考えながら、フリックは一歩前に踏み出した。そのフリックの存在に気付いたのだろう。傭兵に間接技を決めていたビクトールがチラリと顔を上げ、フリックの顔見つめた途端、実に嬉しそうに破顔して見せた。
「よぉっ!フリックっ!」
「『よぉ』じゃない。なんなんだ、いきなり人を呼びつけて。俺はお前のように暇じゃないんだぞ?用があるなら自分から来い。」
 軽い口調で挨拶してくるビクトールに仏頂面でそう返せば、ビクトールは間接を決めていた傭兵の身体を解放しながら、ゆっくりとこちらに向かって足を踏み出してきた。
「いや、俺がお前の所に行ったら計画が上手く進行しないと思ってよ。」
「計画?なんの話だ?」
「うん?・・・・・・コウイウ事だっ!」
「うわっ!」
 言うなり、ビクトールはフリックの腹を目がけて飛び込んできた。と、思ったらフリックの細身の身体を軽々と己の肩の上に担ぎ上げ、脱兎の如く走り出す。
「おいっ!ビクトールっ!一体何を考えて・・・・・・・・っ!」
「デートだ、デートっ!建物の中に籠もりきりじゃ、身体に悪いだろっ!俺が良い場所に連れてってやるぜっ!」
「誰もそんなこと頼んでは・・・・・・・・・・っ!」
 文句の言葉を叫びながら、己を担いだまま走り続けるビクトールの後頭部やら背中やらを抗議の為に叩いてやったのだが、ビクトールは一向に気にした様子もなく、上機嫌で砦を抜け、草原を駆けていく。
 段々遠くなる砦を見つめながら、フリックは大きく息を吐き出した。己の身体に回った太い腕から逃れることを諦めて。
 こうと決めたら突き進むのがビクトールという男だ。何があっても自分を放す事は無いだろう。自分を傭兵砦に引き込んだ時のように。
 力を抜いて運ばれるに任せたフリックは、揺れる視界に移る世界をボンヤリと見つめた。まだ完全に癒えたと言い切れない脇腹の傷が運ばれている衝撃で微妙にうずいている気がしたが、気にしないようにする。痛みとして認知する程の事でもないだろうと判断して。
 もしかしたら後でホウアンに怒られる結果になるかも知れないが、その時は全てビクトールのせいにしてやればいい。フリックの体調を本人よりも気にかけているビクトールが傷を悪化させたとなれば、彼も少しは大人しくなるだろうし。
 フリックがそんなことを考えている間に目的地に着いたらしい。ビクトールは動きを止めた。改めて視線を巡らせれば、そこは小高い丘の上だった。果たしてここになにがあるのだろうか。首を傾げている間に担がれていた身体が地面の上に戻される。そして、ビクトールが悪戯を成功させた子供のような顔でフリックの顔を覗き込んできた。
「見てみろよ。こっから見る夕日は、絶品なんだぜ?」
 言いながら指し示してくる指先を視線で追えば、そこには今にも地平線の向こうへ沈もうとしている大きな太陽が見えた。
 緑の草原に温かさが混じる赤い色が満ちている。
 戦場に広がる赤とは違う、優しさを感じる赤い色が。
 頂点に昇っているときよりも力無い光を発している太陽をジッと見つめていると、己の横顔に熱い視線を注がれた。自分の傍らに居るのが一人だけじゃなくても誰のモノなのか察する事が出来るその視線に、フリックはチラリと視線を向けた。そして、そこにあるむさ苦しい男の顔に、ほんの少しだけ口角を引き上げる。
「・・・・・・・そうだな。確かに綺麗な夕日だ。良い息抜きになったよ。」
 あながち嘘でも無い言葉に、ビクトールは直ぐさま満面の笑みを返してきた。その事になんとなく愉快な気分になったフリックは、思わずニコリと、邪気のない笑みを返してしまった。
 途端に、その場に押し倒される。
「・・・・・・・・・・・・おい。」
 ビクトールの突然の行動に、自然と眉間に皺が寄り、声は不機嫌も露わな低いモノとなった。だがビクトールは少しも気にした様子を見せずに、少々焦りを見せながら言葉を返して来る。
「・・・・・・・・お前が悪いんだぜ?そんな、誘ってるような顔をするからよ・・・・・・・・・・」
 言葉と共に、ゆっくりとビクトールの顔がフリックの顔へと近づいてきた。そして、元から近い位置にあったビクトールの唇が、フリックのそれに重ねられる。
 様子を窺うように軽く触れただけの唇はすぐに離れようとした。だが、一瞬の間の後に再度口付けられ、堪えきれない欲望を発散するように口内を蹂躙される。
「・・・・・・・・・ふっ・・・・・・・・・・・」
 突然押しつけられた行為に息苦しさを感じ、抗議するように覆い被さってきた肉厚の胸板に己の掌を乗せ、押しのけようと試みる。だが、自分よりも筋力のある相手に覆い被さられているので上手く拘束から逃れられない。逆に胸に当てていた手を取られ、地面の上へと縫い止められてしまった。
