たまの休日。大した武装もせず、ボルスは一人で草原をフラフラと歩いていた。
 何か目的があったわけでは無い。やることもなく、適当に遊ぶ相手もいなかっただけのこと。だからと言って部屋にいるのも勿体ない位に良い天気だったので、誘われるように表へと繰り出したのだ。
 この辺りにモンスターはそう強くもないので、一人で出歩いたところで危険も無い。どこか気の抜けた様子で、ボルスはフラフラと足を進めていた。
 と、その時。突然目の前に目にも鮮やかな黄色が視界に飛び込んできた。
「・・・・・・うわぁ・・・・・」
 その鮮やかな色彩に、思わず歓声がこぼれ落ちた。
 この色の正体は何なのだと目をこらしてみてみると、そこに広がっていた物は小さな黄色い花。それが所狭しと咲き乱れていた。
 良くも悪くも温室育ちのボルスは、今までこんな情景を見た事は無かった。こんな草原を一人で歩くことなど、実家で暮らしているときには考えられなかったのだから。
「・・・・・綺麗だな・・・・・。」
 花は、手入れを行き届かせた物の方が綺麗な物なのだと思っていた。花屋で売っている中でも、値段の高い物が綺麗な花なのだと。
 だが、この景色を見て少し考えが変わった。一輪挿しに刺さっている薔薇も綺麗だと思うが、草原に咲き、風に吹かれて揺れているこの花を見たときの感動には敵わない。
「あいつにも、見せてやりたいな・・・・・。」
 誘われるように花に近づき、そっとその小さな花に手を差し伸べた。
 最近、仕事の質が変わってきたせいか、行動を共にすることの少なくなった、同室の男の端正な顔を思い浮かべながら。
 彼がこの花を、この景色を見たら、なんと言うだろうか。自分と同じように心を震わせるだろうか。この景色を見せたら、喜んでくれるだろうか。
 そう思いながら、ボルスは茎へと手を伸ばした。出来るだけ花を痛めないように気を付けながら、一本一本丁寧に手折っていく。今まで、そんな事をしたことが無くて手間取ったが、それでもボルスは両腕に抱えきれないほどの花を手折り続けた。
 彼をここに連れてくることが出来なくても、せめてこの花だけでも届けたい。
 そう、思って。






















「パーシヴァルっ!」
 仕事の息抜きにとバーツと話をしていたパーシヴァルは、叫ぶように呼ばれた自分の名に、視線を声の方へと向けた。
「・・・・・・・・・・・・ボルス。なんなんだ?それは。」
 視線の先に居たのは予想通りの人物だったが、その人物が手にしていた物は予想の範囲外の物だったので、パーシヴァルは思わずそう聞き返していた。
「これはな、草原を歩いていたときに見つけた花だ。綺麗だろう!」
 そう得意げに言い放つボルスが手にしていた物は、黄色い小さな花を咲かせた、菜の花。ボルスがこの花を綺麗と形容するとは思ってもいなかった。彼は、値が張って見栄えの良い派手な花が好きそうだから。自分がボルスの事を侮っていたのか、はたまたボルスの中で何か心境の変化があったのか。
 詳しいことは分からないが、彼の言葉に反論があるわけでもない。パーシヴァルは、ニコリと、子供を褒めるような笑みをボルスへと向ける。
「そうだな。綺麗な花だ。」
 パーシヴァルがそう答えた途端、ボルスは嬉しそうに顔を輝かせてきた。褒められ慣れてない子供が親に褒められた時に見せるような笑顔で。
「そうかっ!じゃあ、この花はお前にやろうっ!」
 嬉々としながらそう宣言してきたボルスは、言葉の通りに両腕に抱えていた菜の花を、パーシヴァルの胸元へと突きだしてきた。
「あ、ああ・・・・。ありがとう。」
 ボルスの迫力に思わず受け取ってしまったパーシヴァルは、困惑しながらも礼の言葉を返してやる。その言葉に、ボルスは照れくさそうに笑みを浮かべていた。
 いったい何なのだろうかと、パーシヴァルは軽く首を傾げた。ボルスの意図が分からない。花を贈って愛の告白、というには、ボルスにしては摘んできた花というのはおかしい。それこそ、薔薇だけで豪勢に花束を作ってきそうだ。うぬぼれではないが、彼が自分に贈るそう言った品には無駄金を注ぎ込むだろうと予測している。よっぽどの理由が無い限り、受け取るつもりはサラサラ無いのだが。
 では、どういうつもりなのだろうか。考え込んでいるパーシヴァルの様子に気が付いているだろうに、それまで大人しく事の成り行きを見守っていたバーツが、菜の花に向かって顔を突っ込んできた。
