彼に初めてあったのは、初公演となる『決戦ネクロード』の初練習の時。
 公演物のある程度の人気度合いを把握した後、奇抜なキャスティングで観客を楽しませる支配人ナディールは、初公演時には考え抜いたキャスティングを据えてくる。
 その彼が、何故ビクトール役に自分を据えてきたのか、フッチにはいまいち良く分からなかった。
 ビクトール本人を知っているだけに。
 思い出は、美化されていくものだという言葉通りに、フッチの中でビクトールの存在は雲の上の人というイメージがあった。
 共に戦っていた時代。
 彼が軍の中核にいたと言う事もあるし、子供の耳にも彼の武勇伝が多く伝わっていたと言うこともある。
 なんにしろ、自分なんかが軽々しく出来るとは思っていない。
 断りたかったが、フッチの言葉を支配人は承諾してくれず、練習初日を迎えてしまった。逃げ出してしまいたかったが、そんなことも出来ず。フッチは重い足を引きずるようにして練習室を目指していた。
 自分がビクトールをやると言うこと以外に、もう一つ引っかかる事があった。
 それは、ビクトールの相棒と言われた、あの綺麗な人を誰がやるのかと言うこと。
 『青雷のフリック』の存在は、ビクトール以上にフッチの中で美化されていた。軍の中で一番綺麗で、それでいて強かったフリックのことは。何回か、同じパーティで戦った事もある。そのたびに、あの流れるような剣捌きに、全身を輝かせていた紋章の光に、目を奪われた。
 男の人に綺麗と言うのはおかしいと、子供心に思っていたが、そう思う心を止められはしなかった。
 その彼を、誰がやるのか。
 彼を知らない人達なら、そこら辺にいる多少整った顔立ちの男がやっても違和感を感じないだろう。だが、そんなことはフッチには耐えられない。
 綺麗な思い出を汚されるようで。
 殺意にも似た警戒心を抱いて入った練習室に、共演者は既に揃っていた。支配人から紹介される人達の中に、彼を演じるものが居るのだ。そう思うと、視線は相手を値踏みするようなものになってしまった。
 そんなフッチの視界に、一人の男が飛び込んできた。
 フリックのように、鮮やかな色彩があるわけではない。人の目を引く青い装束も、一度見たら視線を反らすことの出来なくなりそうな澄んだ青い瞳も、彼は持ち合わせていなかった。
 だが、視線が引きつけられる。
 フリックと違った黒っぽい髪は、しっかりと固められ、滑らかな額を惜しげもなく晒している。黒い瞳は優しい光を浮かべていて、なにもかもを受け止めてくれそうな錯覚さえ覚えた。
 支配人を介して紹介された彼に、なんと言って挨拶したのか、少しも覚えてはいない。だが、自分よりも、当時のフリックよりも年下の彼の名は、しっかりと覚えている。

 パーシヴァル・フロイライン。

 忘れられない名が、もう一つ出来た。











「・・・・・まったく。シャロンには困ったもんだ。ミリア団長が甘やかしすぎたんじゃないのか・・・・・・?」
 ブツブツと文句を零しながら、フッチは夜も更けて人の動きの減った城内を歩いていた。
 何故か自分が面倒を見ることになってしまった団長の娘であるシャロンのお転婆には、毎日迷惑をかけられている。
 誰々が自分のことを馬鹿にしたからブライトで黒こげにしてだの、朝食に自分の嫌いな食べ物が出たからどうにかしてくれだの。なんでもかんでもフッチに言えば良いというものでもないだろう。むしろ、言われても困ると言う物だ。
 もう何もかも一人で出来ない子供でもあるまいし。ある程度のことは自分で解決して貰いたい。そうじゃなくてもシャロンは団長の娘なのだ。将来の事も考えて、ここらでもう少し落ち着きと言う物を持って貰いたいと思うのは、間違った考えだろうか。
「・・・・・やってられないよな。ほんと。」
 ムシャクシャしたときは、ブライトと空に出るのが一番良いのだが、今、ブライトは炎の英雄ヒューゴと共に遠征に出かけている。
 何を考えているのか、今回のパーティは、ルビ・フーバー・ブライト・コロク・からくり丸Zというわけのわからなさのあるメンバーで出かけていった。