 最初は一本だけ。そしてすぐにもう片方の腕も取られる。そして、頭上で一纏めにする形でビクトールの大きな手の平で押さえつけられた。その間にも口づけが止む気配はない。むしろ、フリックを拘束したことでより興奮が高まったのか、動きが積極的になってきた。
 蹴りを封じるようにフリックの両足の上に己の足を絡ませ、腕の拘束を強めるように握りしめる力が更に加わる。
 塞がれていた唇は解放されたが、今度は生暖かい舌先がフリックののど元を撫で上げ、耳朶を噛み、首筋に細かく口づけを落としてくる。
「・・・・・・ッ・・・・・・・・ビクトールっ!」
 その刺激を嫌がるように軽く首を振りながら己を拘束している男の名を呼べば、彼はゆっくりとフリックの首筋に伏せていた顔を上げ、情欲が多分に混じる瞳で見つめ返してくる。
「・・・・・・・・・・・駄目か?」
 せっぱ詰まった声でそう問われた。
 自分も彼と同じ性を持っているのだ。先程から当たっている感触で彼のやる気は十分に分かっていた。とてもじゃないが、後には引けない状態だと言うことが。
 確かに、こちらに来てから色々と忙しくて相手をしてやっていない。たまっていてもしょうがないだろうと思う。
 が、なんでこんな野原で欲情するのだろうか。誰が見ているのか分からないような場所で。そんな場所で本番に望もうとするのだろうか。フリックにはさっぱり理解出来ない。フリックには、外でやる趣味など無いのだから。
「・・・・・・・当たり前だろうが・・・・・・・・・・・・」
 だから、そう返す。
「こんな場所でしたくないぜ、俺は。」
「じゃあ、砦に戻ったらやらせてくれるのか?」
 直ぐさまかけられた問いかけに、フリックは迷う事無く首を振る。
「やらせるわけ無いだろうが。俺には、やらなきゃならない仕事がまだ・・・・・・・・っ!」
 言い終わる前に、開いていたビクトールの手がフリックが纏っていたシャツの下へと潜り込み、日の光を滅多に受けない白い素肌を撫で上げた。
 外気に触れていた掌は冷たく、その冷たさに思わずフリックの身体に震えが走る。
 その震えをどう解釈したのか、ビクトールの口元に笑みが刻まれ、その唇が再度フリックの唇を塞いでくる。
「・・・・・・・っん・・・・・・・・・あっ・・・・・・・・・・!」
 本格的にその気になったらしいビクトールの動きは積極性を増した。
 肌を撫で上げ、口内を蹂躙してくる。
 飲み込みきれなかった唾液が顎を伝えば、直ぐさまそれを舌先で舐め取られる。
 纏っていたシャツは不埒な手でまくり上げられ、引き締った上半身が半分程外気に触れている。その白い肌がうっすらと赤く色づいているのは、地平線に沈みかけた夕日のせいなのか、はたまた与えられた刺激によるせいなのか。
 どちらにしろ、その色がビクトールの欲望に新たな火をつけた事には変わりなく。更に動きが激しくなる。
「・・・・・・ビクトール・・・・・・・・いい加減に・・・・・・・・・」
 拘束から逃れようと身を捩りながらそう言葉を発するのだが、血走った瞳で己の身体にのめり込んでいるビクトールの耳には届いている様子が見えない。
 このままでは真面目に本番突入だろう。
 別に外でヤルのが死ぬ程嫌いな訳ではない。気分が乗っていればつき合わない訳でもない。その際は人に見せる気満々でつき合ったりもするだろう。
 だが、今はその気分が乗っていないのだ。
 外でやると言うことに関して言えば滅多にその気にならないのも確かな事だが、それに輪をかけて今はこんなことにかまけている暇が無いために。
 まだまだ砦の運営が始まったばかりだ。隊長が役に立たないせいで自分がやる仕事は馬鹿みたいに多い。一日何もしないで居ると身体が鈍るから、どんなに忙しいときでもトレーニングを欠かしていないから、余計に時間が足りない。睡眠時間も大幅に削っているから、必然的に体力だって落ち気味だ。はっきり言って、こんなことに使う体力が惜しいのだ。
「ビクトール・・・・・・・・・ホントに、もう・・・・・・・・・」
 止めろ、と言う言葉はビクトールの口の中に消えていった。
 途端に、フリックの胸の内に怒りが燃上がる。

 自分が苦労しているのは誰のせいだと思っているのだ。
 お前が真面目に隊長としての仕事を果たしていれば、自分はこれ程忙しい目にあってはいないのだ。
 そんなにやりたいのならば、てめーが仕事をしろ。
 俺への負担を軽くしてから手を出してこい。
 やりたい事だけやって面倒くさい事は全部人任せにするのか。
 じゃあてめーの仕事は何なんだ?