「菜の花か。もうそんな季節なんだな。」
 ニコニコと、屈託の無い笑みと共に言われた言葉に、自然とパーシヴァルの口元にも笑みが浮かび上がってくる。ワザとボルスの存在を無視するように話を進めてくる、バーツの態度にも。
「それは、菜の花というのか?」
 バーツの言葉に、ボルスがそう問いかけてきた。どうやら、名前も知らずに摘んできたらしい。ボルスらしいと言えばボルスらしい行動だ。
 そんなボルスに、バーツは呆れたように言葉を返している。
「そうだよ。知らないで摘んできたのか?」
「・・・・・・悪かったな。」
 途端に不機嫌になるボルスの様子に、バーツは呆れの中に馬鹿にした様なニュアンスも付け加えて言い返す。
「別に悪くは無いけどさ。そんなに沢山摘んできてるから、よっぽど好きなんだと思ったんだよ。」
「名前など知らなくても、好きにはなれるだろうが。」
「それはそうだけどさ。」
 いきり立ち始めたボルスの相手などしていられないと言う態度で視線を外したバーツは、未だ花を抱えたままのパーシヴァルへと問いかけてきた。
「こんだけあったら、色々出来るな。何にする?」
「なんだ、珍しいな。お前がやるのか?」
「まさか。パーシヴァルがいるのに、なんで俺がヤル必要があるんだよ。」
「そんなことだろうと思ったよ。」
 当然だと言いたげなバーツの口調に、苦笑を返すしかない。なんだかんだ言いつつも、自分はこの年下の幼なじみに弱いことを自覚している。弟だと言っても良い彼が、親の庇護を受けなくても立派に生きている男なのだと頭で分かっていても、心のどこかで『自分が手を貸してやらなければ』と思ってしまうのだ。
 とくに今回のようなお願いは、断れた試しがない。
「とりあえず、おひたしとか酢の物とかかな。あと、ごま和えとか。」
「良いねぇ。スンゲー楽しみ。春野菜のパスタとかに使ったりしても、旨そうじゃない?」
「ああ、それは良いかも知れないな。」
 バーツと会話をしていく内に、頭の中に様々なメニューが浮かび上がってくる。これだけあればそのどれもを作れるだろう。そんなに作って誰が食べるのだという話もあるが、人間だけは沢山居るこの城の事。どうにでもなるだろう。
 そんなことを考えていたパーシヴァルの思考を打ち消すように、突如ボルスが叫びだした。
「ちょ、ちょっと待てっ!」
 すっかり存在を忘れていたが、彼はまだそこにいたのだ。視線を彼の顔に向けると、彼はなにやら驚いたように目を見張っていた。
「もしかして・・・・・。それ、食べるのか・・・・?」
 恐る恐ると言った様子で問いかけてくる彼の言葉に、いったい何を言い出すのかと眉間に皺が寄った。それくらい常識だろうと言い返そうと口を開いたところで、思い直す。
 貴族の食卓に菜の花が菜の花として登場することは無いのかも知れない。食用で栽培されている菜の花もあるとは聞くが、庶民がそこらへんからつみ取って食す物が貴族連中の食卓に上がるというのは、考えにくいのだ。
 だとしたら、そこら辺からつみ取ってきた花を食すと言われたボルスは、面くらうだろう。彼には理解出来ないに違いない。雑草を口にするなどと言うことは。
 そんなボルスにとっては雑草と紙一重の花も、小さな村出身の自分たちにとっては、貴重な食料なのだが。
 さて、どう説明してやるべきか。頭を悩ませているパーシヴァルを尻目に、バーツが馬鹿にしたような口調で言い返している。
「当たり前だろ。これだけ沢山あるんだし、食わなかったら損だよ。」
「食うって・・・・・。だって、それ、花だぞ?」
「花を食べたらいけないっている決まりはないだろう?」
「それはそうだが・・・・・。」
 言いよどむボルスは、まだ納得がいかないらしい。それは無理のない事だとは思うが、花を食べたところでどうってことないのだ。何もそんなに拘らなくてもいいだろう。そうは思うが、直接そんなことを言う事はしない。そんな事を言おうものなら、五月蠅いくらいに騒ぎだしそうだから。
「まぁ、とにかく。ボルスも一度食べてみろ。初心者でもおいしく食べられるものを作ってやるから。」
「・・・・えっ・・・・?お前が?」
「ああ、不服か?不服なら・・・・・。」
「いっ・・・・・いやっ!そんなことは無い!」