 おかげでブライトと離ればなれで、何となく落ち着かない。
 部屋に帰ればシャロンが居て、何かと話しかけられる事になる。
 ゆっくりしたいときに行く場所が思いつかず、フッチはあてど無く城内をウロウロし続けていた。
 不意に、耳にざわめきが聞こえてきた。
 視線を気配の方に向けると、そこには一枚の扉があった。
 確かこれは、酒場の入り口のドアだったはず。
「・・・・・たまには、酒を飲むのも良いかな。」
 城に来て日が浅いせいで、酒を酌み交わすような友達は出来ていない。
 一人で飲むのも味気ない気がして、今まで酒場に足を踏み入れたことは無かった。
 友達が必要な年齢では無いが、楽しく飲みたいときには、ひとりでは盛り上がりに欠けるというもの。
 とは言え、今は盛り上がりたいわけではない。気晴らしをする場所が欲しいだけなのだ。その事を考えると、酒場というのはうってつけの場所ではないだろうか。
「・・・・・よし。」
 決めたら、行動は早かった。
 一気にドアを押し開け、人の気配でよどんだ空気の中に足を踏み入れる。
 カウンターにいる女性だけが、フッチの入ってきた気配に気が付いたように顔をこちらに向けてきた。
「いらっしゃい。」
 気さくに声をかけてくる女性に小さく頷き返したフッチは、初めて足を踏み入れた空間に興味深そうな視線を巡らせる。
 縦長に伸びた店内には、イスとテーブルが綺麗に並べ置かれていた。
 そこに、それなりの数の客数が入っている。
 昔、恩人と共に身を寄せた城にある酒場よりも、少し狭いだろうか。
「・・・・・・あ。」
 投げていた視線の先に、一人の男の姿が飛び込んできた。
 丁度真ん中ぐらいのテーブルに、黒髪の女性と共に酒を酌み交わしている、パーシヴァルの姿が。
 一瞬、声をかけようかと思ったが、親しくつき合っているわけでもない。女性と一緒と言うことは、デート中なのだろう。それを邪魔してまで割り込む根性は、フッチには無かった。
 とりあえずカウンターに行こうと足を踏み出したフッチの存在に気が付いたのか、それまで同席していた女性と楽しげに話をしていた彼が、不意に顔を上げ、フッチの視線と彼の視線が合わさった。
 たったそれだけのことに、フッチの心臓が大きく跳ね上がる。初恋をしている10代前半の子供でもあるまいに。何を緊張しているのだと内心で自分を罵るフッチに、彼はニコリを笑いかけてきた。
 動揺する心を抑えつつ、なんとか会釈を返す。自分の心の平穏のためにも、さっさと視線を外そうとするフッチの努力をあざ笑うかのように、彼は手招きをし始めた。
 どういうつもりなのだろうか。酒の席に同席するほど仲が良いわけではないのに。
 不審に思いながらも、フッチはフラフラと彼の元に足を向けていた。
 彼の笑顔には男を引きつける力があるのでは無いかと思うくらい、抗えない。
「こんばんわ。珍しいですね。あなたがここに来るなんて。」
 傍らに近づいたフッチに、彼は軽く首を傾げながら問いかけてくる。
 彼はどうやら私服らしい、なんの変哲もないシャツを着ていた。そのシャツのボタンの幾つかが外され、胸元がはだけさせている。そのため、首を傾げる彼の動きで、フッチの視界には日に焼けていない白い胸元が目に飛び込んできた。
「・・・・ああ。まぁ。たまには、良いかなと思って。」
 答えながら、さりげなく視線を外す。
 同じ男なのだから、そんなことをする必要な無いだろうと思いながらも、彼の姿を直視出来ない。
 そんなフッチの様子に気が付いているのかいないのか。パーシヴァルと同席していた女性が彼の袖を軽く引っ張り、自分の方へと彼の視線を向けさせた。
「ちょっと、パーシヴァルっ!こっちの人は誰なんだい?私にも紹介しなよ。」
「ああ。悪い。こちらは、フッチさん。竜洞騎士団に所属している、竜騎士の方だ。で、こちらはクィーン。ゲド殿と長くつき合ってこられた、傭兵隊の方です。少し乱暴者ですが、根は良い人間なんで、良かったらつき合ってやって下さい。」
「ちょっと!それはどういう意味なんだい!」