 俺を抱く事か?
 てめーは何様のつもりなんだ。

 胸の内で文句の言葉が次々とあふれ出す。それに比例するようにフリックの眉間に皺が寄っていく。そして、身体の芯の部分から何か力が溢れてきた。
 覚えのある熱いうねりが身体の奥で渦巻いている。外に出ようと、躍起になって。その力を押さえ込もうという気は、今のフリックにはサラサラなかった。とにかく、この状況を早々に脱したかったから、それが出来るのならば手段など選んでは居られなかった。
 拘束されていた腕に、掌に力が入る。真っ青な瞳にも。
 そして、ビクトールの唇が離れた一瞬に、口を開く。
「いい加減にしろっ!この馬鹿熊がっ!!!!」
 そう叫んだ瞬間、身の内から力が唸りを上げて飛び出した。
 途端に、
「ぎゃーーーーーーっ!」
 と言うビクトールの絶叫が聞えた。ソレと同時に、フリック自身も息を飲む。
「・・・・・・・っ・・・・・・くっ!」
 密着していたビクトールの身体を伝って、己の放った雷撃の余波が身体を駆けめぐる。
 それでもなんとか自分の身体の上に倒れ込んできそうだったビクトールの身体を蹴り飛ばし、ユラリとその場に立ち上がる。だが、身体に伝わった電撃の量が半端じゃなかったために、すぐに膝を付くことになった。
「・・・・・・・・くっ・・・・・・・・そっ・・・・・・・・・・!」
 全身を襲う強烈な痺れに耐えるように声を絞り出す。
 余波でこれだけのダメージなのだ。直撃を受けたビクトールは死んでいるに違いない。そう思ってチラリと視線を向けてみたが、どうやらまだ息があるようだ。その事に小さく舌を打つ。そして、全身を痺れさせている雷の余波を意識の外に追いやるために、ゆっくりと息を吐き出した。
 自分の放った技でダメージを受けるなど、愚の骨頂だ。情けないにも程がある。こんな過ち、今までしたことが無かったというのに。怒りに我を忘れてしまったのだろうか。
「・・・・・それこそ、アホ丸出しだろうが・・・・・・・・・っ!」
 自分自身に悪態を付く。一時の感情に惑わされて行動するなど、アホすぎると。
 こんなこと、今まで無かったのに。村を飛び出した当初ならいざ知らず、世の中が見えてきた頃からそんな愚かしい行為をした事は無いのに。
 何もかもがビクトールのせいだ。
 こんな間抜けな事を自分がしてしまったのも、書類整理に明け暮れているのも、好きなだけ戦場を渡り歩けなくなったのも、全部。
「・・・・・・・・・こっ・・・・・・・のっ、うすら馬鹿っ!」
 再度沸き上がった身の内の怒りを抑えることをせず、全身から迸った力を地面に倒れ伏したビクトールへと突きつける。
「ふぎゃっ!」
 なんだか妙に可愛らしい悲鳴を上げて動きを止めたビクトールの様子を見て、少々気分が晴れた。
 今度は自分に害が及ばなかった事だし。
「・・・・・・・・まったく。いやになるな、本当に・・・・・・・・・・」
 未だに痺れの残る己の身体をさすりながら呟いた。
 これからはもっと気持を引き締めよう。同じ間違いを二度としないために。例え己の身体に密着した相手に紋章の力を叩き付けたとしても、自分には絶対にダメージを与えないような紋章の使い方を編み出そうと、決意した。
 それはある意味、対ビクトール向けの思考ではあったが、本人はまったくそんな自覚もなく、沈み行く夕日に誓ったのだ。
「・・・・・・次は絶対に、ビクトールにだけ雷を叩き込んでやる。一切手加減しないでな・・・・・・・」
 その決意を聞き遂げてから、夕日は地平線の向こうへと沈んでいった。






















「・・・・・・・・・・ってな事があってな。まぁ、それから試行錯誤を繰り返して今に至るってわけだ。」
 細かい部分はさすがに省略し、上手い具合に誤魔化しながら当時のことを語って聞かせれば、チッチな驚いた顔で見つめ返してきた。
「・・・・・・・・・・自分の雷で、痺れたんですか・・・・・・・・?フリックさんが?」