 メイミに頼むと言おうとした言葉は、ボルスの叫びでかき消された。まったく持って騒がしい男だ。しかし、その騒がしさが昔ほど神経に障らないのは、なんでだろうか。慣れたと言うことだろうか。
 出会った頃は、存在自体が気にくわなかった、この男の存在に。
「じゃあ、夕飯時に出してやるよ。」
 ニコリと笑うと、ボルスとバーツの両方が喜び飛び上がっていた。そんな反応をされると、なんだか照れくさい。これは、何としてでもおいしい料理を作ってやらねばと思ってしまう。
 とは言え、今すぐに取りかかるわけにはいかない。何しろ、ここには息抜きで来ていたのだから。
「じゃあ、俺はまだ仕事が残っているから、それを片づけてくるよ。だから、先にこれを片づけてくれるか?」
「分かった。」
 バーツに向かって腕の中の花を差し出せば、彼は快く受け取ってくれた。
「それから、メイミに後で厨房貸してくれって伝えておいてくれ。それの半分は俺が行く前に好きに使って良いからと、付け加えてな。」
「了解。」
 両腕が塞がっているバーツは、首を小さく前倒すことで返事を返し、さっさと身を翻していった。先に花を運んでしまう気なのだろう。彼の仕事も、まだ残っているのだから。
 歩き去るバーツの後ろ姿を見送っていたパーシヴァルは、ボルスが自分の事を見つめているのに気が付いた。
「・・・・・なんだ?」
 その紫の瞳に強い光を宿してパーシヴァルの顔を見つめてくるボルスに、まだ何か言いたいことがあるのかと首を傾げて聞き返せば、ボルスは小さく首を振り返してきた。
「・・・・・・いや、何でもない。俺は、夕食時まで適当に時間を潰してくる。」
「ああ、分かった。」
 なんでも無さそうには見えなかったが、本人がそう言うのならそれで良い。何かあったら、放って置いても何かしら言ってくるだろうから。
 言うだけ言って歩き出したボルスの背中を見送っていると、数歩歩いたところでボルスがその場に立ち止まった。そして、勢いよく振り返ってくる。
「・・・・・嬉しかったか?」
「え?」
「花。」
 ぶっきらぼうな言い方に一瞬目を見張ったが、その顔はすぐに微笑へと変わっていった。
「ああ、嬉しかったよ。ありがとう、ボルス。」
 普段彼には見せない柔らかな微笑みを向けてやった。普段花など摘んでこないボルスの行動を褒めてやるように。お使いを済ませた子供をねぎらう親の様な、そんな微笑みを。
 それだけで、ボルスは顔は一気に朱色に染め上がった。いつもながら見事なその鮮やかな変色ぶりに、苦笑が沸き上がってくるのを抑えることが出来ない。
 本当に、幼いというか、何というか。
 あたふたと視線を辺りに投げていたボルスは、態とらしい程にぶっきらぼうな声で呟きを返してきた。
「・・・・・じゃあ、後でな。」
「ああ。待ってるよ。」
 パーシヴァルの言葉など聞こうともせず、ボルスは走り去っていく。その背中に小さく手を振りながら、パーシヴァルは笑いの衝動を堪えていた。
「・・・・・ほんと、憎めない奴だよな・・・・・。」
 バーツよりも年上だとは思えない。良くも悪くも、世間を知らないのだ、あの男は。
 彼の幼少期はいったいどんな感じだったのだろうか。じわじわと興味がわき上がってくる。
 多分、家族からも、周りの大人からも可愛がられて、甘やかされて育ってきたに違いない。人の汚い所を沢山見てきた自分とは、何もかも違う成長を遂げてきたのだと言うことは間違いようもない事実だ。
 別に、自分の人生について後悔などしてはいない。これは、自分が選んだ道なのだ。いつでも逃げ出せたのに、そうしなかったのは自分なのだ。
 過去の自分があるからこそ、今の自分がいるのだ。そう、心の中に言い聞かせる。
 ふと胸元に視線を落とすと、胸元に黄色い汚れが付いていることを発見した。どうやら花粉が移ったようだ。
 その花粉を軽く手で叩き落とした。自分の沈みかけた思考と共に。
「さて。さっさとやることを片づけるかな。」
 自分の気を紛らわせるために、わざとそう口にだす。
 今の自分にも、やらなければならないことは沢山あるのだから。後ろを見てばかりはいられないのだ。
 そう、心の言い聞かせながら、パーシヴァルは己の戻るべき場所に足を向けた。























春めいた話を目指して玉砕。反省。
















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菜の花