「年齢的に丁度良いと思っただけだ。話し相手としての。俺とクィーンじゃ、子供の頃の話がかみ合わないからな。」
 ニッと笑いながら言われた言葉に、クィーンはムッとしたように顔を歪ませていた。
 なんとなく呆気に取られ、二人のやり取りを見つめていると、その視線に気が付いたのか、パーシヴァルが申し訳なさそうに顔を歪めて見せた。
「申し訳ありません。騒がしくしてしまって。もしよろしければ、ご一緒にいかがですか?」「え・・・・・?でも・・・・・。」
 突然の申し出に当惑する。
 恋人達の楽しい夜のひとときを邪魔したくはない。だが、彼と話しをしてみたいという思いも、確かにあった。
 どうにも答えを出しかねていると、パーシヴァルが困ったように苦笑を浮かべて返した。
「お気遣い頂かなくても大丈夫ですよ。私と彼女の間に男女の関係なんかありませんから。ただの飲み友達です。だから、気にしないで下さい。」
「そうそう。たまには、違ったタイプの色男を見ながら酒を飲みたいしさ。ただし、割り勘だからね。」
 これだけは譲れないと言い張る彼女の言葉に、フッチの顔に自然と笑みが浮かび上がってくる。
「わかった。つき合わせて貰うよ。」
「そう来なくっちゃ。じゃあ、アンヌ!もう一本追加ね!」
「はいはい。」
 カウンターにいた女性が、困ったような、呆れたような笑みを浮かべながら奥に引っ込んでいった。
 その慣れたやり取りに、彼等がここの常連だと言うことが分かる。
 そう言えば、数えるほどした行ったことのないあの城の酒場でも、同じような光景が繰り広げられていた。酒場とは、こういうものなのか。それとも、彼等がたまたま似たような行動をしているというのか。
 どちらにしろ、フッチの中でとパーシヴァルの存在は、大きく重なり始めていた。












「・・・・・大丈夫か?」
「これくらい、なんてことないですよ。」
 フッチにしてみれば、信じられないような強い酒を、信じられないような本数二人で飲みきった先ほどの様子を思い浮かべると、とてもじゃないが大丈夫だと思えない。
 しかし、酒場で会ったときよりも陽気になっているとはいえ、パーシヴァルの足取りはしっかりしたものだった。
 受け答えもしっかりしてはいる。
 一見酔っぱらっていないように見えるのだが、なんとなく心配になり、フッチは彼を部屋まで送り届けていった。
「・・・・・じゃあ、今日はゆっくり休めよ。」
 ドアの前まで送り届けたフッチは、そう一言言い置いて立ち去ろうとした。
 そんなフッチの腕を、パーシヴァルがつかみ取ってくる。
「・・・・・パーシヴァル?」
「今日は、同室の者が実家に帰っていていないのです。気兼ねする必要はないんで、少し寄って行きませんか?」
「え・・・・・?あ、ああ・・・・。良いけど。」
 すがるような眼差しを見せる彼の態度に、大きく鼓動が跳ね上がった。
 何を動揺しているのだ。男相手に。
 そう自分に言い聞かせながらも、フッチは誘われるままに部屋へと足を踏み入れた。
 他の部屋よりも少し広めのその部屋には、机にベットが一つずつ備え付けられている。その数に、フッチは小さく首を傾げた。
「・・・・・一つずつ・・・・・?」
 二人部屋のはずでは無かったのだろうか。ここは。
 さっき彼も、同室の者が普段は居ると言っていたではないか。
「どうかされましたか?」
「いや、確か、パーシヴァルは誰かと同居していたんだよな。」
「ええ。ボルスという、直情馬鹿と。」
 なんだか言葉に刺があるような気がするのは、気のせいなのだろうか。
「そうだよな・・・・・。じゃあ、なんでベットが一つしかないんだ?」
「さぁ。予算が無かったんだと思いますけど。」
 首を傾げてそう答えを返してくるパーシヴァルの言葉に、フッチは苦笑を浮かべる。
 分かっていて誤魔化しているのか、酔ってて思考力が落ちているのか。いまいち判別が付かない。
「そうじゃなくて、二人で生活してるのに、ベット一つしかなくて、どうやって寝起きをして居るんだって聞いているんだよ。」