 信じられないと言いたげなチッチの言葉に、フリックは苦笑する事しかできなかった。
「ああ。と言っても、それ一回切りだけどな。その後はどんなに密着してても自分には伝わらないように気を付けたし。」
「気を付けたって・・・・・・・具体的にどうすればそんなことが可能なんですか?」
「え・・・・・・・・・?」
 そんなことを聞かれるとは思っていなかったので少々戸惑う。
「そうだな。気合いを入れる事かなぁ・・・・・・・・・・・」
 取りあえず、そんなことを返しておく。はっきり言って、本能に近い部分でのコントロールなので筋道建てて説明しろと言われても出来やしないのだ。なんでそんな簡単に雷が出てくるのだと聞かれる事と同じくらいに。
 雷だって勝手に景気よく出てくるようになったのだし、コントロールだっていつの間には身に付いていたのだ。おかげで戦闘が楽になったので大いに喜ばしいが、その原因が今現在地面に転がっている男だと思うと、少々面白くないものもある。
「気合いでなんとかなるものなんですか?」
「なったからな。ホラ。」
「うひゃっ!」
 言いながら、チッチの頬に軽く触れて微弱な電流を流してやる。
 昔はデカイ雷を景気良く出すことしか出来なかったが、今はこんなちょこざいなマネまで出来るようになっているのだ。勿論、肌が触れ合わさった状態でも自分の身体に伝わることは無い。
 チッチは、身体に残る痺れを取り払おうとするように手首をフラフラと振っている。そんな彼の様子を苦笑しながら見つめていたフリックは、ベンチの背もたれに己の背を預けて顔を上向けた。そしてて、上空に広がる青空を見つめながら笑みが混じる声で言葉を続ける。
「後はあれだな。対象を本気で憎むことが大切かな。本気で殺そうと思うからこそ、集中出来るんだろうし。」
 その言葉に、チッチは盛大に顔を歪めて見せた。
「・・・・・・・ビクトールさんのこと、本気で殺したいんですか?」
「うん?まぁな。少なくても、雷を落としてるときは本気だぜ?」
 ニッと口角を引き上げながら答えを返す。無意識の内に手加減してしまっていることは、黙っておいて。
「・・・・・・・あんまりつれないことを言うと、本気で泣くぞ。俺は。」
「泣けばいいだろ?それとも、泣かせて欲しいのか?」
 背後からかかった声にチラリと視線を向けながら言葉を返すと、ベンチの背もたれ越しに厚い筋肉に覆われた太い腕に抱きつかれた。
 それは彼が起きあがったのを察知してからある程度予想していた事なので文句の言葉は口にしない。文句を言ったところで止めるわけもないから。
「俺は啼かされるよりも啼かせてーよ。」
「ばーか。俺がお前ごときの攻撃で泣くかよ。もっと修業を積み直せ。」
『ナク』の意味が互いに違うことが分かっていながら、あえてそう返す。傍らにチッチが居ることだし。その手の言葉遊びは結構気に入っているので。
 そんな二人の様子をキョトンとした顔で眺め見ていたチッチが、不意に笑みを零した。そして、心の底から嬉しそうに語りかけてくる。
「・・・・・・・ホント、仲が良いですよね。二人は。」
「・・・・・・・どこがだ?」
「おうっ!めっちゃくちゃラブラブだぜっ!」
 チッチの言葉に、フリックは大層嫌そうに。ビクトールは嬉々として言葉を返す。そんなビクトールの言葉に、フリックは取りあえず突っ込みを入れておく。
「誰と誰がラブラブだ。気色悪いことを言うな。」
 言いながら、抱きついたままのビクトールの鼻面に拳を叩き込み、その攻撃に呻いて地面に跪いたビクトールを放って置いてチッチの方へと向き直る。
「チッチ。状況はもっと正確に捉えろよ。なんで俺がこの熊男と仲良くしてないといけないんだ?」
「・・・・・・・・・・僕は正確に物事を捉えていると思いますけどね。派手な喧嘩みたいなことはしょっちゅうしてますけど、すぐに仲直りしてますし。言葉で語らなくても互いの気持を分かり合ってるって雰囲気があるじゃないですか。凄く羨ましいですよ、そう言うの。」