 そうかみ砕いて問いかけると、彼はなんでそんなことを聞くのかと言いたげに眉を潜めて見せた。
「そんなこと、簡単じゃないですか。一緒に寝ているだけのことですよ。」
「一緒にって・・・・・・。男同士で?子供でもないのに?」
「ええ。」
 あっさりと頷いたパーシヴァルの言葉に、フッチの顔は一気に朱色に染まっていった。
 何をそんなに慌てることがあるのだろうか。
 ただ、同じベットで寝ていると言っただけだというのに。
「・・・・・・・何を想像したんですか?」
「何って・・・。別に、なにも・・・・・。」
「嘘ですね。何も想像してないなら、そんなに顔を赤くするわけないじゃないですか。」
「そ、それは・・・・。」
「何を考えたんですか?教えて下さいよ。」
 クスクスと、楽しそうに笑いながらパーシヴァルがフッチの首に己の腕を回してきた。
 二人の距離が一気に縮まり、密着度が急に高まる。その事に驚いているフッチの目の前に、染み一つ無い綺麗な顔が近づいてくる。
 何事だと問うより早く、フッチの唇は柔らかい感触に塞がれた。
 一瞬、何が起こったのか分からなかった。ただ、目の前にある睫が、思いの外長いことに気が付いただけで。
「・・・・・嫌ですか?」
「いや、そんなことは無いけど・・・・・。」
「では、今晩はつき合って頂けますか?」
「・・・・・・・・え?」
 何を、と問う前に、フッチの身体はベットの上に押し倒されていた。
「え・・・・・?ちょっ・・・・、ちょっと!」
「私じゃ、お気に召しませんか?」
「いや、そうじゃなくて。いったい何をしようと・・・・・?」
「そんなこと、決まっているじゃないですか。」
 ニコリと、今まで見た中で一番綺麗な笑みをその面に描いたパーシヴァルは、覆い被さるようにフッチの身体に身を寄せてくる。
「この状態で、やることと言ったら、一つしかないでしょう?」
「でも・・・・・。」
「男同士だって、出来るんですよ。・・・・・試してみませんか?」
 降りてくる口づけに、フッチは自分の理性がかき消えていくのを感じた。
 何故彼が自分を誘う気になったのか。それは分からない。分からないが、降ってわいた幸運を見逃す手は無いだろう。
 男同士と言うことに、嫌悪感があるわけでもない。
「・・・・・・途中で嫌だと言っても、止めないぞ。」
「言いませんよ。そんなこと。」
 クスクスと、楽しそうに笑む男の言葉に、抗える者がいるのだろうか。
 パーシヴァルの首筋に右手を伸ばしたフッチは、端正な顔を自分の方に引き寄せるように口付けた。そして、そのまま体勢を入れ替える。
 なんの抵抗もなく己の下に組み敷かれた身体に、剣ダコのある大きな手の平を滑らせた。
 半分はだけた状態だったシャツの中に己の手を進入させるのは容易く、すぐに滑らかな感触が伝わってくる。
 その手触りに、下半身が力を持ち始めたのを感じた。
 先の行為を促すように見つめてくる濡れた黒い瞳にも、興奮を煽られる。
 緊張して振るえる指先を忌々しく思いながら、白い裸身を取り出していく。
 自分よりも、細い身体。
 名を馳せている騎士にしては細い、しかし、しっかりと筋肉のついた身体を、丁寧に撫で上げていった。
「・・・・・そんなに慎重にしなくても大丈夫ですよ。これでも、鍛えていますから。」
「でも・・・・・。」
「焦らされるのは、好きじゃないんですよ。だから・・・・・。」
 感じているであろう快感を、隠すことなく映し出している瞳でジッと見上げられて、フッチの顔は刷毛で塗ったように一気に真っ赤に染まっていった。
 他人と肌を合わせることが初めてなわけではないのに。誰かを抱くことも初めてではないのに。まるで、初めてセックスする少年のように動揺してしまう。
 その動揺に比例するように、己の分身は力を増して行く。これ以上、自分を抑えられる事など出来ない位に。
「・・・・・じゃあ・・・・・。」
 なんと声をかけて良いのか悩んだ挙げ句、そんな言葉をぽつりと呟いた。
 自分がこんな事を言われたら興ざめするだろうと、ボキャブラリーの足りない自分のことを内心で罵りながら、その言葉を誤魔化すように口づけを交わす。
 深く差し入れられた舌の動きに素直に従ってくるパーシヴァルの様子に、ホッと胸を撫で下ろしながら、フッチは彼の後穴へと己の猛モノを突き入れた。
「・・・・・・っ!ぁっ!」
「ご、ごめん。大丈夫か?」
 一気に奥まで差し込むと、その衝撃に耐えるようにパーシヴァルが息を飲み込んだ。
 その様子に思わず謝罪の言葉を口にすると、彼は荒い息を吐きながらも、小さく笑みを浮かべて返す。
「・・・・・別に、謝る事では、ありませんよ。謝るくらいなら、早く気持ちよくして貰いたいものです・・・・・。」
「ぁ、ああ・・・・。分かった・・・・・。」
 そう言われてしまえば、フッチにはそう答えるしかない。
 ここで止める気はサラサラ無いのだから。
 うっすらと赤味の差していく白い裸身を見つめながら、フッチは己の情熱をその身体にぶつけていった。
 ここまで興奮したことは、ここ最近無かった。
 すがるように伸ばされた腕の力を自分の背中に感じる。
 女のモノとは違う、強い力を。だが、自分の物よりも確実に細い。こんな細い身体で、良くあの戦場を渡っているモノだと、感心する。
 それは、フリックにも感じた思いだが。
 顔立ちは全然似ていないのに、似ていると思うのはなんでだろうか。
 同じように心が引かれるのは。
「・・・・・パーシヴァル・・・・・・。」
 名前を呼ぶと、閉じられていた瞳が開き、黒っぽい瞳がこちらに向けられた。
「パーシヴァル・・・・・。」
 確認するように再度名前を呼ぶと、答えるように小さく笑みを返された。
 その笑みに触発されるように己の分身は力を増していく。
 終焉は近い。
 それを感じながら、フッチは腰をさらに深く突き入れていった。


















「・・・・・・・・・げっ・・・・・・」
 聞き慣れない、しかも蛙を潰したようなうなり声に、眠りに落ちていた意識が一気に浮上してきた。
 子供の頃から戦場に身を置いていたせいで、目覚めるときは一気に目が冴える。
 さっきまで寝ていたとは思えない程勢いよく開いた視界の先には、何か困っているような表情を浮かべているパーシヴァルの姿が飛び込んできた。
「・・・・・おはようございます。」
「おはよう。・・・・・身体は大丈夫か?」
「ええ。慣れてますから。」
 ニコリと微笑み返してくるパーシヴァルの顔には、先ほどの当惑の色は微塵も無かった。
 見間違いだったかと首を捻りながら起きあがったフッチに、パーシヴァルは視線を窓に向けながら声をかけてくる。
「まだ寝ていても大丈夫だと思いますよ。外はまだ暗いですから。」
「いや、目が覚めたからもう起きるよ。これ以上寝ても、あまり体調は変わらないだろうからね。」
 そう言いながら立ち上がり、昨夜脱ぎ捨てた衣類を素早く身につけていく。
 何も言わずに外泊したので、後でシャロンに何か言われるだろう。子供じゃないんだから放って置いてくれと言いたいが、彼女が人の話をまともに聞くとは思えない。
 さて、どう言い訳をしようかと考えていたところで、ふと昨夜の記憶が鮮明に思い浮かんできた。
 自分の下で淫らに動いていた白い裸身を。
 誘うような、黒い瞳の色を。
 思い出したら、一気に恥ずかしくなってきた。
 昨日は、なんだかんだ言って自分も酒が回っていた。少し気が大きくなっていたという自覚はある。酒を理由にしたくは無いが、彼になんと言えば良いのだろうか。
「あ・・・・・あのな・・・・・。」
 とりあえず何か言わなければと慌てて振り返ったフッチの視界に、白い裸身を惜しげもなく披露している男の姿が飛び込んできた。
「と・・・・・とりあえず、何か着てくれ・・・・・。」
「ああ、そうですね。」
 何も纏っていない事に言われてから気が付いたと言う感じで頷き返したパーシヴァルは、腰掛けていたベットから立ち上がり、フッチがしたように、床に散らばった衣服に袖を通し始めた。
 真っ直ぐに立つと、その身体の細さが際だって見える。