「・・・・・・・・・・・そうか?」 
 羨ましがられるような関係では無いと思ったのだが。ビクトールは年中雷を落とされていることだし。はっきり言って、普通ならとっくのとうに死んでいるだろう。そんな関係のどこが羨ましいと言うのだろうか。
 なんとなく納得出来ないモノを感じたが、チッチの瞳がこれ以上無いくらい輝いていたので、それ以上の突っ込みは止めておく。下手な事を言うと、自分とビクトールを端から見た感じを延々と語られそうだから。
「・・・・・・・・まぁ、良いけどな。ソレよりもチッチ。なんでこんな所に来たんだ?」
 ここは城内でも結構奥まったところなのだ。自分達もなんでこんな場所に来たのか分からないが、なんだかんだ言いながらも色々とやることがあって忙しいチッチがフラリとやってくるような場所ではない。
 だから何かあったのだろうかと思って問いかけたのだが、どうやらその判断は正しかったようだ。
「そうですよっ!フリックさんとビクトールさんの事を探してたんですよ!」
「俺たちを?何か仕事か?」
「ええ。また遠征に出ようかと思って。今回は交易重視なんですけど。その打ち合わせをシュウさんと一緒にしようと思って。」
「なら、こんなところでいつまでも喋っている場合じゃないな。いい加減行かないと、シュウが切れる。」
 言いながら、座していたベンチから腰を上げた。その動きに習うようにチッチも素早く立ち上がり、歩き出したフリックの隣へと並ぶ。
 そして、フリックに鼻面を殴りつけられて鼻血を流しながら蹲っているビクトールへと、声をかけた。
「じゃあ、僕たちは先に行ってますから。ビクトールさんもすぐに来て下さいね。」
 ニッコリと、可愛らしく笑いかけたチッチは、ビクトールに向かってそう告げるとフリックの腕に己の腕を絡ませてきた。
「・・・・・・・・・チッチ?」
 突然の行動の意味が分からず彼の名を呼べば、チッチは照れくさそうな笑みを浮かべながらフリックの顔を見上げてきた。
「たまには良いでしょ?」
 どうやら誰かに甘えたい気分らしい。有無を言わさぬ態度なのに、瞳の奥ではこちらの出方を窺っているチッチの姿に自然と笑みが広がってきた。
 こんな風に甘えられるのは初めてではない。前に甘えてきたのはチッチよりも年が上の女ではあったが。
 懐かしい記憶が呼び起こされて、なんとなくくすぐったさを感じた。そのくすぐったさが微妙に心地良いと思うのは、なんでだろうか。
 随分と自分は変わったものだと胸の内で呟く。昔はこんな風に誰かに甘えてこられたら嫌悪感を抱いたものだが。庇護して貰うことが当たり前だと言わんばかりの人間の態度を見るたびに。
 だが、チッチはそうじゃない。あの女もそうじゃなかった。手を貸して欲しい時だけそれを要求してくる人間だから。借りなければいけない状況でしか、助けを求めなかったから。
 チッチもあの女もしっかりと自分の足で立っている人間だ。だから、甘えられても構わないと思うのかも知れない。
 そんなことを考えながら、空いた手でチッチの頭を軽く撫でる。
「・・・・・・・・・・・・ああ。たまにはな。」
 その言葉と頭を撫でる掌の存在に照れくさそうに微笑んだチッチは、抱いた腕に己の頬をすりつけてくる。
 そんな彼に優しい笑みを向けながら、ゆっくりと歩を進めた。
 背後から突き刺さる、何かを言いたげな男の視線を感じながら。
 































お題『自分の雷撃で痺れてビリビリする青雷』
なんとも微妙な感じですが、今はコレで精一杯(薔薇)
最強フリックと言うより、プチ腹黒2主って感じでしょうか。
色々と撃沈してますが、ちょっとでも楽しんで頂けると幸いです。

















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