 昨日散々その身体が細いだけではなく、しっかりと筋肉を付けた戦士の身体だという事を触って確かめたというのに。
 昇り始めた朝日に照らされた白い身体は、何故が庇護欲を駆り立てる。
「・・・・・何か?」
 ジッと見つめる視線に耐えかねたのか、小首を傾げて問いかけてくる彼の言葉に、フッチは慌てて首を振り替えした。
「き・・・・・・・い・・・・・いやっ!なんでもない!」 
 思わず、綺麗だと呟きそうになった言葉を慌てて飲み込み、態とらしいくらいに大きな動作で顔を背けた。
 これ以上、彼の姿を目にしてはいけない。
 少し熱を持ち始めた己の身体を落ち着けるために、フッチはこっそりと深呼吸を繰り返した。
「今更何を恥ずかしがっているんですか。」
 クスクスと笑う彼の声に、恥ずかしさが増していく。
「それはそうだけど・・・・・。」
「まぁ、良いですけどね。もう着ましたから、こちらを向いても大丈夫ですよ。」
 その言葉にホッと息を吐いて視線を上げると、パーシヴァルは複雑な笑みを浮かべていた。
「・・・・・どうした?」
「いえ。酔った勢いで、悪いことしたなと、思いまして。」
「悪いこと?」
「私が誘ったんでしょう?あなたを。」
 言われた言葉に、再び顔が赤く染まった。
 どうしてこうも簡単に反応するのか、自分で自分が恥ずかしくなるが、どうしようもない。
「だから、悪いことをしたと思いまして。」
「別に、悪いことではないだろう。誘いに乗ったのは、ぼくの意思だったんだから。」
「そう言って頂けると、気持ちが楽になりますよ。」
 ホッとしたようなパーシヴァルの笑みに、鼓動はドンドン早まっていく。
 ここで何か気の利いたことを言わなければ。
 どうやら自分と肌を重ねたことを後悔しているらしい彼は、二度と自分と関わり合いにならないかもしれない。それだけは、避けたい。せっかく彼と話が出来る様になったのだから。
「あ、あの!」
「はい。なんでしょうか?」
「また、つき合ってくれるか?」
 勢い込んで話した言葉に、パーシヴァルが驚いたように目を見開いてきた。
 言った自分も、口から飛び出た言葉に驚いた。
「い、いやっ!そういうことではなくてっ!また、一緒に飲みに行ってくれないかって、そう言うことを言いたかっただけなんだ!決して、深い意味なんてないからなっ!」
 焦って言い訳すればするほど、ソウイウコトを望んでいるような感じがしてきて、フッチはさらに頬を染め上げる。
 いい年して恥ずかしすぎる。穴があったら入りたい。
 子供の頃。ハンフリーと共にあの城に身を寄せていた頃は、29歳は凄く大人に見えた。なのに、今の自分は全然大人じゃない。
 フリックのように、ビクトールのように、ハンフリーのように。
 あんな格好いい男になりたいと願ってきたのに。
 自分の愚かさに深く落ち込んでいるフッチは、パーシヴァルの顔を見ることすら出来ず、深く項垂れた。
 こんな事なら、何も言わずにさっさと立ち去れば良かった。今更何を言っても遅いのだが。やり直せるならやり直したい。
 そんなことを考えていたフッチの傍らに、パーシヴァルが歩み寄ってきた。
「フッチ殿。」
 名を呼ばれ、怖ず怖ずと顔を上げたフッチの唇に、柔らかいモノが押し当てられた。
 驚いて見開く瞳に映るのは、閉じられた切れ長の瞳と、白い肌。ふれ合うだけのそれはすぐに離れた。だが、フッチの唇には生々しい感触が残っている。
 フッチは驚きのあまり己の唇を覆い隠してしまった。これ以上無いくらい、全身を赤く染め上げながら。
「深い意味でも構いませんよ。私も、フッチ殿とはもっと仲良くおつき合いしたいと思ってましたからね。」
「・・・・・・・え?」
 思いがけない言葉に、目が点になる。
 その顔が余程間抜け間抜けだったのか、パーシヴァルは小さく笑みを漏らすと、軽く首を傾げ、窺うようにフッチの顔を覗き込んできた。
「色々、お話を聞きたいんですよ。アナタのことを、もっと詳しく、ね。」
 ニッコリと笑む唇が異様に赤く見え、フッチは誘われる様に口付けていた。
「あっ!ご、ごめん!」
「・・・・・一々謝らなくても良いですよ。」
「そ、そうか・・・・・・?」
 呆れたように呟かれ、驚きのあまりふっ飛んでいた恥ずかしさがぶり返してきた。
 どうにもこうにも居たたまれなくなったフッチは、不自然な笑みを浮かべると、ギクシャクしながら軽く手を挙げて見せた。
 出来るだけ自然な振る舞いをしようとしたのだが、その動きに努力のかいはまったく無い。
「じゃ、じゃあ、ぼくはもう戻るから。本当に、また飲みに行こうな。」
「ええ。いつでも誘って下さい。」
「分かった。じゃあ、また!」
 駆け出すように部屋を後にしたフッチは、階段を一気に駆け下り、玄関の扉を思い切り良く開くと、そのままの勢いで広場へと駆けだした。
 それでも気分が収まらず、早朝で誰も守っていない城門を一気に駆け抜けると、城の前に広がっている草原へと駆けだしていった。
「・・・・・・なんなんだよ、ぼくは・・・・・・。」
 ようやく気持ちに整理出来た頃には、随分城から離れていた。
 10代の若者でも、今時ここまで恥ずかしがったりしないのでは無いか。
 そう思える自分の狼狽振りに、深く落ち込んだ。
「・・・・・シャロンに偉そうに説教出来ないなぁ・・・・・。」
 深く息を吐いたフッチは、重い足取りで城へと戻り始めた。
 未だ手に残る彼の感触を思い出すだけで、下半身が熱くなる。
 滑らかな、抜けるような白い肌。闇の中では黒く見える、熱に潤んだ瞳。
「・・・・・ああ、もう・・・・・。」
 思い出したくないのに、記憶は次々とやってくる。
 いや、思い出したくないわけではない。どちらかと言うと、思い出したいのだ。だが、それでは仕事にならない。
 今日一日、彼の姿に捕らわれていては。
「・・・・・・一日どころか、ずっと続きそうだ・・・・・。」
「やあっ!おはよう!」
「うわっっ!」
 自分の考えを振り払うように首を振ったフッチは、背後からいきなり声をかけられ、思わずその場に飛び上がった。
 油断していただけに、驚きはひとしおだ。
「だ・・・・・誰だっ!」
「何をそんなに怖い顔をしているんだい?何か悩んでいるようだったけど、問題は解決したのかな?」
 そう声をかけてきたのは、緑のジャージに白いタンクトップを着た、タルタルと歪んだ腹肉を持つ男。
 見るからに不審だが、善良そうだと言えば、そうとも言える。
「・・・・・誰?」
「そんなときは。体操が一番!さぁ!ボクと一緒に行ってみよう!」
 フッチの問いなど耳にも入れず、男は嬉々としてそんなことを言ってくる。
「・・・・・はぁ・・・・・。」
 大きく腕を振り出した男の姿に、ため息とも相づちとも取れる呟きを漏らした。
 いきなりの展開に呆気に取られ、パーシヴァルへの思いを一瞬忘れかけてしまったが、何とも言えないむず痒いような思いは、いまだ胸の内でくすぶっている。
 こんな状態では、仕事もろくに手が付かないだろう。
「・・・・・・まぁ、良いか。」
 この不審な男の言うことが正しいかどうか分からないが、身体を動かすのは嫌いじゃないし。
 そう激しい運動でもないので、気持ちを整理するのにはむいているかもしれない。
 そう思い、体型の割には機敏な動きを見せる男の動きに合わせて身体を動かし始めた。
 今後、彼とどうつき合っていけばいいのか、模索しながら。
「・・・・・昔とは、違うからな・・・・・。」
 近づきたくても近づけなかった綺麗な青年の姿を思い出し、ぼそりと呟いた。
 今は、あの時と違って自分には力がある。無力な子供ではないし、世の中も分かってはいる。自分の胸の内にくすぶる気持ちが、どう言ったものなのか、まだ判別付いていないが、彼と親しくしたいと思うことだけは確かなこと。
「だったら、とりあえずは前向きに行こうかな。」
 まずは、友達から。
 酒を酌み交わし、他愛のない話を出来る関係になりたい。
 かつて見た、大人達のように。
 それが、今のフッチの望みだった。















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